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岡山でラウンドアバウトが昔あって、交通量の増加とともに無くなったみたいな記事 [newsweekjapan.jp]があったりするけど、実際に岡山にラウンドアバウトがあったことはなく、計画したけれど、実際の交通量と比べたら全然足りない直径だったと、区画整理の後に気づくという、超体たらくの結果なのです。というか、地図見ればわかるけど、あんなにたくさんラウンドアバウトが稼働してたら、日本中に有名になってるよ。
岡山でラウンドアバウトが昔あって、交通量の増加とともに無くなったみたいな記事があったりする
それは誤読ですね。昔岡山にあったのは、従来型の円形交差点。優先関係が逆になっている現代的ラウンドアバウトとは違うものです。件の記事 [newsweekjapan.jp]でもきちんと区別されています。
少なくとも、 清輝橋駅交差点 [google.co.jp]、大雲寺交差点 [google.co.jp]、大供交差点 [google.co.jp]、柳川交差点 [google.co.jp]を見る限り、直径が足りないから運用されてなかった
いや、だから運用されていたのを知っているの?自分のヨーロッパの経験上、あの直径でさばける量のころの岡山を俺は知らない。ていうか地元で聞いたことがない。もし知っていたら教えろ。俺も地元のこと知らないの恥ずかしいから。
そうでなく当て推量なら黙ってて。
いや、だから運用されていたのを知っているの?
いや、運用されていた、なんてことは書いてないが。運用されていて、その後運用されなくなったのだとしたら(仮定)、直径云々より、交通量増とか路面電車とかが理由だったんじゃないか、と言っているわけ。
自分のヨーロッパの経験上、あの直径でさばける量のころの岡山を俺は知らない。
今でこそ岡山市も政令指定都市で人口70万以上だけど、戦前は多くて17万人程度で、現在の1/4に満たない。自動車に至っては、本格的な普及は戦後。1965年で、現在の保有台数の1/10程度。戦前だともっと少なくて、1/100未満ってこともあり得るんじゃないかな。
君が例えば、1985年生まれだとすると、「あの直径でさばける量のころの岡山を俺は知らない」は正しいと思う。君の記憶の頃の自動
とりあえず、「私自身の記憶」を理由として挙げますが、少なくとも1975年ぐらいの時点では、少なくとも柳川、大雲寺、清輝橋交差点は、十字路な交差点でした。でもって、少なくとも柳川交差点は、今と同じあの円形でした。(大雲寺と清輝橋は交差点の形が記憶に残ってないですが、それ以降交差点の形が変わった記憶もないので、たぶん今と同じ形。)
あのあたりは大雲寺~柳川あたりの東側が市の中心部な上に、昔は市を南北に抜ける中心的なルートがこの国道30号と53号を結ぶラインなので日中は恒常的にかなり渋滞してるレベルの交通量。今は他にも南北に抜けるルートができたし、ここ3~40年レベルなら昔の方が交通量は多かったと思う。
さらに昔の話になると、国道2号線が大雲
ここ50~60年のスパンで見るなら「昔の方が交通量多かったと思うし、今の交通量で無理なら昔はもっと無理だっただろう」(≒今の交通量的にラウンドアバウトが無理なら、ラウンドアバウトが実運用されていた可能性は低いだろう)と思います。
50年前1965年ならそうかもしれませんね。
ただ、60年前1955年は、さすがに今よりは少なかったはずです。マイカー元年1966年の10年以上前、スバル360発売の1958年よりも3年前ですからね。
ちなみに、1966年のトラック・バスなどの大型車も含めた自動車保有台数は約884万台、2013年は7609万台。もっとも、自動車道の整備も進んでいなかったので、混雑具合を単に自動車保有台数で比較するわけにはいきませんが。
とりあえず、テキトーにググったレベルでは、戦後の復興都市計画による [okayama.jp]岡山駅前の道路の拡幅工事は1963年にできあがった [geocities.jp]みたいです。で、その拡幅工事が終わったばかりの柳川交差点(「拡幅工事が終わったばかりの駅前通り、正面が城下 (昭和38年7月30日午後)」というキャプションな写真の、一番左上)は十字路。
というわけで「戦災の復興後に今の形になってからは、一時的にでもラウンドアバウトとして運用された可能性はかなり低い」と思います。
柳川交差点については、既に指摘 [dion.ne.jp]されいて、戦後のものであること、円形交差点としては運用されなかったことが判っています。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
設計が大事 (スコア:1)
岡山でラウンドアバウトが昔あって、交通量の増加とともに無くなった
みたいな記事 [newsweekjapan.jp]があったりするけど、
実際に岡山にラウンドアバウトがあったことはなく、計画したけれど、実際の交通量と
比べたら全然足りない直径だったと、区画整理の後に気づくという、超体たらくの結果なのです。
というか、地図見ればわかるけど、あんなにたくさんラウンドアバウトが稼働してたら、
日本中に有名になってるよ。
Re: (スコア:1)
岡山でラウンドアバウトが昔あって、交通量の増加とともに無くなった
みたいな記事があったりする
それは誤読ですね。
昔岡山にあったのは、従来型の円形交差点。
優先関係が逆になっている現代的ラウンドアバウトとは違うものです。
件の記事 [newsweekjapan.jp]でもきちんと区別されています。
Re: (スコア:0)
という話になるけど実際に多数運用されてたの?
