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じーちゃんが銀河乗りでした。それまで太平洋に眠るってことだったんですが、昭和56年に丹沢山中に銀河の残骸が発見されて訂正されました。
「昭和19年11月27日、厚木飛行場からB29の迎撃に向かい丹沢山に眠る。」
少し離れたところでB29の残骸も発見されて、空中戦のうえ尾根に激突したということでした。誉のエンジンブロックがそのままの形で残っていたのが決定打で、発見当初は新聞記者やテレビカメラまできて子供ながら興奮した記憶があります。
昭和19年11月27日の迎撃について、手持ちの資料を簡単に調べてみました。この日は曇天で、爆撃側・迎撃側双方にとって困難な状況だったようです。
「首都防衛302空. 上 / 渡辺洋二著」 [ndl.go.jp](朝日ソノラマ, 1995.8)のp370に、御祖父の愛機、第三〇二海軍航空隊の「銀河」夜間戦闘機部隊装備機のことが以下のように記されていました。
三〇二空の損失は、千葉県茂原に降りて大破した「彗星」一機と、行方不明になった「銀河」一機。「銀河」は雲に呑まれ、機位を失したものと考えられる。機長は篠崎中尉といわれるが、どんな人物か不明だ。
同書によれば、銀河部隊は9月に編成を始め、本格的に部隊の形を成し始めたのは12月以降とのことです。そのため、御祖父のことを覚えておられる方が、著者の取材時にはおられなかったのかも知れません。
また、米軍側の同日の記録としては、搭乗員の手記「B-29日本爆撃30回の実録 / チェスター・マーシャル著」 [ndl.go.jp](ネコ・パブリッシング, 2001.5)のp130に次の記述がありました。
また、第500連隊の一機が不時着水して、乗組員は消息不明である。
丹沢山系には他にも多数の機体が墜落しているようなので、「少し離れたところにあったB29の残骸」が該当機のものかどうかは、米軍側の記録を詳しく調べてみないと確定できないかと思います。
以上、御祖父のことを偲ばれる際の手がかりになればと思い、まとめてみました。なお、朝日新聞の1981年8月20日朝刊22面に、機体が発見された際の記事が載っています。
元ACです。わざわざ調べて下さり感謝いたします。じーちゃんは302空の篠崎中尉に間違いありません。享年31でした。もう絶版になっていますが、昭和19年11月27日の出来事や銀河発見の経緯は島津愛介著『爆撃機「銀河」』(河出書房新社) [amazon.co.jp]の「厚木302空」という章にまとめられていて、父が何度か取材を受けていました。どのような人物だったのか私も知りたいのですが、ばーちゃんも他界して資料もそれほど多くなく、伝聞のような形でしか把握していないので、とても参考になりました。
31歳で戦没されたとのことですと、篠崎中尉は多発機での豊富な飛行経験をお持ちで、新編部隊の中核要員として三〇二空へ配属されたものとお察します。御祖父の軍歴はご存知でしょうか? お手元に情報がない場合は、厚生労働省・防衛省防衛研究所等に資料が残っている可能性があります。在籍された訓練部隊・作戦部隊の同期会等の有無を確認されれば、手記などの中に御祖父の姿を垣間みることができる可能性があると思います。直接の関わりを持もたれた方で、ご存命の方もおられるかも知れません。
以下は勝手なお願いです。もし、情報がまとまるようでしたら、前掲書の著者、渡辺洋二氏に連絡を取ることを御検討いただけませんでしょうか。三〇二空の通史は前掲書以外にありません。三〇二空は記録の散逸が激しく、著者は前掲書を編むにあたって大変な苦労をされたようです。三〇二空銀河部隊の初期の記録として纏めていただけ、広く世に読まれるかたちにしていただけるかも知れません。
モデレータの方、お手数で申し訳ありませんが、#1876985 [srad.jp]は内容が誤っておりますので、マイナスモデレートで沈めてくださいますようお願いします。
コメントを書き込んだあとで再度確認したところ、「篠崎眞一中尉」は元ACの方 [srad.jp]の御祖父とは同姓の別の方であることが判明しました。篠崎眞一中尉は海軍兵学校68期(1937年入校)ですので、享年31歳の場合、年齢の勘定が合いません。もっとよく確認すべきでした。
