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VOCALOIDの技術によって、個人クリエイターが気軽に楽曲を発表できるようになったことは大変すばらしいことだと思う。 でも、曲の完成系としては、やはり現状の技術では最終的には人間が歌ったものの方が良いと思っています。VocalLisnerのような技術があることからもわかるように、いくら進歩したとは言っても現状の技術では歌の上手い人間の方が表現力は圧倒的に上ですし。 なので、VOCALOIDでとどまらず、マッシュアップを重ねて人間の歌い手さんにカバーしてもらいたいです。ニコニコ動画なんかではそれが当たり前なんですが、CDとして発売した場合、それが最終形だと思われてしまいそうで微妙なものがあります。
#まあ、中にはVOCALOIDの打ち込みでもなければ発音不可能な曲もあるし、必ずしも全部がそうというわけではないんですけど。
制作の面で言いますと、ボカロは音域で無茶できるので、ボカロオリジナルを人がカバーするとどうしても無理が出ます。例えば女性Voなら概ねB3-D5に入っていれば大抵の人が無理なく歌えるようですが、ボカロ曲だと上がG5とかもっと上が結構普通に出てきますので、曲によっては4-5度下げないと人がまともな発声で歌うのは難しいと思います。ただ、単純にキーを落とすとオケ(伴奏)の華やかさが無くなったり、低域の音同士が干渉して濁ったり(ローインターバルリミット)、一筋縄ではいかないのが難しいところです。
また、ボカロやってる人はボカロの自由度に影響されて無茶な音域で曲書いてくることがある、と知り合いの歌い手さんが仰ってました。ニコ動や同人音楽からプロに続くラインだと、プロに近い人でもたまにそんな感じのミスをしたりするんだそうで。
> プロに近い人でもたまにそんな感じのミスをしたりするんだそうで。それは本当にミスなのかな。
第一段落の流れを素直にそのまま解釈したら、「人の発声限界」に縛られない「本当に作りたい歌」が作れるようになったのだから、その歌い手として、作曲家の意図を表現できない歌手をチョイスすることが駄目、な気がします。
特定の人に歌わせることが前提の曲ならミスといってもいいと思うのですが、その「プロに近い人」から見れば、「この歌手つかえねー」ということになるんじゃないでしょうか。どっちが正しいかというと、少なくとも現状では歌手のほうに分がある話ではあるのですが。
上段はボカロ曲はカバーしづらいという話で,下段はボカロ曲もやったことのある作曲者さんが無茶な曲を書くという話です.#1531747さんの解釈で正しいです.
なにに引っかかったかというと、「無茶な音域の曲」と一方的な歌手視点で「無茶」と断じている点です。
「特定の歌手に歌わせるための曲」という発注に対して、要求仕様を満たしていないのでミスです。しかし、その「特定の歌手」は、自分の能力不足については何の疑問も抱かなかったのでしょうか。
「あーあ、また無茶な音域で歌えもしない曲を作ってきやがったよ」「あーあ、また音域の狭い歌唱力のない歌手を連れてきやがったよ」これは表裏一体ではないですかね。
音域の足りない楽器があった場合、改良するか、代替の楽器を探すのが普通だと思います。私は声も楽器の一種だと思
starfighterさんは遙か未来を見ている、あるいは抽象化のし過ぎなのだと思います。私にとっては、曲は完成して提供しなければ意味がない。これは商業ベースでもそうでなくても同じでしょう。目標は実際に聴ける音として音楽を作ることですから。
> しかし、その「特定の歌手」は、自分の能力不足については何の疑問も抱かなかったのでしょうか。
制作期間という短期的な視点なら、疑問など持っていたら制作が進みません。その歌手さんは意地で対処したと仰っていました。長期的な視点なら、誰に言われずとも能力を伸ばすために常に努力しているでしょう。
>「あー
何度か返信をいただいて、nionioさんと私とで認識自体はほとんど差がないように感じています。立ち位置の違いで、分析と結論が違う方向を向いている。
抽象化しすぎというのはそのとおりです。ひたすら抽象化して、かなり極論を向いています。プロとして意地でどうにかした歌い手さんも、人には歌えない曲をもってきたセミプロの人も知らないので、抽象的に語るしかありません。
逆に私から見れば、nionioさんの見解は、今の音楽制作のありかたや音楽業界の現実に引っ張られすぎているように見えています。作曲の変更コストのほうが安い話はまさにそう。上流でfixしたほうが安い
> 逆に私から見れば、nionioさんの見解は、今の音楽制作のありかたや音楽業界の現実に引っ張られすぎているように見えています。
では、どのようなやり方が良いのでしょうか? まったく新しい制作方法とか、落としどころを探る以外のやり方があるなら、ぜひとも提案と実践をしていただきたいものです。実践できたら採用を考えます。対案のない批判は何も生み出しませんし、実践できない理想の方法論なんて要りません。
音楽が聖域であるかのように考えていないでしょうか?もちろん理想を求めるのは良いことですが、実際に曲を作るのは人間であり、ほかの全ての物事と同様に、現実の制約を考えないことには何も始まりません。もちろん脳内で完結するならこの限りではありません。
> 音楽として成立したものができたとして、妥協の産物の価値はどれほどでしょうか。> 「人が歌うこと」にどれほどの価値があるのでしょうか。> 歌を人間が歌う必要があるのか?
