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武器に対して倫理を説いても意味ないでしょ。命と倫理を天秤にかけて倫理を取る人は相当少ないだろうし、それも飽くまで他人が作り出した倫理感だからな。
それに無人戦闘機が倫理的でないかどうかの判断も、倫理の問題にするとあやふやになると思う。武器開発は攻撃距離と威力を突き詰めて、味方の損害を減らし敵の損害を増やすことが大方の目的。(かな?)無人戦闘機はその最たるの一つで、自国民と自国兵士の犠牲を無くす超倫理的な武器だ。有人機からの攻撃だけにしようとか言われても、傷痍手当ても馬鹿にならない。持ってる国は、自国の倫理的にも金銭的にも使うべきという理論も成り立つだろうね。
若干役に立つのは条約(ルール)くらいかね。有人機からの攻撃しか認めないとか。守らないだろうけど。人によって順番は異なるだろうけど、土壇場では大方の人が倫理なんて後回しにするでしょ。 例)こんな感じ?「命>信念>条約>倫理」とか「信念>命>倫理>条約」
個人の信念と公衆の倫理が合致するケースもあるとは思う。特に宗教関係ならあるかもしれんが、その場合はそもそもその倫理感が他国とずれるだろうね。
生産ロボットについては、本当にロボットがラインを占領してしまうようであれば・・・企業の生産量や売り上げに対して最低雇用人数と最低賃金を割り当てるとかかなぁ。工場ラインを国有化するとあっという間に共産国の出来上がりだが。元々仕事なんて食べる為の狩りみたいなものだし、それが十分あるなら後は倫理ではなく制度で分配するのが良い。まぁ倫理とか宗教で、富める者が貧しい者に施しを行う地域もあるけど。(ある意味、宗教制度だけどな)
倫理って世論を動かす基礎にはなるから重要だけど、最終的に団体がそのように動くには制度・体制だよな。世論で作り出すこともあれば、暴力で変えるときもあるが、どちらも結局は争いだ。そういう事で今日も明日も世界中の表と裏で主権を握る争いが行われる。元気なことだ。プレデター1機買っといて。
#あかん、思考がループした。
> 原爆で無差別殺人したことを是とする国に
特攻なんていう常軌を逸した攻撃手段が検討されるようになった段階で降伏してりゃ原爆は落とされなかった。
特攻をするというのは「俺たちはクレイジーだぜ」といいふらしてるのと同然で、そんなことしたら相手がどんな手段を使ってこようが文句は言えないな。
戦争の倫理は、倫理も戦争の道具の一つである、ということだと思います。戦争が倫理に従属するのではなく、倫理が戦争に従属するということです。倫理をルールと言い換えることができるなら、ルール作りも戦争のうちだと言えます。
外交戦その他でルールを自分が有利なように作ることができれば、ルールを使って相手を非難し国際的に孤立させるという手法をとることができます。
だから、戦争に倫理を説いてもでしょう、というより、戦争だからこそ倫理をうまく利用しなきゃ、というわけです。ただ、倫理は武器の一つになりえますが、最強の武器というわけではないので。
とどのつまり、人間に倫理を説いても無駄ってことでしょうか?