コメント主の意に沿ってマイナスモデレートしておきましたが、興味深いコメントでもあったので、あえて沈めなくともよかったのではないかと思いました。
# モデレータなのでACで。
#1876985 [srad.jp]のACです。モデレート実施をありがとうございました。当該コメント内に記述した篠崎中尉は、マリアナ沖で戦没された方で、明らかに別人なのです。元ACの方が御祖父を偲ばれるにあたって大きなミスリードとなりますので、お願いした次第です。
戦争末期は制空権を奪われて、なすすべもなく B29 に蹂躙されまくりというイメージでした。相打ちかもしれませんが B29 を落とすような時期もあったんですね。
おまえはもう少し勉強しなさい。確かにB29によって日本国土が蹂躙されましたが、撃墜記録はいくらでもあるんです。つか、撃墜しても撃墜しても雲霞の如くB29がやってくるので日本は負けたといえます。
ところで銀河って爆撃機でしょ。なんでB29の迎撃にあがるの?って思ったら夜間戦闘機型が作られてたのね。俺も勉強不足でしたorz
銀河夜戦型の呼称は「極光」のみではありません。 「銀河/一式陸攻 / 雑誌「丸」編集部編」 [ndl.go.jp](光人社, 2000.11)のp111に
銀河の戦闘機型は誉エンジン装備の11型や21型に斜銃を搭載した銀河12型(白光)と火星エンジン装備の極光があり,厚木基地の302空が,この両機を駆使して本土防空に活躍した。
との記述があります。昭和19年11月11日時点で三〇二空は極光1機と銀河3機を装備していました。また、同書p121よれば、「極光」は97機生産したもののB29迎撃が困難で、大部分の機が爆撃機に用途を変更されたとのことです。「白光」は試作時の仮称のようで、私はあまり見聞きしたこと
B29は、1出撃あたり、平均2.2%の損失率。一見、低そうに見えるけど、10回出撃したら、損失する確率おおよそ22%。彼らも楽な仕事じゃなかったってことです。
>##大国にとって、小国が軍備拡張に走るのは自国のそれを正当化する好材料。
こういうお花畑な世界観で大国を見ていること自体に危機感を持ちますねえ。相手は根拠があろうとなかろうと他国領土の領有を宣言して実力行使も辞さない連中だというのに。
1944年の11月は、本土空襲が始まったばかりのころで、まだ末期じゃないんだよね。だから、日本側も多少、防空の余力があった訳だ。硫黄島が落ちた後は、なすすべも無かったが。
そのじっちゃんはちゃんと子供を残しているところを見ると、末期のような相手にぶつかる訓練だけ受けた若年パイロットではなかったんだろうね。
そうやって、またベテランパイロットを失った訳だが。
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
じーちゃんの愛機 (スコア:4, 興味深い)
じーちゃんが銀河乗りでした。
それまで太平洋に眠るってことだったんですが、昭和56年に丹沢山中に銀河の残骸が発見されて訂正されました。
「昭和19年11月27日、厚木飛行場からB29の迎撃に向かい丹沢山に眠る。」
少し離れたところでB29の残骸も発見されて、空中戦のうえ尾根に激突したということでした。
誉のエンジンブロックがそのままの形で残っていたのが決定打で、発見当初は新聞記者やテレビカメラまできて子供ながら興奮した記憶があります。
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:2, 参考になる)
昭和19年11月27日の迎撃について、手持ちの資料を簡単に調べてみました。
この日は曇天で、爆撃側・迎撃側双方にとって困難な状況だったようです。
「首都防衛302空. 上 / 渡辺洋二著」 [ndl.go.jp](朝日ソノラマ, 1995.8)のp370に、御祖父の愛機、第三〇二海軍航空隊の「銀河」夜間戦闘機部隊装備機のことが以下のように記されていました。
三〇二空の損失は、千葉県茂原に降りて大破した「彗星」一機と、行方不明になった「銀河」一機。「銀河」は雲に呑まれ、機位を失したものと考えられる。機長は篠崎中尉といわれるが、どんな人物か不明だ。
同書によれば、銀河部隊は9月に編成を始め、本格的に部隊の形を成し始めたのは12月以降とのことです。そのため、御祖父のことを覚えておられる方が、著者の取材時にはおられなかったのかも知れません。
