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イギリスの法律は知りませんが日本の刑法にも侮辱罪(231条)というのはありますからこの種の発言で逮捕される可能性はあるかもですね。
言論の自由は、言論に対する責任を伴います。日本でも公の場でこの種の発言をするのなら逮捕、拘留される可能性があることを覚悟しておかないとなりませんね。
まあ刑法に触れるか否かにかかわらず、自分の発言に責任があることは承知しとくべきでしょう。言論ってのはそういうもんです。自分の発言に自信や信念があるのなら、逮捕されたり不都合な目にあっても痛くも痒くもないはずです。逮捕された程度で発言を曲げるなら、最初からそんな発言はしなきゃいいだけでしょう。
劉暁波氏がいまどう思っているかは本人に聞かないとわからないでしょうが変節したという、報道は今のところないようですね。
そもそも中国は、言論の自由が完全に認められている国ではありませんよね。政府や政策の批判をすれば捕まるリスクがある国なので、言論に対する責任の持ち方というのも、言論の自由が保証されている国とは変わらざるを得ないでしょう。
日本においては、少なくとも批判で捕まることはないことになってます。万が一、批判者が批判を理由に捕まったりするようなら、言論の自由が脅かされているということになる。まさか勘違いしているわけではないと思いますが、批判と侮辱は別物ですよ。
一例として挙げると、かつて山形浩生氏がSF評論の中で、事実に基づかない言説を弄して、その対象になった小谷真理氏から訴訟を起こされる、ということがありました。これは批判と侮辱を履き違えた良い例です。山形氏は過ちを認め責任をとったというか取らされた格好ですが、もし山形氏が自身の言説に自信があったなら、言論の自由を守るために徹底抗戦していただろうと思います。
このように自分の発言に自信があるのなら戦えばいいし、過ちがあるなら認めて責任を取ればいい。それが言論の自由ってもんでしょう。
中国では戦うことが認められていないのですから、日本などと同列に論じるのは難しいですね。そもそも劉暁波氏は政府批判の罪に問われているわけで、言論に対する責任を取るとか摂らないというのとは違うレイアーの問題のような気もします。
>投稿ボタンを押したのかな?
間違えない人間は居ないので間違いがないとは言いませんが、少なくとも間違えていると思っているのに投稿ボタンを押す人はいないなじゃないですか?
まあ刑法に触れるか否かにかかわらず、
とおっしゃっているので、この節では法律に関係ない、言論というものの普遍的なありかたについて「言論ってのはそういうもんです」述べているんですよね。言論の自由が認められているかどうかや発言の内容は、この流れに関係ありません。ただ、劉暁波氏はその発言によって拘束され、そしてそれは意思や信念に関わらずとてもつらいことだろう、ということを述べています。
そもそも劉暁波氏は政府批判の罪に問われているわけで、言論に対する責任を取るとか摂らないというのとは違うレイアーの問題のような気もします。
責任をとるかどうかという点ではなくて、逮捕拘留が痛くも痒くもないはずがない、という話です。どんな信念や自信ががあろうとなかろうと、逮捕拘留されることはつらいことです。そうでなければ中国政府も反体制派を拘束したりはしません。
まさか勘違いしているわけではないと思いますが、批判と侮辱は別物ですよ。
もちろん批判と侮辱は異なると思いますが、なんでその話???「侮辱による逮捕拘留は信念があれば痛くも痒くもないが、批判による逮捕拘留は信念があっても手痛い」と仰りたいのでしょうか???
少なくとも間違えていると思っているのに投稿ボタンを押す人はいないなじゃないですか?
