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>ほとんどの場合、教育において最初に出す問題は「正しく解かれることを前提にしていない」。あれは、これから教えることがいかに素晴らしいことか、それを理解してもらうために存在する。つまり 解けなかった問題 が 解ける問題 に変わったことを確認するために、わざと「解けない問題」を提示するのだ。
大半の教師が上記をしないし、したとしても最後に振り返ることをしない(良い先生は何度でもしてくれます)ので、前に戻るというプロセスが発生しないのが問題なのかな~と思います。#ちゃんとした授業をする先生に当たったとしても、授業(や問題等)に追いついていない人は戻るだけの余裕がない。#まだ終わってもいないプロセスの説明をされても意味を理解することは出来ない。#塾通いの人(すでに教わっている人)や理解の早い人(okky さんはここかな?)がばんばん答えてしまうと、全員が理解したかを考慮せず、説明をせずに次に行ってしまうことが多い(悪い先生はこのパターンが多く、良い先生は少ない)ですね。
計算問題では先生が説明(という名目の答え合わせだけをする人が多いですが)をしているときも、まだ終わっていない人にとっては、説明されても正しく理解する前に次の問題へと発展するため、説明を理解できない&授業についていけないという悪循環になることが多いですね。 つまり、一番の問題は、授業は(授業や理解や計算が)遅れている人は考慮していないということなのかなと。
私が okky さんのテストで気になった点は、Except の説明をされた後に、Except がどこまで理解されたかをテストしていないので、そのテストは意味がないのではないかという点です。 説明が理解されたかがわからないので、そもそも Except が何かがちゃんと理解できたのかどうかがわからず、間違って覚えた人もいるんじゃないかと不安になります。 腑に落ちていないのは何が腑に落ちていなかったのか? Except の説明が腑に落ちていない場合は、問題の答えを求められてもわからないでしょう。
#受けての問題が大きいに賛同する。同時に説明者による問題も大きいに賛同します。#どっちもどっち#双方が理解しない限り、この問題に終止符を打つ事はできないであろうことは間違いない。#しかし、先生が指定された範囲を終わらせるために、全員が理解する前に授業を次に進めなければならないという問題はどうしようもない(国や上司からの命令に逆らうなんて出来ません!)。
私が okky さんのテストで気になった点は、Except の説明をされた後に、Except がどこまで理解されたかをテストしていないので、そのテストは意味がないのではないかという点です。
これ自体はもっともな疑問ですが、そもそもそれはテスト可能なものなのでしょうか?
多くのテストは、「xxx を理解した」を「xxx を利用できる」…つまり応用能力を前提として問題を与えて、問題解決できたかどうかで判断していますよね?
『Expect がどこまで理解されたかをテストする』ためには、『相手の応用能力』を見なくてはなりませんが、その過程で最初の問題との関係を想起・考察を別途行う時間を与えたのでは意味がありません。が、テストとはそもそもそういう時間を与える可能性があるので…ようするに、この程度の簡単な実験では分離不能だと思います。
一方で、Expect の真髄はたった4つのコマンド… fork/send/expect/close にあります。単純すぎて「応用させずに」テストをするのも不可能でしょう。
大半の教師が上記をしないし、したとしても最後に振り返ることをしない
最後に振り返ることは、私も殆どの場合されたことがありません(私がやったのは特別)。
が、最初の問題からスタートしているのですから、「新しいこと」を教わるときに「それが最初の問題とどう関係するのか」を考えながら聞くなら、説明が終わったときには最初の問題とつながって得心が行くはずです。逆に、問題は問題でしか無い、としてサリーちゃんのように「新しいことに出会うたび、一つ前を忘れていく」なら、永久に得心が行く事はない。
説明が終わった段階で「腑に落ちない」ためには、10分の話において、最初の問題を忘れかけている、必要があります。
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ちなみに 5 のステップを経た後は、全員腑に落ちたようなので、Expect の内容が(その使い方の詳細はともかくとして、概念そのものは)判らなかった、と言うことはないようですよ。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
