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左翼の人間から見て中道なら、それは左翼でしょう
それ以前に、既存メディアが取り上げない事象に 重みを置くと「左寄り」になるという理屈が理解 できないけど。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
市民参加って・・・ (スコア:1, 興味深い)
いざメディアとしての力を持った場合、
誰がどのように責任をとるのかが不明ですね。
いわゆる、「編集権」になると思うんですが、
そこをキチンとしておかないと、暴走しそうな気がして。
例えばソフトバンクがらみの悪いニュースは、
ネグられてしまうのではないか、とかね。
#既存メディア関係者なのでAC
Re:市民参加って・・・ (スコア:1)
すべて記名記事にする程度のことはしないと、大変なことになりそうだ。
#記名は実名である必要は無いかもしれないが。
Re:市民参加って・・・ (スコア:1, すばらしい洞察)
#既存メディアって結局そうでしょ
どんな形でニュースに参加したいですか? (スコア:1, 興味深い)
日本で「報道機関」がたたかれるのは
逆説的だけど、それらが「信頼されているから」だよね。
私には日本と韓国の状況はだいぶ違うように思えるのだけれど。
文章が有る != 読む価値を持つ情報が有る ですし、
報道の肝は「信用できるかどうか(正確性の担保と責任の明確化)」で、「情報がそこに有る」事じゃ無いです
私は、「報道機関の情報」への信頼度が「個人の情報」と同程度でしか無い場合でないと、特定の個人が提供している情報が常に大きく流通する、というような事は無いだろうという気がしますけどね。(まあ、記事のジャンルによるのでしょうけれど、日本では報道機関が提供している記事と個人の記事を同じ信頼度だ、と評価する人間は少数派だと思いますし、今後も日本の報道機関への信頼レベルがそこまで低下することはあり得ない、と思っています)
特定の報道機関に属していない個人が書いた「文章」を、信頼という意味合いで見て一定のレベルが保証された物として一覧できる、という意味ではLivedoorニュースも含めて、「Webニュースサイト」というのは面白い試みなのかもしれませんね。一生のうちにたった一つしかニュースを提供できなくても、そういう人間が100万人登録されていたら、ニュースサイトは運営できますから。信頼度はともかく、「個人系ニュースサイト」では既にサイト主(個人)の選択によるリンク集という形でそれが実現されていますよね。
でも、ニュースは本来どのように選択・伝達されるべきものなのでしょうね?
ニュースの選択という概念だと、/.は「場所が有って、編集者がいる」状態で、diggだと「場所が有って、編集者がいない」状態になります。そして例えば、「はてなブックマーク」をニュース風に編修して提供しているHatena Bookmark News [labs.ceek.jp]だと、「場所も編集者も存在していない」けれど、多くの人達から注目されているニュースは見えてくるのですよね。まあ、仕組みからいえば、このサイトのそもそもの源である「はてなブックマークの人気エントリーと注目エントリー」を眺めていても実態は同じですけれど、ジャンルが切ってあった方が遙かに読みやすいのです。
ブックマーク・ニュースの強い所は、一人一人が「限られた時間」をそれぞれの注目サイトに使うことによって、結果的に大規模な情報のふるい分けが出来ている所なのだと思います。「個人が書いているものは常に価値が高いとは限らない」という状況が、「そこを定期的に見ていて、価値がある・面白い情報が出た事をアナウンスする」不特定のアンテナ役の人達と、アンテナ役の推薦に対して「自分自身の価値判断を表明するブックマークを行う」多数の参加者によって補われているわけで、はてなの参加人数の多さも有って、マイナーな情報が拾いあげられて注目を集める状況も出ています。
その様な形だと、情報選択の精度は参加者の興味と知識レベルにも依存するわけですが、例えば、スラッシュドットのID持ちが同様のニュース評価システムによって情報をふるい分けしたら、特定分野で選択されて自動的に現れてきた情報の価値は高かろうね。( ここではコメントのモデレーションでそれをしているわけだけど) そういったわけで、多人数で情報を選択・共有する事には価値が有ると思って眺めています。これまでも共有によって情報を取捨選択する事を目指している試みはWeb上で複数動いているのですが、クローズで動いているシステムが多いんですよね … オープンの方が好きなんだけど。
結局の所、「誰にとって何がニュースなのか」、という事はいろいろなわけですが、なにゆえのハイパーリンクかという事も含めて考え直してみると、「ニュースを伝えるためには、同じ事柄について新たに文章を書き起こし、それを一定の場所に集め、さらに特定の人間がそれを編修しなければればいけないのかどうか」、という事を改めて思ったりします。
# 文章を書き起こす・編修するというのは大切な作業です
# でも選択の意思表示をする、というのも重要だと思うのですよね
# サイトを紹介していいものかどうか迷ったけどこの際だから載せます
Re:市民参加って・・・ (スコア:0)
Re:市民参加って・・・ (スコア:1)
#隅々まで読んでるわけではないですが、JanJanは結構偏り少なめに感じています。まあ過激な意見の記事が読みたいわけでもないですし。(感想は時々荒れてるようですけど。)
JANJAN(Re:市民参加って・・・) (スコア:1)
統計的に記事をカウントした訳では無いですけど、「右寄り」の記事や「プロ市民嫌い」な記事も結構載っているし、「左寄り」が大半を占めている訳では無い。
只、編集者の段階でエモーショナルな記事やアジテーション色の強い記事を排除している感じはしますね…思想の左右上下に関わらず。
そして、既存メディアが取り上げない事象に関する記事に重みを置いている。
その結果として「左寄り」の記事が表に出易い。と言う感じですね
…逆にコメント欄は「右寄り」ですらない厨房な書き込みによる議論が大半だったりしてうんざりしますが、それはそれで総体的にバランスを取ろうという努力なんだろうな。と好意的に捉えてはいますが。
Re:JANJAN(Re:市民参加って・・・) (スコア:0)
Re:JANJAN(Re:市民参加って・・・) (スコア:0)
左翼の人間から見て中道なら、それは左翼でしょう
それ以前に、既存メディアが取り上げない事象に 重みを置くと「左寄り」になるという理屈が理解 できないけど。
Re:JANJAN(Re:市民参加って・・・) (スコア:1)
主観的視点と客観的視点と言うものを無意識にごっちゃにして考える癖付いてませんか?
100%客観に見ることは無理でも、客観に見ている部分と主観で見ている部分は区別するようにしていますけど?
「既存メディアが取り上げない事について書かれている」かつ「感情的に書かれていない」記事をチョイスするとなると、今の日本では残念な事に比率的に「左より」の記事が多く残るという言論状況を簡単に述べたまでです。
# 右よりの人でも、戦前の言論人には良かった人が沢山いるんですけどね(;´Д`)戦中戦後にパージされてしまった(;´Д`)
# 今はそういう記事を右寄りでかける人は新右翼界隈の人位しかいなくなっているような感じもしている(;´Д`)
第一、中道という言葉自体が胡散臭い言葉なので、それで括ると相手と自分の主観だけで事象を評価することになるからややこしいことになるだけだと思うのですけど。
Re:JANJAN(Re:市民参加って・・・) (スコア:0)
Re:JANJAN(Re:市民参加って・・・) (スコア:0)
Re:市民参加って・・・ (スコア:1)
>編集(校閲)が気に入らなければ自らのサイトなどで発信し直すという事もできますよ。
なるほど。 それは良い方法ですね。
編集の結果により不本意な評価を浴びてしまった場合、
自サイトで「本当はこうなんです!」と言うことが
できるんですね。
逆に元原稿の方が批判を浴びる格好になる場合も
あるのでしょうケド。