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かけっこの際に劣等感を無くすために順位をつけないという(おそらく)都市伝説のある日本の教育制度と対極ですかね?なら、全員ゴール主義の良い点を探せば、このプログラムの欠点が見つかるかも…とか思ったりして
学生でいる時は競争で勝つことも負けることも体験できず,社会人になっていきなり競争社会に放り込まれるというのは,あまりにも酷だと思うんですが.比較的ダメージの軽い競争で耐性を付けておかないと耐えられないのでは?
学校での相対評価というのもそれなりに過酷だとも思いますよ。
個人での評価が明確化されるような職種もありますが,部署単位,会社単位での競争も多いですよね。評価についても,成果主義のように明確な評価をしてそれを元に報酬を決めるというシステムの弊害もいろいろ指摘されているように思います。特に,若手を伸ばす(まさに教育する)という観点からは。
それに対して学校での相対評価は,日常の多くの時間をともにしている人間と表面的には単純な評価軸で評価され,数値化される。しかも,ほぼ個人間の競争で,勝敗の原因が個人に帰属されることも多い。そんな競争に,人格的にも十分発達していない時期から参加するわけですから,なかなか大変ではないでしょうか。
もちろん,社会での競争に負けた方がダメージは大きいでしょうけど,それは学校と社会を両方経験した大人からの客観的な評価なわけです。子どもたちにとって,学校というのは非常に大きなものであって,彼らが「ダメージが軽い」とか「社会の方が厳しい」と思うのは,難しいと思います。
順位をつけるなというもの極端な考え方ですが,競争場面をつくらないと,勝ち負けを経験できないということもないんじゃないでしょうか。ことさら競争場面をつくって,勝敗を(個人レベルで)明示しなくても自身の能力などに対する自己評価は勝手にすると思います。
その学校ではテストの採点もしてないんですか? 試験のとき模範解答を黒板にでも貼ってみんな平等に点が取れるよう書き写させたりしてるんですか? そんなわけないですよね。だから偽善なのです。
>子どもたちにとって,学校というのは非常に大きなものであって,彼らが「ダメージが軽い」とか>「社会の方が厳しい」と思うのは,難しいと思います。基本的な考え方として、どっかで競争に勝たないといけないわけで全ての競争に負けたらあかんと思うのです。何かその人なりの得意分野を延ばすための提供される機会の幅が狭いこと、仮に他の欠点があっても、徹底的に得意分野を延ばせば他の欠点に目をつぶってくれる度量が小さいことは教育システムの問題だと思います。単に劣等生に劣等感をもたせないよう工夫するのは単なる過保護なのでは?
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
全員ゴール主義と対極? (スコア:0)
かけっこの際に劣等感を無くすために順位をつけないという
(おそらく)都市伝説のある日本の教育制度と対極ですかね?
なら、全員ゴール主義の良い点を探せば、
このプログラムの欠点が見つかるかも…とか思ったりして
Re: (スコア:0)
逆に相対評価の場合、個人の頑張りとは別の要因(他が出来るやつばかりとか)で、同着でも評価が変わり得るので
やる気を無くす生徒が続出する予感。
絶対評価の場合、評価する側の能力が相対評価の場合以上に重要になるので、先生はかなり大変だけど。
#全員同着でゴール「させる」というのは、相対評価を無化させる戦略でもあるのです。
Re: (スコア:1)
学生でいる時は競争で勝つことも負けることも体験できず,社会人になっていきなり
競争社会に放り込まれるというのは,あまりにも酷だと思うんですが.
比較的ダメージの軽い競争で耐性を付けておかないと耐えられないのでは?
Re:全員ゴール主義と対極? (スコア:1)
学校での相対評価というのもそれなりに過酷だとも思いますよ。
個人での評価が明確化されるような職種もありますが,部署単位,会社単位での競争も多いですよね。
評価についても,成果主義のように明確な評価をしてそれを元に報酬を決めるというシステムの弊害も
いろいろ指摘されているように思います。特に,若手を伸ばす(まさに教育する)という観点からは。
それに対して学校での相対評価は,日常の多くの時間をともにしている人間と表面的には単純な評価軸で評価され,
数値化される。しかも,ほぼ個人間の競争で,勝敗の原因が個人に帰属されることも多い。
そんな競争に,人格的にも十分発達していない時期から参加するわけですから,なかなか大変ではないでしょうか。
もちろん,社会での競争に負けた方がダメージは大きいでしょうけど,それは学校と社会を両方経験した大人からの
客観的な評価なわけです。子どもたちにとって,学校というのは非常に大きなものであって,彼らが「ダメージが軽い」とか
「社会の方が厳しい」と思うのは,難しいと思います。
順位をつけるなというもの極端な考え方ですが,競争場面をつくらないと,勝ち負けを経験できない
ということもないんじゃないでしょうか。ことさら競争場面をつくって,勝敗を(個人レベルで)明示しなくても
自身の能力などに対する自己評価は勝手にすると思います。
Re: (スコア:0)
その学校ではテストの採点もしてないんですか? 試験のとき模範解答を黒板にでも貼ってみんな平等に点が取れるよう書き写させたりしてるんですか? そんなわけないですよね。だから偽善なのです。
Re: (スコア:0)
>子どもたちにとって,学校というのは非常に大きなものであって,彼らが「ダメージが軽い」とか
>「社会の方が厳しい」と思うのは,難しいと思います。
基本的な考え方として、どっかで競争に勝たないといけないわけで
全ての競争に負けたらあかんと思うのです。
何かその人なりの得意分野を延ばすための提供される機会の幅が狭いこと、
仮に他の欠点があっても、徹底的に得意分野を延ばせば他の欠点に目をつぶってくれる度量が小さいことは
教育システムの問題だと思います。
単に劣等生に劣等感をもたせないよう工夫するのは単なる過保護なのでは?