「正しいと思ってボタンを押したか?」ではなくて、「覚悟をしてボタンを押したか?」です。 epgrec さんは先のコメントで、
日本でも公の場でこの種の発言をするのなら逮捕、拘留される可能性があることを覚悟しておかないとなりませんね。
とおっしゃっているのですが、スラドのこの書き込みもまさに日本の公の場の発言です。その投稿をする際に、ご自身がそのような覚悟をして投稿していらっしゃるのか、そうでなければ自己矛盾に陥ってはいないか、ということです。本当にそういう覚悟でスラドに投稿しているなら矛盾はありませんが、そんな重い覚悟でスラドに挑んでいる方がいることにびっくりすることになります。 (もしかすると、先のコメントは「この種の発言」ではないから覚悟は必要ないのだ、という意図かもしれませんが、
言論の自由は、言論に対する責任を伴います。
というのは普遍的な言論の責任を根拠に、「この種の発言」についても責任が存在すると主張しているんですよね。普遍的な内容を根拠にしているのだから、「覚悟をしておかなければなりませんね」というのも「この種の発言」に限らず主張されているんだと理解されます。)
このように自分の発言に自信があるのなら戦えばいいし、過ちがあるなら認めて責任を取ればいい。
まさにおっしゃるとおりですね。でも先ほどのコメント、
自分の発言に自信や信念があるのなら、逮捕されたり不都合な目にあっても痛くも痒くもないはずです。
とどう関連するんでしょう???戦う意志があれば、「逮捕されたり不都合な目にあっても痛くも痒くもない」ということ……?? 隣のACさんの、
ガリレオにはその信念がなかったんですね
はいい例ですね。「ガリレオは発言を撤回するくらいなら最初から地動説なんか主張しなきゃよかったのに」とは自分は決して思いません。言論弾圧の被害者です。考えを改めなければ処刑すると脅されたのは辛かったでしょう。当時の情勢を考えても、ガリレオが科学的に正しくあろうとした姿勢は立派だと思います。
fareastさんの元発言に賛同するんだけど、この反論文はいただけないです。このように一行一行を切り出して反応すると、単にあげ足を取ろうとしているようにしか見えないのです。
#全くの私信でオフトピですが、実にもったいないと思うので。
何が仰りたいのかさっぱりわからないし何に反論したいのかもよくわからない。
言論の自由のゲの字も何もなかった中世末期というかルネサンス初期のガリレオがいい例だといっているあたりも、よくわからないな。
ついでにガリレオについて豆知識を開陳しておくと、ガリレオの人柄が悪かったから裁判にかけられ追い込まれたのだとする説もあります。
アーサー・ケストラー「ヨハネス・ケプラー―近代宇宙観の夜明け」(ちくま文庫刊)
実際、16世紀頃になると知識層の間ではキリスト教の通念とは相容れない説が比較的自由に語られ、また執筆されていたという事実があります。そうした中でガリレオの裁判は突出している印象はあるようです。キリスト教の通念と相反するような知識はもっぱらラテン語の書物によって広められ、知識層の間だけで流布されているのであればローマも黙認していたが、俗語であるイタリア語で一般世間を啓蒙したのがまずかったのだとしている書物もあります。
山本義隆「一六世紀文化革命」(みすず書房刊)
いずれにしても16世紀は、キリスト教の通念と反するようなことを広めるのはローマーから目を付けられ火あぶりにされてても文句は言えない時代です。いちおう裁判めいた体裁はとっていますが、ガリレオの処遇はローマの腹一つでどうにでもなる時代ですよ。強いて言うなら、ガリレオのような経験を通して言論の自由といったような考え方が出てきたということじゃないですかね。
発散しすぎていて結局どこが重要なのかわからず、最終的に読むのを放棄されてしまうのではないかと思うんですよね。#匿名でえらそうに申し訳ないですが…
自分の発言に自信や信念があるのなら、逮捕されたり不都合な目にあっても痛くも 痒くもないはずです。逮捕された程度で発言を曲げるなら、最初からそんな発言は しなきゃいいだけでしょう。
は間違っている、ということです。その理由は先に述べたとおりです。
繰り返しになりますが、
ここ日本においては言論の自由は保証されていて、特定の個人や団体を誹謗中傷したり侮辱しない限り、言論そのものが犯罪になることはない、ということになっています。
