xapの日記: あけてました 4
新年あけてまして、おめでとうございます。
早いもので、先日、101010(二進表記)歳になってしまいまして、この後厄の年を無事に乗り切りたいと思う所存でございます。
昨年は本厄でしたが、おかげさまで平穏に過ごすことができました。
前厄の年が一番キてましたね。実際。
まあ、早生まれなんで、厄年的には一年前を参照すべきなんですかね?そのへんよくわかりませんが。
と、いうわけで今年もよろしくお願い致します。
rotaさんのトモダチの日記。 アナウンス:スラドとOSDNは受け入れ先を募集中です。
新年あけてまして、おめでとうございます。
早いもので、先日、101010(二進表記)歳になってしまいまして、この後厄の年を無事に乗り切りたいと思う所存でございます。
昨年は本厄でしたが、おかげさまで平穏に過ごすことができました。
前厄の年が一番キてましたね。実際。
まあ、早生まれなんで、厄年的には一年前を参照すべきなんですかね?そのへんよくわかりませんが。
と、いうわけで今年もよろしくお願い致します。
娘の通う小学校から防犯メールを着信する。
「2月11日(火)○○公園で、男が下半身を露出する事案が発生しました。30~40歳くらいで髪が薄く、サラリーマン風の黒いスーツ姿でビジネスバックを持ち、公園内を何度も往復していたそうです。」
これは、来るぞと思ってたら案の定、奥さんからLineが。
「休みの日にスーツで何してんの?」
いろいろ言いたいことはあるが、これだけは言っとく。
俺の髪は薄くない。断じてだ!
中1になる長男は、小学1年から空手をやっている。
が、生来の気性からか大会等では常に一~二回戦敗退である。
なんにしてもそうなのだが、いい意味でおっとり、悪い意味でトロいのである。
かといって、成績自体は悪くはないので頭の回転が遅いわけではないらしい。自分も中学生の後半まではトロい子だったので、そんな長男にダメな頃の自分を重ねてしまい、イライラする事もある。
先日、空手の稽古帰りの長男に会った際、小学のときに一緒にやっていた同級生達がほとんどいない事に気づいた。
聞けば、大抵の空手少年は中学生でほとんどやめてしまうらしい。
理由は部活や勉学で忙しくなるというのもあるが、空手の段位は中学以降からだと極端に取得が難しくなるということもあるとか。
小学校のうちに黒帯を取得した子たちは、以降、空手を続けるモチベーションをなくしてしまうのだろう。
もちろん、稽古だってタダではないから、家庭の経済的なモチベーションも理由とはなってくるだろう。
かくいう我が家でも、長男が黒帯(初段)となった際に本人に聞いてみた事がある。
しかし、長男はきっぱりと言った。
「続けたい」と。
ああ、そうかと思った。
そもそも長男のモチベーションは続ける事であり、何かを得ることではなかったんだと気がついた。
この辺は、何事にも中途半端で分かり易いエサがなければすぐに飽きる俺には似ず、一つのことをコツコツ続ける奥さんの血だと思った。
いまだに電車好きだし。
急がず、周りに流されず、しかし着実に歩を進める姿勢は見習うべきものがあると思った。
ただ、一つ。
飯はもっと早く食べてくれ。洗い物は俺なんだから。
さて、これで9度目なる転職をしまして、はや5ヶ月になろうとしております。
いま、前職の事を書こうとすると、憤りのあまり罵詈雑言はもちろん社名まで出しかねないくらい、未だに自分の中で燻っている状態ですので、軽く辞める際の顛末だけに留めておきたいと思います。
最後は半ばブチ切れて有給消化→そのまま退職を強行しましたが、あの行動をとった自分を褒めてあげたいです。
あのまま居たら、完璧に人間としてアウトだったと思います。
詳しくは書きませんが、退職日の先延ばし、有給消化の拒否といったよくある話です。
自分自身もかなり社畜と化してましたので、それもやむなしかな、と考えていましたが、奥さんにちょっとした病気が見つかり、入院が必要となり、その入退院時のあわせて3日間の有給だけでも欲しいという自分の申請に届いた
「引き継ぎが完璧に終わっていないから、有給は容認できない。
どうしても休みたければ、退職の日程をずらしなさい。」
という、ほぼ嫌がらせのような上司からのメールにキレました。
で、激おこぷんぷん丸で返信。
「私も数ヶ月前まであなたと同じ職位でしたので、あなたの立場はよく理解しております。
頂いたメールの内容があなたの本心からなのか、どなたかに、そうしろと言われて送ったものなのかは分かりませんが、今後あなた自身の身を守る為に、会社のルール以上に、法律を勉強することをおすすめします。
あなたは、何を持って容認できないと仰るのでしょうか?
