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不便だから改善している、ってだけでは?足の不自由な人がいたとして、不便だから車イスなり義足なりをつけてるんであって、不自由だから薬を飲んでいるってことでしょ。知識だってあると便利だからつけてる、なにかがある自分とない自分は可換だけど同一ではなく互いに異なる、どっちの自分にもなれる。
その回答の後半でも説明しているように、問題を避けて通れなくなるのは犯罪が絡んできたときなんだよ。
脳の器質的な異常で、暴力的だったり他人への共感能力に欠ける人が、他人を傷つけるような犯罪を犯したとする。そして、そういった性向が投薬などの医学的な治療で改善可能な場合、果たして治療が与えられていないときに犯した犯罪は、その人の罪として責任を問えるのか?持って生まれた脳の異常故に犯してしまったと考えられるのに、という問題が出てくる。
犯罪が起きて、被害者がいる状況では「あるがままを受け入れ、人為的に白黒つける必要はない」という立場は取れなくなる。
このパターンなら日本では無罪だと思います。そして治療して社会復帰するってことになり、被害者は泣き寝入り、民事で損害賠償を争うことになりそうです。
> あらゆる犯罪者は、脳に器質的な異常があった、と言えるのではないですか。
それはないんじゃないですかね。「犯罪」は、究極的には殺人でさえ社会的な状態を経ないと「犯罪」はあり得ませんからね。
例えば、意図して殺したとしても、戦争状態では「英雄」と言われます。
金を持ってれば、窃盗しようが何だろうが「犯罪」にならない可能性は高い。
ちょっと言いにくいけど、性犯罪なんかまさに、です。。
「犯罪」の難しい所は「個人」と「社会」の間にあるから難しいのでは。少なくとも「犯罪」を個人だけの特性に還元することは不可能だと思います。
だから、いろいろ納得できないところはあるけど、「自分で企図出来てない」場合には無罪にしているわけで。
> 同じ社会的状態なら、人はみな同じ行動をするのですか?
それはそうですが、、でも、例えば「ずっと貧乏だった」人、A,Bと二人いたとして、Aの方が、たまたま強盗殺人をしたとして、Bの人は何もしなかったとしても。
Aの人の脳が、Bの人より、異常だと言われると、何かが違うと思います。その「貧乏」な状態を放置した社会の責任が少しはあるでしょう。
その論理だと強盗殺人ではなくて、革命を起こせと?そうすれば「犯罪」ではなくなるわけですが。なんせ裁くのは自分になりますからね。。
> 公正な裁判が行われたならば、
公正、、ねぃ。。それこそ「絶対」あり得ないですよね。ある意味必ず、社会的にどっかが偏るわけで。
人間なんて間違いばかりですよ。。でなきゃ冤罪なんて起こるわけがありません。
しかも、「有罪」か「無罪」かの境界線なんて、それこそ専門家ごとに、180度違う意見を言いかねません。
完全にきっかり、人間の行動が制御できるのなら「正常」「異常」を定義できるかもしれませんが、現代ではそれは無理だと思います。
ある人は有罪にされ、ある人は無罪にされる。公正な裁判が行われたならば、その違いは「脳」にあるという他ないでしょう。
そういう考えもあるかもしれませんが、裁判では一般的には医師による精神鑑定で判別します。刑法第39条の概要|責任能力有無の判断基準と39条が適用される対象 [keiji-pro.com]検察、裁判所、弁護人夫々で鑑定が行われますので、しばしば結果がわかれ争われることになりますが。どの鑑定結果を取るかは裁判官の判断となりますね。
Aの人の脳が、Bの人より、異常だと言われると、何かが違うと思います。 その「貧乏」な状態を放置した社会の責任が少しはあるでしょう。
社会の責任を全面的に認めるならば、Aの強盗殺人は犯罪ではないことになるので、Aの脳には異常が無くて良いです。 ある程度は本人の責任もあると考えて犯罪とするならば、その分は脳の異常だということになります。
公正、、ねぃ。。それこそ「絶対」あり得ないですよね
この話は精神疾患に対して公正な裁判を行おうと考えたときに生じる問題の話で、現実に公正な裁判が行われているかはあまり関係がありません。 世の中不正だらけだからこんなこと考える必要ないよ、と思う人は居るかも知れませんね。
通常はそんな哲学問答に付き合ううより医師の診断書とかで判断されるんじゃないですかね
いや、普通に有罪でしょう林先生も前後のQ&Aで
