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多元的民主主義pluralistic democracyというのは、過去の革命や革命もどきや自称新国家維新体制が常に無視してきたしろもので、参政権を人民に形式的に与えればいいというものではなく、例えば以下のようなことが要件になる。・多様なものの考え方を容認する・人権及び人身について実効性の高い保障手段を充実させる(前政権担当者の人権を含む。暗殺などもってのほか)・平和裏に政権が争われ、平和裏に政権を交代する・選挙を政敵潰しのための人民投票手段にしないフランス革命もロシア革命も(もちろんワイマール後のナチスも、部分的には大阪やイラン革命も)上のようなことは実行できていなかったことを考えればチュニジア革命政府のこころざしの高さがわかるだろうし、多元主義を国是にしている北欧から見ればノーベル賞にしたくなるのもわかる。
# 憲法9条では平和賞のライバルにもなれんな
すまん。受賞は政府じゃないのだね。
安保法案に反対している奴らが刑務所にぶち込まれなかったり、反対派に首相が暗殺されないところを見ると日本もそれが当たり前なんだよな何か実現するための条件とかあるんだろうか
それは「国民国家」って幻想でしょ?
「国家」→「国=家」→「国民は相互が家族のような関係」、だっけ?丸山先生が「国民国家は共同幻想」って著作なしていたんでは?
この「幻想」が共通理念として、「国民」どうしで共有できれば民主主義はなんらかの形で実現できる。アラブ民主主義とかも幻想を理念として「国民」をまとめていられたのだろう(サハド期のエジプトなど)
幻想が成り立っていないのは、例えば民族連合体の幻想としての「帝国」(19世紀墺帝国とか20世紀満州国とか:結局支配民族の利益優先でだめ)部族連合体の幻想としての「国」(国益よりも(民族より小さい概念の)出身部族の利益
「国家」→「国=家」→「国民は相互が家族のような関係」、だっけ?
違う、といってよいかと思います。「国民国家」は “nation state” の訳語です。 “state” に「家」のような含意はありません。
丸山先生が「国民国家は共同幻想」って著作なしていたんでは?
丸山眞男のことであれば、彼はそのような論考は残していません。
近いのはベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』でしょうか。これは、「国民」というまとまりがリアルな感情を呼び起こし、前時代と比べて比較にならないほど強力な政治的統合を生み出したことに着目し、その経緯を論じた本です。
近代日本における国民国家形成が家族国家論をモデルにしたという話ではないかと。まぁ、一般論ではないのは確か。
で、共同幻想論は、吉本隆明(ばななのパパ)。吉本は丸山真男論も書いているので、ゴッチャになったのかもですね。
> 民主的な選挙で政権を覆すことが出来ることは細川・鳩山政権誕生で照明できているわけだ。
ついでに、一時のノリで無能なやつを持ち上げるとみんなが酷い目にあうということも証明されたようで。
しかし、懲りずに安倍なんかを大勝させちゃったから懲りてないな
まったくだ、政治家として100点満点で10点ぐらいしかつけられない政治家が大勝するなんてとんでもない世の中だ。
もっとも民主やら共産やらには0点どころかマイナスな輩しか居ないから仕方ないのだが。
多元主義ってのは言ってみればエリート主義を潰すためだけに考え出されたギミックなんで、そんないいもんじゃないよ。都市の政治を牛耳ってるのは、労組と漁協と農協の仲立ちをする「調停者」みたいな感じの趣旨だから(調停者は見かけ上エリートだが、彼には決断する権利がなく、実際の権力は労組と漁協と農協に源泉として存在する)。
だから、多様な意見の存続とはほぼ全く関係ない。なぜって意見はどんな統制をしても勝手に割れる。中国が一つの確固とした思想と信条のもと習近平と旧勢力が殴り合いしてるのと一緒。プルーラリズムではその仲立ちをする存在に権力が集まっているように見える。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