これらの問いは神の視点ですね。一時期流行った自分探しと同じです。「誰にとっての」価値なのかを明らかにしないと、各人によるとしか答えようがありません。作り手にとっては妥協の産物の価値は妥協しなかった部分でしょう。妥協の産物を示されたリスナーは、しかしそれが妥協の産物であることを知りえないので、提示されたものをどう捉えるかが全てです。
同様に、人が歌うことに価値を置く人にとっては人が歌うことには価値があり、そうでない人にとってはそうでない。そういうトートロジーでしか答えられません。トートロジーでしか答えが出ない抽象度の問いで悩むのは無駄な努力です。
> 今の日本の音楽業界を外から見るとモドキが幅を利かせているように見えるのでなおさら、本物にはがんばってほしいと思います。
何をもってモドキとし、何をもって本物とするのでしょうか? それは誰の視点で? これも上と同じです。視点を決めないと有効な結論は得られません。
> とにかく何か形にしないと食えないとか、売れればなんでもいいとか、そいういう話なんでしょうか。
私には、それはむしろstarfighterさんの願望に思えます。必ず誰かを悪者にしなければいけないわけではありませんよ。生活かかってる人はそれなりに大変でしょうが、極端な人はそんなに多くないと思います。
> 広告代理店が売り出す、メロディをなぞることすらできていないように思える自称歌手など、よく調整されたVOCALOIDに置き換えられても大して変わらないどころか、その方がマシだとも思えます。
ボカロに置き換えることで、人の声を聴きたい人にとっての価値は下がりますよね。置き換えたほうが良いというのも、そうでないのもひとつの価値観です。starfighterさんの意見を否定する人は誰もいませんが、starfighterさんの意見が全てということもありません。したがって、(→)
> そして、そんな歌手の歌が粗製乱造されている「日本の音楽シーン」において、歌手の個性といわれても、「一部にはそういう人もいますね」としか思えません。
(→)単に聴かなければいいだけの話です。誰も強制していません。それを「日本の音楽シーン」がダメとかそういう話に持っていく意図はなんでしょうか?
メジャーに好みの音楽がないのなら、もっとマイナーな人に目を向けてみると面白いですよ。口をあけて、自分の中での価値すら他人任せで待っているだけでは面白いものには出会えません。自分で作れるようになるのは一つの理想です:-)
作るものの価値、作ること自体の価値、そしてその意味は、最近のクリエイターは自問しないのでしょうか。食うために作ってるから売れるように作る。それも答えのひとつだと思うのですが。売れるということは多くの人に受け入れられるということです。求められている価値があるということです。そういう人は今の音楽業界のラインに乗った活動をすればいいですし、実際そうしているのでしょう。そして、そういう方向性でない、つまり自分の作りたい曲がある人は、その作りたい曲が作れるように努力すればいい、いえ、努力しているに決まってます。プロは、生活と作りたいものの間でその人なりにバランスをとっているものだと思います。
生活の手段だから売れないといけない、というスタンスを否定されましたね。その音楽って完成させなきゃいけないんですか?リスナーに向けて作らなきゃいけないんですか?製作コスト気にしなきゃ作れないんですか?既存の商業音楽の制約ですよね、それって。
人が歌うことに価値を感じる人には価値がある。そして、人が歌うことに価値を感じる人がいる。ええ、そうでしょう。でも、このトピックは、人が歌ってるのではない歌が売れているというトピックです。一定の評価を得たということです。意味するのは、商業音楽に新しい価値基準が持ち込まれたということではないのですか。パラダイムシフトというか、そういうものがおきている、おきつつあるという話ではないのですか。
だからこそ、既存の音楽作成のありかたに疑問を投げているわけです。あるいは、既存の音楽作成のありかたに疑問をもたないことに対する否定的見解の表明です。疑問を持ち、見つめなおして、それでも既存のありかたがいいんだ、というのであれば、全く否定するものではありません。
私が気になっていた点は、「新しい音楽の価値」を認めていた方が、後段でその価値をばっさりと切り捨てたように見える所でした。上手く伝わらず、nionioさんは一貫して「現実の製作現場はこうだ」というスタンスで返信をくださっているように見えます。自身の説明の下手さを申し訳なく思います。