まず、退職についてですが、これは社員に与えられた権利です。
社員が退職の意を伝えた場合、会社はこれを拒否することはできません。法では2週間前までに退職の意を伝えるとありますが、通常は社内規則に照らし合わせるのが慣例となっています。
ちなみに、うちの場合、社内規程でも2週間になってますよ。
私は、今年の1月に本部長に口頭で、3月に書面で辞意を示しておりますので、5月現在すでにいつ辞めても問題はありません。
また、有給の消化についてですが、こちらも会社に拒否することはできません。会社にできるのは休暇の時期変更のみです。
ただし、それは変更後も社員が在籍していることが前提です。私の場合既に5月末で退職となりますので、会社は時期変更もできない事となります。
また、引き継ぎが終わっていないとの事ですが、私としては都度言われております資料をお渡ししております。それについて、あなたからは何をもって引き継ぎ完了とするかは聞かされておりません。
引き継ぎは社員個人が行う義務ではなく、退職日までに会社が計画し進めなければならないものであり、退職者にはその計画に協力してもらうものです。私にはあなたが、それを理解していないように思えるのですが?
以上、容認できないといった内容はメールの書面でも残っておりますし、この内容につきましても私の思い込みなどではなく、県の労働相談センターにて社会保険労務士に確認した内容です。
あえて、社名は出していませんが、これ以上会社が違法な言い分をするようであれば、社名をもって相談させていただきます。
その際、会社はあなたを守ってはくれると思いますか?
せめて、労働法と社内規則には目を通しておいた方が身の為です。
私としても、もうこれ以上あなたの容認できないという言葉に従うことはできません。先月に提出しました有給申請どおり、明日から退職日までの2週間有給を消化させていただきます。
」
という得意の長文メールを書いて、その日から休暇強行しました。
おかげで、奥さんの入退院にも付き添えましたし、もちろん見舞いもできたし、晴れた日は自転車で海や山に、雨の日は図書館で借りた本を読みふけ、転職先に入社する頃にはすっかり人間に戻ることができました。
いまの仕事は、前職に比べたらほんと天国です。
ストレスフリーです。
数年間治らなかった頭皮湿疹が1ヶ月で完治しちゃったくらい。
入社間もなかったのですが、夏期休暇も頂けました。
数年間、まともに休暇をとってなかった(たまに休暇をとっても毎日のように仕事の電話やメールがくるし、休暇明けを考えると休んだ気になれない)ので、久々に家族と楽しく過ごせました。
これからどうなるのかはわかりませんが、しばらくはいまの会社でのんびりヤっていければなーと思う次第であります。
以上、乱文ながら。
これまでも、もしかしたら何度か書いてるかもしれないが、神田明神をリスペクトしている。
いや、尊敬とか敬うとかいうレベルではなく、もうホント、畏れ崇め奉ってるといった所だろうか。
東北の片田舎から関東に出てきて二十余年になるが、神田明神に参拝したのは未だ十回を超えてはいないと思う。
単純に計算し二年に一回ほどだろうか。
あまりにも参拝後の効果が覿面過ぎるので、怖くてそうホイホイ行けない、というのがその理由だ。
では、どういう時に行くのかと言えば、ホントもう自分のチカラではどうしようもない事態に陥ったとき。
まさに、苦しいときの神頼みだが、もう神さんの采配を待つしかない状態。
まあ、大概そういうときはジタバタしてもしょうがなく、時間が解決してくれたりするのだが、人間、どっちつかずの状態ってのが一番精神的にきつい。
さあ、そんな時こそ明神様である。
あの天皇になろうとした世紀の祟神、平将門を祀る、関東の鎮守神社である。
うにゃにゃっと神頼みすれば、ズバッと解決である。
※個人の感想です。
もちろん、思い描いてた結末パターンの最悪の結果、もしくは思いもしなかった超最悪の展開で解決(?)する場合もある。
でも、そこにかかるまでの時間はまさに神レベル。
会社で悩んでる時は会社自体が倒産したり、人間関係で悩んでた時はスッパリきっぱり縁が切れたり、仕事で悩んでた時はプロジェクト自体が消滅したり……あれ、書いてて目から海水が。。。
つい最近、転職を果たしたがその際もいろいろと神がかり的な「後押し」があったのは言うまでもない。
そんなわけで、みんなもそんな豪快な神田明神をフィーチャーしてみないか!
