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偽薬を掴まされた群は(結果論とは言え)高い感染リスクに晒されたわけだが。ああパートナーの調達は自前なのか。じゃあ爆発しろ
被験者たちが言うならわかりますが、外部の人間がとやかく言うことじゃないでしょ?>人道的
エイズ感染者が人口の7割~8割を超えていて国そのものの存続がかかっているところで、このような実験を非人道的というのは津波から逃げるのに車を走らせている中、法定速度を守って運転しましょう、と言っているようなものです。
あちらでは感染を承知で「将来のエイズ予防に役立つなら喜んで実験台になる」という認識かもしれませんね。こちらの常識をあっちの常識に当てはめてはいけませんよ。
どういう方法だと「より人道的」と言えるのか、ぜひ意見を聞きたいところ。批判だけなら民主党でも可能
ええと読んですぐ理解できるサイトとか見つけられなかったんでアレですけど、治験・臨床試験におけるガイドラインってのがWHOなり、各国の当局なりが出していて、その中で人道的見地から説明+同意を取ることや、プラセボについて十分な理解を得ることなどが謳われています。「人道的かどうかなんてのは被験者だけが言えば良いことで、世界的に共通の見解なんて無いよ」というのは少なくとも医薬品の臨床試験においては当てはまりません。(それを踏まえた上で、WHOなんて無視しようぜ!という別の意見はあってもおかしくありませんし、どの国も必ず100%守れているかと言えばそういうワケ
#うまくまとめられず長くなってしまったんで、最初のリンク先だけ読めば十分かも。
本命のガイドラインはICH-E10って奴なんですが、軽くググるだけだと本の紹介ばっかりだ(--;)
プラセボについてだけ言えば、以下のページがざっくり説明してくれています。
http://medical.radionikkei.jp/suzuken/final/021024html/index_3.html [radionikkei.jp]
心情から言えば、比較するなら「現存する最善の治療 vs 新薬」が良いですよね。しかしそれは「現存する最善の治療」が本当に効果がある場合のみ、意味を持ちます。
日本でも、新薬A承認→新薬BについてAと比較して承認→新薬CやDについてAやBと比較して承認……とやっていったあげく、後からの調査で最初のAに効果が無い、BやCやDもほぼ効果なし、という結果が出て承認取り消しになったことがありました。アルツハイマー+プラセボでググれば色々見つかるかな?
なので純粋に科学的には「新薬は偽薬と比較して優位性が認められなければ有効とは言えない」となります。
しかし一方で、例え被験者の同意があろうとも(*)、疾患を持つ患者に偽薬を投与する(=他に治療法があるのに無治療を選択する)というのは倫理性にもとる、という考え方があります。
(*) 当事者の同意があれば倫理性はクリアできる、というのは誤りです。 ここでいう倫理性というのは他者から見てどうか、国際社会から見てどうか、という話。 もっと砕いた表現をすると「本人がどうあろうとグロい行為は見たくないよ!」 つまり現地の歴史や文化があろうとも殺人や乱交や麻薬は止めさせよう、ってのの親戚みたいなもんです。
そこで各国色々「これなら偽薬使ってオッケー、これなら偽薬使わなくてもいいよ」ってラインを設けています。例えば放置しておいても半年やそこらなら悪化しない疾患の試験なら偽薬使って問題ないですよね。
一方で、「薬飲まなきゃ死ぬ」って人に偽薬込みの試験させるわけにいきません。倫理性ももちろんですけど、臨床試験ってのは自分の意志で参加するものですから、そもそも立候補が居なくなっちゃいます。肺結核の人に「この抗生物質飲んでね、偽薬かもしれないけど」とか糖尿病の人に「このインシュリンの注射打ってね、偽薬かもしれないけど」とかやるわけにいきません。
そこで今回のケースですが、この場合問題となるのは「当事者にとって、無治療というのがどの程度の意味を持つのか」です。おそらく先進国でやるならば今回のデザインは認められないでしょう。なぜなら、予防手段なり治療手段なりが複数あり、しかもそれを実施するだけの力(簡単に言えば金と時間)が参加者にあると思われるからです。しかし今回の土地の場合、もしこの試験が無かったら、ほとんどの人は予防手段を選ばない可能性があります。もしそうなのであれば「試験に参加して偽薬グループとなっても、試験に参加しなかった人との感染リスクの差はほぼ無い」と判断された可能性があります。……あくまで可能性ですけどね。
#あくまで「もし言い訳するなら」という観点で書いてます。正直私も疑問を感じているのは前のコメントにもある通り。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
人道的にどうなのこの実験 (スコア:1, 興味深い)
偽薬を掴まされた群は(結果論とは言え)高い感染リスクに晒されたわけだが。
ああパートナーの調達は自前なのか。じゃあ爆発しろ
Re: (スコア:-1, フレームのもと)
被験者たちが言うならわかりますが、外部の人間がとやかく言うことじゃないでしょ?>人道的
