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コンピュータ側が合議制なのに、人間が一人なのは、卑怯な気がするのは私だけ?
#傍目八目だと、囲碁なんだが。
> #傍目八目だと、囲碁なんだが。
傍目八目が通用するのって所詮アマレベルですよ。
将棋のタイトル戦のネット中継やテレビ中継をよくみますが、解説者や控え室での検討はたいてい当たりません。逆に控え室での検討が当たりだすことが「優劣がつきだした」目印といえるようです。
それだけ局面に対する評価がひとそれぞれな状況で合議制を導入するなんて無謀だと思いますね。
やったことがない以上、やってみるのはおもしろいかと。たとえ結果が惨敗だったとしても「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる。
もし、万が一にも勝っちゃったら「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる。その場合は、「間接民主主義だから、馬鹿な政策が百出するんだ~~」と叫んで、直接民主主義を唱える理由になるかと。
>やったことがない以上、やってみるのはおもしろいかと。
相談将棋って、将棋のフェアリーのひとつにあったりする。で、そのルールが色々あって、合議といっても、人間的な合議で了解してやるのもあれば、単に多数決で手を決める(手の候補がなかったりあったり)とかね。ペア将棋とかで、相談を3回出来るといったものもあり、これも相談将棋の一種と数えられていたりする。まだ見た事がないのが、「参加者全員が次の一手と理由を示して、その手の一覧から合議し多数決する」という手順のもの。各人が意見を提示してはそれを皆が読んで評価して、さらに...といった手順になるので、むちゃくちゃ時間がかるけだろうけど、これをやってみると意外と面白いかもしれない。その検討の過程においては、当然、コンピュータを使った検討といったものもアリになりそう。詰め将棋なんかでは、コンピュータによる余詰/問題潰れの検討しているし、それが当然になっていたりするからね。
教祖様らしからぬ迂闊なコメント。
> たとえ結果が惨敗だったとしても「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる。> もし、万が一にも勝っちゃったら「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる。
「「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる」ためには、一人でやったら勝つ相手と対戦しないとだめですし、「「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる」ためには、一人で勝てない相手に合議制で勝てたときだけですね。いずれにせよこれをやっちゃうと正味の「コンピュータの実力」がわかりにくくなるのが残念なところ。
「人間対コンピュータ」という、それだけでおいしく食べられる料理に変な調味料は不要。別にどこかの将棋祭りのお好み対局なんかで、くらいならやってみてもいいとは思いますが。
> 「「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる」ためには、一人でやったら勝つ相手と対戦しないとだめ一人で勝てたら、バカじゃないじゃん。100人じゃ無理だったけど1000人なら勝てるかもしれないと主張したいのなら、ご勝手にどうぞ。
「「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる」ためには、一人でやったら勝つ相手と対戦しないとだめ
まて。「一人で対戦する」場合も必要だというのはその通りだが、「一人でやったら勝つ」必要性はない。
一人でやったら勝った: 「人間は集まると馬鹿になる、という事だな。合議制、無力っ!!」一人でやったら負けた: 「人間は集まっても馬鹿なままだ、という事だな。投票の奇跡など起こらぬっ。合議制、無力っ!!」
ほら。
「「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる」ためには、一人で勝てない相手に合議制で勝てたときだけですね。
こちらの場合はその通りですね。なので、人間側も合議制バージョンと、個別戦バージョンをやる価値があるというものです。
「人間対コンピュータ」という、それだけでおいしく食べられる料理に変な調味料は不要。
愚かな。それは収穫量が少なすぎて、それ自体がほとんど調味料に等しいような分量しか食べられない場合に成立する話。「色もの」を「標準化」してしまうぐらい繰り返さずして、なんぞ アレげ ぞっ!!# いや、そこまで言うほどの事じゃ…
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
傍目八目 (スコア:3, すばらしい洞察)
コンピュータ側が合議制なのに、人間が一人なのは、卑怯な気がするのは私だけ?
