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仕事がなくなっても生活のための十分な収入があったらどうなるのだろうか?# 全員が遊び人に!?
ただし、現代の社会(日本だけか?)は、ほとんどの構成要素が「働く」という前提でできているため、その前提から一時的に外れるとしても、その前提(心理的にも制度的にもある)に抵抗する必要があります。
#なんで、自他共に認める形で精神疾患で休業して、健康保険の傷病手当金の申請するのにここまで困難なんだと思う。##医者行って、勤務先に行って、健保の事務所行って...やり直しとかいろいろあるし。一週間単位で結果を待たされるし.....しかも、地方だとそれぞれが遠い。###全然休養している気がしない....かろうじて動けるからかえって悪いのか。動けなければあきらめちゃうんだろうな。####休職中の税金、保険、年金などの話が会社から来てないから、催促しないと、最悪、未払いの可能性が.....
まあ「働く/働かない」って事を「勝ち/負け」で表現したがる気持ちも分かるようなもんで。
>医者や、勤務先の事務担当や、健保や、ただし、それを繋いで、傷病手当金の申請を成り立たせる事ができるかは本人の働きにかかっているわけで。終わるまで療養に専念できんわけですわ。療養するための仕組みのはずなんですが。書類回すだけでもどっかでやってほしいですよ。問題が時間だけなら割り切るけど。
#今回は「傷病手当金」の存在を勤務先に教えて説明する事、後ろ暗いものでもないし、会社にリスクはないという事を認めさせるところから始まりました。##大体、前回の経験上、休職中の税金、保険、年金などを相殺する程度という認識です#さすがに医者は話が通るのですが、慎重というか書類を書いてもらうのはそれなりにこっちも手順がいります#7月分の書類がまだ健保まで持って行けてない。昨日やっと書類(の記述)が揃った。#医者を理不尽に変えられたせいで、既に健保でストレートに認められるかちょっとあやしい状況。医者が認める療養期間が細切れになった。##変えられた経緯は、ホントーに理不尽な理由。#田舎で公共交通機関で動いてたらやってられない。車で動けるようになるという前提も障害になっている。
#うーん、書かなかったのですが、15年前に同様の状況になった時は前の会社でほとんどやってもらえたので、傷病手当金が申請できるか否かについてはあまり考えずに、比較的すぐに療養に専念できたんですよね。というより存在知らんかったわけだし。関東にいた時ですが。
まあ、傷病手当金の話だけに限定しますが、第三者に話をしたところ、反応が「えー、お得な制度があるんですね〜」だったり、「いいなー、働かずに金がもらえて」という反応だったりします。保険金を払っていたという事がよくわかってないし、休職中は給与0で税金、保険、年金などでマイナスになるという意識すらない。#というか、会社(社長)からしてそういう認識が無かったという事がこないだわかった....orz。小さい会社なんで、社長の認識が全てです。事務は奥さんに丸投げする状況というのも最近わかった。私は何年騙されてたんだ....。
ついでに皮肉を。
療養の原因の一つになった直前の仕事は、フェーズは設計でしたが、結局、年レベルで遅延し、私としては「仕事」として成り立たない状況でした。ビジネスとしては成り立つようにしましたが。#設計書はとうの昔にできていたが、現実的なレビューがされなかった
その間、周囲(自社内、他協力会社、おそらくクライアントも)は「仕事してない」という認識で、まあ、実際ほとんどは仕事はしてなかったようなもんですが。レビューの催促、もしくはレビューができない理由を引き出す事(私が仕事にならない理由を説明するため)を精神疾患になるレベルでやりつづける事になったわけですが....。
で、ここにいたって、「そういう状況を続ける事自体がビジネスとして正しい=だからそれが仕事だ」という解釈がある(というかそれが多数派?)という事実にぶち当たりました。
そして、療養せざるを得なくなり、また「仕事してない」とみなされる状況になりました。問題は「仕事しているか/否か」ではなく、「会社に所属しているか/否か」もしくは「賃金労働者であるか/否か」であり、前者が肯定され、後者が否定されているだけなんでしょうね。特に「◯◯に所属しているか」が重要ポイント。
さて、「仕事をする/しない」ってなんでしょうかね。
#なまじ、ビジネスとして成り立っちゃったのがまずかったんだろうな。成り立ってなかったら、話が終わってた。成り立たせ続けるのはクライアントの「気遣い」と思ってたり、そういう態度だったけど、気遣いになってないよな