※個人の責任でお願い致します。
皆さんお久しぶりでございます。
どっこい生きてたxapでございます。
暫く前にかなりダークサイドな日記を投入させていただきまして、ご迷惑をおかけしました。
某twitter等でフォローさせて頂いている方もいらっしゃいますが、今はすっかり元気になっておりますです。
まあ、ほんとあの会社は多少強引な形ではありましたが、さっさと辞めて正解だったなと。
あのままズルズルと居続けていたら、多分かなりシリアスな状況になっていたと思います。
まあ、そのあたりの話もいずれ生きた証として纏めたいと思っております。
まずは、あの日記をあげたとき、日記を見てくださった皆様、日記にコメントを下さった皆様にホントに感謝致します。
今、こうして平穏無事な日々を過ごせているのも、スラドの諸兄の皆様のお陰でございます。
取り急ぎ、ご報告まで。
諸事情で我が家のインターネッツが使えず、スマホで長文とか無理って感じでずっとtwitterで呟いてばっかでしたが、最近Bluetoothキーボードという新兵器を入荷しましたので、また、ちょこちょこと日記を書ければなーと思っております。
ではでは。
昨日、久方ぶりに日記を書いたと思ったら、かなりテンションの低い内容で申し訳ない限りです。
そのうえ、とてもとても貴重なコメントを沢山いただき、改めてコメントを下さった皆様に感謝いたします。
初めてスラドに日記を書いたのは2005年の6月だったか7月だったか。
(改めて見てみたけど、日記、途中までしか探せなかった・・・全部って見れないのかな?)
もう8年近く前だったのね。
本当に、スラド民のいろんな方々にお世話になりっぱなしであります。
そろそろ、女神転生Ⅳも出る事ですし、
今後ともよろしく
三年ほど前、役職が上がった。
責任と会社に居る時間が一気に増えた。 が、給料はほとんど増えなかった。
作業量は、自分ひとりでできる分量を簡単に超えた。
部下と一緒に、なんとかこなした。
だが、仕事量はいっかな減らなかった。
プロジェクトの掛け持ちは当然で、その上に3~4社の保守業務、社内の管理業務、経営資料……
部下に振れる作業は、全て部下に振った。
だが、仕事は増える一方だった。
このご時勢、仕事があるだけでも良い事。自分に言い聞かせる毎日。
心の中から、余裕というものが消えた。
***
二年ほど前、新入社員のときから面倒を見ていた、一番信頼していた部下Oが退職した。
Oから退職の意を告げられたとき、心から引き止める事ができなかった。
今まで、上司としてOを十分に守る事ができなかったから。
理不尽な会社からの要求を、理不尽と思いながらもメンバーに告げる自分が心底嫌いになった。
この頃から、会社で心から笑う事がなくなった。
なにもかも、失敗するような気がした。
人と話すが怖くなった。
自分を押し殺して、なんとか仕事をこなした。
作業の遅れ、お客様からの苦言が多くなった。
奥さんに、ちょっとふざけた感じで「転職していい?」と聞いてみた。
「ふざけんな」
男らしい回答だった。
***
数ヶ月前、四年間一緒にいくつかのプロジェクトを共にしてきたメンバーKが退職した。
Kから退職の意を告げられたとき、心から引き止める事ができなかった。
この会社に居ても、Kの為にならないと判っていたから。
これまで、長い間会社に尽くしてきたにも関わらず、会社は最後の最後まで、Kに理不尽な要求をぶつけてきた。
それを告げたとき、自分の中で何かが砕けた気がした。
誰と話すにも萎縮してしまう自分が居た。
奥さんとも話せなくなった。
というか、暫く前から話していない。奥さんとは完全に心が離れている。
不安感で押しつぶされそうだった。
異常だと思った。
その週の日曜日、生まれて初めて心療内科に行った。家族には内緒だった。
「うつにはなっていない。だけど、いろいろな要因で不安症状が出ている」との診断だった。
不安を抑える薬を処方してもらった。
その日、薬を飲んだが、不安感は消えなかった。
月曜日が近づく、また、会社が始まる。
動悸が止まらず、寝れなかった。
朝食を食べ終えて、奥さんがパートに出かける時間になっても、家に居た。
「今日は遅くていいの?」
「うん。近くの会社さんに直行だから」
あ、そ。と言って、奥さんは出かけていった。
子供たちが学校に出かける時間になっても、家に居た。
「行ってきまーす」
声を揃える長男と娘を抱きしめた。
「行ってらっしゃい。いい子でな。」
キョトンとした表情のまま、学校に向かう子供たち。
誰も居なくなった家の中で、奥さんに手紙を書いた。
現状の事、人が怖い事、会社に行く時間になってもスーツが着れなかった事。
最後に、「ひとりになって考えます」と書いて家を出た。
着替えや当面必要そうなものを、リュックに入れて自転車に跨った。
借りていた本を図書館の返却ボックスに返した。