したがって、この日本において言論が元で逮捕されたり不都合な目にあうことは基本的にないし仮にあった場合でも、戦うことが許されています。したがって、その発言が正当なものであるなら痛くも痒くもないでしょう。また、逮捕されたくらいで曲げるような発言なら、しなきゃいい。特定の個人や団体を誹謗したり侮辱するとかではない限り別に恐れることはないですよね。それが言論の自由というものだろう、と。
そして中国とか中世は別だろう、と。言論の自由がないわけですから。体制批判といったようなものが即、犯罪になり得るこれらの国や時代で、犯罪になりうる批判を行うのは大変な勇気がいることだろうと思いますよ。それは大変なことだし、苦痛を伴う場合もあるでしょうね。それと、日本で誰かさんを侮辱して喜ぶ行為と同列に扱うのはおかしいと思いますがね。
あなたのコメントは言論の自由のない国での話です。
もとのepgrec氏のは、言論の自由のある国で他人を侮辱した場合の話です。「確信犯で侮辱するなら刑務所も怖くない」というのはそういう意味です。侮辱をOKとする国際世論なぞ存在しませんからね。
>言論の自由は、言論に対する責任を伴います。>日本でも公の場でこの種の発言をするのなら逮捕、拘留される可能性があることを>覚悟しておかないとなりませんね。
から始まってるのに、
>ここ日本においては言論の自由は保証されていて、特定の個人や団体を誹謗中傷したり>侮辱しない限り、言論そのものが犯罪になることはない、ということになっています。
で締まるとは不思議なものですね。まぁそれはどうでもいいことなのかもしれませんが。
横からだけど「侮辱等するなら逮捕される可能性がある」という発言と「侮辱等をしなければ犯罪にならない」という発言に何の齟齬もないと思うが…
A: この日本において言論が元で逮捕されたり不都合な目にあうことは基本的にないし仮にあった場合でも、戦うことが許されています。
B: その発言が正当なものであるなら(逮捕されても)痛くも痒くもない。
eqgrecさんは「AならばBである」と言っているのだけど、私は(たぶんfareastさんも)なぜこのロジックが成り立つとepgrecさんが考えているのかがわからない。
なので、epgrec さんにお願いしたいのは、このロジックの説明です。
具体的には・・・
前提:.発言による逮捕要件は明確になっている(例:誹謗中傷すると逮捕される
揚げ足とったり茶化したりは勘弁してください。迷惑行為です。
「真面目に議論」は、やり取りの空気から議論の収束が予見できれば、本気で踏み込んでみるのも良いと思います。
スラドでは大筋では、スコアをもらえるコメントが正義という観点で良いのではないかと。
> 揚げ足とったり茶化したりは勘弁してください。迷惑行為です。
ということは、ここでのやりとりの中のひとつに迷惑行為があったと感じられたということですね。いったいどれのことなのだろう?正直わからない。
スコアについては、率直にいうと本家の/.のスコアはそこそこ信頼できるかなと思いますが、/.Jのスコアはしばしば謎のモデレートが散見されます。
揚げ足とったり茶化したりしてたほうがいいのかな、とか最近思う。
引用のみですみません。
気軽に差別的発言をして謝らないでも許される"自由"なんて、いりませんよ。
気軽に差別発言して謝って済む世の中のほうがいいそんな世の中なら、する方もされる方もお互い笑い事で済む程度の緩い差別しかないのだろうから。
厳しく取り締まるってことは、それだけ強権発動しなければならないほどの差別があるということでしょう
人権と言う何でも何でも美化してしまう言葉に隠れたあなたの狂暴性や残虐性を感じますね
キリスト教の最後の悪魔はルシファーです彼は善なる人間を装ってあなたをそそのかします
「個人サイトでもネット上なら公道と同じ」ってのと一緒で、一見クローズドに見せる感じでは有るけど、ひと手間かけると単なる公開サイト。つまり、つぶやき=世界へ公開。
単に自分でやっている事をちゃんと認識していないってだけだと思うよ。
そもそも人種的憎悪発言が具体的にどんなものだったのか、読んでもさっぱりわからなかった。「Muamba、彼は死んだ」だけで人種憎悪と見なされたとは思えないし、その後一体どんなすごい暴言を書いたんだろう?