>刑事責任能力を負わなくてよいのは、犯行時に「心神喪失」と呼ばれる状態であった場合で、心神喪失とは、>「精神の障害のために、その行為が善いことか悪いことか全くわからなくなっている。>または、わかっていても、その判断に従って自分の行動をコントロールすることが全くできなくなっている」ことを指します。
と書いてますが、暴力的だったり共感能力が欠けるからといって行為についての認識ができないほどの状態になるとは思えないので
最終的には「悪」とか「罰を与える」という概念はなくなっていくのだろうね法律も生き残るだろうし刑務所も生き残るだろうけど、あくまでも社会秩序をたもつための更生施設という側面だけになるだろうそしてそれこそが本当の「罪を憎んで人を憎まず」の実現になるんだろう
日本の法律では単純に、・自分がしようとする行為が何を引き起こすか理解しているか・その結果がよくないもの、社会的に認められないものであることを理解しているか・理解できない場合、理解できていない責任が自分にあるかというのが基準だから、どんな病気や障害であろうと、他人を傷つける意図を持って傷つけた人は普通に裁かれます
林先生も書いているけど身体の欠損とかとは違ってどのような精神状態を正と認めるかどうかってのはある精神状態から発生した行動に対する責任はどこにあるのかって議論に繋がるわけ。
全ての状態がその人個人であり全ての状態で発生したあらゆる責任が個人にあるなんて単純な結論にはなってないでしょ現状の制度は。
「どっちの自分にもなれる」というのは不安定なので、患者としては当然避けたい。
で、この問題がより深刻なのは「社会適合できる状態」が「正しい自分」なのか、「社会不適合な状態」が「正しい自分」なのか、ということで、「社会的に正しくない」ことは「自分にとって不便」だから「改善」しているんだけど、「社会的に正しい状態に薬効でされている自分」は「正しい自分」なのかは「?」であるということが苦悩であり回答できないと言っている部分となる。
本質的には薬を飲む前の自分が社会不適合とされることが問題なので、不適合とされることがなければこの問題は発生しない。よって、自責化不能な他責問題となるので根本的には解決しない。のに、適合しないと生きていけないから無理やり合わせて、ずっと苦悩しながらすり減っていくしかない。
林医師の回答の最後の方にあるように「自由意思」にかかわる問題ととらえると難しいことになりますねぇ。投薬前後で投薬するかどうか自己の判断が異なる時には「自由意思」はどうなるのか。投薬する前の人格で「投薬したくない意志」があり、投薬後の人格では「投薬し続けたい意志」がある場合では。外部が治療で投薬して良いのか。
突き詰めると「社会(と言われるその人の周りの意見)が本当に正しいのか?」まで行っちゃうからねぇ。
夏休みだし暑いせいもあるけど、この手の話題は頭おかしい人が集まってくるよな
これは「真の自分」について悩んでいる病気の人と,その人に真剣に向き合おうとしているお医者さんの話です
お盆休みにもかかわらず,昼間っから一人でスラド見て,書き込みしているような連中には共感や理解は全くできないでしょう
呼んだ?〉頭おかしい
// 可笑しい人になりたい現役メンヘラ
君のその反応は間違っている。何故なら全く論理的でないから。感情が先走ったのかな?
その反応もまったく論理的に見えんよ誰かが書いた文章の意味を読み取れないなら、わかる言葉で詳しく説明してと書けば済むのに、攻撃的な感情をお持ちなんですね。
おまえらなにやってんだよ。友達と一緒に海にでも行こうぜ。
まさかとは思いますが、この「友達」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
真の、とかじゃなくて (スコア:1)
不便だから改善している、ってだけでは?
足の不自由な人がいたとして、不便だから車イスなり義足なりをつけてるんであって、
不自由だから薬を飲んでいるってことでしょ。
知識だってあると便利だからつけてる、
なにかがある自分とない自分は可換だけど同一ではなく互いに異なる、
どっちの自分にもなれる。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:1)
その回答の後半でも説明しているように、問題を避けて通れなくなるのは犯罪が絡んできたときなんだよ。
脳の器質的な異常で、暴力的だったり他人への共感能力に欠ける人が、他人を傷つけるような犯罪を犯したとする。
そして、そういった性向が投薬などの医学的な治療で改善可能な場合、
果たして治療が与えられていないときに犯した犯罪は、その人の罪として責任を問えるのか?