機材が安くなり、作品制作にかかるコストは安くなりました。アニメですが、新海誠氏のほしのこえ。時代が数十年違えば、作られることはなかったでしょう。能力のある人が相応の、本気になれば個人でも支払えるレベルの様々なコストをかければ、商用作品に匹敵するものが作れるようになった証左です。そんな中、いままでは人でなければ絶対にできなかった歌ですら、代替になりうるものが世に出た。それは、新しい何かが生み出される可能性だと思っています。たとえば、歌の歌えない作曲家が、ニコニコ動画などで公開することで歌手が見つかることなども含めて。そして、今まで存在しなかった新しい音楽が生まれる可能性を考えると、楽しみでなりません。
私の音楽との距離感を日記に書きました [srad.jp]。ご指摘の件ですが、聖域ではなく、むしろ関心や期待が薄いがゆえに、安易に改革を語っていると思っていただいて結構です。それから、無茶な曲を与えられた歌い手さんが無理だとつき返すのではなく、意地で何とかされたというのは、大変すばらしいことだと思います。
私の言葉では貴方の確固たる思いを変えることはできないようです。
> ご指摘の件ですが、聖域ではなく、むしろ関心や期待が薄いがゆえに、安易に改革を語っていると思っていただいて結構です。
そう思うことにします。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
人にカバーして欲しい (スコア:1)
VOCALOIDの技術によって、個人クリエイターが気軽に楽曲を発表できるようになったことは大変すばらしいことだと思う。
でも、曲の完成系としては、やはり現状の技術では最終的には人間が歌ったものの方が良いと思っています。VocalLisnerのような技術があることからもわかるように、いくら進歩したとは言っても現状の技術では歌の上手い人間の方が表現力は圧倒的に上ですし。
なので、VOCALOIDでとどまらず、マッシュアップを重ねて人間の歌い手さんにカバーしてもらいたいです。ニコニコ動画なんかではそれが当たり前なんですが、CDとして発売した場合、それが最終形だと思われてしまいそうで微妙なものがあります。
#まあ、中にはVOCALOIDの打ち込みでもなければ発音不可能な曲もあるし、必ずしも全部がそうというわけではないんですけど。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re: (スコア:2, 興味深い)
制作の面で言いますと、ボカロは音域で無茶できるので、ボカロオリジナルを人がカバーするとどうしても無理が出ます。例えば女性Voなら概ねB3-D5に入っていれば大抵の人が無理なく歌えるようですが、ボカロ曲だと上がG5とかもっと上が結構普通に出てきますので、曲によっては4-5度下げないと人がまともな発声で歌うのは難しいと思います。ただ、単純にキーを落とすとオケ(伴奏)の華やかさが無くなったり、低域の音同士が干渉して濁ったり(ローインターバルリミット)、一筋縄ではいかないのが難しいところです。
また、ボカロやってる人はボカロの自由度に影響されて無茶な音域で曲書いてくることがある、と知り合いの歌い手さんが仰ってました。ニコ動や同人音楽からプロに続くラインだと、プロに近い人でもたまにそんな感じのミスをしたりするんだそうで。
Re: (スコア:1)
> プロに近い人でもたまにそんな感じのミスをしたりするんだそうで。
それは本当にミスなのかな。
第一段落の流れを素直にそのまま解釈したら、「人の発声限界」に縛られない「本当に作りたい歌」が作れるようになったのだから、その歌い手として、作曲家の意図を表現できない歌手をチョイスすることが駄目、な気がします。
特定の人に歌わせることが前提の曲ならミスといってもいいと思うのですが、その「プロに近い人」から見れば、「この歌手つかえねー」ということになるんじゃないでしょうか。
どっちが正しいかというと、少なくとも現状では歌手のほうに分がある話ではあるのですが。
Re: (スコア:1)
上段はボカロ曲はカバーしづらいという話で,下段はボカロ曲もやったことのある作曲者さんが無茶な曲を書くという話です.#1531747さんの解釈で正しいです.
