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>リスクは承知の上だとすれば、何も非合理ではない気がする。
そっちの実験だけ読んじゃ駄目.
最初の実験が・1000ドルもらう・選択肢A「1/2でもう1000ドルもらうが,1/2で何ももらえない」 選択肢B「確実に500ドルもらえる」と言う条件で,多くの人が選択肢Bを選ぶ.
次の実験が・2000ドルもらう・選択肢A「1/2で何も変わらないが,1/2で1000ドル失う」 選択肢B「確実に500ドル減る」と言う条件で,多くの人がAを選ぶ.
ところがこの二つの実験,言い方を変えただけで,実際にはどちらも同じ条件を示している.実験1も2も,・選択肢Aを選べば1/2で2000ドル,1/2で1000ドル・選択肢Bを選べば,必ず1500ドルと,全く同じであるのに,言い方を変えただけで人々の選ぶ方が変わるのがポイント.
元コメが言ってるのはそういう事じゃなくて、選択肢の期待値が同じなんだからどっちを選んでも同じなので「同じ色の靴下が2セットあってどっちかを選ぶ」みたいなどうでもいい選択になってるって事。この実験は非合理性を示しているのではなく選択の好みや癖を示してしているだけなのよ。
期待値が同じなんだから合理的には選択できないので合理性だけで選択しようとすると「靴下選ぶのに2時間かける」という非合理を招く。もっとも、試行回数が十分多いことがわかっているなら揺らぎを使って「賭ける選択で始めて、収支が期待値を上回ったら賭けない選択へ変更する」という勝ち逃げ戦略もできるけど。
いつでも、その固体の価値基準に照らして合理的な選択を行う。これがこの実験の前提。2000になる期待値が同じなのだから、一問目で2000になる可能性を選択したなら二問目でも2000になる可能性を選択するはず、というのがこの実験の仮定。
ところが仮定は崩れた。ならば前提が間違っている。つまり非合理的な選択を行うことがある。
という実験結果が得られましたよというお話。
個体が100頭いて、選択がバラけてもそれ自体は実験に何の影響もありません。それぞれの個体はそれぞれの価値基準に照らして、合理的な選択を行ったはずです。
任意の一頭はどちらを選んでもいい。ただし、選んだからには二問目でも同じ選択をするはずだというのがこの実験の仮定です。
別ACだけど、個体が自分の価値基準にそって一貫的な選択をしてるなら、それがどんな価値基準でも合理的と言うなら、早い話「これこれの提示の仕方をされた方を選ぶ」という価値観で選んでも合理的ってことにならないか?って話じゃないの
> ただし、選んだからには二問目でも同じ選択をするはずだだからなんで一問目でも二問目でも評価が同じになるような価値基準じゃなきゃいけないの? 別にそういう価値基準を強制したけりゃしてもいいけどそれじゃ個体の価値基準を認めてないじゃん。
他の価値基準がどう絡んだかは問題にならない。同じ問題に対して同じ問題だと結論できなかったために違う価値基準を適用して違う選択にたどり着いたとしても、非合理には違いがないから。
選択内容の合理性は問われてないんですよ。
この実験では、同じ条件でも結果を変えてしまう『何か』の存在が示唆されています。条件は同じであるのに、結果が違うからには別の『何か』がなければなりません。そういった、結果に差を生む『何か』の研究はこの実験の先にあります。それは『2000ドルを手にしたときの期待感』かもしれません。
そもそもその『何か』(=選択バイアス)についての研究ですよ。
>期待値ではない何らかの)価値基準に照らせばどちらも合理的な選択であるだけという可能性はないの?
そう,まさにその通りです.というか,そもそものこの実験(の大元の実験.選択肢の詳細は違いますが)が載っている論文の主張がそれです.
そもそも古典的な経済学において,
・人間は合理的に利益の高い選択をする
という仮定(もうちょっと書き方は違いますが)で理論が構築されていました.ところが,実際の人間の行動はそれほど合理的ではありません.あるとき,そういう「非合理的な行動」と言うものも,実はそれなりの理由のある「ある評価関数」に基づいた行動と見なせて計算できるんだよ,と言うことを言い出した人がいたわけです.
人間が物事に対して判断を下すための評価関数は,純粋な期待値などから計算される評価関数とは違っていて,だから不合理に見える(というか最適手を求める観点からは見えるだけではなく実際に不合理だったりもする).でもその評価関数自体を組み込んだ経済学を作れば,もっとよく実在の経済を説明できる理論が出来るよね,ということで.