また、米軍側の同日の記録としては、搭乗員の手記「B-29日本爆撃30回の実録 / チェスター・マーシャル著」 [ndl.go.jp](ネコ・パブリッシング, 2001.5)のp130に次の記述がありました。
また、第500連隊の一機が不時着水して、乗組員は消息不明である。
丹沢山系には他にも多数の機体が墜落しているようなので、「少し離れたところにあったB29の残骸」が該当機のものかどうかは、米軍側の記録を詳しく調べてみないと確定できないかと思います。
以上、御祖父のことを偲ばれる際の手がかりになればと思い、まとめてみました。
なお、朝日新聞の1981年8月20日朝刊22面に、機体が発見された際の記事が載っています。
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:2, 興味深い)
元ACです。わざわざ調べて下さり感謝いたします。
じーちゃんは302空の篠崎中尉に間違いありません。享年31でした。
もう絶版になっていますが、昭和19年11月27日の出来事や銀河発見の経緯は
島津愛介著『爆撃機「銀河」』(河出書房新社) [amazon.co.jp]
の「厚木302空」という章にまとめられていて、父が何度か取材を受けていました。
どのような人物だったのか私も知りたいのですが、ばーちゃんも他界して資料もそれほど多くなく、伝聞のような形でしか把握していないので、とても参考になりました。
Re: (スコア:0)
31歳で戦没されたとのことですと、篠崎中尉は多発機での豊富な飛行経験をお持ちで、新編部隊の中核要員として三〇二空へ配属されたものとお察します。
御祖父の軍歴はご存知でしょうか? お手元に情報がない場合は、厚生労働省・防衛省防衛研究所等に資料が残っている可能性があります。
在籍された訓練部隊・作戦部隊の同期会等の有無を確認されれば、手記などの中に御祖父の姿を垣間みることができる可能性があると思います。直接の関わりを持もたれた方で、ご存命の方もおられるかも知れません。
以下は勝手なお願いです。
もし、情報がまとまるようでしたら、前掲書の著者、渡辺洋二氏に連絡を取ることを御検討いただけませんでしょうか。
三〇二空の通史は前掲書以外にありません。三〇二空は記録の散逸が激しく、著者は前掲書を編むにあたって大変な苦労をされたようです。
三〇二空銀河部隊の初期の記録として纏めていただけ、広く世に読まれるかたちにしていただけるかも知れません。
Re: (スコア:0)
モデレータの方、お手数で申し訳ありませんが、#1876985 [srad.jp]は内容が誤っておりますので、マイナスモデレートで沈めてくださいますようお願いします。
コメントを書き込んだあとで再度確認したところ、「篠崎眞一中尉」は元ACの方 [srad.jp]の御祖父とは同姓の別の方であることが判明しました。
篠崎眞一中尉は海軍兵学校68期(1937年入校)ですので、享年31歳の場合、年齢の勘定が合いません。もっとよく確認すべきでした。
Re: (スコア:0)
コメント主の意に沿ってマイナスモデレートしておきましたが、興味深いコメントでもあったので、
あえて沈めなくともよかったのではないかと思いました。
# モデレータなのでACで。
Re: (スコア:0)
#1876985 [srad.jp]のACです。モデレート実施をありがとうございました。
当該コメント内に記述した篠崎中尉は、マリアナ沖で戦没された方で、明らかに別人なのです。
元ACの方が御祖父を偲ばれるにあたって大きなミスリードとなりますので、お願いした次第です。
Re: (スコア:0)
戦争末期は制空権を奪われて、なすすべもなく B29 に蹂躙されまくりというイメージでした。
相打ちかもしれませんが B29 を落とすような時期もあったんですね。
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:2, 興味深い)
おまえはもう少し勉強しなさい。
確かにB29によって日本国土が蹂躙されましたが、撃墜記録はいくらでもあるんです。
つか、撃墜しても撃墜しても雲霞の如くB29がやってくるので日本は負けたといえます。
ところで銀河って爆撃機でしょ。なんでB29の迎撃にあがるの?
