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その主張に対して、合意するか拒否するかは、著作権者の自由。 だから、Linus がどう答えようと、少なくともここ (/.JP) にいる大部分の人にはおそらく何も言う権利はありません。 (おそらく、というのは、つまり、Linux カーネルに対して contribution があれば、その contribution の割合に応じて、 言う権利も出て来るだろう、ということ)。ぼく自身は Linux カーネルに対する貢献は まったくないので、なにも言う権利を持ちません。 もちろん、強制力を持たない単なる愚痴としてなら、 言論の自由が保証されるべきだけど。
法的には、たぶん以上のような話になるんだろうけど、 実際には、ユーザからの要望とか、Linux/Linus が従来とってきた立場への信頼とか、そういうものを Linus が裏切るのは得策じゃない。というわけで、 Linus は従来とってきた路線 (GNU の成果に敬意を表すけど、GNU の主張には コミットしない) を継承する、つまり その主張を拒否する、というのは妥当なところだと 思います。
もしこれがまさしくジャイアニズムと呼ばれるとすれば、 これを単なる「主張」ではなく、何らかの強制力を伴った 「おどし」として言った場合でしょう。
ぼくも、いろんな開発者にいろんなパッチを今まで 送ってきましたが (Linux カーネルは経験がないですが)、それは相手に「強要」や「おどし」 と受け止められているのでしょうか? 仮にそうだとしたら、ぼくは今後、行動を改めないといけないです。
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ジャイアニズム (スコア:0)
他人の作った物に関しても自分の意志が尊重されるべきだと思っている人たち。
「俺のものは俺のもの。おまえのものは俺のもの」の言葉そのままです。
Hurdの持っていた夢をLinuxに投影していたのかな。
Re:ジャイアニズム (スコア:4, 興味深い)
これはけっこう強固な信念でさ、自由でないソフトウェアは悪であるということになる。なるべく自由な方がいいよね、なんていう軟弱なものじゃないわけよ。
けどRMSの偉いところはこの思想に同意しないユーザにもGNUソフトウェアを使う自由は認めている点だよね(まあこれを認めないと自由てのを自己否定してしまうわけだが)。
RMS(と仲間たち)の業績も偉大。そしてRMS自身の資質。ただ単に技術に優れたハッカーならたくさんいるけど、RMSにはそれ以上のものがあった(一言で言うならリーダーシップだな)から多くの尊敬を勝ち得てきたわけよ。
Linus自身はGNU哲学に100%同意しているわけではないにも関わらず、LinuxカーネルがGPLなのもRMSに敬意を表してるから。
だから、LinuxがGNU哲学に100%同意していたならBitKeeperを使うことはなかっただろうし、逆にBitKeeperが公開されていて自由なソフトウェアだったらこういうことにはならなかったはず。この辺にはいろいろと意見はあるだろうけど、忘れて欲しくないのは徹底的に自由にこだわる人がいるということ。それは
>「俺のものは俺のもの。おまえのものは俺のもの」
なんていうものではなくて、
「俺のソフトウェアはみんなのもの、お前のソフトウェアもみんなのもの(にするべきだ)」
ということ。
# GNUに対して、この手の安直な意見をよく見かけるようになったが。これは山形浩生がGNUのことを共産主義と書いた言葉が一人歩きしてしまったからではないだろうか
# 俺はLinuxがGPLでなくなったらもう使わない(カミングアウトのつもり)
Re:ジャイアニズム (スコア:4, 参考になる)
その主張に対して、合意するか拒否するかは、著作権者の自由。 だから、Linus がどう答えようと、少なくともここ (/.JP) にいる大部分の人にはおそらく何も言う権利はありません。 (おそらく、というのは、つまり、Linux カーネルに対して contribution があれば、その contribution の割合に応じて、 言う権利も出て来るだろう、ということ)。ぼく自身は Linux カーネルに対する貢献は まったくないので、なにも言う権利を持ちません。 もちろん、強制力を持たない単なる愚痴としてなら、 言論の自由が保証されるべきだけど。
法的には、たぶん以上のような話になるんだろうけど、 実際には、ユーザからの要望とか、Linux/Linus が従来とってきた立場への信頼とか、そういうものを Linus が裏切るのは得策じゃない。というわけで、 Linus は従来とってきた路線 (GNU の成果に敬意を表すけど、GNU の主張には コミットしない) を継承する、つまり その主張を拒否する、というのは妥当なところだと 思います。
もしこれがまさしくジャイアニズムと呼ばれるとすれば、 これを単なる「主張」ではなく、何らかの強制力を伴った 「おどし」として言った場合でしょう。
解決法 (スコア:2, 興味深い)
# まあこの事件はLKMLではさほど騒がれてはいないけど
Re:解決法 (スコア:1)
気に召さないどころかゴミ扱いしてますね。
Linusを筆頭として、私が日頃から尊敬しているkernel hackerたちのほとんどがさんざんな言いようをしていて、CVSを使う気を無くさせてくれます。
#ちょっとした義理でCVSに置いてるソースがあるんですが、どうしたものか悩む今日このごろ
Re:解決法 (スコア:1)
kernel hacker達の評価ではなく、あなたが、もしくはあなたと一緒にソースコードを管理している人達がCVSの方が良いと思うのなら、CVSを使い続けていけばよいのではないでしょうか。
Re:解決法 (スコア:1)
実際に私のやっている開発ではpatchを送ってもらって手元でマージするという形式が最適でしょうし、CVSでもそれほど困ったことは発生していません。
しかし、問題のあるソフトウェアだと判断したら、自分が困ってなくてもそれを避けようと考えるのは妥当かつ必要な判断だと考えています。
(よくある例としてはうまく日本語されたソフトと日本語の扱いに問題を残してはいるが国際化されたソフトで、後者の方を選ぶようにこころがける。あるいは、オープンソースな方を選ぶとか、開発が活発な方を選ぶとか)
CVSステ (スコア:0)
>気に召さないどころかゴミ扱いしてますね。
実際ゴミだからねえ。
ちょっと間違えただけで取り返しのつかない結果になるし、
ディレクトリの移動/リネ
CVSの代替物 (スコア:1)
どこが悪いとか気がつかない人ですが、
もっと優れたものがあるならそっちを使ってみたいです。
freeのものでどんなのがあるんでしょうか?