でまあ,代表的な論文がこれです.
http://psych.hanover.edu/classes/Cognition/papers/tversky81.pdf [hanover.edu]
行動経済学の大家,KahnemanとTverskyによる有名な論文で,ここで構築されたprospect theory(単純化すると,人間は利得よりも損失を重く見て,出来るだけ損失の少ない選択肢を選びがち,という主張)によりKahnemanは2002年のノーベル経済学賞を受賞しています(Tverskyは確か死んでたんでもらえなかった).
> 実はそれなりの理由のある「ある評価関数」に基づいた行動と見なせて計算できるんだよ,行動結果に合わせて評価関数を後付けででっち上げればそりゃどんな行動でも説明できるでしょうけど、それって予言能力がないわけですよね。経済学は数式とか使ってても科学じゃないというだけのことかもしれませんが。
別ACですが、生き残る確率を高めようとしたら、得する場合はリスクの評価に重点を置いて(慎重さ)、損する場合はリターンの評価に重点を置く(足掻き)のが合理的だと思うんですよね。
そもそも古典的な経済学において, ・人間は合理的に利益の高い選択をする という仮定(もうちょっと書き方は違いますが)で理論が構築されていました.
そもそも自然界では確率がはっきりとした事象のほうが珍しいのだし、それらを総合して合理的かどうか判断可能な状況なんてまず無いんじゃないでしょうか。 違う価値基準で動いているなら、ある日突然流れが変わるのも仕方無いというか…
>元コメが言ってるのはそういう事じゃなくて、選択肢の期待値が同じなんだからどっちを選んでも同じなので
これはその通りです.私のコメントでもここは否定していません.
>この実験は非合理性を示しているのではなく選択の好みや癖を示してしているだけなのよ。
ここも,前述の通り,「ある一つの選択肢の組」だけに関してならそうです.ですが,私が指摘した点は,そもそもこの実験において「非合理」とされているのはその二つの選択肢の中からの選び方ではなく,選び方が選択肢の提示のしかたに依存する,と言う点で.その部分が元コメの方の勘違いしていた点です.この実験はあくまで「選択肢の組み合わせ」を2種行って,その比較まで行って始めて「一つの実験」,となるわけですので.
この実験の元々の提示(人間相手に行われた古典的実験)においては,期待値が同じである
選択肢1:確実に定額Aをもらう選択肢2:等確率でA+α or A-αをもらう
と言う二種の選択肢を提示されたとき,提示のしかたにより回答が異なる,と言う部分を「人間の選択における非合理性」と称しています.つまり,ある提示のしかた{選択肢1:選択肢2}の中で1を選ぶのか2を選ぶのかは単に好みの問題だ,というのは確かですが,{1:2}と等価ではあるけれども表現の違う選択肢の組{1':2'}を提示すると,何故か逆を選ぶようになる,と言う点を人間の選択の非合理性としているわけです.
そして,この実験結果(等)を元にして,「人間は何かを得る場合と失う場合とで異なる重み付けをしている」というprospect theoryにつながるわけですわな.その重み付けもなかなか複雑な形状をしていたりとかそのあたりの研究は今でも続いておりますが.前述の実験の例で言えば,2000得て500失うよりも,1000得てから500さらに得る方が得した気分になる,と言う奴ですね.
繰り返しになるけど、二つの実験で傾向が同じだろうが違っていようがどっちも同じで合理的判断は不可能なので、どんな結果が出ようがこの実験では「非合理的」を示す事はできない(=合理/非合理を示したいなら実験の設計が不適切)。というのが元コメの主張だと思うんだけど?
さらに言えば、得に楽観的で損に悲観的という方針は、選択を繰り返すと前のコメントの勝ち逃げ戦略そのものになるわけで、そういう意味で合理的な基本方針だと言えるんじゃないかなー。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
非合理的? (スコア:0)
非合理とされるのがよく分からない。だって確実に500ドル引かれれば
どうあがいても2000ドルは達成できないじゃないですか。リスクは
承知の上だとすれば、何も非合理ではない気がする。
Re: (スコア:3, 参考になる)
>リスクは承知の上だとすれば、何も非合理ではない気がする。
そっちの実験だけ読んじゃ駄目.
最初の実験が
・1000ドルもらう
・選択肢A「1/2でもう1000ドルもらうが,1/2で何ももらえない」
選択肢B「確実に500ドルもらえる」
と言う条件で,多くの人が選択肢Bを選ぶ.
次の実験が
・2000ドルもらう
・選択肢A「1/2で何も変わらないが,1/2で1000ドル失う」
選択肢B「確実に500ドル減る」
と言う条件で,多くの人がAを選ぶ.
ところがこの二つの実験,言い方を変えただけで,実際にはどちらも同じ条件を示している.