# そうかもしれないと思いつつあるAC
個人的な意見ですが、全くの無駄というわけではないと思っています。ある群の中で平和に過ごしていく上では、身に着けておいた方が良いとも考えています。しかし倫理には「有効範囲があること」、「普遍性が無いこと」を理解しておいた方がいいとも思っています。そういう意味では、1つ上のACの言うとおり道具として扱われる事があることを知っておくべきと考えています。
有効範囲としては「教育」「民族」「宗教」等があるでしょうか?そのグループ内に適合する為には必要だと思います。でもそのグループ範囲を超えた場合、同じ倫理感や価値観ではなくなる可能性があります。現代日本で亡くなったイスラム人を丁寧に火葬にしてあげたつもりが、酷い弔い方だという事で問題になった事があったかと思います。有効範囲を外れれば倫理観は意味を持たなくなったり、間逆にさえなるケースがあります。
普遍性が無い事については、「印象操作」や「考え方が変わる」などの例があるでしょうか。「人類同士で殺しあってはいけない」という倫理感の隣で「いじめの加害者は殺してしまえ」などと発言されたりします。範囲を全体にした場合と、被害者側に焦点を絞った時で感覚が変わるかと思います。(倫理観が変わるというよりは倫理感を吹き飛してしまう事例?民族紛争での正義感や大義と近いと考えて頂ければ;)
人の考えが変わる事については、昔の日本の火葬、今の日本の火葬の考え方の様に時代的なもの。(昔は火葬が残酷な処理だと考えられていた)また、一人の人でも、状況の変化によって価値観が変わり倫理観が変わることもでしょうか。例えばロリコン云々の件で、10年前はアニメを見て萌えといってた人が、結婚して娘が生まれてロリコンを規制しろと言ったとします。守るべき大事なものが自由表現から娘に変わった為に、規制をすることが倫理と感じるようになることは当たり前かと思います。(別に無関心だった人に娘が出来て・・・、でもいいのですが極論のほうが分かりやすい?)
個人的には上記の考えでいるので、倫理や正義などは一般論や多数派意見と余り違いが無いものとして扱っています。倫理を語る人には、その結論に至った理由を自分の意見としていえない場合は侮蔑しますし、言えても方向性が違えば尊敬をもって争います。そして軽度に争っていられる状態が大きな視点からすると、健全な状態なんだと感じていたりもします。(歪んだ倫理感か?)
#私は大衆の正義なんてものは余り信じないが、個人の強い意志や正義は尊重する「Chaos-Light」属性(?)です。#ロボット倫理に対しては、大衆の世論を操るには有効な手段だが、それで欲深い権力者達を止め切れるかな?といった感想。#ロリコン規制問題については、規制はされず自由な状態で、規制派と反対派が争い続けるのが理想と考えていたり。。。#子供には自分の正義を教えるしかないが、本当に正しいか悩みつつなので叱るときは自分も苦しい、というのがいい。(マゾか?)
極論に走る人間が倫理を欠いているだけです
当事国の無人機同士が無人のエリアで戦って、負けた側は相手の要求を飲むようになれば平和的でいいじゃない。今はこの過渡期みたいなもんであってほしいね。#そんなSFがあったような気もする。
もちろん、負けを認めずに、ロボット相手に、自国領土で最後の一人まで戦うのもいいのかもしれないけど。それはその国の人達が決めることだ。
個人的にはそれも書こうかとおもったのですが、無理だと思い直しました。昔、バーチャロンで初めてそういう考え方を知りましたが、あれは企業国家という設定だから損得的に成り立ってるのかな?(実践もありますが)で、それと同じく無人地帯でロボット同士を戦わせ、勝ち残った方は残存のロボットで攻め込むぞと脅せば成り立つかなと。
でも人間ってそれで戦いをやめるでしょうか?ロボットを持っていない国は一方的に蹂躙されるでしょうか?恐らくそんなことは無いかと思っています。理不尽に扱われるよりも戦って死を選ぶ人が相当数いるかと思います。理屈は分からないのですが人間には「こいつとは一緒に居られない」という感情が沸くことが何故かあるんですよね。歴史上でも、生きる為だけなら降伏でも奴隷でもいいだろうのに、或いは良い待遇を提示されたとしても抵抗することがあります。これは人というより、群れをつくる動物の性質・本能の一つなんでしょうかね?
