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この記事の八巻氏がそう感じた、というだけのことかもしれないが、/.本家と/.Jを見ていると確かにそういう傾向はあるかもしれない。
いやいや、外資系にいるとしみじみ感じますよ。
.
英語でどうやって説明しようかと考え続けているんですが、最近編み出したのが「Customer Forgiveness(CF)」という概念。
顧客満足が「Customer Satisfaction(CS)」なら、当然『顧客不満足(Customer Dissatisfied)』な状態もある。で、その間のどこかに「顧客許容(Customer Forgiveness)」というポイントがある。
顧客許容な状態は、お客様が何かの商品について「満足」はしていないが、「まぁ、しょうがないか」と思ってもらえるレベルに到達している事。その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社は「他社と同列で扱ってもらえる」。
顧客不満足になると、その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社は「他社の製品ではどうしても要件を満たせない場合にのみ」考慮してもらえる。
で、顧客満足と言う状態は、その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社が「他社の製品に先駆けて」考慮してもらえる。
で、日本とかは CF と CS の間のギャップが広いのではないかと。逆に米国は CFとCSの差がほとんどない。
よくCSAT(Customer SATisfaction Research)とかいってお客様に満足度調査をする場合がありますが、質問内容を考えるとほとんどが実は CF を測っているような気がします。米国なんかは CF と CS の差がほとんどないので、目標とするCFのレベルを若干高い目に設定すればCSもクリアする。日本の場合、CFとCSの差が大きいので、CFを満たしてもCSは全然満たせない。
ストレージ系の企業で国際的な会社に EMCとNetAppがあります。で、先日すごく大雑把な比較をしたのですが、EMCとNetAppは共に「成功している国では両方とも成功」「市場占有できていない国では両方とも駄目駄目」という傾向がある。さらに、これは個人的感想ですが、 CSとCFの差がでかい国ほど駄目駄目に見える。CFとCSを区別して統計を取っている資料がないので感覚的に…ですが。
ただ、CSとCFの差がでかくて、なおかつマーケットがでかいのは日本だけなので、日本での失敗が目立つのかもしれません。
これは素直に納得できる・・・というか共感できる。
海外ベンダが作る物は、ここでいうCFを満たしていればOKという感覚。CSに少しでも近づけたい我々とどうしても意識があわないんですよね~。
やっぱり日本の文化や技術の進化形態はガラパゴスなのか???
ガラパゴス=独自性
Customer Forgivenessかあ、これはさすがにokky先生の発明かもなあと思って、そのままGoogleで検索してみたら、そのものずばりな研究をしている人もいるみたいですね。
Exploring cultural differences in customer forgiveness behavior [ingentaconnect.com]
#門外漢なので論文を買おうという気まではおきなかったので、リンクだけを参考までに・・・
まぁ、今更再発明しなくても、医療分野ではずいぶん前から研究されている [fihs.org]ようですが。
あー、うん。いくつか違いがあるね。
まず、「Tolerance」 じゃ駄目なの。「Forgive」でないと。
「Tolerance」は「忍耐する」とか「我慢する」という意味。『苦虫を潰したような顔をしながら諦める』ような状態が Tolerance。日本人だろうがアメリカ人だろうが、お客様はそれじゃ許してくれないよね? Forgive は「仏の顔も三度まで」の『仏の顔』状態。少なくとも仏の顔になってくれるぐらいじゃないといけない。Tolerance なんて単語、使った段階で主張が通らなくなる。
こういう状態はむしろ宗教用語を使ったほうが良い。Forgive は「あなたが反省したならば」神はあなたを許します、という意味(ましてや神が許すのに人間が許さないとは何事ですか? と続く)。反省してくれなくちゃ困るわけ。Tolerance だと「じゃ、どこがギリギリのポイントか、削ってみようか」とか、むしろ逆方向に行ってしまう。それじゃ困る。Forgive だと便利なんですよ。「汝、神を試すなかれ」とか2000年かけて教育してくれてるから (^^;)。
次に、「患者が許容できる範囲(zone of tolerance)」って、「理想的なサービス(desired service)」とか「適切なサービス(adequate service)」とかと同様、計測できるって事になっているよね? でも「Forgive」であれ「Tolerance」であれ、そちらは測れるだろうけれど、「Desired Service」のレベルって計測できないよね? お客様も何をされれば満足するのかなんて到底わからないし(判らないから、「金を払うからどうにかしてくれ」って言っているわけ。医療の場合は「健康になる」という、まだ判りやすい指標がある)、「適切な」というのも曖昧だ。