一部では運用されてた?
Re: (スコア:1)
少なくとも、 清輝橋駅交差点 [google.co.jp]、大雲寺交差点 [google.co.jp]、大供交差点 [google.co.jp]、柳川交差点 [google.co.jp]を見る限り、直径が足りないから運用されてなかった
Re: (スコア:0)
いや、だから運用されていたのを知っているの?
自分のヨーロッパの経験上、あの直径でさばける量のころの岡山を俺は知らない。
ていうか地元で聞いたことがない。
もし知っていたら教えろ。俺も地元のこと知らないの恥ずかしいから。
そうでなく当て推量なら黙ってて。
Re: (スコア:1)
いや、だから運用されていたのを知っているの?
いや、運用されていた、なんてことは書いてないが。
運用されていて、その後運用されなくなったのだとしたら(仮定)、直径云々より、交通量増とか路面電車とかが理由だったんじゃないか、と言っているわけ。
自分のヨーロッパの経験上、あの直径でさばける量のころの岡山を俺は知らない。
今でこそ岡山市も政令指定都市で人口70万以上だけど、戦前は多くて17万人程度で、現在の1/4に満たない。
自動車に至っては、本格的な普及は戦後。
1965年で、現在の保有台数の1/10程度。
戦前だともっと少なくて、1/100未満ってこともあり得るんじゃないかな。
君が例えば、1985年生まれだとすると、「あの直径でさばける量のころの岡山を俺は知らない」は正しいと思う。
君の記憶の頃の自動
Re: (スコア:1)
とりあえず、「私自身の記憶」を理由として挙げますが、
少なくとも1975年ぐらいの時点では、少なくとも柳川、大雲寺、清輝橋交差点は、十字路な交差点でした。
でもって、少なくとも柳川交差点は、今と同じあの円形でした。
(大雲寺と清輝橋は交差点の形が記憶に残ってないですが、それ以降交差点の形が変わった記憶もないので、たぶん今と同じ形。)
あのあたりは
大雲寺~柳川あたりの東側が市の中心部な上に、昔は
市を南北に抜ける中心的なルートがこの国道30号と53号を結ぶラインなので
日中は恒常的にかなり渋滞してるレベルの交通量。
今は他にも南北に抜けるルートができたし、ここ3~40年レベルなら昔の方が交通量は多かったと思う。
さらに昔の話になると、国道2号線が大雲
Re:設計が大事 (スコア:1)
ここ50~60年のスパンで見るなら「昔の方が交通量多かったと思うし、今の交通量で無理なら昔はもっと無理だっただろう」(≒今の交通量的にラウンドアバウトが無理なら、ラウンドアバウトが実運用されていた可能性は低いだろう)と思います。
50年前1965年ならそうかもしれませんね。
ただ、60年前1955年は、さすがに今よりは少なかったはずです。
マイカー元年1966年の10年以上前、スバル360発売の1958年よりも3年前ですからね。
ちなみに、1966年のトラック・バスなどの大型車も含めた自動車保有台数は約884万台、2013年は7609万台。
もっとも、自動車道の整備も進んでいなかったので、混雑具合を単に自動車保有台数で比較するわけにはいきませんが。
Re:設計が大事 (スコア:1)
とりあえず、テキトーにググったレベルでは、
戦後の復興都市計画による [okayama.jp]岡山駅前の道路の拡幅工事は1963年にできあがった [geocities.jp]みたいです。で、その拡幅工事が終わったばかりの柳川交差点(「拡幅工事が終わったばかりの駅前通り、正面が城下 (昭和38年7月30日午後)」というキャプションな写真の、一番左上)は十字路。
というわけで「戦災の復興後に今の形になってからは、一時的にでもラウンドアバウトとして運用された可能性はかなり低い」と思います。
Re:設計が大事 (スコア:1)
というわけで「戦災の復興後に今の形になってからは、一時的にでもラウンドアバウトとして運用された可能性はかなり低い」と思います。
柳川交差点については、既に指摘 [dion.ne.jp]されいて、戦後のものであること、円形交差点としては運用されなかったことが判っています。