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独占的でいいの?何かちがくない?
>ちがくない
どこの方言??
オフトピ (-1) ですが。
>どこの方言??
「違い」を形容詞的に使うのは、おそらくは平成以降に作られた、標準日本語の文法表現ですよ。自然言語は変わっていくのが当たり前だし、使われて定着されればそれが新しい文法になります。自分が使わないからって、定着しつつあるものを否定するのは無駄だと思いますよ。
名詞の「違い」は差分を意味していて「違う事」自体は指していないので「違う」を指す時に「違い」の派生を使うというのは筋が通りませんよ。
筋はあまり関係ないような……。こうした「違い」を形容詞的に使うのは、いわゆるギャル語(これも死語?)がルーツなんじゃないでしょうか。「そうじゃなくて」を「違くて」と言い換えるのがそれですね。わざと変な使い方をしたわけですから、筋もなにもないんじゃないかと。
ただ、この用法はかなり定着しつつあるように思われますし、個人的には面白い使い方だと感じます。(自分で使おうとは思いませんけど)ちなみに、ググってみたら ジャストシステム・ATOK監修委員会の見解 [justsystems.com]がヒットしました。
筋(論理的整合性)が関係ないとすると、どうやって善し悪しを判断したらいいと思う?自分で判断できなきゃ権威に従うしかないわけだけど、その権威な人はどうやって判断してると思う?
普及度で判断するのもそれはそれで一つの見解だけど、論理的整合性を判断基準にして「それは不適切だ」という話に対して「誰それが言ってた」というのは話のレイヤというかメタ度が違うのでそもそも話が噛み合わないと思うがな。論理的整合性が判断基準として「かなりの勢いで広まっているように見受けられる」より適切でないという理由を挙げないと反論にはならんよ?
それとも、もしかして、モノワカリノヨサみたいな記号で判断してる?
言語学者はきちんと普及の度合いを調査していますよ。いわゆる「権威」な人は、自分が使う・使わない、好ましい・好ましくないの主観で判断してしまいがちですが。
いま「正しい」といわれている学校文法は、昭和の初めに橋本進吉によって作られたものを、戦後すぐに中等教育で採用したもので、60年以上前の日本語をもとにしています。60年もあれば、文法に何らかの変化があって当然。そういう変化を受け入れるためにも、言語学者は調査や研究を繰り返しているわけです。
文法に「論理的整合性」なんて、ない。あるのなら、「来る」が変格活用になった理由や、「行く」と「書く」の活用が異なる(「行って」と「書いて」のところ)理由、「よい」「悪い」に「そうだ」をつけると前者だけ「さ」が入って「よさそうだ」になる理由が、論理的に説明できるはず。#例外? じゃあ、なぜ「違くて」を例外として認めないのか、そこを聞かせてもらう。
まあ、「違かった」「違くて」「ちげーよ」の類を耳にするようになったのはごく最近ですし、関東地方の(ある程度の)若年層以外の人には使われていないのではないかと思います。方言がまともな日本語であるのと同程度にはまともな日本語なのかもしれませんが、今のところまだそのレベルを出ないのではないかと。少なくとも私にはまだ、「ちげーよ」は「ちげえねえ」というもっと昔からある表現と混乱して聞こえます。
#私は西日本の出身なので、関東の人がら抜き表現を使わないことに驚いています。「信じれん」じゃなくて「信じらんねえ」と、音便なのにわざわざ「ら」を入れている、みたいな。
>そりゃ音便なだけで、活用は同じでしょ (「行きて」と「書きて」)
音便の形が分かれた理由に論理的整合性が見いだせない、という指摘ですが。
>「ちげーよ」
「違うよ」の崩れであって「ちがくて」の用法とは違います。
>私は西日本の出身なので、関東の人がら抜き表現を使わないことに驚いています。
ほとんど関係ありません。
"ら"抜きも音便も発音の簡略化の側面がありますが、「信じらんねぇ」を"ら"抜きで発音するのは簡略化されすぎて通じづらいので、さすがに「しんじんねぇ」とはなかなかならないでしょう。むしろ音便化したからこそ、不自然に残っていると言えます。