さらに蛇足を
まあ、客観的に見れば、「こいつ仕事なかったはずなのに、なんで倒れた(倒れたと言い出した)んだろう...」と思われている可能性もあるわけで。#それももう確認のしようもない
もう一つ皮肉を
>ただし、現代の社会(日本だけか?)は、ほとんどの構成要素が「働く」という前提でできているため、
と書きましたが、実際、実家(地方でさらに田舎)で夏休み状態になってみると、実は周囲はほとんど「毎日が夏休み」状態なんじゃないかという状況に見えてきました。実際、ほとんどの構成要素が「働く」という前提すら、もう怪しいし、今後怪しくなっていく方向にあるのは確かですし。#いや、「毎日が夏休み」状態の人にはかないませんわ
少し前にドキュメントで中東産油国(サウジだったと思うが記憶不明瞭)で若者達に 国家が小遣いを配るので働く必要がなく、若者達は趣味に興じる毎日、と言うのを 紹介していました。 今の所それで十分に回っているみたいですが、その親世代は情勢の変化による 『働かないといけない状況』に陥った時を危惧していました。
仕事優先で、その合間に趣味を細々とこなす身としましては羨ましい限りですが、 趣味だけでは精神的に育たないですよねえ(^^; まあ仕事すればメンタル完璧な訳でもないですが('・c_・` )
ナウルなんかは今まさに「働かなきゃいけないのに働くという概念が無い」状態らしいな。
職に就くことは社会的尊敬などアイデンティティの維持に大きく貢献していますので、金があってもだらだらしているだけなら荒れるでしょうね
仕事も経済も人間も、流れることが重要。
働いてお金を天下に回し、うんと喰って動いてきちんと出す。
喰わないダイエット、消費しない経済はよいことはない。(文化として消費しないのはありです)
# 映画ウォーリーのようになりたいけどなったら終わり。
必要なのは収入。収入があるなら仕事なんかいらない。社会的尊敬がないとアイデンティティが保てないとか、他人に依存しすぎ。
むしろ音楽家とか芸術家は「いかにして生活費を稼ぐのか?」が永遠のテーマだったような。
甲子園を目指す高校球児のように、金があって仕事がなければ、なにかのスポーツや芸術にでも打ち込んでみるとかありかもしれない。#まあそれは自分のガラではないけどね。
野球やってる高校生が金があるとは言えないでしょ。
数年先までは親が食わしてくれるだろうけど、その先はプロになれなきゃ普通のサラリーマン以下の人生が待ってるんだから。
あ、すまん。たとえが分かり難かったか。
条件として「(生活する)金があって仕事がなければ、」やることが「甲子園を目指す高校球児のようになにかのスポーツや芸術にでも打ち込んでみる」とかありかもしれない。
という話。
「高校生は(親のすね囓ってるので、)仕事はなくてど生活費の心配をせずに何かに打ち込める」というだけであって、「高校生が金持ち」だの「一生遊んで暮らせる金がある」って話ではない。
別ACだけど話がずれてないかい?収入が十分で仕事がないならスポーツに打ち込むのも悪くないな、というだけの話でしょ。
野球に打ち込む高校生だって、金の心配がない社会でプロに与えられるのは恐らく名声くらいでしょう。それであれば遊びと変わらないと思う。
芸術に限らず学問もそうだから、今の社会があるのは暇があってこそ。採集狩猟生活から農耕生活に移行し生活に余裕ができるから学問が興る。
暇に溺れる人も少なからずいるだろうが、人という遺伝子的には暇を有効に使える。
むしろ狩猟採集民の方が労働時間は短いのが普通です。焼畑農耕,集約潅漑農業,産業革命と移行するにつれてできる余裕は「暇」ではなくて物質的余剰です。
山内昶『経済人類学への招待―ヒトはどう生きてきたか』ちくま新書,1994年によると,ヒトの労働時間は,狩猟採集民で男性1~3時間,女性1~4時間程度,焼畑農耕民は男性3~4時間,女性4~5時間程度となっています(この本には具体的なデータが載っています)。この講義資料 [sip21c.org]の11ページが参考になると思います。
多くは収入が必要だから、作曲家は曲を、学者は論文を発表するんじゃないかな。
中には自分の成果を他人に見てもらわないと気が済まないって人もいるんだろうけど、金が充分あったら音楽を聴くだけ、本を読むだけになる人も結構いると思う。
現代では学者は収入のために論文を書くのですが、100年200年前は研究は生活の心配をする必要が無い金持ちがやることでした。
金を稼ぐことを目的としない絵や音楽や文章やその他諸々がこれだけネットにあふれているのに、どうしてそういう発想になるのかわからない。人間の承認欲求を低く見積すぎじゃないか?