いつからだろう呟きがひとりごとでなくなりみんなにわかるように世界中に向かって発信するようになったのは
#あっ、つぶやきシローからか?
いいえ、つぶやきの本質は変わっていないはずなんです。ただ、ぶつぶついってた独り言が聞き取れるようになっただけなんです。
ふざけてたとえるなら、みんなが補聴器みたいなものを持っててぼそぼそした声を聞き取れるようになって、ただ独り言をつぶやいたつもりが、他の人が突っ込みを入れてきた、というだけの話です。
まぁそもそもTweetをつぶやきと表現したのが間違いでしょう。
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気軽につぶやけない…… (スコア:2)
『人種的憎悪発言』くらいで逮捕するのはどうかと思う。
だってそれって、単なる個人の好き嫌いじゃないんだろうか。
なんかこれじゃあ、「やっぱり在日だな」って書くのもダメになりそうだよ。
そもそも人種的憎悪発言で逮捕って言うなら、日本人をjapとかバナナって表しただけでも逮捕されちゃうの?
黒人ユーザーに対して日本人が「This coffee tastes bitter(このコーヒー ニガー)」ってつぶやいただけで通報する人が出てきそうだよ。
こうなったらもう、よっぱらいツイートを法律で取り締まればいいさ。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:4, 参考になる)
イギリスの法律は知りませんが
日本の刑法にも侮辱罪(231条)というのはありますから
この種の発言で逮捕される可能性はあるかもですね。
言論の自由は、言論に対する責任を伴います。
日本でも公の場でこの種の発言をするのなら逮捕、拘留される可能性があることを
覚悟しておかないとなりませんね。
まあ刑法に触れるか否かにかかわらず、自分の発言に責任があることは
承知しとくべきでしょう。言論ってのはそういうもんです。
自分の発言に自信や信念があるのなら、逮捕されたり不都合な目にあっても痛くも
痒くもないはずです。逮捕された程度で発言を曲げるなら、最初からそんな発言は
しなきゃいいだけでしょう。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は民主化を求める自身の信念に従って活動を続け、その結果罪を問われて現在も収監されているけど、彼は信念に従って行動したから痛くも痒くもないと本当に思うのかな。逮捕されたり罪に問われることを甘く見すぎてる。長い間自由を拘束され、社会的な信用も失墜する。これは信念で覆せる問題じゃない。
あなたのその書き込みが何かの罪に当たるとは思わないけど、本当に「この書き込みで罪に問われない自信があり、正しいという信念があるから、たとえこの書き込みによって逮捕されても痛くも痒くもない」と覚悟してその投稿ボタンを押したのかな?
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2, 興味深い)
劉暁波氏がいまどう思っているかは本人に聞かないとわからないでしょうが変節したという、
報道は今のところないようですね。
そもそも中国は、言論の自由が完全に認められている国ではありませんよね。
政府や政策の批判をすれば捕まるリスクがある国なので、言論に対する責任の持ち方という
のも、言論の自由が保証されている国とは変わらざるを得ないでしょう。
日本においては、少なくとも批判で捕まることはないことになってます。万が一、批判者が
批判を理由に捕まったりするようなら、言論の自由が脅かされているということになる。
まさか勘違いしているわけではないと思いますが、批判と侮辱は別物ですよ。
一例として挙げると、かつて山形浩生氏がSF評論の中で、事実に基づかない言説を弄して、
その対象になった小谷真理氏から訴訟を起こされる、ということがありました。これは批判と
侮辱を履き違えた良い例です。
山形氏は過ちを認め責任をとったというか取らされた格好ですが、もし山形氏が自身の言説に
自信があったなら、言論の自由を守るために徹底抗戦していただろうと思います。
このように自分の発言に自信があるのなら戦えばいいし、過ちがあるなら認めて責任を
取ればいい。それが言論の自由ってもんでしょう。
中国では戦うことが認められていないのですから、日本などと同列に論じるのは
難しいですね。そもそも劉暁波氏は政府批判の罪に問われているわけで、
言論に対する責任を取るとか摂らないというのとは違うレイアーの問題のような
気もします。
>投稿ボタンを押したのかな?