私は近畿圏の人間ですが、ほとんど使わないどころか「帰れる」「変えれる」に関するという最も古い(らしい)"ら"抜き言葉を、まだ"ら"を抜かずに使っている人です。「帰られへん」「変えられへん」とかいう形で。近畿圏の人なら、この言い回しを変だとはほとんど思いませんよね。
音便の発達が進んでいて、なおかつラ行のリズムが重用で普段"ら"抜きを使う人でも言い回しによって"ら"が入ったりしがちのは、どちらかというと近畿圏だと思うんですけどね。西日本ということなので、中国・九州と徳島の中心部を除く四国・沖縄になると違ってきますが。
ちなみに可能の"ら"抜き型ですが、この場合は「帰れる」「変えれる」の普及率がもはや非常に高いので、私は「帰れる」が7割ぐらい、「変えれる」は2割ぐらい揺らいで"ら"抜きになってますね。帰れるの方を抜きやすいのは、日常会話で敬語としての「帰られる」用法が多いから、相手に通じにくくなってきたと心のどこかで意識してるからだと思います。「変えられる」は、まだそうではないから、比較的ゆっくりしゃべってると自然に"ら"が入りますね。
同系の表現で「行かれる(これで可能の意味)」は、さすがに自分も使いません。
>>「ちげーよ」>「違うよ」の崩れであって「ちがくて」の用法とは違います。
新形容詞である(?)「違い」が終止形で使われることは現状ないようなので、おっしゃる通りですね。ただ、形としては「長いよ」→「なげーよ」の類と同じですから、将来本格的に「違い」が形容詞化することがあるなら、この形の活用が同じ語としてまとめられるかもしれないと妄想しました。
>「帰られへん」「変えられへん」とかいう形で。
あれ、そうですね。地域によってら抜きへの抵抗感がかなり違うような気がしていたので、なんとなく東西の差かと思ってしまいました(ご明察の通り中国地方出身です)。ご指摘ありがとうございます。
ちょっとフォローつける場所が違いますが、「帰る」は五段活用なので、「帰れる」は「変えれる」とは違い「ら抜き」ではない可能動詞として、学校で教えられる文法に入っていると思います。
そのコメント全てが話のすり替えだなー。斜め上の目的を持ってるコメントに返事するのは面倒だよ。
>言語学者はきちんと普及の度合いを調査していますよ。だから何?自らは判断せずに言語学者の言説を権威として引用して何か判断している気になっている事について言ってるんだが、そんな解釈してて違和感とかなかったのか?
>#例外? じゃあ、なぜ「違くて」を例外として認めないのか、そこを聞かせてもらう。最初の『「違い」を形容詞的に使う』という解釈だと新たに例外を増やす変化になるからだよ。別の説明ができるならそれを聞いてみる事はできるがな。まー元々「整合性がない」なんて思ってるんだから、整合性を判断基準にして善し悪しの判断なんてできるわきゃないんだが。
それと、誰がいつ日本語に完全な整合性があるだなんて事を言ったよ。言ってもいない事に反応されても困るな。
作業コピーとchangesetの区別くらいつけなさい。顧客向けにリリースするとき作業コピーをそのまま見せるのですか。ウィキペディアじゃあるまいし。
>>どこの方言??
>自分が使わないからって、定着しつつあるものを否定するのは無駄だと思いますよ。
あなたは「方言?」と質問することを「否定している」と思うわけですね。わかります。
>あなたは「方言?」と質問することを「否定している」と思うわけですね。
つまり方言は否定さるべきものであるとはしなくも暴露しているわけだな。言葉のバリエーションに理解があるような風を装っていても、語るに落ちるとはこのことだ。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
プロプライエタリの訳は (スコア:0)
独占的でいいの?何かちがくない?
Re: (スコア:0)
>ちがくない
どこの方言??
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
オフトピ (-1) ですが。
>どこの方言??