実験1も2も,
・選択肢Aを選べば1/2で2000ドル,1/2で1000ドル
・選択肢Bを選べば,必ず1500ドル
と,全く同じであるのに,言い方を変えただけで人々の選ぶ方が変わるのがポイント.
Re:非合理的? (スコア:1)
元コメが言ってるのはそういう事じゃなくて、選択肢の期待値が同じなんだからどっちを選んでも同じなので「同じ色の靴下が2セットあってどっちかを選ぶ」みたいなどうでもいい選択になってるって事。この実験は非合理性を示しているのではなく選択の好みや癖を示してしているだけなのよ。
期待値が同じなんだから合理的には選択できないので合理性だけで選択しようとすると「靴下選ぶのに2時間かける」という非合理を招く。もっとも、試行回数が十分多いことがわかっているなら揺らぎを使って「賭ける選択で始めて、収支が期待値を上回ったら賭けない選択へ変更する」という勝ち逃げ戦略もできるけど。
Re:非合理的? (スコア:1)
いつでも、その固体の価値基準に照らして合理的な選択を行う。これがこの実験の前提。
2000になる期待値が同じなのだから、一問目で2000になる可能性を選択したなら二問目でも2000になる可能性を選択するはず、というのがこの実験の仮定。
ところが仮定は崩れた。ならば前提が間違っている。
つまり非合理的な選択を行うことがある。
という実験結果が得られましたよというお話。
Re: (スコア:0)
Re:非合理的? (スコア:1)
個体が100頭いて、選択がバラけてもそれ自体は実験に何の影響もありません。
それぞれの個体はそれぞれの価値基準に照らして、合理的な選択を行ったはずです。
任意の一頭はどちらを選んでもいい。ただし、選んだからには二問目でも同じ選択をするはずだというのがこの実験の仮定です。
Re: (スコア:0)
別ACだけど、個体が自分の価値基準にそって一貫的な選択をしてるなら、それがどんな価値基準でも合理的と言うなら、
早い話「これこれの提示の仕方をされた方を選ぶ」という価値観で選んでも合理的ってことにならないか?って話じゃないの
Re: (スコア:0)
> ただし、選んだからには二問目でも同じ選択をするはずだ
だからなんで一問目でも二問目でも評価が同じになるような価値基準じゃなきゃいけないの? 別にそういう価値基準を強制したけりゃしてもいいけどそれじゃ個体の価値基準を認めてないじゃん。
Re:非合理的? (スコア:1)
他の価値基準がどう絡んだかは問題にならない。
同じ問題に対して同じ問題だと結論できなかったために違う価値基準を適用して違う選択にたどり着いたとしても、非合理には違いがないから。
Re: (スコア:0)
>適用して違う選択にたどり着いたとしても、非合理には違いがないから。
非合理という言葉のニュアンスに違和感を感じる人がいるんじゃないで
しょうか?
例えば、本質的に同じ問題と言っても、始めに2000ドル手に入れる場合、
その2000ドルを使うことを前提の準備をしちゃいますよね(心の準備も含
めて)。そうなると1500ドルでは足りないと考える割合が高まるのが自然。
どうせ足りなくなるなら一か八かで2000ドルに賭けてみようと思う人が出
てきても、非合理と言うほどではないのではないでしょうか?
Re:非合理的? (スコア:1)
選択内容の合理性は問われてないんですよ。
Re: (スコア:0)
はい、ですから本質的に同じとされている実験で、
人々の選択の傾向が変わっても非合理というほどでは
ない例をあげたつもりです。
極端な言い方をすれば、本質的に同じとされている
実験も、2000ドルを手にしたときの期待感まで計算に
いれると同じ実験ではなくなると言いたかったわけです。
Re:非合理的? (スコア:1)
この実験では、同じ条件でも結果を変えてしまう『何か』の存在が示唆されています。
条件は同じであるのに、結果が違うからには別の『何か』がなければなりません。
そういった、結果に差を生む『何か』の研究はこの実験の先にあります。
それは『2000ドルを手にしたときの期待感』かもしれません。
Re: (スコア:0)
そもそもその『何か』(=選択バイアス)についての研究ですよ。
Re:非合理的? (スコア:1)
>期待値ではない何らかの)価値基準に照らせばどちらも合理的な選択であるだけという可能性はないの?
そう,まさにその通りです.
というか,そもそものこの実験(の大元の実験.選択肢の詳細は違いますが)が載っている論文の主張がそれです.
そもそも古典的な経済学において,
・人間は合理的に利益の高い選択をする
という仮定(もうちょっと書き方は違いますが)で理論が構築されていました.
