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小中学校でトロッコ問題を取り扱うのが早いとすれば、いつならば妥当なのか。
高校生?高校では、大学入学のために「答えが明確に決まる物」しか教える時間が無いかもしれない。
では大学生?うーん、まあそうかもね。サンデル教授の「白熱教室」(これがトロッコ問題を有名にした)も、元はハーバード大学の講義から作られたものだし。
でも一方で、答えの無い問題を考えさせるっていうのは小学生の時にしかチャンスが無いようにも思う。特に、倫理的な話題についてはね。
判断基準は異なるが、同様に残酷で不安を感じさせるだろう「津波てんでんこ」は小学生にも教えてるな。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%... [wikipedia.org]小中学校で津波てんでんこが良くて、同時期にトロッコ問題を取り扱うのが駄目とする論理は何か?
他人の命と自分の命の違いじゃない?
ただ、てんでんこを自己責任に置き換えたらクレームくるかもしれない。
そりゃ、でんでんこは自分の命を守るための教えだし、トロッコ問題は思考実験だ。全く違うんだから、むしろ同じ論理を適用するために理屈が必要だよ。
大学生になるまでわからなかったことのほうが問題なのでは?
与えられたものしか知ろうとしないというのは個人の資質や家庭環境もあるでしょうけれど低きに合わせた結果が現代の体たらくなわけで
# ハンデキャップって底上げするものなのです
大学では遅すぎるどんなに遅くても選挙権を持つ前にはトロッコ問題のような諸々の事に対して自分の意見を持ってもらわなくては困る
ほぼ同感。
このスレについてさえ、「答の無い問題」というのを、「答がないから何を言っても良いよね。どんな答でも構わないよね。」と勘違いしてる人が多い感じ。#「答教えろ」もその同類。
日本人はディベート下手だの政治音痴だのといわれるが、それが露呈してる。
答の無い問題でも、より良い答を模索し続けなければならないし、決断しなければならない。決断せず問題を先送りするのは、えてして最悪の決断だ。
答が無い問題に向き合えない人は、もう一度小学校からやり直してもいいと思うわ。
答えのない問題を考えるというのは大事なことだし、小学生だって決して早すぎるとは思わない。ただ自分がその小学生の親だったとしたら、この題材はへっぽこな教師に取り上げてもらいたくない。安直だったり、変な色の付いた結論を押し付けられるのが怖い。懸念はそこだけだな。
> ただ自分がその小学生の親だったとしたら、この題材はへっぽこな教師に取り上げてもらいたくない。> 安直だったり、変な色の付いた結論を押し付けられるのが怖い。
どんだけ学校の先生に期待すんのかと?だいたい、あなたがいう「安直でない」授業ができたとして、別の親がそれに満足するのだろうか?こういう親の欲求に答えさせられてる今の学校の先生って、本当に可愛そうだと思う。
学校は、小学校から大学まで含めて、答えがある問題だけ教えてればいいと思います。こういうことをいうと「社会に出て困る」とかいう人がいるが、学校にこの世の森羅万象のすべてを教え
倫理的問題を道徳授業的な意味で身に着けさせるチャンスとしては小学生しかないでしょう。ただ答えのない問題ってのは「自分はこの答えを選ぶ。他社の選択も理解する」ってできる自己をもって初めて意味を成すので、確立した自己を持たない小学生向け問題ではないですね。
え?小学校から教えていい問題だよ。
小学生だって大人と同じ、この社会に生きる人間なんだ。問題解決のための学習なんか、この社会に生きる人間には必要不可欠だろう。
子供だって生死を分ける判断をしなきゃいけない時はある。生死を分ける問題のほうから小学生だからって避けてはくれない。
中卒で社会に出る人もいる。二輪車の免許も取得可能になる。当然そういう教育がなされて然るべき。それが義務教育というもの。
いずれの例も、中学卒業"後"にやり始める(習得する準備は整ってる)という例だまさしく新聞がちゃんと読めるくらいのレベルの例だなw