「違い」を形容詞的に使うのは、おそらくは平成以降に作られた、標準日本語の文法表現ですよ。
自然言語は変わっていくのが当たり前だし、使われて定着されればそれが新しい文法になります。
自分が使わないからって、定着しつつあるものを否定するのは無駄だと思いますよ。
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
名詞の「違い」は差分を意味していて「違う事」自体は指していないので「違う」を指す時に「違い」の派生を使うというのは筋が通りませんよ。
Re: (スコア:0)
筋はあまり関係ないような……。
こうした「違い」を形容詞的に使うのは、いわゆるギャル語(これも死語?)がルーツなんじゃないでしょうか。
「そうじゃなくて」を「違くて」と言い換えるのがそれですね。
わざと変な使い方をしたわけですから、筋もなにもないんじゃないかと。
ただ、この用法はかなり定着しつつあるように思われますし、個人的には面白い使い方だと感じます。(自分で使おうとは思いませんけど)
ちなみに、ググってみたら ジャストシステム・ATOK監修委員会の見解 [justsystems.com]がヒットしました。
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
筋(論理的整合性)が関係ないとすると、どうやって善し悪しを判断したらいいと思う?
自分で判断できなきゃ権威に従うしかないわけだけど、その権威な人はどうやって判断してると思う?
普及度で判断するのもそれはそれで一つの見解だけど、論理的整合性を判断基準にして「それは不適切だ」という話に対して「誰それが言ってた」というのは話のレイヤというかメタ度が違うのでそもそも話が噛み合わないと思うがな。論理的整合性が判断基準として「かなりの勢いで広まっているように見受けられる」より適切でないという理由を挙げないと反論にはならんよ?
それとも、もしかして、モノワカリノヨサみたいな記号で判断してる?
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
言語学者はきちんと普及の度合いを調査していますよ。
いわゆる「権威」な人は、自分が使う・使わない、好ましい・好ましくないの主観で判断してしまいがちですが。
いま「正しい」といわれている学校文法は、昭和の初めに橋本進吉によって作られたものを、戦後すぐに中等教育で採用したもので、60年以上前の日本語をもとにしています。
60年もあれば、文法に何らかの変化があって当然。そういう変化を受け入れるためにも、言語学者は調査や研究を繰り返しているわけです。
文法に「論理的整合性」なんて、ない。
あるのなら、「来る」が変格活用になった理由や、「行く」と「書く」の活用が異なる(「行って」と「書いて」のところ)理由、「よい」「悪い」に「そうだ」をつけると前者だけ「さ」が入って「よさそうだ」になる理由が、論理的に説明できるはず。
#例外? じゃあ、なぜ「違くて」を例外として認めないのか、そこを聞かせてもらう。
Re: (スコア:0)
そりゃ音便なだけで、活用は同じでしょ (「行きて」と「書きて」)
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
まあ、「違かった」「違くて」「ちげーよ」の類を耳にするようになったのはごく最近ですし、
関東地方の(ある程度の)若年層以外の人には使われていないのではないかと思います。
方言がまともな日本語であるのと同程度にはまともな日本語なのかもしれませんが、今のところまだそのレベルを出ないのではないかと。少なくとも私にはまだ、「ちげーよ」は「ちげえねえ」というもっと昔からある表現と混乱して聞こえます。
#私は西日本の出身なので、関東の人がら抜き表現を使わないことに驚いています。「信じれん」じゃなくて「信じらんねえ」と、音便なのにわざわざ「ら」を入れている、みたいな。
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
>そりゃ音便なだけで、活用は同じでしょ (「行きて」と「書きて」)
音便の形が分かれた理由に論理的整合性が見いだせない、という指摘ですが。
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
>「ちげーよ」
「違うよ」の崩れであって「ちがくて」の用法とは違います。