100年200年後には、生活の心配をする必要のなくなった人間が研究するようになるといいですね
採集狩猟生活から農耕生活に移行し生活に余裕ができるから学問が興る。
古代ローマ等は奴隷に仕事をやらせて暇になったから、だけど東洋はどうだったのだろう?似たようなもん?
自分を過信しすぎてるな
> 過信しすぎ
こんな表現を見ると、ちょっと頭痛が痛いのですが。
人が自分を実際よりも過信するのは当たり前過信しないのは無理だから過信はいい、過信し過ぎが良くない
こういうこと?
信<過信<過信しすぎ<過信カムチャッカインフェルノゥ
そういう人が多く居ることは否定しないけど、個人的には仕事は人生最大の時間の無駄であってお金があるなら働きたくない。結局はお金のために経営者の目的遂行の手伝いをしてるだけなんだよね。自分の目的ではないし、目的を共有できる経営者に出会った事もない。企業経営の普遍的目的は収益を挙げることなんだろうから仕方ないけど、自分はそもそもお金に興味が無いし。お金が無いと個体を維持できないから仕方無く
> そう言う人も居る。所詮は※個人の感想です なので社会制度上考慮する事が出来ないほど少数派なのかは判らない。
+1
そこは個性だろうな。
黙々と創作するのが好きな芸術家肌にとっては仕事=金だろうし、今ある問題を殲滅するぜヒャッハーな技術屋にとっては仕事=金+人生の潤いだろう。
それはわかるんだけど、逆に、非就業者に対する蔑視を当然とする世間の風潮、あれ、なんなんだろう。社会の構造上どうしたって失業者は発生してしまうし、失業は犯罪でも何でもないし、自分がいつ、どんな理由で失業してしまうかもしれないのに、どうしてそこまで冷酷に当たれる?「雇用の流動化」とやらで、この辺の意識も変わってくんのかな、と思ってたんだけど、変わらんねえ。
いち自営業者としては、仕事の有る時期も無い時期も、どっちも存在して当たり前と思うのだけど。
別のコメントでも書いたけど、単に「自分たちと違う」「理解の外にある」というものに対する反応でしか無い気がする。
人によってというか、場合によって、ポイントは就業者/非就業者、賃金労働者/非賃金労働者、ホワイトカラー/ブルーカラー、一次産業/二次産業/三次産業....、etc だったりしますし。#話広げ過ぎかな。でも、仕事に関する蔑視、偏見とかいう話をするとそれらが混同されているような気がする
失業してるから冷酷にあたるんじゃなくて、金のない奴に親切にする理由がないだけでしょう。
一生食っていけるだけの資産を持ったうえでブラブラしてる人が蔑視されてるのを見たことはありません。
「勤労の義務」とか「働かざる者喰うべからず」とかの言葉のイメージからのアプローチでも説明できそうだけど、どっちかと言えば「無職と言えばまともに仕事もできない無能」みたいなレッテルを貼って分かった気になる精神構造のせいではないかと。
「オタクと言えばアニメかアイドルに入れあげてるキモい喋りの童貞キモデブ」とかそういう類の、なんというか言葉の定義範囲を勝手に限定するタイプのレッテル貼り。ただの偏見持ちなだけでなく、自分がその言葉に込める狭義を社会全体が共有していると思い込んでる面倒くさいタイプ。「やーい無職」と言えば”無職”という言葉につきまとう悪いイメージをまるごと相手に載せられると思い込んでいて、実際は無職にどんな様々なケースがあるかは全く気にしていない。むしろ説明なしに勝手な意味を後付けしまくって理解者がどんどん減っていってしまう。すらどでもたまに見る、「なんかを批難しているようだけど意味不明の熟語やカタカナ語を駆使してて意味不明なコメント」はたいていこれ。
その資産が親から受け継いだものなら、蔑視されることも多々あると思います。自分で築いた物なら誰に文句を言われることもないと思いますが。
そうかね?