持って生まれた脳の異常故に犯してしまったと考えられるのに、という問題が出てくる。
犯罪が起きて、被害者がいる状況では「あるがままを受け入れ、人為的に白黒つける必要はない」という立場は
取れなくなる。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:2)
このパターンなら日本では無罪だと思います。
そして治療して社会復帰するってことになり、被害者は泣き寝入り、民事で損害賠償を争うことになりそうです。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:1)
脳の器質的な異常、て何でしょうか。
こころは脳から生まれ、その脳は単なる物質です。
あらゆる犯罪者は、脳に器質的な異常があった、と言えるのではないですか。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:2)
> あらゆる犯罪者は、脳に器質的な異常があった、と言えるのではないですか。
それはないんじゃないですかね。「犯罪」は、究極的には殺人でさえ
社会的な状態を経ないと「犯罪」はあり得ませんからね。
例えば、意図して殺したとしても、戦争状態では「英雄」と言われます。
金を持ってれば、窃盗しようが何だろうが「犯罪」にならない可能性は高い。
ちょっと言いにくいけど、性犯罪なんかまさに、です。。
「犯罪」の難しい所は「個人」と「社会」の間にあるから難しいのでは。
少なくとも「犯罪」を個人だけの特性に還元することは不可能だと思います。
だから、いろいろ納得できないところはあるけど、
「自分で企図出来てない」場合には無罪にしているわけで。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:1)
そうではないでしょう。
ある人は有罪にされ、ある人は無罪にされる。
公正な裁判が行われたならば、その違いは「脳」にあるという他ないでしょう。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:2)
> 同じ社会的状態なら、人はみな同じ行動をするのですか?
それはそうですが、、でも、例えば「ずっと貧乏だった」人、A,Bと二人いたとして、
Aの方が、たまたま強盗殺人をしたとして、Bの人は何もしなかったとしても。
Aの人の脳が、Bの人より、異常だと言われると、何かが違うと思います。
その「貧乏」な状態を放置した社会の責任が少しはあるでしょう。
その論理だと強盗殺人ではなくて、革命を起こせと?
そうすれば「犯罪」ではなくなるわけですが。なんせ裁くのは自分になりますからね。。
> 公正な裁判が行われたならば、
公正、、ねぃ。。それこそ「絶対」あり得ないですよね。
ある意味必ず、社会的にどっかが偏るわけで。
人間なんて間違いばかりですよ。。
でなきゃ冤罪なんて起こるわけがありません。
しかも、「有罪」か「無罪」かの境界線なんて、
それこそ専門家ごとに、180度違う意見を言いかねません。
完全にきっかり、人間の行動が制御できるのなら
「正常」「異常」を定義できるかもしれませんが、現代ではそれは無理だと思います。
刑法第39条 (スコア:1)
ある人は有罪にされ、ある人は無罪にされる。
公正な裁判が行われたならば、その違いは「脳」にあるという他ないでしょう。
そういう考えもあるかもしれませんが、裁判では一般的には医師による精神鑑定で判別します。
刑法第39条の概要|責任能力有無の判断基準と39条が適用される対象 [keiji-pro.com]
検察、裁判所、弁護人夫々で鑑定が行われますので、しばしば結果がわかれ争われることになりますが。どの鑑定結果を取るかは裁判官の判断となりますね。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:1)
Aの人の脳が、Bの人より、異常だと言われると、何かが違うと思います。
その「貧乏」な状態を放置した社会の責任が少しはあるでしょう。
社会の責任を全面的に認めるならば、Aの強盗殺人は犯罪ではないことになるので、Aの脳には異常が無くて良いです。
ある程度は本人の責任もあると考えて犯罪とするならば、その分は脳の異常だということになります。
公正、、ねぃ。。それこそ「絶対」あり得ないですよね
この話は精神疾患に対して公正な裁判を行おうと考えたときに生じる問題の話で、現実に公正な裁判が行われているかはあまり関係がありません。
世の中不正だらけだからこんなこと考える必要ないよ、と思う人は居るかも知れませんね。