今はロボットを持っていない国と持っている国があります。ただ、ロボットの優位性は間違いないと思います。それであれば、他の国もロボット化を進めると思います。
それで、もし、すべての国がロボットを保持したとした未来を考えました。
前線のロボたちが戦って、そこを突破されたら、本土に乗り込まれる前に、停戦するのではないのでしょうか。
もちろん、本土決戦をして最後の一人になるまで戦う、起死回生を狙うという選択肢もあります。もし、(相手国が民主国家だとして)それをその国の国民が願うのだったら、それはそれでいいと思いますけどね。
つ『真夜中の戦士』(永井豪)#と、思ったけど、あれは国家の戦いではなかった。つ『スカイ・クロラ』(森博嗣)
つ「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ 」つ「機動武闘伝Gガンダム」
どっちも無人機じゃねーから却下というわけで「宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」
あのコメントは、ヤマモトヨーコを思いながらかいたった。だけど、ヤマモトヨーコのバブルボートシステムってどこにあるんだったけ?戦闘機のコックピットを異次元に分離していたような気がする。それであれば、無人といえるのかな?半無人みたいな感じかな・・・?
それだと心が折れないので無理だと思います。そんな平和的なものが受け入れられる世界であれば、戦うまでもなく適切に分配されることでしょう。
戦争において「敵国民に対する」倫理ですからねぇ。原爆のみならず、クラスターだろうと対人地雷だろうと、なりふり構っちゃ居られなくなったら、そんな倫理なんぞ容易に放棄されるものですよね。ましてや太平洋戦争からこっちはどこも政府が再建される形で独立は保たれ、前々世紀の領土戦争みたいな終わり方をしないので敵国民は鎮圧後未来の自国民というわけでもないですし。冷戦やゲリラやテロだと何が始まりで何が終わりかもわからなくなるし、非正規軍戦なので戦闘員と非戦闘員の区別も曖昧だし国対国じゃないし。大規模戦闘が(お互いに)イヤだから戦争を宣言するまでもなく大ボス暗殺で終わらしてしまえなんてのも倫理的なのかそうじゃないのか...
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
倫理と制度 (スコア:2)
武器に対して倫理を説いても意味ないでしょ。
命と倫理を天秤にかけて倫理を取る人は相当少ないだろうし、それも飽くまで他人が作り出した倫理感だからな。
それに無人戦闘機が倫理的でないかどうかの判断も、倫理の問題にするとあやふやになると思う。
武器開発は攻撃距離と威力を突き詰めて、味方の損害を減らし敵の損害を増やすことが大方の目的。(かな?)
無人戦闘機はその最たるの一つで、自国民と自国兵士の犠牲を無くす超倫理的な武器だ。
有人機からの攻撃だけにしようとか言われても、傷痍手当ても馬鹿にならない。
持ってる国は、自国の倫理的にも金銭的にも使うべきという理論も成り立つだろうね。
若干役に立つのは条約(ルール)くらいかね。有人機からの攻撃しか認めないとか。守らないだろうけど。
人によって順番は異なるだろうけど、土壇場では大方の人が倫理なんて後回しにするでしょ。
例)こんな感じ?「命>信念>条約>倫理」とか「信念>命>倫理>条約」
個人の信念と公衆の倫理が合致するケースもあるとは思う。
特に宗教関係ならあるかもしれんが、その場合はそもそもその倫理感が他国とずれるだろうね。
生産ロボットについては、本当にロボットがラインを占領してしまうようであれば・・・
企業の生産量や売り上げに対して最低雇用人数と最低賃金を割り当てるとかかなぁ。
工場ラインを国有化するとあっという間に共産国の出来上がりだが。
元々仕事なんて食べる為の狩りみたいなものだし、それが十分あるなら後は倫理ではなく制度で分配するのが良い。
まぁ倫理とか宗教で、富める者が貧しい者に施しを行う地域もあるけど。(ある意味、宗教制度だけどな)
倫理って世論を動かす基礎にはなるから重要だけど、最終的に団体がそのように動くには制度・体制だよな。
世論で作り出すこともあれば、暴力で変えるときもあるが、どちらも結局は争いだ。
そういう事で今日も明日も世界中の表と裏で主権を握る争いが行われる。元気なことだ。プレデター1機買っといて。
#あかん、思考がループした。
Re:倫理と制度 (スコア:2)
原爆で無差別殺人したことを是とする国に
倫理なんて語ってほしくない。
Re:倫理と制度 (スコア:2)
> 原爆で無差別殺人したことを是とする国に
特攻なんていう常軌を逸した攻撃手段が
検討されるようになった段階で降伏してりゃ
原爆は落とされなかった。
特攻をするというのは「俺たちはクレイジーだぜ」と
いいふらしてるのと同然で、そんなことしたら
相手がどんな手段を使ってこようが文句は言えないな。
Re:倫理と制度 (スコア:2)
Re: (スコア:0)
戦争の倫理は、倫理も戦争の道具の一つである、ということだと思います。
戦争が倫理に従属するのではなく、倫理が戦争に従属するということです。
倫理をルールと言い換えることができるなら、ルール作りも戦争のうちだと言えます。
外交戦その他でルールを自分が有利なように作ることができれば、ルールを使って相手を非難し
国際的に孤立させるという手法をとることができます。
だから、戦争に倫理を説いてもでしょう、というより、戦争だからこそ倫理をうまく利用しなきゃ、というわけです。
ただ、倫理は武器の一つになりえますが、最強の武器というわけではないので。
Re: (スコア:0)
とどのつまり、人間に倫理を説いても無駄ってことでしょうか?