親の資産で遊んでる人は尊敬はされないまでも失業して食っていけなくなったか近い将来そうなるであろう人ほど軽蔑されることはないと思いますけど。
国家がアイデンティティを提供してくれますので、その点は大丈夫です。
国家に頼る人が近ごろは増えているようで。
古代ギリシャみたいに哲学者だらけになるんじゃない?
現代だと、どこぞのサイトで書き込みつづけて、割れ窓理論(?)の実験を始めたり、フレーマーをおちょくったりするんじゃないですかね。#小人を閑居させとくとろくな事しやしねえ
#小人を閑居させとくとろくな事しやしねえ
夜中に小人さんを働かせるのにはそういう理由があったのか。
小人さんは運転を代わってくれるんだぞ。たまに計算間違うけど。
つまり、共産主義に移行するんだよ。
一部の人が、仕事しなくても生きていける状況なら普通にあるわけですが、この場合は、周りにあくせく仕事する人がいるので、比較して「遊び」ができるわけで、理解しやすい。
思考実験として、全員が仕事しなくても生活できる状況になっても、遊び人でいられるかという。ちょっと考えにくい。仮に仕事が全くなくなっても、「子育てというジョブ」はありますよね。楽しい子育てならする?そんな楽しいことばかりなわけもない。それすらもすべてロボットに委ねたら、それはもう人間なのだろうか。
> 子育てというジョブ
むしろ、子供自身にとって、勉強するというジョブがありますね。大人になっても仕事しなくていいのであれば、勉強する動機はかなり弱まるんじゃないかと思います。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
仕事がなくなっても生活のための十分な収入があったらどうなるのだろうか?
# 全員が遊び人に!?
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:2)
ただし、現代の社会(日本だけか?)は、ほとんどの構成要素が「働く」という前提でできているため、
その前提から一時的に外れるとしても、その前提(心理的にも制度的にもある)に抵抗する必要があります。
#なんで、自他共に認める形で精神疾患で休業して、健康保険の傷病手当金の申請するのにここまで困難なんだと思う。
##医者行って、勤務先に行って、健保の事務所行って...やり直しとかいろいろあるし。一週間単位で結果を待たされるし.....しかも、地方だとそれぞれが遠い。
###全然休養している気がしない....かろうじて動けるからかえって悪いのか。動けなければあきらめちゃうんだろうな。
####休職中の税金、保険、年金などの話が会社から来てないから、催促しないと、最悪、未払いの可能性が.....
まあ「働く/働かない」って事を「勝ち/負け」で表現したがる気持ちも分かるようなもんで。
#存在自体がホラー
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
>医者や、勤務先の事務担当や、健保や、
ただし、それを繋いで、傷病手当金の申請を成り立たせる事ができるかは本人の働きにかかっているわけで。終わるまで療養に専念できんわけですわ。療養するための仕組みのはずなんですが。書類回すだけでもどっかでやってほしいですよ。問題が時間だけなら割り切るけど。
#今回は「傷病手当金」の存在を勤務先に教えて説明する事、後ろ暗いものでもないし、会社にリスクはないという事を認めさせるところから始まりました。
##大体、前回の経験上、休職中の税金、保険、年金などを相殺する程度という認識です
#さすがに医者は話が通るのですが、慎重というか書類を書いてもらうのはそれなりにこっちも手順がいります
#7月分の書類がまだ健保まで持って行けてない。昨日やっと書類(の記述)が揃った。
#医者を理不尽に変えられたせいで、既に健保でストレートに認められるかちょっとあやしい状況。医者が認める療養期間が細切れになった。
##変えられた経緯は、ホントーに理不尽な理由。
#田舎で公共交通機関で動いてたらやってられない。車で動けるようになるという前提も障害になっている。
#うーん、書かなかったのですが、15年前に同様の状況になった時は前の会社でほとんどやってもらえたので、傷病手当金が申請できるか否かについてはあまり考えずに、比較的すぐに療養に専念できたんですよね。というより存在知らんかったわけだし。関東にいた時ですが。
まあ、傷病手当金の話だけに限定しますが、第三者に話をしたところ、反応が
「えー、お得な制度があるんですね〜」だったり、「いいなー、働かずに金がもらえて」という反応だったりします。保険金を払っていたという事がよくわかってないし、休職中は給与0で税金、保険、年金などでマイナスになるという意識すらない。
#というか、会社(社長)からしてそういう認識が無かったという事がこないだわかった....orz。小さい会社なんで、社長の認識が全てです。事務は奥さんに丸投げする状況というのも最近わかった。私は何年騙されてたんだ....。
#存在自体がホラー
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
ついでに皮肉を。