言い方の問題だと思ってる。もっと小中学生に身近な題材で倫理判断を考えさせればいい。
トロッコと死の組み合わせが飛び抜けて重たく、子供の感覚を超越しているとするなら、もっと彼らに身近な例えで真剣に考えさせる内容に言い換えればいい。この問題の本質って倫理感への問いでしょ。
つまり「自分は責任から逃げて大勢を犠牲にするか、あるいは自分が責任の一部になって大勢を救う代わりに少数を犠牲にするか」なんだから、例えば子供同士の諍いだとか、友人関係を例にして話せばリアルに伝わったんじゃないかなと。
トロッコ問題を子供から隠す事自体は賛成できない。考えさせるべき。ただ彼らにとっての身近な話に置き換えるべき。そうでないと伝わらないから。
「自分は責任から逃げて大勢を犠牲にするか、あるいは自分が責任の一部になって大勢を救う代わりに少数を犠牲にするか」
違います。このような書き方をすると自身が責任を負って少数を犠牲にするのが正解というミスリードを起こす可能性があります。論者の正義(ヒーロー)感やうしろめたさを排除するためにトロッコ問題においては単純に行動の是非について議論します。
新聞記事では「選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙い」と書かれていますので、正直なぜトロッコ問題を持ってきたのかよくわからないですが
トロッコ問題は単純にどちらの選択がより良いか、悪いかで終わらせていい問題ではないので取り扱わなくても良いとは思う答えの無い問いかけをして、しっかりと実の有る思考・議論に導ける教師いるのか?みたいなのもあるしね
けれど、すぐに体は大きく、力も強くなり、そして精神はアンバランスな時期を迎えるのに小中学生の段階で道徳観をしっかり叩き込まなくてどうするって気持ちもあるんだよね
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
小中学校で取り扱う問題ではない (スコア:2)
大人になる途上の未熟で未完成な個体である。
中学校の国語の教師が
卒業時に新聞が読めるようにするのが授業の目標だと
言っていたが、中学生はそんな程度なものですよ。
それならば、どの時点ならトロッコ問題を扱っても良いか (スコア:3)
小中学校でトロッコ問題を取り扱うのが早いとすれば、いつならば妥当なのか。
高校生?
高校では、大学入学のために「答えが明確に決まる物」しか教える時間が無いかもしれない。
では大学生?
うーん、まあそうかもね。
サンデル教授の「白熱教室」(これがトロッコ問題を有名にした)も、元はハーバード大学の講義から作られたものだし。
でも一方で、答えの無い問題を考えさせるっていうのは小学生の時にしかチャンスが無いようにも思う。
特に、倫理的な話題についてはね。
Re:それならば、どの時点ならトロッコ問題を扱っても良いか (スコア:3)
高校までは答えのある問題しか教えてくれない。
大学で拡散の講義をしていた教授が、
ここから先は私にもわかりません。
皆さんの研究に期待します。
というのを聞いて、
やっと学問の端っこに辿り着いたかと思ったものだ。
社会に出てからは分かっている事柄はごく僅かで、
ほとんどの事は分からない、世の中は分からないものだらけだ
ということがよく分かった。
Re: (スコア:0)
判断基準は異なるが、同様に残酷で不安を感じさせるだろう「津波てんでんこ」は小学生にも教えてるな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%... [wikipedia.org]
小中学校で津波てんでんこが良くて、同時期にトロッコ問題を取り扱うのが駄目とする論理は何か?
Re: (スコア:0)
他人の命と自分の命の違いじゃない?
ただ、てんでんこを自己責任に置き換えたらクレームくるかもしれない。
Re: (スコア:0)
そりゃ、でんでんこは自分の命を守るための教えだし、トロッコ問題は思考実験だ。
全く違うんだから、むしろ同じ論理を適用するために理屈が必要だよ。
Re: (スコア:0)
大学生になるまでわからなかったことのほうが問題なのでは?