是非教えて下さい。
Re:ジャイアニズム (スコア:2, 興味深い)
>という主張をするのは正当なことだと思います。
えー、正当ですか?
だって今回の話は削除しちまおうとする"部分"のところが
「BitKeeperフレンドリーなパッチの書き方についてのドキュメント」
なんですよね。
もし"部分"がソフトウェア自体なのであれば気持ちは分かるし
筋も通るかと思いますが、フリーでないソフトウェアについて
書いたドキュメントまで削除するぞというアピールは
単純に行き過ぎだと思います。
著作権侵害かもね (スコア:1, 興味深い)
知りませんが、カーネルのドキュメント内に書かれている
のだとしたら、勝手に削除したら著作権侵害かもね。
Linusは著作権を放棄してませんしね。
勝手に削除!? (スコア:1)
ぼくも、いろんな開発者にいろんなパッチを今まで 送ってきましたが (Linux カーネルは経験がないですが)、それは相手に「強要」や「おどし」 と受け止められているのでしょうか? 仮にそうだとしたら、ぼくは今後、行動を改めないといけないです。
Re:ジャイアニズム (スコア:1)
がぁ~ん。言う権利は保証しといて、お願い。
Re:ジャイアニズム (スコア:2, 興味深い)
私はGPLというものが単なる道具だと思っているので上のように書きました。GPLを使うことがFSFの意思への同意とみなせるようなものであれば、こうは書かなかったでしょう(実際のところ、どうなんでしょう?)。
「フリーなものだけを使え」という言葉がGNUプロダクトに対して出たのなら、何ら不自然なことはありません。それは思想集団GNUプロジェクトがその思想に基づいて生み出したものだからです。
でもLinuxは違います。LinuxはGNUに寄贈されたわけではないのです。
だから、
> なんていうものではなくて、
> 「俺のソフトウェアはみんなのもの、お前のソフトウェアもみんなのもの(にするべきだ)」
> ということ。
という言葉に疑問を覚えるのです。今回は別ではないのかと。
もし自分がWindowsで自分の作っているソフトにGPLを使って、それが原因で
「フリーじゃないVC++は使うな」と言われたら、かなり嫌になりますよ……というのが今回の感想。
Re:ジャイアニズム (スコア:2, 参考になる)
> 「フリーじゃないVC++は使うな」と言われたら、かなり嫌になりますよ……というのが今回の感想。
いや、それは喩えが違う。
今まではフリーの開発環境を使って、みんなで一つのフリーソフトウェアを作ってきた。
自分は開発リーダーなわけだ。
で、「こっちのほうが開発効率がいい」ってんで VC++ に乗り換えたら、
開発メンバの中から VC++ 依存するドキュメント書くなよ、と言われた。
最初から商用ソフトウェアを使ってたのではなく、
最近になって採用した、というところが問題なんだろう。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:ジャイアニズム (スコア:2, 興味深い)
時間があれば
http://www.gnu.org/philosophy/philosophy.ja.html
この辺から読んでみてください
>もし自分がWindowsで自分の作っているソフトにGPLを使って、それが原因で
>「フリーじゃないVC++は使うな」と言われたら、かなり嫌になりますよ……というのが今回の感想。
言われないと思うけどなあ。フリーじゃないコンパイラを使ったから云々てのはどうかなあ。VC++のライセンスがフリーなソフトウェアを書く上で障害とならなければ、使用そのものには文句は付けられないんじゃないかな。VC++が独占的なソフトウェアであるという問題は別として。それが動作するプラットフォームが独占的なOSである点はもっと別として。いずれにしても、「VC++は独占的だから悪である」とは言われるかも。
とにかく、GNU哲学に同意か不同意かとは関係なく、GPLを適用するということは、そのソフトウェアはみんなのものであると認めたことにはなるわけです。だから今回の場合は、件のパッチを適用したバージョンを配布することになんら制限はないわけです。
けどエモーションの部分で、フリーソフトウェアの成し遂げた一つの金字塔と見なされているLinuxでは、その作成過程においても独占的なソフトウェアを使用するべきではないと考える人もいるわけです。その示威行為として件のパッチを投稿したのでしょう。たとえそのパッチが採用されても、LinusがBitKeeperを使い続けることに変わりはないわけですから。これは大袈裟な反対声明ということになります。
私は、そういった人を安易に狂信者扱いしてほしくはないのです。GNUには20年の伝統と実績、そして変わらない信念があるのですから。特に実績に関しては、多くの人がその恩恵にあずかっているのですから。
Re:ジャイアニズム (スコア:0)
そりゃ嘘or間違いでしょ。多分RMSに敬意は持ってると思うけど、LinuxがGPLなのとは直接の関係は無い。