療養の原因の一つになった直前の仕事は、フェーズは設計でしたが、
結局、年レベルで遅延し、私としては「仕事」として成り立たない状況でした。
ビジネスとしては成り立つようにしましたが。
#設計書はとうの昔にできていたが、現実的なレビューがされなかった
その間、周囲(自社内、他協力会社、おそらくクライアントも)は「仕事してない」という認識で、まあ、実際ほとんどは仕事はしてなかったようなもんですが。
レビューの催促、もしくはレビューができない理由を引き出す事(私が仕事にならない理由を説明するため)を精神疾患になるレベルでやりつづける事になったわけですが....。
で、ここにいたって、「そういう状況を続ける事自体がビジネスとして正しい=だからそれが仕事だ」という解釈がある(というかそれが多数派?)という事実にぶち当たりました。
そして、療養せざるを得なくなり、また「仕事してない」とみなされる状況になりました。
問題は「仕事しているか/否か」ではなく、「会社に所属しているか/否か」もしくは「賃金労働者であるか/否か」であり、前者が肯定され、後者が否定されているだけなんでしょうね。
特に「◯◯に所属しているか」が重要ポイント。
さて、「仕事をする/しない」ってなんでしょうかね。
#なまじ、ビジネスとして成り立っちゃったのがまずかったんだろうな。成り立ってなかったら、話が終わってた。成り立たせ続けるのはクライアントの「気遣い」と思ってたり、そういう態度だったけど、気遣いになってないよな
#存在自体がホラー
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
さらに蛇足を
まあ、客観的に見れば、「こいつ仕事なかったはずなのに、なんで倒れた(倒れたと言い出した)んだろう...」と思われている可能性もあるわけで。
#それももう確認のしようもない
#存在自体がホラー
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
もう一つ皮肉を
>ただし、現代の社会(日本だけか?)は、ほとんどの構成要素が「働く」という前提でできているため、
と書きましたが、実際、実家(地方でさらに田舎)で夏休み状態になってみると、実は周囲はほとんど「毎日が夏休み」状態なんじゃないかという状況に見えてきました。
実際、ほとんどの構成要素が「働く」という前提すら、もう怪しいし、今後怪しくなっていく方向にあるのは確かですし。
#いや、「毎日が夏休み」状態の人にはかないませんわ
#存在自体がホラー
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
少し前にドキュメントで中東産油国(サウジだったと思うが記憶不明瞭)で若者達に
国家が小遣いを配るので働く必要がなく、若者達は趣味に興じる毎日、と言うのを
紹介していました。
今の所それで十分に回っているみたいですが、その親世代は情勢の変化による
『働かないといけない状況』に陥った時を危惧していました。
仕事優先で、その合間に趣味を細々とこなす身としましては羨ましい限りですが、
趣味だけでは精神的に育たないですよねえ(^^;
まあ仕事すればメンタル完璧な訳でもないですが('・c_・` )
Re: (スコア:0)
ナウルなんかは今まさに「働かなきゃいけないのに働くという概念が無い」状態らしいな。
Re: (スコア:0)
職に就くことは社会的尊敬などアイデンティティの維持に大きく貢献していますので、金があってもだらだらしているだけなら荒れるでしょうね
Re: (スコア:0)
仕事も経済も人間も、流れることが重要。
働いてお金を天下に回し、うんと喰って動いてきちんと出す。
喰わないダイエット、消費しない経済はよいことはない。
(文化として消費しないのはありです)
# 映画ウォーリーのようになりたいけどなったら終わり。
Re: (スコア:0)
必要なのは収入。収入があるなら仕事なんかいらない。
社会的尊敬がないとアイデンティティが保てないとか、他人に依存しすぎ。
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
むしろ音楽家とか芸術家は「いかにして生活費を稼ぐのか?」が永遠のテーマだったような。
甲子園を目指す高校球児のように、金があって仕事がなければ、なにかのスポーツや芸術にでも
打ち込んでみるとかありかもしれない。
#まあそれは自分のガラではないけどね。
Re: (スコア:0)
野球やってる高校生が金があるとは言えないでしょ。
数年先までは親が食わしてくれるだろうけど、その先はプロになれなきゃ
普通のサラリーマン以下の人生が待ってるんだから。
Re: (スコア:0)
あ、すまん。たとえが分かり難かったか。
条件として「(生活する)金があって仕事がなければ、」
やることが「甲子園を目指す高校球児のようになにかのスポーツや芸術にでも打ち込んでみる」とか
ありかもしれない。
という話。
「高校生は(親のすね囓ってるので、)仕事はなくてど生活費の心配をせずに何かに打ち込める」
というだけであって、「高校生が金持ち」だの「一生遊んで暮らせる金がある」って話ではない。
Re: (スコア:0)
別ACだけど話がずれてないかい?