ましてや、ここで大事なのは、「Adequate や Satisfied」なレベルと 「Tolerant や Forgive」 なレベルの 差 となると、両方がある程度計測できなくちゃいけない。「Adequateのレベルが客と医者とでずれている」が判っても、じゃぁ正しい Adequate って定量的に何をどう測ったときのどのレベルなのか? は判らない。
さらに、この議論、「コスト」のモノサシが他のモノサシと同様に述べられている。確かに提供する側の理論としてはそうなるんだけれど、特に日本の顧客満足度という観点からすると、これは間違い。客は10円であれ10億円であれ、「払ってしまった」ら「払った」としか思っていない。10円のチロルチョコだろうが、10億円のコンピューターシステムだろうが、品質に関する要求レベルって実はあまり違わない。常に完璧を要求する。# その意味で、要求品質を満たし続けているチロルチョコってすごい。
基本的に、見てくれの複雑さとかそういうものに値段が比例する分には日本人は文句を言わない。でも、「一つの例外もなく、つなぎ目がピシッと揃っている」とかそういう品質は値段の一部だと思わない。それが何故なのか? http://www.fihs.org/hoken1_2.html [fihs.org] の議論ではそういう側面は議論していない(医療は量産できないから、というのも理由だとは思うが、それだけではあるまい)。
そして何より。同じ次元数で、評価点を1箇所増やすだけの CF の議論は、パパッと説明できるし、ある程度直感的に理解できるので、説明しやすいんです。
えぇ、かなり誤差のある近似だと言うのは判っていますよ。でも、とりあえず「今使っている物差しよりはまし」ですからね。
あー、まさにこれがzone of toleranceの狭い日本人の実例なんですね。すでにある、ある程度思ったことを表現できそうな研究成果を許容できず、オレオレ理論(自分が満足するサービス)しか受け入れないという。
不満→許容→満足の連続変化に着目した人は山のようにいて、すでにサービスレベルの管理手法として売ってたりするんだけど。 [iim.co.jp]
>ある程度思ったことを表現できそうな研究成果を許容できず、それが業界スタンダードになるほど支配的な地位を占めているなら、そうでしょう。しかし、いったい何割の人がこの会社/組織を知ってるんだろ。ページ見てたけど、未だになんの組織なのかもよくわからん。#IT業界はITSSとかPMBOKとか、さんざん無価値な『業界標準』で煮え湯を#飲まされてきてるというのにねえ。
それに単語のニュアンスとかイメージの話をするならば、そういうのを持ち出すのはあんまし意味ない。最も権威のあるのはOEDじゃない?
さらっと「無価値」とか言わないようにw考えや状況を整理するには非常に有用でしょ。
ある程度定義された言葉で切り分けるってのはかなりコスト削減になる。デザインパターンが良い例だよね。
うーん、それを「品質」を基準にしたモノサシで表現するのはどうかなぁ。結局そこで言う「品質」って「満足度相対」なんですよ。
ところが、世の中の「品質」と言う単語には、「何万行のコード当たり、いくつバグがあった」「何千台に1つの割合で、不具合があった」のように「定量化」できてなおかつその数字自体が勝手に闊歩している(6σとかね)。もう「一人歩き」なんてかわいいレベルではない上に、6σを満たすためならば「テストの方を甘くしていく」という発想まで出回っている(どこのコンサルタント会社だ、これを思いついた阿呆は)。
なので、「品質」でモノを語り始めると「我々の品質は他社に劣っていない」とかそういう、単純な数字同士の比較論を始めかねない。だから品質… Quality という単語はうかつに使えない。
そういう意味で言うと、私が探しているのは「評価基準」ではなく、非日本人を説得するための「道具としての表現」なんです。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
日本のお客様のうるささは世界一 (スコア:5, 興味深い)
いやいや、外資系にいるとしみじみ感じますよ。
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英語でどうやって説明しようかと考え続けているんですが、最近編み出したのが
「Customer Forgiveness(CF)」という概念。
顧客満足が「Customer Satisfaction(CS)」なら、当然『顧客不満足(Customer Dissatisfied)』な状態もある。で、その間のどこかに「顧客許容(Customer Forgiveness)」というポイントがある。
顧客許容な状態は、お客様が何かの商品について「満足」はしていないが、「まぁ、しょうがないか」と思ってもらえるレベルに到達している事。その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社は「他社と同列で扱ってもらえる」。
顧客不満足になると、その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社は「他社の製品ではどうしても要件を満たせない場合にのみ」考慮してもらえる。
で、顧客満足と言う状態は、その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社が「他社の製品に先駆けて」考慮してもらえる。
.