Re: (スコア:1)
なにに引っかかったかというと、「無茶な音域の曲」と一方的な歌手視点で「無茶」と断じている点です。
「特定の歌手に歌わせるための曲」という発注に対して、要求仕様を満たしていないのでミスです。
しかし、その「特定の歌手」は、自分の能力不足については何の疑問も抱かなかったのでしょうか。
「あーあ、また無茶な音域で歌えもしない曲を作ってきやがったよ」
「あーあ、また音域の狭い歌唱力のない歌手を連れてきやがったよ」
これは表裏一体ではないですかね。
音域の足りない楽器があった場合、改良するか、代替の楽器を探すのが普通だと思います。
私は声も楽器の一種だと思
Re: (スコア:1)
starfighterさんは遙か未来を見ている、あるいは抽象化のし過ぎなのだと思います。私にとっては、曲は完成して提供しなければ意味がない。これは商業ベースでもそうでなくても同じでしょう。目標は実際に聴ける音として音楽を作ることですから。
> しかし、その「特定の歌手」は、自分の能力不足については何の疑問も抱かなかったのでしょうか。
制作期間という短期的な視点なら、疑問など持っていたら制作が進みません。その歌手さんは意地で対処したと仰っていました。長期的な視点なら、誰に言われずとも能力を伸ばすために常に努力しているでしょう。
>「あー
Re: (スコア:1)
何度か返信をいただいて、nionioさんと私とで認識自体はほとんど差がないように感じています。
立ち位置の違いで、分析と結論が違う方向を向いている。
抽象化しすぎというのはそのとおりです。ひたすら抽象化して、かなり極論を向いています。
プロとして意地でどうにかした歌い手さんも、人には歌えない曲をもってきたセミプロの人も知らないので、抽象的に語るしかありません。
逆に私から見れば、nionioさんの見解は、今の音楽制作のありかたや音楽業界の現実に引っ張られすぎているように見えています。
作曲の変更コストのほうが安い話はまさにそう。上流でfixしたほうが安い
Re:人にカバーして欲しい (スコア:1)
> 逆に私から見れば、nionioさんの見解は、今の音楽制作のありかたや音楽業界の現実に引っ張られすぎているように見えています。
では、どのようなやり方が良いのでしょうか? まったく新しい制作方法とか、落としどころを探る以外のやり方があるなら、ぜひとも提案と実践をしていただきたいものです。実践できたら採用を考えます。対案のない批判は何も生み出しませんし、実践できない理想の方法論なんて要りません。
音楽が聖域であるかのように考えていないでしょうか?もちろん理想を求めるのは良いことですが、実際に曲を作るのは人間であり、ほかの全ての物事と同様に、現実の制約を考えないことには何も始まりません。もちろん脳内で完結するならこの限りではありません。
> 音楽として成立したものができたとして、妥協の産物の価値はどれほどでしょうか。
> 「人が歌うこと」にどれほどの価値があるのでしょうか。
> 歌を人間が歌う必要があるのか?
これらの問いは神の視点ですね。一時期流行った自分探しと同じです。「誰にとっての」価値なのかを明らかにしないと、各人によるとしか答えようがありません。作り手にとっては妥協の産物の価値は妥協しなかった部分でしょう。妥協の産物を示されたリスナーは、しかしそれが妥協の産物であることを知りえないので、提示されたものをどう捉えるかが全てです。
同様に、人が歌うことに価値を置く人にとっては人が歌うことには価値があり、そうでない人にとってはそうでない。そういうトートロジーでしか答えられません。トートロジーでしか答えが出ない抽象度の問いで悩むのは無駄な努力です。
> 今の日本の音楽業界を外から見るとモドキが幅を利かせているように見えるのでなおさら、本物にはがんばってほしいと思います。
何をもってモドキとし、何をもって本物とするのでしょうか? それは誰の視点で? これも上と同じです。視点を決めないと有効な結論は得られません。
> とにかく何か形にしないと食えないとか、売れればなんでもいいとか、そいういう話なんでしょうか。
私には、それはむしろstarfighterさんの願望に思えます。必ず誰かを悪者にしなければいけないわけではありませんよ。生活かかってる人はそれなりに大変でしょうが、極端な人はそんなに多くないと思います。
> 広告代理店が売り出す、メロディをなぞることすらできていないように思える自称歌手など、よく調整されたVOCALOIDに置き換えられても大して変わらないどころか、その方がマシだとも思えます。
ボカロに置き換えることで、人の声を聴きたい人にとっての価値は下がりますよね。置き換えたほうが良いというのも、そうでないのもひとつの価値観です。starfighterさんの意見を否定する人は誰もいませんが、starfighterさんの意見が全てということもありません。したがって、(→)
> そして、そんな歌手の歌が粗製乱造されている「日本の音楽シーン」において、歌手の個性といわれても、「一部にはそういう人もいますね」としか思えません。
(→)単に聴かなければいいだけの話です。誰も強制していません。それを「日本の音楽シーン」がダメとかそういう話に持っていく意図はなんでしょうか?