与えられたものしか知ろうとしないというのは
個人の資質や家庭環境もあるでしょうけれど
低きに合わせた結果が現代の体たらくなわけで
# ハンデキャップって底上げするものなのです
Re: (スコア:0)
大学では遅すぎる
どんなに遅くても選挙権を持つ前にはトロッコ問題のような諸々の事に対して自分の意見を持ってもらわなくては困る
政治とディベート (スコア:1)
ほぼ同感。
このスレについてさえ、「答の無い問題」というのを、
「答がないから何を言っても良いよね。どんな答でも構わないよね。」
と勘違いしてる人が多い感じ。
#「答教えろ」もその同類。
日本人はディベート下手だの政治音痴だのといわれるが、それが露呈してる。
答の無い問題でも、より良い答を模索し続けなければならないし、決断しなければならない。
決断せず問題を先送りするのは、えてして最悪の決断だ。
答が無い問題に向き合えない人は、もう一度小学校からやり直してもいいと思うわ。
Re:それならば、どの時点ならトロッコ問題を扱っても良いか (スコア:1)
答えのない問題を考えるというのは大事なことだし、小学生だって決して早すぎるとは思わない。
ただ自分がその小学生の親だったとしたら、この題材はへっぽこな教師に取り上げてもらいたくない。
安直だったり、変な色の付いた結論を押し付けられるのが怖い。
懸念はそこだけだな。
そういうあなたがモンスター (スコア:0)
> ただ自分がその小学生の親だったとしたら、この題材はへっぽこな教師に取り上げてもらいたくない。
> 安直だったり、変な色の付いた結論を押し付けられるのが怖い。
どんだけ学校の先生に期待すんのかと?
だいたい、あなたがいう「安直でない」授業ができたとして、別の親がそれに満足するのだろうか?
こういう親の欲求に答えさせられてる今の学校の先生って、本当に可愛そうだと思う。
学校は、小学校から大学まで含めて、答えがある問題だけ教えてればいいと思います。
こういうことをいうと「社会に出て困る」とかいう人がいるが、学校にこの世の森羅万象のすべてを教え
Re: (スコア:0)
倫理的問題を道徳授業的な意味で身に着けさせるチャンスとしては小学生しかないでしょう。
ただ答えのない問題ってのは「自分はこの答えを選ぶ。他社の選択も理解する」ってできる自己をもって初めて意味を成すので、
確立した自己を持たない小学生向け問題ではないですね。
Re:小中学校で取り扱う問題ではない (スコア:1)
え?
小学校から教えていい問題だよ。
小学生だって大人と同じ、この社会に生きる人間なんだ。
問題解決のための学習なんか、この社会に生きる人間には必要不可欠だろう。
子供だって生死を分ける判断をしなきゃいけない時はある。
生死を分ける問題のほうから小学生だからって避けてはくれない。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
中卒で社会に出る人もいる。
二輪車の免許も取得可能になる。
当然そういう教育がなされて然るべき。
それが義務教育というもの。
Re: (スコア:0)
いずれの例も、中学卒業"後"にやり始める(習得する準備は整ってる)という例だ
まさしく新聞がちゃんと読めるくらいのレベルの例だなw
Re: (スコア:0)
言い方の問題だと思ってる。
もっと小中学生に身近な題材で倫理判断を考えさせればいい。
トロッコと死の組み合わせが飛び抜けて重たく、子供の感覚を超越しているとするなら、もっと彼らに身近な例えで真剣に考えさせる内容に言い換えればいい。
この問題の本質って倫理感への問いでしょ。
つまり「自分は責任から逃げて大勢を犠牲にするか、あるいは自分が責任の一部になって大勢を救う代わりに少数を犠牲にするか」なんだから、例えば子供同士の諍いだとか、友人関係を例にして話せばリアルに伝わったんじゃないかなと。
トロッコ問題を子供から隠す事自体は賛成できない。考えさせるべき。ただ彼らにとっての身近な話に置き換えるべき。そうでないと伝わらないから。
Re: (スコア:0)
「自分は責任から逃げて大勢を犠牲にするか、あるいは自分が責任の一部になって大勢を救う代わりに少数を犠牲にするか」
違います。
このような書き方をすると自身が責任を負って少数を犠牲にするのが正解というミスリードを起こす可能性があります。
論者の正義(ヒーロー)感やうしろめたさを排除するためにトロッコ問題においては単純に行動の是非について議論します。
新聞記事では「選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙い」と書かれていますので、正直なぜトロッコ問題を持ってきたのかよくわからないですが
Re: (スコア:0)
#どうせ正解はないんだから。
Re: (スコア:0)
トロッコ問題は単純にどちらの選択がより良いか、悪いかで終わらせていい問題ではないので取り扱わなくても良いとは思う
答えの無い問いかけをして、しっかりと実の有る思考・議論に導ける教師いるのか?みたいなのもあるしね
けれど、すぐに体は大きく、力も強くなり、そして精神はアンバランスな時期を迎えるのに
小中学生の段階で道徳観をしっかり叩き込まなくてどうするって気持ちもあるんだよね