で、日本とかは CF と CS の間のギャップが広いのではないかと。逆に米国は CFとCSの差がほとんどない。
よくCSAT(Customer SATisfaction Research)とかいってお客様に満足度調査をする場合がありますが、質問内容を考えるとほとんどが実は CF を測っているような気がします。米国なんかは CF と CS の差がほとんどないので、目標とするCFのレベルを若干高い目に設定すればCSもクリアする。日本の場合、CFとCSの差が大きいので、CFを満たしてもCSは全然満たせない。
.
ストレージ系の企業で国際的な会社に EMCとNetAppがあります。で、先日すごく大雑把な比較をしたのですが、EMCとNetAppは共に「成功している国では両方とも成功」「市場占有できていない国では両方とも駄目駄目」という傾向がある。さらに、これは個人的感想ですが、 CSとCFの差がでかい国ほど駄目駄目に見える。CFとCSを区別して統計を取っている資料がないので感覚的に…ですが。
ただ、CSとCFの差がでかくて、なおかつマーケットがでかいのは日本だけなので、日本での失敗が目立つのかもしれません。
fjの教祖様
確かにそうかも (スコア:2)
これは素直に納得できる・・・というか共感できる。
海外ベンダが作る物は、ここでいうCFを満たしていればOKという感覚。
CSに少しでも近づけたい我々とどうしても意識があわないんですよね~。
やっぱり日本の文化や技術の進化形態はガラパゴスなのか???
Re:確かにそうかも (スコア:2, すばらしい洞察)
ガラパゴス=独自性
the.ACount
Re: (スコア:0)
昔々の日本製品の品質が「低品質の代名詞」だったことを忘れてはいけない。
厳しいことを誇りに持てるようにならなくては技術者としては駄目だろう。
Re:日本のお客様のうるささは世界一 (スコア:2, 参考になる)
Customer Forgivenessかあ、これはさすがにokky先生の発明かもなあと思って、そのままGoogleで検索してみたら、
そのものずばりな研究をしている人もいるみたいですね。
Exploring cultural differences in customer forgiveness behavior [ingentaconnect.com]
#門外漢なので論文を買おうという気まではおきなかったので、リンクだけを参考までに・・・
Re:日本のお客様のうるささは世界一 (スコア:2, 参考になる)
あるネットワークテストを行う制御ソフトなんだけど・・・・
・頻繁に出現するようなバグがあったとしても回避方法があれば、改修しない。
・回避方法がなくても軽微な問題であれば改修しない。
・RFCとか規格を守ってなくても改修しない。
・ソフト全体が堕ちるようなら改修する。でも、新機能追加が忙しいので、次の次のバージョンで。
・RFCに基づいて評価用計測プログラムが標準で付いているけど、その動作は保証しない。
日本的に考えると本当に売り物?
クオリティーテスト通したの?と思わずに居られないです。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
まぁ、今更再発明しなくても、医療分野ではずいぶん前から研究されている [fihs.org]ようですが。
Re:日本のお客様のうるささは世界一 (スコア:5, 参考になる)
あー、うん。いくつか違いがあるね。
まず、「Tolerance」 じゃ駄目なの。「Forgive」でないと。
「Tolerance」は「忍耐する」とか「我慢する」という意味。『苦虫を潰したような顔をしながら諦める』ような状態が Tolerance。日本人だろうがアメリカ人だろうが、お客様はそれじゃ許してくれないよね? Forgive は「仏の顔も三度まで」の『仏の顔』状態。少なくとも仏の顔になってくれるぐらいじゃないといけない。Tolerance なんて単語、使った段階で主張が通らなくなる。
こういう状態はむしろ宗教用語を使ったほうが良い。Forgive は「あなたが反省したならば」神はあなたを許します、という意味(ましてや神が許すのに人間が許さないとは何事ですか? と続く)。反省してくれなくちゃ困るわけ。Tolerance だと
「じゃ、どこがギリギリのポイントか、削ってみようか」
とか、むしろ逆方向に行ってしまう。それじゃ困る。Forgive だと便利なんですよ。
「汝、神を試すなかれ」
とか2000年かけて教育してくれてるから (^^;)。
.
次に、「患者が許容できる範囲(zone of tolerance)」って、「理想的なサービス(desired service)」とか「適切なサービス(adequate service)」とかと同様、計測できるって事になっているよね? でも「Forgive」であれ「Tolerance」であれ、そちらは測れるだろうけれど、「Desired Service」のレベルって計測できないよね? お客様も何をされれば満足するのかなんて到底わからないし(判らないから、「金を払うからどうにかしてくれ」って言っているわけ。医療の場合は「健康になる」という、まだ判りやすい指標がある)、「適切な」というのも曖昧だ。
ましてや、ここで大事なのは、「Adequate や Satisfied」なレベルと 「Tolerant や Forgive」 なレベルの 差 となると、両方がある程度計測できなくちゃいけない。「Adequateのレベルが客と医者とでずれている」が判っても、じゃぁ正しい Adequate って定量的に何をどう測ったときのどのレベルなのか? は判らない。
.
