アカウント名:
パスワード:
なぜ reo は「日本の総合大学だと〜gdgdになる」と思ったの? MIT のニュースリリースにもあるけど、ハーバードやスタンフォードも全学的な決定にはなっていないよね。
論文誌掲載論文の著作権の扱いは、分野や出版社によって結構違うから、全学的に統一方針を決めるのは本当に難しいと思う。MIT がこれをできたのは、伝統的に理工学が圧倒的に強い大学だからなんじゃないかな。
そもそも「論文」ってのは「論じた文なら何でも論文」だと思ってるのでは? > タレこみ人 研究者の世界で論文といえば査読を経て論文誌に掲載されたものだけ。つまり、著作権をその掲載誌に渡してしまってるので、自分のWEBサイトに掲載するもの自由にならない(ならなかった)もの。
もともとの発表ではscholarly articleとあるので、論文誌に掲載されたものだけでなく、とにかく所属教員の描いた学術文書は全部公開するってことかもしれないが、このあたりの英語のニュアンスがわからない。
個人的な感覚としては論文の著作権の扱いで難しいということよりも (もちろんそれはとても重要な要素の一つではあると思いますが) 、こういう全学規模の情報公開がどういう目的のもと予算を獲得して行われるだろうかという視点で考えます。日本の大学では、と限定できないかもしれないですが、こういった情報公開に関わる多額の予算が理事会で通るのは大学評価と結びつく時だろうなと。
大学評価と結びつくと今度は部局評価の向上が求められて、より高い達成度を実現するために部局配分経費を業績数に応じて傾斜配分しようとかそういう話が持ち上がるのも不思議な話ではありません。部局間でなく部局内であっても昇給評価基準に結びつけられるのではないかという話も持ち上がるでしょう。こういう時に、部局間だけでなく同じ部局内であっても学術論文を年に何十本も出す分野とそうでない文化を持つ分野とが混在しますので異論が上がるでしょう。配分経費と結びつかないなら、評価機関等から求められているわけでもない全学術論文の公開など行う必然性がない、ということで任意でいいじゃんというところに落ち着くだろうなと。反対意見を押しつぶすだけの意義が「フリーでオープンな学術交流の促進におけるリーダシップを示すこと」にあれば後はトレードオフの問題ですが、国立大学とかではどうかなと。総長主導のアクションプランとして明確に提示されてそれが推進されるとかだとまた違ってくるのかもしれません。
あとは僕の拙い知識を露呈しますが、MIT で文系というとすぐにチョムスキーが頭に浮かぶのですが、ああいう言語学の分野ってそんな他の工学系と異なって論文数も多くはないでしょうし、そういう論文数でどうこうという学内政治力学とは別の力学が働いているのかなとか思った次第にて候。
すでに論文情報公開の全学的システムを持っている総合大学は日本にもたくさんあります。 多額の予算って何でしょうか?
教員の任意の申請で論文の情報公開をするシステムと、原則全ての論文を情報公開するシステムとでは、システムの規模も必要な常駐人員も異なります。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
gdgd (スコア:1)
なぜ reo は「日本の総合大学だと〜gdgdになる」と思ったの? MIT のニュースリリースにもあるけど、ハーバードやスタンフォードも全学的な決定にはなっていないよね。
論文誌掲載論文の著作権の扱いは、分野や出版社によって結構違うから、全学的に統一方針を決めるのは本当に難しいと思う。MIT がこれをできたのは、伝統的に理工学が圧倒的に強い大学だからなんじゃないかな。
Re:gdgd (スコア:4, 参考になる)
研究者にとって、論文は読んでもらって(というか、引用してもらって)ナンボ、のもの。 大学の金で公開の仕組みを作るのに反対するなんて考えられない。 現在は学会/出版社ごとの著作権規定のせいで公開できないとか、公開できるがいろいろ面倒なのでさぼっている、とか、あるいは自力WEB公開のスキルはないが外注する金も無し、ってのが日本の大学の現状だ。僕の見る範囲では。
そもそも「論文」ってのは「論じた文なら何でも論文」だと思ってるのでは? > タレこみ人
研究者の世界で論文といえば査読を経て論文誌に掲載されたものだけ。つまり、著作権をその掲載誌に渡してしまってるので、自分のWEBサイトに掲載するもの自由にならない(ならなかった)もの。
もともとの発表ではscholarly articleとあるので、論文誌に掲載されたものだけでなく、とにかく所属教員の描いた学術文書は全部公開するってことかもしれないが、このあたりの英語のニュアンスがわからない。
Re:gdgd (スコア:1, 参考になる)
まぁ実際のところはそうとばかりも言えないというか……自分の業績と、周りの教授陣の業績とを比較されるのを嫌がる教授というのもいないわけではないので。さすがに表立ってそういうことを言うわけではないので、なんやかんやと脇道の方から文句を付けて潰そうという方もいます。教員採用人事とかと似たようなもんで、「反対する理由」は何とでもこじつけられるものでして…まぁ低レベルな話ではあるんですが。