革命政府が多元的民主主義を構築するというのは稀有なことである (スコア:0)
多元的民主主義pluralistic democracyというのは、過去の革命や革命もどきや自称新国家維新体制が常に無視してきたしろもので、
参政権を人民に形式的に与えればいいというものではなく、例えば以下のようなことが要件になる。
・多様なものの考え方を容認する
・人権及び人身について実効性の高い保障手段を充実させる(前政権担当者の人権を含む。暗殺などもってのほか)
・平和裏に政権が争われ、平和裏に政権を交代する
・選挙を政敵潰しのための人民投票手段にしない
フランス革命もロシア革命も(もちろんワイマール後のナチスも、部分的には大阪やイラン革命も)上のようなことは実行できていなかったことを考えれば
チュニジア革命政府のこころざしの高さがわかるだろうし、多元主義を国是にしている北欧から見ればノーベル賞にしたくなるのもわかる。
# 憲法9条では平和賞のライバルにもなれんな
Re: (スコア:0)
すまん。受賞は政府じゃないのだね。
日本は割とそれに近いな (スコア:0)
安保法案に反対している奴らが刑務所にぶち込まれなかったり、反対派に首相が暗殺されないところを見ると日本もそれが当たり前なんだよな
何か実現するための条件とかあるんだろうか
Re: (スコア:0)
それは「国民国家」って幻想でしょ?
「国家」→「国=家」→「国民は相互が家族のような関係」、だっけ?
丸山先生が「国民国家は共同幻想」って著作なしていたんでは?
この「幻想」が共通理念として、「国民」どうしで共有できれば民主主義はなんらかの形で実現できる。
アラブ民主主義とかも幻想を理念として「国民」をまとめていられたのだろう(サハド期のエジプトなど)
幻想が成り立っていないのは、例えば
民族連合体の幻想としての「帝国」(19世紀墺帝国とか20世紀満州国とか:結局支配民族の利益優先でだめ)
部族連合体の幻想としての「国」(国益よりも(民族より小さい概念の)出身部族の利益
Re:日本は割とそれに近いな (スコア:1)
違う、といってよいかと思います。「国民国家」は “nation state” の訳語です。 “state” に「家」のような含意はありません。
丸山眞男のことであれば、彼はそのような論考は残していません。
近いのはベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』でしょうか。これは、「国民」というまとまりがリアルな感情を呼び起こし、前時代と比べて比較にならないほど強力な政治的統合を生み出したことに着目し、その経緯を論じた本です。
Re: (スコア:0)
近代日本における国民国家形成が家族国家論をモデルにしたという話ではないかと。まぁ、一般論ではないのは確か。
で、共同幻想論は、吉本隆明(ばななのパパ)。吉本は丸山真男論も書いているので、ゴッチャになったのかもですね。
Re: (スコア:0)
> 民主的な選挙で政権を覆すことが出来ることは細川・鳩山政権誕生で照明できているわけだ。
ついでに、一時のノリで無能なやつを持ち上げるとみんなが酷い目にあうということも証明されたようで。
Re: (スコア:0)
しかし、懲りずに安倍なんかを大勝させちゃったから懲りてないな
Re: (スコア:0, おもしろおかしい)
まったくだ、政治家として100点満点で10点ぐらいしかつけられない政治家が大勝するなんてとんでもない世の中だ。
もっとも民主やら共産やらには0点どころかマイナスな輩しか居ないから仕方ないのだが。
Re: (スコア:0)
多元主義ってのは言ってみればエリート主義を潰すためだけに考え出されたギミックなんで、そんないいもんじゃないよ。都市の政治を牛耳ってるのは、労組と漁協と農協の仲立ちをする「調停者」みたいな感じの趣旨だから(調停者は見かけ上エリートだが、彼には決断する権利がなく、実際の権力は労組と漁協と農協に源泉として存在する)。
だから、多様な意見の存続とはほぼ全く関係ない。なぜって意見はどんな統制をしても勝手に割れる。中国が一つの確固とした思想と信条のもと習近平と旧勢力が殴り合いしてるのと一緒。プルーラリズムではその仲立ちをする存在に権力が集まっているように見える。