会社の上司に、不安感がとまらず、昨日心療内科に行って薬を貰ったが会社に行ける気がしない。とメールした。
雪が降ってきた。
携帯の電源を切り、少しはなれた場所にあるスポーツショップに向かう。
月曜の午前、客もまばらなスポーツショップで、キャンプ用品売り場に向かう。
暖かそうなシュラフを見つけ、それに手をかけた。
これを買ったら、もう家には戻れない。
そう思った瞬間、子供たちの顔が頭の中に広がった。
涙が出てきた。
このままでは、明らかに不審者なので、トイレに非難した。
ふと、携帯が気になって電源を入れた。
上司からのメール受信があったが、読む気になれなかったので開かなかった。
その時、奥さんからメッセージが入ってきた。
「これ見たら返事して」
「たまたまお母さんが家に洗濯物とりこみにきてたの」
「手紙お母さんにみられちゃったよ」
「パート上がってきたから、子供たち帰ってくる前に話そ」
「会社なんかやめていいから」
奥さんから返事があったとしても、「ばか」「そのまま死ね」とか言われると思っていた。
すぐに奥さんの携帯に電話した。
「なにやってんのよー、ばかー」
いつも気丈な奥さんが、泣きじゃくっていた。
自分は何をやってんだろうと、ほんの少し、正気に戻った。
涙が止まらなくなった。
家に戻り、奥さんに謝った。
それから、全部話した。
心療内科に行ったのはバレていた。
自分が居なくなり、連絡がつかないので、すぐに会社かばんを探ったらしい。
処方箋と薬が出てきたから、その病院に電話して確認したらしい。
心の中の靄がかなり、晴れた。
***
そんなことがあったが、会社の方は結局、なにも変わらずだった。
「自分が居なきゃ」「自分がやらなきゃ」
なんて考えは、ただの妄想だと思った。
何事も無かったように、来期の話がされている。
何事も無かったように、ゴルフの誘いが来る。
何事も無かったように、仕事が増える。
もう、辞めよう。
気がつくと金が無い。
こんな症状にもう20年以上悩まされている。
毎月毎月、来月こそはちゃんと節約して、ちゃんと貯金しよう!とこぶしを堅く握り締め誓うものの、なぜか「のっぴきならぬ出費」やら「今買わねば後悔するものとの遭遇」やらのレアイベントが毎月発生してしまう。
いかん。非常にいかん。
こんな事が既に数十年単位で続いているという事は、節約自体が無理なんだと思う。
って事は……
「自分の使える金額の母数を増やしてあげればいいじゃない。」
脳内に住む、エリザベスさんが囁く。
なるほど、妙案である。
というわけで、やんごとなき奥様にお小遣いの賃上げ交渉を挑もうと思ったが、65,535パターンのシミュレーションを重ねても一向に交渉成立しない事が判明。
それどころか、うち65,530パターンでは最悪の結果に陥いるという、まさにアンタッチャブルな話題であった事まで判明。
となると、ここは自らの手でマネーを掴みとらねばならないようだ。
だが、我が社では副業は禁止されているのでバイトはできない。
そうなると、不労収益しかありえない。
不労収益ってなんだ?ギャンブルか!なんてこった!
残念ながら、ギャンブルはxap家七つの大罪に挙げられている禁忌だ。
ちなみに、あとの六つは、「ローン」「暴力」「遅飯食らい」「奥さんへの反論」「奥さんの機嫌損ね」「奥さんからの要求に対する拒否」だ。
まずい、八方塞がりだ。
こうなったら、空き地や竹やぶに札束が落ちてるのを発見するしかなさそうである。
というわけで、あやしい空き地、竹やぶ情報をお待ちしております。
ヤバイ金だったのでここに捨てました的な情報も大歓迎であります。
無念な事に、この国では、もう、レバ刺しが食べれなくなってしまった。
基本的に、生が好き(なんか、俺が書くとなんか、いろいろと微妙な誤解が出そうだが……)な俺には非常に悲しい事態である。
確かに安全は大切である。
確かに生は危険である。
(やっぱり、なんか、いろいろと誤解が出そうだが……)
とは言え、古今東西、人の嗜好は危険と隣合わせなものである……と、ここで演説をしたいところであるが、とりあえず今回の話とズレるのでこの辺でやめておく。
そんなわけで、失意の中、近所の酒屋に行くと「マンナンレバー」なるものが売っていた。
コンニャクで作られた擬似レバ刺しだ。
数切れ入って200円ほど。
コンニャクと考えるとちょっと高いが、レバ刺しの代用になるのならばと買ってみた。
盛り付けたところ、見た目はレバ刺しに見えなくもない。
一切れ取り、ごま油に塩を振ったタレに付けて口に運ぶ。
……
……
ん。ごま油塩味のコンニャクだ。
やっぱり、コンニャクでは生の代わりにはならんらしい。
(もちろん、性的な意味ではない)
未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー