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外国語が得意な人の脳内構造は以下のとおり。
Input / Output----------+-----------外国語 | 日本語 // 言語処理デーモン----------+------------ OS---------------------hardware (マシン語が使われる)---------------------
こうではありません。
Input / Output-------------------------- 日本語 [ 外国語 ] ----------------------- OS---------------------hardware---------------------
外国語の入出力時には日本語コンポーネン
「hardware」では本当に「マシン語」が使われてるのかな?「マシン語」は、「日本語」や「外国語」とは無関係なのだろうか?
ヒトの場合、マシン語相当のものが存在する可能性が高いと言われています。Universal Grammer / UG / 普遍文法 あたりの語で調べるとその辺の議論が見つかります。
普遍文法ってのは、文法学習において、先天的に獲得している知識(文法の素)のことでしょ?普遍文法だけで思考・論理を組み立てることができるの?それとも、後天的に獲得した言語を使って思考・論理を組み立てているの?私の言っているのは、そういうことです。
この分野に詳しくなく、ただの想像ですが体系的な言葉を持っていない動物や、原始人はでも、
1・地面に動物が横たわっている。2・いやなにおいがしない。3・過去の経験を根拠として、これは食べられるに違いない。
というように、本能( ROM焼付けプログラム?) 以外に、論理的思考がないと生まれないのではないか?という行動パターンは現在でも観察できると思います。面白いですね。
PC を例にして説明したので、どの高級言語にも依存しない「マシン語」という言葉を使いましたが、言語が発せられる前の、プリミティブな意識を言ってます。人がムカッとした「気分」になったときは、「むかつく」と日本語で表現しなくても怒り顔になるはずです。
「怒りの意識」 ------> 日本語「むかつく!」で出力 -----> 顔の筋肉組織「むかついた顔」
筋肉組織は日本語を認識しなくても、最初にあるプリミティブな怒りの意識に働きかけられ動くのです。
この「プリミティブな意識」の存在は、バイリンガル以上の人じゃないと「ウンウン」と理解してもらえないかも。
「怒りの意識」程度の単純なものであれば、プリミティブな意識で説明できると思います。
しかし、ある程度以上複雑な意識・思考を、言語と無関係に発することはできるか、ってことです。
二ヶ国語以上に堪能な人でも、ある言語でしゃべってるときはその言語で思考している、って言う人もいますし。計算機アーキテクチャの様にきっちり分けられるような性質のものじゃないんじゃないか、って疑問ですね。
自分の捉え方なんで正確な話ではないですが、思考に言語化は必須ではないが言語化すると思考能力を補強できるって所だと思いますよ。第一、思考に言語が必須なら「えーと、あれ?なんて言ったっけ?」状態の対象について思考することが出来ませんし。
短期記憶の「マジックナンバー7」とかよく言いますが、あれの一スロットには、一個の長期記憶の一要素(音節や単語や位置や情景や人物など)と、その属性(主語であるとか、N音目であるとか、他のスロットの語との受け係りだとか)が入るので、これがそのまま言語化する直前の素のデータ構造と解釈してもいいはずです。# 記憶要素の捉え方はクオリア同様に個人的で感覚的ですし、記憶を言語的に扱う人には言語化した思考と区別が難しいかも
言語化して思考するときは、この短期記憶のデータが即時言語野で言語化され、言語化された文章を言語野で保持することで思考を補助している感じですね。空間認識や視覚座標を組み合わせて思考するときも、座標的な認識を保持する能力を短期記憶外に持たせることで思考の補助になりますし。この思考補助は言語野とかそういう区分ではなく後天的に獲得した思考補助機能(テトリス思考とかのそれ)も含みます。数値計算にしても、計算能力が混乱している場合に言語野や視覚野や運動野で代用して計算することがありますが、そういう感覚。言語的記憶だと言語機能の使用・不使用がわかりにくいですが、計算能力やテトリス思考の類であれば意識的に使用・不使用を切り替える事も可能なはずです。
特に意識しない場合でも言語野を連動させるのは、現代社会ではそれが楽だからそうしているだけだと思います。自分の場合、幼稚園や小学校低学年くらいの頃は言語化しないで思考していた覚えがあります。何時の頃からか意識しないと言語化しない思考が出来なくなっていて、言語化しない思考の思考速度も落ちて行きましたが。自分的には、言語や位置認識を思考に組み込むと複雑な思考が楽になり誤り率が下がる代わりに、単純な思考に関してはオーバヘッドががっつり効いて来る感じ。
# こっぱずかしい自分理論なんでAC# バイリンガルですらねぇし
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翻訳はしない (スコア:4, 興味深い)
外国語が得意な人の脳内構造は以下のとおり。
Input / Output
----------+-----------
外国語 | 日本語 // 言語処理デーモン
----------+------------
OS
---------------------
hardware (マシン語が使われる)
---------------------
こうではありません。
Input / Output
--------------------------
日本語 [ 外国語 ]
-----------------------
OS
---------------------
hardware
---------------------
外国語の入出力時には日本語コンポーネン
Re:翻訳はしない (スコア:1)
「hardware」では本当に「マシン語」が使われてるのかな?