Re: (スコア:0)
通常はそんな哲学問答に付き合ううより医師の診断書とかで判断されるんじゃないですかね
Re: (スコア:0)
いや、普通に有罪でしょう
林先生も前後のQ&Aで
>刑事責任能力を負わなくてよいのは、犯行時に「心神喪失」と呼ばれる状態であった場合で、心神喪失とは、
>「精神の障害のために、その行為が善いことか悪いことか全くわからなくなっている。
>または、わかっていても、その判断に従って自分の行動をコントロールすることが全くできなくなっている」ことを指します。
と書いてますが、暴力的だったり共感能力が欠けるからといって行為についての認識ができないほどの状態になるとは思えないので
Re: (スコア:0)
最終的には「悪」とか「罰を与える」という概念はなくなっていくのだろうね
法律も生き残るだろうし刑務所も生き残るだろうけど、あくまでも社会秩序をたもつための更生施設という側面だけになるだろう
そしてそれこそが本当の「罪を憎んで人を憎まず」の実現になるんだろう
Re: (スコア:0)
日本の法律では単純に、
・自分がしようとする行為が何を引き起こすか理解しているか
・その結果がよくないもの、社会的に認められないものであることを理解しているか
・理解できない場合、理解できていない責任が自分にあるか
というのが基準だから、どんな病気や障害であろうと、他人を傷つける意図を持って傷つけた人は普通に裁かれます
Re: (スコア:0)
林先生も書いているけど身体の欠損とかとは違って
どのような精神状態を正と認めるかどうかってのは
ある精神状態から発生した行動に対する責任はどこにあるのかって議論に繋がるわけ。
全ての状態がその人個人であり全ての状態で発生したあらゆる責任が個人にある
なんて単純な結論にはなってないでしょ現状の制度は。
Re: (スコア:0)
「どっちの自分にもなれる」というのは不安定なので、患者としては当然避けたい。
で、この問題がより深刻なのは「社会適合できる状態」が「正しい自分」なのか、「社会不適合な状態」が「正しい自分」なのか、ということで、
「社会的に正しくない」ことは「自分にとって不便」だから「改善」しているんだけど、
「社会的に正しい状態に薬効でされている自分」は「正しい自分」なのかは「?」であるということが苦悩であり回答できないと言っている部分となる。
本質的には薬を飲む前の自分が社会不適合とされることが問題なので、不適合とされることがなければこの問題は発生しない。
よって、自責化不能な他責問題となるので根本的には解決しない。
のに、適合しないと生きていけないから無理やり合わせて、ずっと苦悩しながらすり減っていくしかない。
自由意思 (スコア:2)
林医師の回答の最後の方にあるように「自由意思」にかかわる問題ととらえると難しいことになりますねぇ。
投薬前後で投薬するかどうか自己の判断が異なる時には「自由意思」はどうなるのか。
投薬する前の人格で「投薬したくない意志」があり、投薬後の人格では「投薬し続けたい意志」がある場合では。
外部が治療で投薬して良いのか。
Re: (スコア:0)
突き詰めると「社会(と言われるその人の周りの意見)が本当に正しいのか?」まで行っちゃうからねぇ。
Re: (スコア:0, おもしろおかしい)
夏休みだし暑いせいもあるけど、この手の話題は頭おかしい人が集まってくるよな
Re: (スコア:0)
これは「真の自分」について悩んでいる病気の人と,
その人に真剣に向き合おうとしているお医者さんの話です
お盆休みにもかかわらず,昼間っから一人でスラド見て,書き込みしているような連中には
共感や理解は全くできないでしょう
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:2)
呼んだ?〉頭おかしい
// 可笑しい人になりたい現役メンヘラ
死して屍 拾う者なし
Re: (スコア:0)
君のその反応は間違っている。
何故なら全く論理的でないから。
感情が先走ったのかな?
Re: (スコア:0)
その反応もまったく論理的に見えんよ
誰かが書いた文章の意味を読み取れないなら、わかる言葉で詳しく説明してと書けば済むのに、攻撃的な感情をお持ちなんですね。
Re:真の、とかじゃなくて (スコア:1)
おまえらなにやってんだよ。友達と一緒に海にでも行こうぜ。
Re: (スコア:0)
まさかとは思いますが、この「友達」とは、
あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。