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手話で「にょ」とか「だお」とかいった口癖はどうするんだろうか。いつも文章の終わりにオリジナルの踊りでも付けるんだろうか。
語尾よりも、兄の呼び方が12通り必要というのが問題だと思う。
兄の呼び方が12通り必要
律儀な翻訳家泣かせですね。額田やえ子さんみたいな超越した手腕があれば別ですが。日本で使われる手話が何通りかあるということと、手話の方式が同じでも方言がある [srad.jp]ということ、口話併用手話にする/併用しないを適宜ちゃんぽんに使い分ければ12通りくらいまじめに実現できそう。それで同じ興味を持てる結果になるか、こんなはずじゃなかったといわれるかは誰かやってみてくだされ。
>手話の方式が同じでも方言がある [slashdot.jp]ということ、>口話併用手話にする/併用しないを適宜ちゃんぽんに使い分ければ12通りくらいまじめに実現できそう。
方言について言い始めるとそれこそ12通りの兄が河内弁名古屋弁三河弁横浜弁などと圧倒的物量さになってしまいそうで、これはこれで手話では無理ではなかろうか?とも思ってしまいます。「萌え」とかが話題になった場合、手話でどこまでそういったニュアンスや言葉に隠れた感覚が表現できるのだろうか?と心配になってきますね。
>こんなはずじゃなかったといわれるかは誰かやってみてくだされ。
手話で、「ルイズゥウウ...クンカクンカ」のコピペがはたして上手くできるのか?それよりも短い「べっ、別に付き合ってあげても いいんだからねッ!!勘違いしないでよ、そういうコトじゃないんだから!!」も無理じゃないか?とか思っているわけですが、手話関係ではそういった会話はないのだろうか?
>手話でどこまでそういったニュアンスや>言葉に隠れた感覚が表現できるのだろうか
私は手話を話せないのですが、手話を使いこなす妙齢のご婦人の立ち話を見かけたことがあります。
ええ、まぁ、ぶっちゃけ「手話で井戸端会議をやってるオバちゃん」を、見かけたワケですね。会話の内容は、さっぱり分かりませんでした。ですが、その立ち振る舞いは、口話のそれと全く同じように見受けられました。
手話であっても、それが人の用いる言葉である以上、ニュアンスや感情といったものが入り込むのは、ある意味、必然なのではないでしょうか。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
口癖 (スコア:0)
手話で「にょ」とか「だお」とかいった口癖はどうするんだろうか。
いつも文章の終わりにオリジナルの踊りでも付けるんだろうか。
Re:口癖 (スコア:1)
語尾よりも、兄の呼び方が12通り必要というのが問題だと思う。
Re:口癖 (スコア:1)
律儀な翻訳家泣かせですね。額田やえ子さんみたいな超越した手腕があれば別ですが。
日本で使われる手話が何通りかあるということと、手話の方式が同じでも方言がある [srad.jp]ということ、
口話併用手話にする/併用しないを適宜ちゃんぽんに使い分ければ12通りくらいまじめに実現できそう。
それで同じ興味を持てる結果になるか、こんなはずじゃなかったといわれるかは誰かやってみてくだされ。
Re:口癖 (スコア:1)
>手話の方式が同じでも方言がある [slashdot.jp]ということ、
>口話併用手話にする/併用しないを適宜ちゃんぽんに使い分ければ12通りくらいまじめに実現できそう。
方言について言い始めるとそれこそ12通りの兄が河内弁名古屋弁三河弁横浜弁などと圧倒的物量さになってしまいそうで、これはこれで手話では無理ではなかろうか?とも思ってしまいます。
「萌え」とかが話題になった場合、手話でどこまでそういったニュアンスや言葉に隠れた感覚が表現できるのだろうか?と心配になってきますね。
>こんなはずじゃなかったといわれるかは誰かやってみてくだされ。
手話で、「ルイズゥウウ...クンカクンカ」のコピペがはたして上手くできるのか?
それよりも短い「べっ、別に付き合ってあげても いいんだからねッ!!
勘違いしないでよ、そういうコトじゃないんだから!!」も無理じゃないか?
とか思っているわけですが、手話関係ではそういった会話はないのだろうか?
Re:口癖 (スコア:1)
>手話でどこまでそういったニュアンスや
>言葉に隠れた感覚が表現できるのだろうか
私は手話を話せないのですが、手話を使いこなす
妙齢のご婦人の立ち話を見かけたことがあります。
ええ、まぁ、ぶっちゃけ
「手話で井戸端会議をやってるオバちゃん」
を、見かけたワケですね。
会話の内容は、さっぱり分かりませんでした。
ですが、その立ち振る舞いは、
口話のそれと全く同じように見受けられました。
手話であっても、それが人の用いる言葉である以上、
ニュアンスや感情といったものが入り込むのは、
ある意味、必然なのではないでしょうか。