収入が十分で仕事がないならスポーツに打ち込むのも悪くないな、というだけの話でしょ。
野球に打ち込む高校生だって、金の心配がない社会でプロに与えられるのは恐らく名声くらいでしょう。
それであれば遊びと変わらないと思う。
Re: (スコア:0)
芸術に限らず学問もそうだから、今の社会があるのは暇があってこそ。
採集狩猟生活から農耕生活に移行し生活に余裕ができるから学問が興る。
暇に溺れる人も少なからずいるだろうが、人という遺伝子的には暇を有効に使える。
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:3, 興味深い)
むしろ狩猟採集民の方が労働時間は短いのが普通です。焼畑農耕,集約潅漑農業,産業革命と移行するにつれてできる余裕は「暇」ではなくて物質的余剰です。
山内昶『経済人類学への招待―ヒトはどう生きてきたか』ちくま新書,1994年によると,ヒトの労働時間は,狩猟採集民で男性1~3時間,女性1~4時間程度,焼畑農耕民は男性3~4時間,女性4~5時間程度となっています(この本には具体的なデータが載っています)。この講義資料 [sip21c.org]の11ページが参考になると思います。
Minato NAKAZAWA, Ph.D. Demographer, Human Ecologist
Re: (スコア:0)
多くは収入が必要だから、作曲家は曲を、
学者は論文を発表するんじゃないかな。
中には自分の成果を他人に見てもらわないと気が済まない
って人もいるんだろうけど、金が充分あったら
音楽を聴くだけ、本を読むだけになる人も結構いると思う。
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
現代では学者は収入のために論文を書くのですが、100年200年前は研究は生活の心配をする必要が無い金持ちがやることでした。
Re: (スコア:0)
金を稼ぐことを目的としない絵や音楽や文章やその他諸々がこれだけネットにあふれているのに、
どうしてそういう発想になるのかわからない。
人間の承認欲求を低く見積すぎじゃないか?
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
100年200年後には、生活の心配をする必要のなくなった人間が研究するようになるといいですね
Re: (スコア:0)
古代ローマ等は奴隷に仕事をやらせて暇になったから、だけど東洋はどうだったのだろう?似たようなもん?
Re: (スコア:0)
自分を過信しすぎてるな
Re: (スコア:0)
> 過信しすぎ
こんな表現を見ると、ちょっと頭痛が痛いのですが。
Re: (スコア:0)
人が自分を実際よりも過信するのは当たり前
過信しないのは無理
だから過信はいい、過信し過ぎが良くない
Re: (スコア:0)
こういうこと?
信<過信<過信しすぎ<過信カムチャッカインフェルノゥ
Re: (スコア:0)
職に就くことは社会的尊敬などアイデンティティの維持に大きく貢献していますので、金があってもだらだらしているだけなら荒れるでしょうね
そういう人が多く居ることは否定しないけど、個人的には仕事は人生最大の時間の無駄であってお金があるなら働きたくない。
結局はお金のために経営者の目的遂行の手伝いをしてるだけなんだよね。自分の目的ではないし、目的を共有できる経営者に出会った事もない。企業経営の普遍的目的は収益を挙げることなんだろうから仕方ないけど、自分はそもそもお金に興味が無いし。お金が無いと個体を維持できないから仕方無く
Re: (スコア:0)
> そう言う人も居る。所詮は※個人の感想です なので社会制度上考慮する事が出来ないほど少数派なのかは判らない。
+1
Re: (スコア:0)
そこは個性だろうな。
黙々と創作するのが好きな芸術家肌にとっては仕事=金だろうし、
今ある問題を殲滅するぜヒャッハーな技術屋にとっては仕事=金+人生の潤いだろう。
Re: (スコア:0)
それはわかるんだけど、逆に、非就業者に対する蔑視を当然とする世間の風潮、あれ、なんなんだろう。
社会の構造上どうしたって失業者は発生してしまうし、失業は犯罪でも何でもないし、
自分がいつ、どんな理由で失業してしまうかもしれないのに、どうしてそこまで冷酷に当たれる?