# そうかもしれないと思いつつあるAC
Re:倫理と制度 (スコア:2)
個人的な意見ですが、全くの無駄というわけではないと思っています。
ある群の中で平和に過ごしていく上では、身に着けておいた方が良いとも考えています。
しかし倫理には「有効範囲があること」、「普遍性が無いこと」を理解しておいた方がいいとも思っています。
そういう意味では、1つ上のACの言うとおり道具として扱われる事があることを知っておくべきと考えています。
有効範囲としては「教育」「民族」「宗教」等があるでしょうか?そのグループ内に適合する為には必要だと思います。
でもそのグループ範囲を超えた場合、同じ倫理感や価値観ではなくなる可能性があります。
現代日本で亡くなったイスラム人を丁寧に火葬にしてあげたつもりが、酷い弔い方だという事で問題になった事があったかと思います。
有効範囲を外れれば倫理観は意味を持たなくなったり、間逆にさえなるケースがあります。
普遍性が無い事については、「印象操作」や「考え方が変わる」などの例があるでしょうか。
「人類同士で殺しあってはいけない」という倫理感の隣で「いじめの加害者は殺してしまえ」などと発言されたりします。
範囲を全体にした場合と、被害者側に焦点を絞った時で感覚が変わるかと思います。
(倫理観が変わるというよりは倫理感を吹き飛してしまう事例?民族紛争での正義感や大義と近いと考えて頂ければ;)
人の考えが変わる事については、昔の日本の火葬、今の日本の火葬の考え方の様に時代的なもの。(昔は火葬が残酷な処理だと考えられていた)
また、一人の人でも、状況の変化によって価値観が変わり倫理観が変わることもでしょうか。
例えばロリコン云々の件で、10年前はアニメを見て萌えといってた人が、結婚して娘が生まれてロリコンを規制しろと言ったとします。
守るべき大事なものが自由表現から娘に変わった為に、規制をすることが倫理と感じるようになることは当たり前かと思います。
(別に無関心だった人に娘が出来て・・・、でもいいのですが極論のほうが分かりやすい?)
個人的には上記の考えでいるので、倫理や正義などは一般論や多数派意見と余り違いが無いものとして扱っています。
倫理を語る人には、その結論に至った理由を自分の意見としていえない場合は侮蔑しますし、言えても方向性が違えば尊敬をもって争います。
そして軽度に争っていられる状態が大きな視点からすると、健全な状態なんだと感じていたりもします。(歪んだ倫理感か?)
#私は大衆の正義なんてものは余り信じないが、個人の強い意志や正義は尊重する「Chaos-Light」属性(?)です。
#ロボット倫理に対しては、大衆の世論を操るには有効な手段だが、それで欲深い権力者達を止め切れるかな?といった感想。
#ロリコン規制問題については、規制はされず自由な状態で、規制派と反対派が争い続けるのが理想と考えていたり。。。
#子供には自分の正義を教えるしかないが、本当に正しいか悩みつつなので叱るときは自分も苦しい、というのがいい。(マゾか?)