間違えない人間は居ないので間違いがないとは言いませんが、
少なくとも間違えていると思っているのに投稿ボタンを押す人はいないなじゃないですか?
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
とおっしゃっているので、この節では法律に関係ない、言論というものの普遍的なありかたについて「言論ってのはそういうもんです」述べているんですよね。言論の自由が認められているかどうかや発言の内容は、この流れに関係ありません。ただ、劉暁波氏はその発言によって拘束され、そしてそれは意思や信念に関わらずとてもつらいことだろう、ということを述べています。
責任をとるかどうかという点ではなくて、逮捕拘留が痛くも痒くもないはずがない、という話です。どんな信念や自信ががあろうとなかろうと、逮捕拘留されることはつらいことです。そうでなければ中国政府も反体制派を拘束したりはしません。
もちろん批判と侮辱は異なると思いますが、なんでその話???「侮辱による逮捕拘留は信念があれば痛くも痒くもないが、批判による逮捕拘留は信念があっても手痛い」と仰りたいのでしょうか???
「正しいと思ってボタンを押したか?」ではなくて、「覚悟をしてボタンを押したか?」です。 epgrec さんは先のコメントで、
とおっしゃっているのですが、スラドのこの書き込みもまさに日本の公の場の発言です。その投稿をする際に、ご自身がそのような覚悟をして投稿していらっしゃるのか、そうでなければ自己矛盾に陥ってはいないか、ということです。本当にそういう覚悟でスラドに投稿しているなら矛盾はありませんが、そんな重い覚悟でスラドに挑んでいる方がいることにびっくりすることになります。
(もしかすると、先のコメントは「この種の発言」ではないから覚悟は必要ないのだ、という意図かもしれませんが、
というのは普遍的な言論の責任を根拠に、「この種の発言」についても責任が存在すると主張しているんですよね。普遍的な内容を根拠にしているのだから、「覚悟をしておかなければなりませんね」というのも「この種の発言」に限らず主張されているんだと理解されます。)
まさにおっしゃるとおりですね。でも先ほどのコメント、
とどう関連するんでしょう???戦う意志があれば、「逮捕されたり不都合な目にあっても痛くも痒くもない」ということ……??
隣のACさんの、
はいい例ですね。「ガリレオは発言を撤回するくらいなら最初から地動説なんか主張しなきゃよかったのに」とは自分は決して思いません。言論弾圧の被害者です。考えを改めなければ処刑すると脅されたのは辛かったでしょう。当時の情勢を考えても、ガリレオが科学的に正しくあろうとした姿勢は立派だと思います。
Re: (スコア:0)
fareastさんの元発言に賛同するんだけど、この反論文はいただけないです。
このように一行一行を切り出して反応すると、単にあげ足を取ろうとしているようにしか見えないのです。
#全くの私信でオフトピですが、実にもったいないと思うので。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
どういう風に説明するのがいいのかな……。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
何が仰りたいのかさっぱりわからないし何に反論したいのかもよくわからない。
言論の自由のゲの字も何もなかった中世末期というかルネサンス初期の
ガリレオがいい例だといっているあたりも、よくわからないな。
ついでにガリレオについて豆知識を開陳しておくと、
ガリレオの人柄が悪かったから裁判にかけられ追い込まれたのだとする説もあります。
アーサー・ケストラー「ヨハネス・ケプラー―近代宇宙観の夜明け」(ちくま文庫刊)
実際、16世紀頃になると知識層の間ではキリスト教の通念とは相容れない説が比較的自由に
語られ、また執筆されていたという事実があります。そうした中でガリレオの裁判は突出している
印象はあるようです。
キリスト教の通念と相反するような知識はもっぱらラテン語の書物によって広められ、知識層の
間だけで流布されているのであればローマも黙認していたが、俗語であるイタリア語で一般世間を
啓蒙したのがまずかったのだとしている書物もあります。
山本義隆「一六世紀文化革命」(みすず書房刊)
いずれにしても16世紀は、キリスト教の通念と反するようなことを広めるのはローマーから
目を付けられ火あぶりにされてても文句は言えない時代です。
いちおう裁判めいた体裁はとっていますが、ガリレオの処遇はローマの腹一つでどうにでもなる
時代ですよ。
強いて言うなら、ガリレオのような経験を通して言論の自由といったような考え方が
出てきたということじゃないですかね。