okky さんとは深い溝がありそうです (スコア:2)
>ほとんどの場合、教育において最初に出す問題は「正しく解かれることを前提にしていない」。あれは、これから教えることがいかに素晴らしいことか、それを理解してもらうために存在する。つまり 解けなかった問題 が 解ける問題 に変わったことを確認するために、わざと「解けない問題」を提示するのだ。
大半の教師が上記をしないし、したとしても最後に振り返ることをしない(良い先生は何度でもしてくれます)ので、前に戻るというプロセスが発生しないのが問題なのかな~と思います。
#ちゃんとした授業をする先生に当たったとしても、授業(や問題等)に追いついていない人は戻るだけの余裕がない。
#まだ終わってもいないプロセスの説明をされても意味を理解することは出来ない。
#塾通いの人(すでに教わっている人)や理解の早い人(okky さんはここかな?)がばんばん答えてしまうと、全員が理解したかを考慮せず、説明をせずに次に行ってしまうことが多い(悪い先生はこのパターンが多く、良い先生は少ない)ですね。
計算問題では先生が説明(という名目の答え合わせだけをする人が多いですが)をしているときも、まだ終わっていない人にとっては、説明されても正しく理解する前に次の問題へと発展するため、説明を理解できない&授業についていけないという悪循環になることが多いですね。
つまり、一番の問題は、授業は(授業や理解や計算が)遅れている人は考慮していないということなのかなと。
私が okky さんのテストで気になった点は、Except の説明をされた後に、Except がどこまで理解されたかをテストしていないので、そのテストは意味がないのではないかという点です。
説明が理解されたかがわからないので、そもそも Except が何かがちゃんと理解できたのかどうかがわからず、間違って覚えた人もいるんじゃないかと不安になります。
腑に落ちていないのは何が腑に落ちていなかったのか? Except の説明が腑に落ちていない場合は、問題の答えを求められてもわからないでしょう。
#受けての問題が大きいに賛同する。同時に説明者による問題も大きいに賛同します。
#どっちもどっち
#双方が理解しない限り、この問題に終止符を打つ事はできないであろうことは間違いない。
#しかし、先生が指定された範囲を終わらせるために、全員が理解する前に授業を次に進めなければならないという問題はどうしようもない(国や上司からの命令に逆らうなんて出来ません!)。
Re:okky さんとは深い溝がありそうです (スコア:1)
これ自体はもっともな疑問ですが、そもそもそれはテスト可能なものなのでしょうか?
多くのテストは、「xxx を理解した」を「xxx を利用できる」…つまり応用能力を前提として問題を与えて、問題解決できたかどうかで判断していますよね?
『Expect がどこまで理解されたかをテストする』ためには、『相手の応用能力』を見なくてはなりませんが、その過程で最初の問題との関係を想起・考察を別途行う時間を与えたのでは意味がありません。が、テストとはそもそもそういう時間を与える可能性があるので…ようするに、この程度の簡単な実験では分離不能だと思います。
一方で、Expect の真髄はたった4つのコマンド… fork/send/expect/close にあります。単純すぎて「応用させずに」テストをするのも不可能でしょう。
最後に振り返ることは、私も殆どの場合されたことがありません(私がやったのは特別)。
が、最初の問題からスタートしているのですから、「新しいこと」を教わるときに
「それが最初の問題とどう関係するのか」
を考えながら聞くなら、説明が終わったときには最初の問題とつながって得心が行くはずです。逆に、問題は問題でしか無い、としてサリーちゃんのように
「新しいことに出会うたび、一つ前を忘れていく」
なら、永久に得心が行く事はない。
説明が終わった段階で「腑に落ちない」ためには、10分の話において、最初の問題を忘れかけている、必要があります。
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ちなみに 5 のステップを経た後は、全員腑に落ちたようなので、Expect の内容が(その使い方の詳細はともかくとして、概念そのものは)判らなかった、と言うことはないようですよ。
fjの教祖様