ところが,実際の人間の行動はそれほど合理的ではありません.あるとき,そういう「非合理的な行動」と言うものも,実はそれなりの理由のある「ある評価関数」に基づいた行動と見なせて計算できるんだよ,と言うことを言い出した人がいたわけです.
人間が物事に対して判断を下すための評価関数は,純粋な期待値などから計算される評価関数とは違っていて,だから不合理に見える(というか最適手を求める観点からは見えるだけではなく実際に不合理だったりもする).でもその評価関数自体を組み込んだ経済学を作れば,もっとよく実在の経済を説明できる理論が出来るよね,ということで.
でまあ,代表的な論文がこれです.
http://psych.hanover.edu/classes/Cognition/papers/tversky81.pdf [hanover.edu]
行動経済学の大家,KahnemanとTverskyによる有名な論文で,ここで構築されたprospect theory(単純化すると,人間は利得よりも損失を重く見て,出来るだけ損失の少ない選択肢を選びがち,という主張)によりKahnemanは2002年のノーベル経済学賞を受賞しています(Tverskyは確か死んでたんでもらえなかった).
Re: (スコア:0)
> 実はそれなりの理由のある「ある評価関数」に基づいた行動と見なせて計算できるんだよ,
行動結果に合わせて評価関数を後付けででっち上げればそりゃどんな行動でも説明できるでしょうけど、それって予言能力がないわけですよね。経済学は数式とか使ってても科学じゃないというだけのことかもしれませんが。
30%の臆病さ… (スコア:0)
別ACですが、生き残る確率を高めようとしたら、得する場合はリスクの評価に重点を置いて(慎重さ)、損する場合はリターンの評価に重点を置く(足掻き)のが合理的だと思うんですよね。
そもそも自然界では確率がはっきりとした事象のほうが珍しいのだし、それらを総合して合理的かどうか判断可能な状況なんてまず無いんじゃないでしょうか。
違う価値基準で動いているなら、ある日突然流れが変わるのも仕方無いというか…
Re: (スコア:0)
細かいけど、「期待値」という言葉を誤って覚えてしまっているようです。
ざっくりいうと「期待値」=「母平均」
今回のタレこみの実験では全て1500ドル
Re:非合理的? (スコア:1)
>元コメが言ってるのはそういう事じゃなくて、選択肢の期待値が同じなんだからどっちを選んでも同じなので
これはその通りです.私のコメントでもここは否定していません.
>この実験は非合理性を示しているのではなく選択の好みや癖を示してしているだけなのよ。
ここも,前述の通り,「ある一つの選択肢の組」だけに関してならそうです.
ですが,私が指摘した点は,そもそもこの実験において「非合理」とされているのはその二つの選択肢の中からの選び方ではなく,選び方が選択肢の提示のしかたに依存する,と言う点で.その部分が元コメの方の勘違いしていた点です.この実験はあくまで「選択肢の組み合わせ」を2種行って,その比較まで行って始めて「一つの実験」,となるわけですので.
この実験の元々の提示(人間相手に行われた古典的実験)においては,期待値が同じである
選択肢1:確実に定額Aをもらう
選択肢2:等確率でA+α or A-αをもらう
と言う二種の選択肢を提示されたとき,提示のしかたにより回答が異なる,と言う部分を「人間の選択における非合理性」と称しています.
つまり,ある提示のしかた{選択肢1:選択肢2}の中で1を選ぶのか2を選ぶのかは単に好みの問題だ,というのは確かですが,{1:2}と等価ではあるけれども表現の違う選択肢の組{1':2'}を提示すると,何故か逆を選ぶようになる,と言う点を人間の選択の非合理性としているわけです.
そして,この実験結果(等)を元にして,「人間は何かを得る場合と失う場合とで異なる重み付けをしている」というprospect theoryにつながるわけですわな.その重み付けもなかなか複雑な形状をしていたりとかそのあたりの研究は今でも続いておりますが.
前述の実験の例で言えば,2000得て500失うよりも,1000得てから500さらに得る方が得した気分になる,と言う奴ですね.
Re:非合理的? (スコア:1)
繰り返しになるけど、二つの実験で傾向が同じだろうが違っていようがどっちも同じで合理的判断は不可能なので、どんな結果が出ようがこの実験では「非合理的」を示す事はできない(=合理/非合理を示したいなら実験の設計が不適切)。というのが元コメの主張だと思うんだけど?
さらに言えば、得に楽観的で損に悲観的という方針は、選択を繰り返すと前のコメントの勝ち逃げ戦略そのものになるわけで、そういう意味で合理的な基本方針だと言えるんじゃないかなー。