Re: (スコア:0)
発散しすぎていて結局どこが重要なのかわからず、最終的に読むのを放棄されてしまうのではないかと思うんですよね。
#匿名でえらそうに申し訳ないですが…
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
は間違っている、ということです。その理由は先に述べたとおりです。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
どうせ読んでもらえないなら、真面目に議論するのは諦めて、揚げ足とったり茶化したりしてたほうがいいのかな、とか最近思う。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
繰り返しになりますが、
ここ日本においては言論の自由は保証されていて、特定の個人や団体を誹謗中傷したり
侮辱しない限り、言論そのものが犯罪になることはない、ということになっています。
したがって、この日本において言論が元で逮捕されたり不都合な目にあうことは基本的にないし
仮にあった場合でも、戦うことが許されています。したがって、その発言が正当なものであるなら
痛くも痒くもないでしょう。また、逮捕されたくらいで曲げるような発言なら、しなきゃいい。
特定の個人や団体を誹謗したり侮辱するとかではない限り別に恐れることはないですよね。
それが言論の自由というものだろう、と。
そして中国とか中世は別だろう、と。言論の自由がないわけですから。
体制批判といったようなものが即、犯罪になり得るこれらの国や時代で、犯罪になりうる批判を
行うのは大変な勇気がいることだろうと思いますよ。それは大変なことだし、苦痛を伴う場合も
あるでしょうね。
それと、日本で誰かさんを侮辱して喜ぶ行為と同列に扱うのはおかしいと思いますがね。
Re: (スコア:0)
あなたのコメントは言論の自由のない国での話です。
もとのepgrec氏のは、言論の自由のある国で他人を侮辱した場合の話です。
「確信犯で侮辱するなら刑務所も怖くない」というのはそういう意味です。侮辱をOKとする国際世論なぞ存在しませんからね。
Re: (スコア:0)
>言論の自由は、言論に対する責任を伴います。
>日本でも公の場でこの種の発言をするのなら逮捕、拘留される可能性があることを
>覚悟しておかないとなりませんね。
から始まってるのに、
>ここ日本においては言論の自由は保証されていて、特定の個人や団体を誹謗中傷したり
>侮辱しない限り、言論そのものが犯罪になることはない、ということになっています。
で締まるとは不思議なものですね。
まぁそれはどうでもいいことなのかもしれませんが。
Re: (スコア:0)
横からだけど「侮辱等するなら逮捕される可能性がある」という発言と「侮辱等をしなければ犯罪にならない」という発言に何の齟齬もないと思うが…
Re: (スコア:0)
A: この日本において言論が元で逮捕されたり不都合な目にあうことは基本的にないし仮にあった場合でも、戦うことが許されています。
B: その発言が正当なものであるなら(逮捕されても)痛くも痒くもない。
eqgrecさんは「AならばBである」と言っているのだけど、私は(たぶんfareastさんも)なぜこのロジックが成り立つとepgrecさんが考えているのかがわからない。
なので、epgrec さんにお願いしたいのは、このロジックの説明です。
具体的には・・・
前提:
.発言による逮捕要件は明確になっている(例:誹謗中傷すると逮捕される
Re: (スコア:0)
揚げ足とったり茶化したりは勘弁してください。迷惑行為です。
「真面目に議論」は、やり取りの空気から議論の収束が予見できれば、本気で踏み込んでみるのも良いと思います。
スラドでは大筋では、スコアをもらえるコメントが正義という観点で良いのではないかと。
Re: (スコア:0)
> 揚げ足とったり茶化したりは勘弁してください。迷惑行為です。
ということは、ここでのやりとりの中のひとつに迷惑行為があったと感じられたということですね。
いったいどれのことなのだろう?正直わからない。
スコアについては、率直にいうと本家の/.のスコアはそこそこ信頼できるかなと思いますが、
/.Jのスコアはしばしば謎のモデレートが散見されます。
Re: (スコア:0)
揚げ足とったり茶化したりしてたほうがいいのかな、とか最近思う。
揚げ足とったり茶化したりは勘弁してください。迷惑行為です。
引用のみですみません。
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
→ツイッターは講演会みたいなもの? それとも酒飲みが店でくだ巻いてるようなイメージ?