#傍目八目だと、囲碁なんだが。
Re:傍目八目 (スコア:1, 興味深い)
> #傍目八目だと、囲碁なんだが。
傍目八目が通用するのって所詮アマレベルですよ。
将棋のタイトル戦のネット中継やテレビ中継をよくみますが、解説者や控え室での検討はたいてい当たりません。逆に控え室での検討が当たりだすことが「優劣がつきだした」目印といえるようです。
それだけ局面に対する評価がひとそれぞれな状況で合議制を導入するなんて無謀だと思いますね。
Re:傍目八目 (スコア:1)
やったことがない以上、やってみるのはおもしろいかと。
たとえ結果が惨敗だったとしても「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる。
もし、万が一にも勝っちゃったら「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる。その場合は、
「間接民主主義だから、馬鹿な政策が百出するんだ~~」
と叫んで、直接民主主義を唱える理由になるかと。
fjの教祖様
Re:傍目八目 (スコア:1)
>やったことがない以上、やってみるのはおもしろいかと。
相談将棋って、将棋のフェアリーのひとつにあったりする。
で、そのルールが色々あって、合議といっても、人間的な合議で了解してやるのもあれば、単に多数決で手を決める(手の候補がなかったりあったり)とかね。
ペア将棋とかで、相談を3回出来るといったものもあり、これも相談将棋の一種と数えられていたりする。
まだ見た事がないのが、「参加者全員が次の一手と理由を示して、その手の一覧から合議し多数決する」という手順のもの。
各人が意見を提示してはそれを皆が読んで評価して、さらに...といった手順になるので、むちゃくちゃ時間がかるけだろうけど、これをやってみると意外と面白いかもしれない。
その検討の過程においては、当然、コンピュータを使った検討といったものもアリになりそう。
詰め将棋なんかでは、コンピュータによる余詰/問題潰れの検討しているし、それが当然になっていたりするからね。
Re: (スコア:0)
教祖様らしからぬ迂闊なコメント。
> たとえ結果が惨敗だったとしても「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる。
> もし、万が一にも勝っちゃったら「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる。
「「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる」ためには、一人でやったら勝つ相手と対戦しないとだめですし、「「三人寄れば文殊の知恵」が正しかったことになる」ためには、一人で勝てない相手に合議制で勝てたときだけですね。いずれにせよこれをやっちゃうと正味の「コンピュータの実力」がわかりにくくなるのが残念なところ。
「人間対コンピュータ」という、それだけでおいしく食べられる料理に変な調味料は不要。別にどこかの将棋祭りのお好み対局なんかで、くらいならやってみてもいいとは思いますが。
Re:傍目八目 (スコア:1)
> 「「100人寄っても馬鹿は馬鹿」の証明にはなる」ためには、一人でやったら勝つ相手と対戦しないとだめ
一人で勝てたら、バカじゃないじゃん。
100人じゃ無理だったけど1000人なら勝てるかもしれないと主張したいのなら、ご勝手にどうぞ。
1を聞いて0を知れ!
Re:傍目八目 (スコア:1)
まて。「一人で対戦する」場合も必要だというのはその通りだが、「一人でやったら勝つ」必要性はない。
一人でやったら勝った: 「人間は集まると馬鹿になる、という事だな。合議制、無力っ!!」
一人でやったら負けた: 「人間は集まっても馬鹿なままだ、という事だな。投票の奇跡など起こらぬっ。合議制、無力っ!!」
ほら。
こちらの場合はその通りですね。なので、人間側も合議制バージョンと、個別戦バージョンをやる価値があるというものです。
愚かな。それは収穫量が少なすぎて、それ自体がほとんど調味料に等しいような分量しか食べられない場合に成立する話。
「色もの」を「標準化」してしまうぐらい繰り返さずして、なんぞ アレげ ぞっ!!
# いや、そこまで言うほどの事じゃ…
fjの教祖様