アカウント名:
パスワード:
人間はエピソードを過去の経験との差分で認識してる。
単にSFの文書の方が、読者の日常との差異が大きく単語になじみがないから筋書きに払える注意力が落ちてるだけに見える。外国の話とか、古典とか、ファンタジーにしても同じようなことが起きるんじゃないかと。
でもなあ、フィクションに関しては、外国の話とか異世界の話とかの方がリアリティに対する要求水準が低くなって話に入りやすい気がする。
つまり、現代の日本の話として書かれたら、「こんなのあるわけない。ばか?ノンフィクションでも書いてろ」と思うような話でも、外国や異世界だったらまあOKになるわけだよ。
同感だなあ。「京のぶぶ漬け」みたいに、コンテキストが異なると意味が理解不可能になるという話。
人間相手なら「一昨日来やがれ」は「二度と来るな」と同じでも、時間旅行できるドクターフーやドラえもんなら「タイムマシンで二日前に移動して会いに行け」を意味するかもしれない。
携帯電話がない時代のドラマだとしばしば相手が不在でのすれ違いが起きていたのに、携帯電話登場後は相手に直接かけるのが普通になった。この状態で、逆に家の玄関にある黒電話で会話していたならば、「それには何か特殊な意味があるだろう」と想像する。未来SFで以前では普通だったことが普通でなくなれば、こういうことは至る所で起きるだろう。
それを読書体験を「貧しくする」というのは正反対だと思う。日常では体験できない思考実験は、むしろ読書の持つ楽しみの一つだから。
まるっと同意。読解力は読み手の素養(または書き手の描写力)次第という話だよな。
SFに限らず、平安日本、ローマ帝国時代のユダヤ、19世紀イギリスを知らない人間は源氏物語、ベン・ハー、シャーロック・ホームズの読解力は当然落ちる。つまり「平安日本」という前置だけで風景文化が想像できれば、詳しい描写は不要になる。
百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、写真や挿し絵がない時代の物語や記事は、何からなにまで文章で説明していたらしい。おもしろいのは、活版印刷の登場で、庶民の知識レベルが爆発的に上がると、物語や記事の描写は簡素になっていったこと。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
SFに限らず起こりそう (スコア:0)
人間はエピソードを過去の経験との差分で認識してる。
単にSFの文書の方が、読者の日常との差異が大きく単語になじみがないから筋書きに払える注意力が落ちてるだけに見える。
外国の話とか、古典とか、ファンタジーにしても同じようなことが起きるんじゃないかと。
Re:SFに限らず起こりそう (スコア:2, すばらしい洞察)
でもなあ、フィクションに関しては、外国の話とか異世界の話とかの方が
リアリティに対する要求水準が低くなって話に入りやすい気がする。
つまり、現代の日本の話として書かれたら、「こんなのあるわけない。ばか?
ノンフィクションでも書いてろ」と思うような話でも、外国や異世界だったら
まあOKになるわけだよ。
Re:SFに限らず起こりそう (スコア:1)
同感だなあ。
「京のぶぶ漬け」みたいに、コンテキストが異なると意味が理解不可能になるという話。
人間相手なら「一昨日来やがれ」は「二度と来るな」と同じでも、時間旅行できる
ドクターフーやドラえもんなら「タイムマシンで二日前に移動して会いに行け」を
意味するかもしれない。
携帯電話がない時代のドラマだとしばしば相手が不在でのすれ違いが起きていたのに、
携帯電話登場後は相手に直接かけるのが普通になった。この状態で、逆に家の
玄関にある黒電話で会話していたならば、「それには何か特殊な意味があるだろう」と
想像する。未来SFで以前では普通だったことが普通でなくなれば、こういうことは至る
所で起きるだろう。
それを読書体験を「貧しくする」というのは正反対だと思う。日常では体験できない
思考実験は、むしろ読書の持つ楽しみの一つだから。
Re:SFに限らず起こりそう (スコア:1)
まるっと同意。
読解力は読み手の素養(または書き手の描写力)次第という話だよな。
SFに限らず、平安日本、ローマ帝国時代のユダヤ、19世紀イギリスを知らない人間は
源氏物語、ベン・ハー、シャーロック・ホームズの読解力は当然落ちる。
つまり「平安日本」という前置だけで風景文化が想像できれば、詳しい描写は不要になる。
百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、
写真や挿し絵がない時代の物語や記事は、何からなにまで文章で説明していたらしい。
おもしろいのは、活版印刷の登場で、庶民の知識レベルが爆発的に上がると、
物語や記事の描写は簡素になっていったこと。