「雇用の流動化」とやらで、この辺の意識も変わってくんのかな、と思ってたんだけど、変わらんねえ。
いち自営業者としては、仕事の有る時期も無い時期も、どっちも存在して当たり前と思うのだけど。
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
別のコメントでも書いたけど、単に
「自分たちと違う」「理解の外にある」というものに対する反応でしか無い気がする。
人によってというか、場合によって、ポイントは就業者/非就業者、賃金労働者/非賃金労働者、ホワイトカラー/ブルーカラー、一次産業/二次産業/三次産業....、etc だったりしますし。
#話広げ過ぎかな。でも、仕事に関する蔑視、偏見とかいう話をするとそれらが混同されているような気がする
#存在自体がホラー
Re: (スコア:0)
失業してるから冷酷にあたるんじゃなくて、
金のない奴に親切にする理由がないだけでしょう。
一生食っていけるだけの資産を持ったうえでブラブラしてる人が
蔑視されてるのを見たことはありません。
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
「勤労の義務」とか「働かざる者喰うべからず」とかの言葉のイメージからのアプローチでも説明できそうだけど、
どっちかと言えば「無職と言えばまともに仕事もできない無能」みたいなレッテルを貼って分かった気になる精神構造のせいではないかと。
「オタクと言えばアニメかアイドルに入れあげてるキモい喋りの童貞キモデブ」とかそういう類の、なんというか言葉の定義範囲を勝手に限定するタイプのレッテル貼り。
ただの偏見持ちなだけでなく、自分がその言葉に込める狭義を社会全体が共有していると思い込んでる面倒くさいタイプ。
「やーい無職」と言えば”無職”という言葉につきまとう悪いイメージをまるごと相手に載せられると思い込んでいて、実際は無職にどんな様々なケースがあるかは全く気にしていない。
むしろ説明なしに勝手な意味を後付けしまくって理解者がどんどん減っていってしまう。
すらどでもたまに見る、「なんかを批難しているようだけど意味不明の熟語やカタカナ語を駆使してて意味不明なコメント」はたいていこれ。
Re: (スコア:0)
その資産が親から受け継いだものなら、蔑視されることも多々あると思います。
自分で築いた物なら誰に文句を言われることもないと思いますが。
Re: (スコア:0)
そうかね?
親の資産で遊んでる人は尊敬はされないまでも
失業して食っていけなくなったか近い将来そうなるであろう人ほど
軽蔑されることはないと思いますけど。
Re: (スコア:0)
国家がアイデンティティを提供してくれますので、その点は大丈夫です。
Re: (スコア:0)
国家に頼る人が近ごろは増えているようで。
Re: (スコア:0)
古代ギリシャみたいに哲学者だらけになるんじゃない?
Re:それは仕事と生活のための収入がなくなったときの話 (スコア:1)
現代だと、どこぞのサイトで書き込みつづけて、割れ窓理論(?)の実験を始めたり、
フレーマーをおちょくったりするんじゃないですかね。
#小人を閑居させとくとろくな事しやしねえ
#存在自体がホラー
Re: (スコア:0)
#小人を閑居させとくとろくな事しやしねえ
夜中に小人さんを働かせるのにはそういう理由があったのか。
Re: (スコア:0)
小人さんは運転を代わってくれるんだぞ。たまに計算間違うけど。
Re: (スコア:0)
つまり、共産主義に移行するんだよ。
Re: (スコア:0)
一部の人が、仕事しなくても生きていける状況なら普通にあるわけですが、
この場合は、周りにあくせく仕事する人がいるので、比較して「遊び」ができるわけで、理解しやすい。
思考実験として、全員が仕事しなくても生活できる状況になっても、遊び人でいられるかという。
ちょっと考えにくい。
仮に仕事が全くなくなっても、「子育てというジョブ」はありますよね。
楽しい子育てならする?そんな楽しいことばかりなわけもない。
それすらもすべてロボットに委ねたら、それはもう人間なのだろうか。
Re: (スコア:0)
> 子育てというジョブ
むしろ、子供自身にとって、勉強するというジョブがありますね。
大人になっても仕事しなくていいのであれば、勉強する動機はかなり弱まるんじゃないかと思います。