Re: (スコア:0)
極論に走る人間が倫理を欠いているだけです
Re:倫理と制度 (スコア:1)
当事国の無人機同士が無人のエリアで戦って、
負けた側は相手の要求を飲むようになれば平和的でいいじゃない。
今はこの過渡期みたいなもんであってほしいね。
#そんなSFがあったような気もする。
もちろん、負けを認めずに、ロボット相手に、自国領土で最後の一人まで戦うのもいいのかもしれないけど。それはその国の人達が決めることだ。
by rti.
Re:倫理と制度 (スコア:2)
個人的にはそれも書こうかとおもったのですが、無理だと思い直しました。
昔、バーチャロンで初めてそういう考え方を知りましたが、あれは企業国家という設定だから損得的に成り立ってるのかな?(実践もありますが)
で、それと同じく無人地帯でロボット同士を戦わせ、勝ち残った方は残存のロボットで攻め込むぞと脅せば成り立つかなと。
でも人間ってそれで戦いをやめるでしょうか?ロボットを持っていない国は一方的に蹂躙されるでしょうか?
恐らくそんなことは無いかと思っています。理不尽に扱われるよりも戦って死を選ぶ人が相当数いるかと思います。
理屈は分からないのですが人間には「こいつとは一緒に居られない」という感情が沸くことが何故かあるんですよね。
歴史上でも、生きる為だけなら降伏でも奴隷でもいいだろうのに、或いは良い待遇を提示されたとしても抵抗することがあります。
これは人というより、群れをつくる動物の性質・本能の一つなんでしょうかね?
Re:倫理と制度 (スコア:1)
今はロボットを持っていない国と持っている国があります。
ただ、ロボットの優位性は間違いないと思います。
それであれば、他の国もロボット化を進めると思います。
それで、もし、すべての国がロボットを保持したとした未来を考えました。
前線のロボたちが戦って、そこを突破されたら、本土に乗り込まれる前に、停戦するのではないのでしょうか。
もちろん、本土決戦をして最後の一人になるまで戦う、起死回生を狙うという選択肢もあります。
もし、(相手国が民主国家だとして)それをその国の国民が願うのだったら、それはそれでいいと思いますけどね。
by rti.
Re:倫理と制度 (スコア:1)
つ『真夜中の戦士』(永井豪)
#と、思ったけど、あれは国家の戦いではなかった。
つ『スカイ・クロラ』(森博嗣)
#存在自体がホラー
Re: (スコア:0)
つ「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ 」
つ「機動武闘伝Gガンダム」
Re: (スコア:0)
どっちも無人機じゃねーから却下
というわけで「宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」
Re:倫理と制度 (スコア:1)
あのコメントは、ヤマモトヨーコを思いながらかいたった。
だけど、ヤマモトヨーコのバブルボートシステムってどこにあるんだったけ?戦闘機のコックピットを異次元に分離していたような気がする。
それであれば、無人といえるのかな?
半無人みたいな感じかな・・・?
by rti.
Re: (スコア:0)
それだと心が折れないので無理だと思います。
そんな平和的なものが受け入れられる世界であれば、戦うまでもなく適切に分配されることでしょう。
Re: (スコア:0)
戦争において「敵国民に対する」倫理ですからねぇ。
原爆のみならず、クラスターだろうと対人地雷だろうと、なりふり構っちゃ居られなくなったら、そんな倫理なんぞ容易に放棄されるものですよね。
ましてや太平洋戦争からこっちはどこも政府が再建される形で独立は保たれ、前々世紀の領土戦争みたいな終わり方をしないので敵国民は鎮圧後未来の自国民というわけでもないですし。冷戦やゲリラやテロだと何が始まりで何が終わりかもわからなくなるし、非正規軍戦なので戦闘員と非戦闘員の区別も曖昧だし国対国じゃないし。大規模戦闘が(お互いに)イヤだから戦争を宣言するまでもなく大ボス暗殺で終わらしてしまえなんてのも倫理的なのかそうじゃないのか...