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今、この瞬間に、元のACは差別される側に立った! 「差別される側でない」というレッテルを貼られ、差別されている!
それは自身の言動が原因であり、自分自身で(反論するなり、発言を修正するなり、撤回するなり)責任を負うことが可能で、当然責任を負うべきです。 しかし、部落差別の場合、たまたまそういう境遇に生まれただけで本人にはなんの責任もないでしょ。 自分には何の責任もないことで差別され、自分で原因を作ったわけでもないし、たいていは大っぴらに差別されるわけではないので、訂正も反論も出来ない。
差別されている人は、その差別に対して「闘っている」人たちのせいで差別構造が維持されてしまってるんじゃない?
本人がきちんと筋道立てて説明しても判ってもらえないような相手なら、結婚にせよ就職にせよ、その後の人生を賭けるに相応しくない相手なんじゃありませんか?
「お前の仲間が闘っているのが悪い」と言いますか? 「闘っている」人達と同類と見做される境遇に生まれたことに責任がないとしても。
それは話のすり替えです。
その「闘っている」ことによる良い影響(あるいは逆差別)の恩恵を被っているのですから。
では、その前の、あなたの話への反論はどうですか?
被差別部落に生まれたら、あるいは被差別部落出身者なら、無条件に逆差別の恩恵にあずかれるのですか?本人あるいはその家族が「闘って」いなくても。
例えば公共の施設が同和地区を優先して建てられる、などは全く珍しくありません。
従って、内々定取消し全ての中でどれだけが差別によるものかは判らない、と言ってるんです。母集合が正しく取れてないんですよ。
一方で、被差別部落出身者の内々定が取り消されたら、それは「部落出身だからだ」などとまことしやかに囁かれる。
ずっと気になっていたのですが、「被差別部落出身者である」と言うことは差別ですか? それが差別だというなら、例えば、誰かが私のことを「男性である」ということも差別になりますね?
憶測を、さも状況証拠のように書くやり方は卑怯だと思いますが。
ここで問題です、以下のモノに共通する要素を考えてみましょう。 ・総会屋の発行するやたら高価な謎の新聞 ・飲み屋の「おしぼり代」 ・全国部落地名総覧
人事部にそんな物が置いてあったことはほとんどありませんでしたね。
単純に「言葉」だけの問題ではない、ということは当然理解しておられると思いますが。 この手の言葉遊びにお付き合いする気はありません。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
また言葉狩りか (スコア:1, すばらしい洞察)
そもそも、こういう団体は「言論思想の自由」を軽視すぎる。
「差別は駄目」は「差別に関する言論思想は駄目」ではない。
この部分のバランス感覚が致命的に無い。だから言葉狩りしか出来ない。
Re:また言葉狩りか (スコア:1)
それは、差別される側としての発言ですか?だとしたら褒められた話だが。
しかし、そうでないなら一度、差別される側に立ってみなさい。
差別する側は「言論思想の自由」を持ち出せば、いくら他人を傷つけようが、知らん顔して許されると思っている事が多い。
他人が傷ついて、反論しても、「そんな細かいことに反応するなんて」と相手にしない。
それどころか、それをよけいにみんなで馬鹿にしたりする。
大げさにす
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re:また言葉狩りか (スコア:2)
>しかし、そうでないなら一度、差別される側に立ってみなさい。
今、この瞬間に、元のACは差別される側に立った!
「差別される側でない」とい
自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
それは自身の言動が原因であり、自分自身で(反論するなり、発言を修正するなり、撤回するなり)責任を負うことが可能で、当然責任を負うべきです。
しかし、部落差別の場合、たまたまそういう境遇に生まれただけで本人にはなんの責任もないでしょ。
自分には何の責任もないことで差別され、自分で原因を作ったわけでもないし、たいていは大っぴらに差別されるわけではないので、訂正も反論も出来ない。
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
さて、就職や結婚、その他もろもろで差別されているという事実がある、と主張する人は沢山いますが、一方で、差別されていない人も沢山いるんです。
差別されている人は、その差別に対して「闘っている」人たちのせいで差別構造が維持されてしまってるんじゃない?
ということですよ。
単純に言えば、
何で人の出入りの激しい大阪で差別が色濃く残っていて、
人の出入りの少ない福井県の田舎で同和問題が問題になってないの?
という話です。
ところで、「就職や結婚の際に不利益を被っている人」というのは、「大っぴらに差別されるわけではない」のですか?
2人の入社候補者がいて、採用枠が1人だけだったとします。
恐らく、被差別部落出身でない人が採用されなかった場合、それは何の問題にもならないでしょう。
ただ、1つの就職試験に落ちただけに過ぎません。
逆に、被差別部落出身者が採用されなかった場合、それは「部落差別」と呼ばれるかもしれません。
逆は決してそう呼ばれないにもかかわらず。
さて、暗黙の差別は表に出るでしょうか? どうしてこれで不利益といえるのでしょう?
結婚の場合は、もっと明白ですね。
どうしていけないのか、と言ったら、家柄とか血筋とか、そういうぼかした表現にしてもはっきりと理由を言ってくるでしょう。
それでも「大っぴらに差別されるわけではないので、訂正も反論も出来ない」のでしょうか?
本人がきちんと筋道立てて説明しても判ってもらえないような相手なら、結婚にせよ就職にせよ、その後の人生を賭けるに相応しくない相手なんじゃありませんか?