それに加えて、やっぱネックになるのは独法化ですね。あれ以降、理事だの執行部だのなんやかんやと理由を付けて、文科省からの天下り(+渡り)が大学のトップに腰掛けてますから。基本的に彼らは事務方の人間なので、そういった「研究者の動機」というものについてあんまり考慮することはなく、事務方の発想でしか動かない。しかも彼らの目線は常に「中央」に向いてるというか、文科省の顔色を伺うことに終始してて、研究者や教員などの「現場」の声に耳を傾けるかというと、まず期待できません……要は自分が腰掛けている間は、現場の問題は「なかったこと」にして、文科省の意向を忠実に実行し、次にまたいい天下り先に行けるようにする。それだけ。そのために旧来の意思決定機構であった教授会は、自分らの「天下り天国」の維持に邪魔なので、その裁決力を極力絞り込んで、理事会なり執行部なり、自分たちを含んだところが決定権を握って、教授会を単なる「承認機関」にすり替えちゃってきてるわけで。今のところ、かろうじて拮抗できてるのは旧帝大くらいじゃないでしょうか。
なので、国内の大学ではこういう「全学挙げて」の動きが加速しにくく、相変わらず研究者各位がゲリラ的に行うのがベースにならざるを得ない。そのためには、自分の研究時間なんかのリソースを消費することは避けられないし、その活動について特別に大学(特に事務方)から支援を受けるのもあんまり期待できない(まー、研究室のウェブサイトの置き場の提供があるだけ、まだましだけど)、という状況だったりして。
「独立行政法人」になってる分、他の省庁なんかに比べると、「国の税金を使ってるんだから情報公開しろ!」という風当たりが「ほんの少しだけ」弱かったりはするんですが、それでも近年は「情報公開」ってのが、大学の中期目標なんかでキーワードになってるので、期待できるとしたらその辺りですかねぇ……つってもどっちかと言うと、大学単位で論文公開、とかいうより、そういうある意味美味しい(管理したがりな人達にとって、いかにも「仕事した」感がある)ネタには、いずれ文科省が手を出してきて、結局そこがgdgdなものを立ち上げてしまうんじゃないか、という気もしますけど。
Re: (スコア:0)
Re:gdgd (スコア:1)
個人的な感覚としては論文の著作権の扱いで難しいということよりも (もちろんそれはとても重要な要素の一つではあると思いますが) 、こういう全学規模の情報公開がどういう目的のもと予算を獲得して行われるだろうかという視点で考えます。日本の大学では、と限定できないかもしれないですが、こういった情報公開に関わる多額の予算が理事会で通るのは大学評価と結びつく時だろうなと。
大学評価と結びつくと今度は部局評価の向上が求められて、より高い達成度を実現するために部局配分経費を業績数に応じて傾斜配分しようとかそういう話が持ち上がるのも不思議な話ではありません。部局間でなく部局内であっても昇給評価基準に結びつけられるのではないかという話も持ち上がるでしょう。こういう時に、部局間だけでなく同じ部局内であっても学術論文を年に何十本も出す分野とそうでない文化を持つ分野とが混在しますので異論が上がるでしょう。配分経費と結びつかないなら、評価機関等から求められているわけでもない全学術論文の公開など行う必然性がない、ということで任意でいいじゃんというところに落ち着くだろうなと。反対意見を押しつぶすだけの意義が「フリーでオープンな学術交流の促進におけるリーダシップを示すこと」にあれば後はトレードオフの問題ですが、国立大学とかではどうかなと。総長主導のアクションプランとして明確に提示されてそれが推進されるとかだとまた違ってくるのかもしれません。
あとは僕の拙い知識を露呈しますが、MIT で文系というとすぐにチョムスキーが頭に浮かぶのですが、ああいう言語学の分野ってそんな他の工学系と異なって論文数も多くはないでしょうし、そういう論文数でどうこうという学内政治力学とは別の力学が働いているのかなとか思った次第にて候。
Hiroki (REO) Kashiwazaki
Re: (スコア:0)
個人的な感覚としては論文の著作権の扱いで難しいということよりも (もちろんそれはとても重要な要素の一つではあると思いますが) 、こういう全学規模の情報公開がどういう目的のもと予算を獲得して行われるだろうかという視点で考えます。日本の大学では、と限定できないかもしれないですが、こういった情報公開に関わる多額の予算が理事会で通るのは大学評価と結びつく時だろうなと。
すでに論文情報公開の全学的システムを持っている総合大学は日本にもたくさんあります。 多額の予算って何でしょうか?
Re:gdgd (スコア:1)
教員の任意の申請で論文の情報公開をするシステムと、原則全ての論文を情報公開するシステムとでは、システムの規模も必要な常駐人員も異なります。
Hiroki (REO) Kashiwazaki