って思ったら夜間戦闘機型が作られてたのね。
俺も勉強不足でしたorz
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:3, 参考になる)
Re: (スコア:0)
銀河夜戦型の呼称は「極光」のみではありません。
「銀河/一式陸攻 / 雑誌「丸」編集部編」 [ndl.go.jp](光人社, 2000.11)のp111に
銀河の戦闘機型は誉エンジン装備の11型や21型に斜銃を搭載した銀河12型(白光)と火星エンジン装備の極光があり,厚木基地の302空が,この両機を駆使して本土防空に活躍した。
との記述があります。昭和19年11月11日時点で三〇二空は極光1機と銀河3機を装備していました。
また、同書p121よれば、「極光」は97機生産したもののB29迎撃が困難で、大部分の機が爆撃機に用途を変更されたとのことです。
「白光」は試作時の仮称のようで、私はあまり見聞きしたこと
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:1)
B29は、1出撃あたり、平均2.2%の損失率。
一見、低そうに見えるけど、10回出撃したら、損失する確率おおよそ22%。
彼らも楽な仕事じゃなかったってことです。
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:1, 興味深い)
B17の欧州戦線における損失率に比べたらずいぶん小さな値ですね。
で、B29の2.2%には夜間の編隊飛行中の空中衝突や、エンジントラブルでの墜落による機体損失も含まれてるのですが、海上で搭乗員がパラシュート脱出出来た場合は、海没した機体に備え付けの音波発振器を頼りに待機してた潜水艦が救出に向かうということをアメリカはやってたわけです。 だから搭乗員の損耗率は2.2%よりもまだ小さい。
ところで、最近の自衛隊の救難業務をやってる部隊が急速にコンバットレスキュー対応(機体の低視認塗装、ヘリへの機銃・空中給油装置の装備etc)を進めてるのは、有事が発生して戦闘状態の時にパイロット救出に向かう可能性があると本気で考えてるわけです。
5年掛けるのが急速ですか? (スコア:1, 興味深い)
結構昔から徐々に実施していると言うべきであり、そこを曲げて緊張感を煽って、
一体何をしたいのですか。相手側でも緊張感を煽り、自国内での世論操作の
信憑性を高めようとでもしているのですか。 :-)
##大国にとって、小国が軍備拡張に走るのは自国のそれを正当化する好材料。
Re: (スコア:0)
>##大国にとって、小国が軍備拡張に走るのは自国のそれを正当化する好材料。
こういうお花畑な世界観で大国を見ていること自体に危機感を持ちますねえ。
相手は根拠があろうとなかろうと他国領土の領有を宣言して実力行使も辞さない連中だというのに。
本当に短絡的だねえ (スコア:0)
防衛予算が減っている日本に対しての軍拡を主張するなら、
装備の急速な先鋭化を指摘して脅威に仕立て上げるしかなかろうが。
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:1)
100-(100-2.2)^10 =19.945%です。
Re: (スコア:0)
Re:じーちゃんの愛機 (スコア:1, 参考になる)
Re: (スコア:0)
大戦中の日本商船乗員の被撃沈経験率は100%を大きく超えてたはずです。
一回ボカ沈喰らって生き残っても、もう一回食らう可能性が高いという。徴用された漁船の損失率も相当でしょうが。
それでも軍から軍属などとしていいように扱われ、しかも靖国へも入れないとされていたという怨嗟が連ねられた文集がありました。読んでてもうなんというか・・・。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
1944年の11月は、本土空襲が始まったばかりのころで、まだ末期じゃないんだよね。
だから、日本側も多少、防空の余力があった訳だ。硫黄島が落ちた後は、なすすべも無かったが。
そのじっちゃんはちゃんと子供を残しているところを見ると、末期のような相手にぶつかる訓練だけ受けた若年パイロットではなかったんだろうね。
そうやって、またベテランパイロットを失った訳だが。