メジャーに好みの音楽がないのなら、もっとマイナーな人に目を向けてみると面白いですよ。口をあけて、自分の中での価値すら他人任せで待っているだけでは面白いものには出会えません。自分で作れるようになるのは一つの理想です:-)
Re:人にカバーして欲しい (スコア:1)
作るものの価値、作ること自体の価値、そしてその意味は、最近のクリエイターは自問しないのでしょうか。
食うために作ってるから売れるように作る。それも答えのひとつだと思うのですが。
売れるということは多くの人に受け入れられるということです。求められている価値があるということです。
そういう人は今の音楽業界のラインに乗った活動をすればいいですし、実際そうしているのでしょう。
そして、そういう方向性でない、つまり自分の作りたい曲がある人は、その作りたい曲が作れるように努力すればいい、いえ、努力しているに決まってます。
プロは、生活と作りたいものの間でその人なりにバランスをとっているものだと思います。
生活の手段だから売れないといけない、というスタンスを否定されましたね。
その音楽って完成させなきゃいけないんですか?
リスナーに向けて作らなきゃいけないんですか?
製作コスト気にしなきゃ作れないんですか?
既存の商業音楽の制約ですよね、それって。
人が歌うことに価値を感じる人には価値がある。そして、人が歌うことに価値を感じる人がいる。
ええ、そうでしょう。
でも、このトピックは、人が歌ってるのではない歌が売れているというトピックです。一定の評価を得たということです。
意味するのは、商業音楽に新しい価値基準が持ち込まれたということではないのですか。
パラダイムシフトというか、そういうものがおきている、おきつつあるという話ではないのですか。
だからこそ、既存の音楽作成のありかたに疑問を投げているわけです。
あるいは、既存の音楽作成のありかたに疑問をもたないことに対する否定的見解の表明です。
疑問を持ち、見つめなおして、それでも既存のありかたがいいんだ、というのであれば、全く否定するものではありません。
私が気になっていた点は、「新しい音楽の価値」を認めていた方が、後段でその価値をばっさりと切り捨てたように見える所でした。
上手く伝わらず、nionioさんは一貫して「現実の製作現場はこうだ」というスタンスで返信をくださっているように見えます。
自身の説明の下手さを申し訳なく思います。
機材が安くなり、作品制作にかかるコストは安くなりました。
アニメですが、新海誠氏のほしのこえ。時代が数十年違えば、作られることはなかったでしょう。
能力のある人が相応の、本気になれば個人でも支払えるレベルの様々なコストをかければ、商用作品に匹敵するものが作れるようになった証左です。
そんな中、いままでは人でなければ絶対にできなかった歌ですら、代替になりうるものが世に出た。
それは、新しい何かが生み出される可能性だと思っています。
たとえば、歌の歌えない作曲家が、ニコニコ動画などで公開することで歌手が見つかることなども含めて。
そして、今まで存在しなかった新しい音楽が生まれる可能性を考えると、楽しみでなりません。
私の音楽との距離感を日記に書きました [srad.jp]。
ご指摘の件ですが、聖域ではなく、むしろ関心や期待が薄いがゆえに、安易に改革を語っていると思っていただいて結構です。
それから、無茶な曲を与えられた歌い手さんが無理だとつき返すのではなく、意地で何とかされたというのは、大変すばらしいことだと思います。
Re:人にカバーして欲しい (スコア:1)
私の言葉では貴方の確固たる思いを変えることはできないようです。
> ご指摘の件ですが、聖域ではなく、むしろ関心や期待が薄いがゆえに、安易に改革を語っていると思っていただいて結構です。
そう思うことにします。