エイズ感染者が人口の7割~8割を超えていて国そのものの存続がかかっているところで、このような実験を非人道的というのは
津波から逃げるのに車を走らせている中、法定速度を守って運転しましょう、と言っているようなものです。
あちらでは感染を承知で「将来のエイズ予防に役立つなら喜んで実験台になる」という認識かもしれませんね。
こちらの常識をあっちの常識に当てはめてはいけませんよ。
Re: (スコア:0)
どういう方法だと「より人道的」と言えるのか、ぜひ意見を聞きたいところ。
批判だけなら民主党でも可能
Re: (スコア:4, 興味深い)
ええと読んですぐ理解できるサイトとか見つけられなかったんでアレですけど、
治験・臨床試験におけるガイドラインってのがWHOなり、各国の当局なりが出していて、
その中で人道的見地から説明+同意を取ることや、プラセボについて十分な理解を得ることなどが謳われています。
「人道的かどうかなんてのは被験者だけが言えば良いことで、世界的に共通の見解なんて無いよ」というのは少なくとも医薬品の臨床試験においては当てはまりません。
(それを踏まえた上で、WHOなんて無視しようぜ!という別の意見はあってもおかしくありませんし、どの国も必ず100%守れているかと言えばそういうワケ
Re:人道的にどうなのこの実験 (スコア:1)
ググったら、日本語訳が引っ掛かった
http://homepage3.nifty.com/cont/34_1/p7-74.pdf
現場の人間ではないので
>> FDAあたりは
のくだりや、
>> もちろん偽薬群を置かずに既存薬と新薬との比較試験というのも
>> 未だに行われるのですが……。
「未だに行われる」と、過去はともかく、現在は主流では無い表現になった背景は判らないのですが。
振り返って、今回の試験、エイズ感染リスクを考えると、偽薬を対照としたのは、倫理的に妥当と言うのは抵抗を感じます。 治療薬では無く、予防薬として、現在「確立された有効な」ものが無いから、指針に反しては居ないということなんでしょうけど。
Re:人道的にどうなのこの実験 (スコア:1)
#うまくまとめられず長くなってしまったんで、最初のリンク先だけ読めば十分かも。
本命のガイドラインはICH-E10って奴なんですが、軽くググるだけだと本の紹介ばっかりだ(--;)
プラセボについてだけ言えば、以下のページがざっくり説明してくれています。
http://medical.radionikkei.jp/suzuken/final/021024html/index_3.html [radionikkei.jp]
心情から言えば、比較するなら「現存する最善の治療 vs 新薬」が良いですよね。
しかしそれは「現存する最善の治療」が本当に効果がある場合のみ、意味を持ちます。
日本でも、新薬A承認→新薬BについてAと比較して承認→新薬CやDについてAやBと比較して承認……
とやっていったあげく、後からの調査で最初のAに効果が無い、BやCやDもほぼ効果なし、
という結果が出て承認取り消しになったことがありました。
アルツハイマー+プラセボでググれば色々見つかるかな?
なので純粋に科学的には「新薬は偽薬と比較して優位性が認められなければ有効とは言えない」となります。
しかし一方で、例え被験者の同意があろうとも(*)、疾患を持つ患者に偽薬を投与する
(=他に治療法があるのに無治療を選択する)というのは倫理性にもとる、という考え方があります。
(*) 当事者の同意があれば倫理性はクリアできる、というのは誤りです。
ここでいう倫理性というのは他者から見てどうか、国際社会から見てどうか、という話。
もっと砕いた表現をすると「本人がどうあろうとグロい行為は見たくないよ!」
つまり現地の歴史や文化があろうとも殺人や乱交や麻薬は止めさせよう、ってのの親戚みたいなもんです。
そこで各国色々「これなら偽薬使ってオッケー、これなら偽薬使わなくてもいいよ」ってラインを設けています。
例えば放置しておいても半年やそこらなら悪化しない疾患の試験なら偽薬使って問題ないですよね。
一方で、「薬飲まなきゃ死ぬ」って人に偽薬込みの試験させるわけにいきません。
倫理性ももちろんですけど、臨床試験ってのは自分の意志で参加するものですから、そもそも立候補が居なくなっちゃいます。
肺結核の人に「この抗生物質飲んでね、偽薬かもしれないけど」とか
糖尿病の人に「このインシュリンの注射打ってね、偽薬かもしれないけど」とかやるわけにいきません。
そこで今回のケースですが、この場合問題となるのは「当事者にとって、無治療というのがどの程度の意味を持つのか」です。
おそらく先進国でやるならば今回のデザインは認められないでしょう。なぜなら、予防手段なり治療手段なりが複数あり、
しかもそれを実施するだけの力(簡単に言えば金と時間)が参加者にあると思われるからです。
しかし今回の土地の場合、もしこの試験が無かったら、ほとんどの人は予防手段を選ばない可能性があります。
もしそうなのであれば「試験に参加して偽薬グループとなっても、試験に参加しなかった人との感染リスクの差はほぼ無い」
と判断された可能性があります。……あくまで可能性ですけどね。
#あくまで「もし言い訳するなら」という観点で書いてます。正直私も疑問を感じているのは前のコメントにもある通り。
Re: (スコア:0)