「マシン語」は、「日本語」や「外国語」とは無関係なのだろうか?
Re:翻訳はしない (スコア:2)
ヒトの場合、マシン語相当のものが存在する可能性が高いと言われています。
Universal Grammer / UG / 普遍文法 あたりの語で調べるとその辺の議論が見つかります。
Re:翻訳はしない (スコア:1)
普遍文法ってのは、文法学習において、先天的に獲得している知識(文法の素)のことでしょ?
普遍文法だけで思考・論理を組み立てることができるの?
それとも、後天的に獲得した言語を使って思考・論理を組み立てているの?
私の言っているのは、そういうことです。
Re: (スコア:0)
この分野に詳しくなく、ただの想像ですが
体系的な言葉を持っていない動物や、原始人はでも、
1・地面に動物が横たわっている。
2・いやなにおいがしない。
3・過去の経験を根拠として、これは食べられるに違いない。
というように、本能( ROM焼付けプログラム?) 以外に、論理的思考がないと生まれないのではないか?という
行動パターンは現在でも観察できると思います。面白いですね。
Re: (スコア:0)
PC を例にして説明したので、どの高級言語にも依存しない「マシン語」という言葉を使いましたが、
言語が発せられる前の、プリミティブな意識を言ってます。
人がムカッとした「気分」になったときは、「むかつく」と日本語で表現しなくても怒り顔になるはずです。
「怒りの意識」
------> 日本語「むかつく!」で出力
-----> 顔の筋肉組織「むかついた顔」
筋肉組織は日本語を認識しなくても、最初にあるプリミティブな怒りの意識に働きかけられ動くのです。
この「プリミティブな意識」の存在は、バイリンガル以上の人じゃないと「ウンウン」と理解してもらえないかも。
Re:翻訳はしない (スコア:1)
「怒りの意識」程度の単純なものであれば、プリミティブな意識で説明できると思います。
しかし、ある程度以上複雑な意識・思考を、言語と無関係に発することはできるか、ってことです。
二ヶ国語以上に堪能な人でも、ある言語でしゃべってるときはその言語で思考している、って言う人もいますし。
計算機アーキテクチャの様にきっちり分けられるような性質のものじゃないんじゃないか、って疑問ですね。
Re:翻訳はしない (スコア:1)
自分の捉え方なんで正確な話ではないですが、思考に言語化は必須ではないが言語化すると思考能力を補強できるって所だと思いますよ。
第一、思考に言語が必須なら「えーと、あれ?なんて言ったっけ?」状態の対象について思考することが出来ませんし。
短期記憶の「マジックナンバー7」とかよく言いますが、あれの一スロットには、一個の長期記憶の一要素(音節や単語や位置や情景や人物など)と、その属性(主語であるとか、N音目であるとか、他のスロットの語との受け係りだとか)が入るので、これがそのまま言語化する直前の素のデータ構造と解釈してもいいはずです。
# 記憶要素の捉え方はクオリア同様に個人的で感覚的ですし、記憶を言語的に扱う人には言語化した思考と区別が難しいかも
言語化して思考するときは、この短期記憶のデータが即時言語野で言語化され、言語化された文章を言語野で保持することで思考を補助している感じですね。
空間認識や視覚座標を組み合わせて思考するときも、座標的な認識を保持する能力を短期記憶外に持たせることで思考の補助になりますし。
この思考補助は言語野とかそういう区分ではなく後天的に獲得した思考補助機能(テトリス思考とかのそれ)も含みます。
数値計算にしても、計算能力が混乱している場合に言語野や視覚野や運動野で代用して計算することがありますが、そういう感覚。
言語的記憶だと言語機能の使用・不使用がわかりにくいですが、計算能力やテトリス思考の類であれば意識的に使用・不使用を切り替える事も可能なはずです。
特に意識しない場合でも言語野を連動させるのは、現代社会ではそれが楽だからそうしているだけだと思います。
自分の場合、幼稚園や小学校低学年くらいの頃は言語化しないで思考していた覚えがあります。
何時の頃からか意識しないと言語化しない思考が出来なくなっていて、言語化しない思考の思考速度も落ちて行きましたが。
自分的には、言語や位置認識を思考に組み込むと複雑な思考が楽になり誤り率が下がる代わりに、単純な思考に関してはオーバヘッドががっつり効いて来る感じ。
# こっぱずかしい自分理論なんでAC
# バイリンガルですらねぇし