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
でも、「闘っていない」が「差別されている」人はどうなるんですか?
「お前の仲間が闘っているのが悪い」と言いますか?
「闘っている」人達と同類と見做される境遇に生まれたことに責任がないとしても。
それは話のすり替えです。
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
もちろん。
その「闘っている」ことによる良い影響(あるいは逆差別)の恩恵を被っているのですから。
「俺はこんな不正の恩恵を受けたくない」と言え、と言うのは間違っていますか?
あなたが言う、「あからさまに差別されるわけではないから説得できない」という点からは確かにすり替えですね。
では、その前の、あなたの話への反論はどうですか?
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
被差別部落に生まれたら、あるいは被差別部落出身者なら、無条件に逆差別の恩恵にあずかれるのですか?本人あるいはその家族が「闘って」いなくても。
差別が理由だとして、表に出てくるか?出てこないなら、なぜ「差別が理由」と言えるか?という議論ですね。
仰る通り、大っぴらに言う企業も個人の(めったに)いないでしょうね。
また、まったく伝わってこないなら、まだましだと思います。
中途半端に、非公式に伝わってくる方が腹立たしいと思いませんか?
この手の話は、具体的な実例を出さないと説得力がないと思いますが、私は被差別部落出身ではないので、「差別された」という具体例は持っていません。偶然、親戚に関係する例を知っているので、ちょっと具体例を。
これはどこから伝わってきた話かわかりません。ひょっとしたら生徒本人(あるいはそお身内)が騒いだのかも知れないし、企業から学校の上層部に内々に伝えてきたのかも知れません。
もう一点指摘しておきます。世の中には「全国部落地名総覧」みたいな本を出版している会社があり、それを購入する企業、個人もいるわけです。正確には覚えていませんが、一冊数万円したと思います。
これを何に使っていると思います?
目的もなく買っていると思いますか?
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
あえて乗ってみましょう。
>世の中には「全国部落地名総覧」みたいな本を(略
目的もなく買ってはいませんね。
ここで問題です、以下のモノに共通する要素を考えてみましょう。
・総会屋の発行するやたら高価な謎の新聞
・飲み屋の「おしぼり代」
・全国部落地名総覧
もっとも・・・
私は売られプログラマーとして、一流二流様々な会社へ行きましたが、人事部にそんな物が置いてあったことはほとんどありませんでしたね。
そこまで言うからには、どの程度普及しているのかお教え頂きたいモノです。
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
はい。
例えば公共の施設が同和地区を優先して建てられる、などは全く珍しくありません。
で、「反論」の件ですが、まず、ちゃんと読んでください。
私は、差別は統計上表に出てこない、と言ってるんです。
例1で、内々定を取り消された生徒が被差別部落民で「なかったら」どうですか、と言ってるんですよ。
そういう例が取り上げられることはないでしょう?
一方で、被差別部落出身者の内々定が取り消されたら、それは「部落出身だからだ」などとまことしやかに囁かれる。
従って、内々定取消し全ての中でどれだけが差別によるものかは判らない、と言ってるんです。母集合が正しく取れてないんですよ。
地名総覧については一言だけ。
ずっと気になっていたのですが、「被差別部落出身者である」と言うことは差別ですか?
それが差別だというなら、例えば、誰かが私のことを「男性である」ということも差別になりますね?
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
その通りだと思います。それゆえ これが「真」であるか「偽」であるかは、わからない。
「真である」証拠がないからと言って、全て「偽である」とは限らない、というのが私の立場です。
当然ですが、「偽である」証拠がないから全て「真である」などという主張は絶対しません。
単純に「言葉」だけの問題ではない、ということは当然理解しておられると思いますが。
この手の言葉遊びにお付き合いする気はありません。
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
仮に存在するとしても、大っぴらには出来ないと予想される事を臆測で論じたら卑怯ですか。
答えが先にあるようですね。
そんなモノを人目につく場所には普通置かないだろう、と臆測します。
総会屋の発行する新聞を講読している事がスキャンダルになるのと同様に。
問題の本質は (スコア:1)
客観的に差別の有無を判定する方法がない。
それゆえ
・仮に差別があっても、それを証明できない。また、差別に対抗するまっとうな方法がない。
→過剰防衛、ひいては逆差別を生んだ。
・仮に差別がないとしても、それを証明する方法がない。
→逆差別はなくならない(「わしらは差別されとる」という主張を否定できない。)
という構図になっている。
こういう構図を解消するには、不当な利権を生んでいる逆差別行為(あくまでも『行為』)を批難し、改めていくぐらいしか方法は無いのでしょうか?
#これ以上続けても泥沼にはまるだけだと思うので、降ります。
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
Re:自身に原因があるか/ないか (スコア:1)
でもそれが例えば田嶋陽子の口から出ると、往々に差別的意味が含まれている。
同様に「女性である」という言葉も「女性である(だからダメなんだ)」という文脈で語られると差別でしょう。
単純に特定の言葉を使うこと=差別とは限らないし、特定の言葉を避ければ差別ではない、というわけでもない。
言葉の裏にどのような感情が込められているかも問題にすべきです。
「被差別部落民」という言葉を使うだけで差別か否かという単純化は「言葉狩り」と同じで本質的でないと考えます。
あなたの質問は「Yes/NO」で答えられる/答えるべき質問ではないと思います。質問そのものが本質を外しているし不適当だと思います。
以上が私の見解です。