>私は西日本の出身なので、関東の人がら抜き表現を使わないことに驚いています。
ほとんど関係ありません。
"ら"抜きも音便も発音の簡略化の側面がありますが、
「信じらんねぇ」を"ら"抜きで発音するのは簡略化されすぎて通じづらいので、さすがに「しんじんねぇ」とはなかなかならないでしょう。
むしろ音便化したからこそ、不自然に残っていると言えます。
私は近畿圏の人間ですが、ほとんど使わないどころか「帰れる」「変えれる」に関するという最も古い(らしい)"ら"抜き言葉を、まだ"ら"を抜かずに使っている人です。
「帰られへん」「変えられへん」とかいう形で。
近畿圏の人なら、この言い回しを変だとはほとんど思いませんよね。
音便の発達が進んでいて、なおかつラ行のリズムが重用で普段"ら"抜きを使う人でも言い回しによって"ら"が入ったりしがちのは、どちらかというと近畿圏だと思うんですけどね。
西日本ということなので、中国・九州と徳島の中心部を除く四国・沖縄になると違ってきますが。
=-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
ちなみに可能の"ら"抜き型ですが、この場合は「帰れる」「変えれる」の普及率がもはや非常に高いので、私は「帰れる」が7割ぐらい、「変えれる」は2割ぐらい揺らいで"ら"抜きになってますね。
帰れるの方を抜きやすいのは、日常会話で敬語としての「帰られる」用法が多いから、相手に通じにくくなってきたと心のどこかで意識してるからだと思います。
「変えられる」は、まだそうではないから、比較的ゆっくりしゃべってると自然に"ら"が入りますね。
同系の表現で「行かれる(これで可能の意味)」は、さすがに自分も使いません。
=-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
>>「ちげーよ」
>「違うよ」の崩れであって「ちがくて」の用法とは違います。
新形容詞である(?)「違い」が終止形で使われることは現状ないようなので、おっしゃる通りですね。
ただ、形としては「長いよ」→「なげーよ」の類と同じですから、将来本格的に「違い」が形容詞化することがあるなら、この形の活用が同じ語としてまとめられるかもしれないと妄想しました。
>「帰られへん」「変えられへん」とかいう形で。
あれ、そうですね。
地域によってら抜きへの抵抗感がかなり違うような気がしていたので、なんとなく東西の差かと思ってしまいました(ご明察の通り中国地方出身です)。ご指摘ありがとうございます。
ちょっとフォローつける場所が違いますが、「帰る」は五段活用なので、「帰れる」は「変えれる」とは違い「ら抜き」ではない可能動詞として、学校で教えられる文法に入っていると思います。
Re:プロプライエタリの訳は (スコア:1)
そのコメント全てが話のすり替えだなー。斜め上の目的を持ってるコメントに返事するのは面倒だよ。
>言語学者はきちんと普及の度合いを調査していますよ。
だから何?
自らは判断せずに言語学者の言説を権威として引用して何か判断している気になっている事について言ってるんだが、そんな解釈してて違和感とかなかったのか?
>#例外? じゃあ、なぜ「違くて」を例外として認めないのか、そこを聞かせてもらう。
最初の『「違い」を形容詞的に使う』という解釈だと新たに例外を増やす変化になるからだよ。
別の説明ができるならそれを聞いてみる事はできるがな。
まー元々「整合性がない」なんて思ってるんだから、整合性を判断基準にして善し悪しの判断なんてできるわきゃないんだが。
それと、誰がいつ日本語に完全な整合性があるだなんて事を言ったよ。言ってもいない事に反応されても困るな。
Re: (スコア:0)
作業コピーとchangesetの区別くらいつけなさい。
顧客向けにリリースするとき作業コピーをそのまま見せるのですか。ウィキペディアじゃあるまいし。
Re: (スコア:0)
>>どこの方言??
>自分が使わないからって、定着しつつあるものを否定するのは無駄だと思いますよ。
あなたは「方言?」と質問することを「否定している」と思うわけですね。
わかります。
Re: (スコア:0)
>あなたは「方言?」と質問することを「否定している」と思うわけですね。
つまり方言は否定さるべきものであると
はしなくも暴露しているわけだな。
言葉のバリエーションに理解があるような風を装っていても、語るに落ちるとはこのことだ。