さらに、この議論、「コスト」のモノサシが他のモノサシと同様に述べられている。確かに提供する側の理論としてはそうなるんだけれど、特に日本の顧客満足度という観点からすると、これは間違い。客は10円であれ10億円であれ、「払ってしまった」ら「払った」としか思っていない。10円のチロルチョコだろうが、10億円のコンピューターシステムだろうが、品質に関する要求レベルって実はあまり違わない。常に完璧を要求する。
# その意味で、要求品質を満たし続けているチロルチョコってすごい。
基本的に、見てくれの複雑さとかそういうものに値段が比例する分には日本人は文句を言わない。
でも、「一つの例外もなく、つなぎ目がピシッと揃っている」とかそういう品質は値段の一部だと思わない。
それが何故なのか? http://www.fihs.org/hoken1_2.html [fihs.org] の議論ではそういう側面は議論していない(医療は量産できないから、というのも理由だとは思うが、それだけではあるまい)。
.
そして何より。同じ次元数で、評価点を1箇所増やすだけの CF の議論は、パパッと説明できるし、ある程度直感的に理解できるので、説明しやすいんです。
えぇ、かなり誤差のある近似だと言うのは判っていますよ。でも、とりあえず「今使っている物差しよりはまし」ですからね。
fjの教祖様
Re:日本のお客様のうるささは世界一 (スコア:3, 興味深い)
あー、まさにこれがzone of toleranceの狭い日本人の実例なんですね。
すでにある、ある程度思ったことを表現できそうな研究成果を許容できず、
オレオレ理論(自分が満足するサービス)しか受け入れないという。
不満→許容→満足の連続変化に着目した人は山のようにいて、
すでにサービスレベルの管理手法として売ってたりするんだけど。 [iim.co.jp]
サービスと議論を混同するのが無理ありすぎる (スコア:0)
Re: (スコア:0)
>ある程度思ったことを表現できそうな研究成果を許容できず、
それが業界スタンダードになるほど支配的な地位を占めているなら、そうでしょう。
しかし、いったい何割の人がこの会社/組織を知ってるんだろ。ページ見てたけど、
未だになんの組織なのかもよくわからん。
#IT業界はITSSとかPMBOKとか、さんざん無価値な『業界標準』で煮え湯を
#飲まされてきてるというのにねえ。
それに単語のニュアンスとかイメージの話をするならば、そういうのを持ち出すのは
あんまし意味ない。最も権威のあるのはOEDじゃない?
Re: (スコア:0)
さらっと「無価値」とか言わないようにw
考えや状況を整理するには非常に有用でしょ。
ある程度定義された言葉で切り分けるってのはかなりコスト削減になる。
デザインパターンが良い例だよね。
Re: (スコア:0)
>「まぁ、しょうがないか」と思ってもらえるレベルに到達している事。
>その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社は「他社と同列で扱ってもらえる」。
>顧客不満足になると、その商品の代替品を欲しくなった場合、その会社は
>「他社の製品ではどうしても要件を満たせない場合にのみ」考慮してもらえる。
>で、顧客満足と言う状態は、その商品の代替品を欲しくなった場合、
>その会社が「他社の製品に先駆けて」考慮してもらえる。
この辺は狩野先生の「当たり前品質と魅力的品質」で言っていることそのものじゃないですか?
上段が当たり前品質を満たしている状態が魅力的品質は満たしていない状態
中断が当たり前品質を満たしていない状態
下段が魅力的品質を満たしている状態
Re:日本のお客様のうるささは世界一 (スコア:2, 興味深い)
うーん、それを「品質」を基準にしたモノサシで表現するのはどうかなぁ。
結局そこで言う「品質」って「満足度相対」なんですよ。
ところが、世の中の「品質」と言う単語には、
「何万行のコード当たり、いくつバグがあった」
「何千台に1つの割合で、不具合があった」
のように「定量化」できてなおかつその数字自体が勝手に闊歩している(6σとかね)。もう「一人歩き」なんてかわいいレベルではない上に、6σを満たすためならば「テストの方を甘くしていく」という発想まで出回っている(どこのコンサルタント会社だ、これを思いついた阿呆は)。
なので、「品質」でモノを語り始めると「我々の品質は他社に劣っていない」とかそういう、単純な数字同士の比較論を始めかねない。だから品質… Quality という単語はうかつに使えない。
.
そういう意味で言うと、私が探しているのは「評価基準」ではなく、非日本人を説得するための「道具としての表現」なんです。
fjの教祖様
Re: (スコア:0)