→ネットを使ってない人、フォローしてない人、ツイッターを使ってない人、他人のつぶやきなんか気にしない人には無関係じゃないのか?
2:『気軽なはずのつぶやきを逮捕されるレベルにしているのは、第三者じゃないのか』
→ 広めてるのはフォロワーや、ツイートを勝手にまとめる人であり、さらには検索サイトでもあって、たとえフォローしてる人から下らないつぶやきが飛んできても、スルーすれば広がらないはず?
3:『好き嫌いを言ったり、一言でも間違ったことを言ったらアウトな社会なのか』
→「西欧人は肌が白いから好きです、アフリカ人は好きじゃないけど」→「おまえはアフリカ人は黒いって言いたいんだな!」ってことにならないだろうか
→公式な発言をするわけでもないのに、少しでも人種憎悪が絡む文言や背景やメタファーが混じってないかを気にしないといけないのか?
自分が不思議に思うのはこの点。
ツイッターとはその人の公式発言であり、一国の首相の言葉のような重みが存在していると言うことなのだろうか
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:1)
ガリレオにはその信念がなかったんですね
Re:気軽につぶやけない…… (スコア:2)
そうした歪みをを補正するときの力が現代にも反映しているから、仕方ないといえば仕方ないね。かつて人種差別が横行していた頃は、個人の好き嫌いにすぎない「人種的憎悪発言」すら徹底的に取り締まらないと、差別なんかとてもじゃないが解消しなかったんだろう。暴言のつけとして逮捕が釣り合うとは思わないけど、歴史がそのささいな暴言を何倍にも膨らませた結果だ。人権侵害は後の世で些細な好き嫌いの発言すら許されない罪へと変える、と言い換えることができるかもしれないね。
「言論の自由」なんて引っ張り出しても、答えなんか見つからないのにな。言論の自由は万能の権利なんかじゃなくて、他の権利との兼ね合いで存在する、大雑把な原則のひとつに過ぎない。「言論の自由」はそこに権利があることを教えてくれるが、それが差別にまつわる人権侵害より優先するかどうかは教えてくれない。その匙加減を決めるのは「言論の自由」なんていう原則じゃない。
Re: (スコア:0)
気軽に差別的発言をして謝らないでも許される"自由"なんて、いりませんよ。
Re: (スコア:0)
気軽に差別発言して謝って済む世の中のほうがいい
そんな世の中なら、する方もされる方もお互い笑い事で済む程度の緩い差別しかないのだろうから。
厳しく取り締まるってことは、それだけ強権発動しなければならないほどの差別があるということでしょう
Re: (スコア:0)
人権と言う何でも何でも美化してしまう言葉に隠れた
あなたの狂暴性や残虐性を感じますね
キリスト教の最後の悪魔はルシファーです
彼は善なる人間を装ってあなたをそそのかします
Re: (スコア:0)
「個人サイトでもネット上なら公道と同じ」
ってのと一緒で、一見クローズドに見せる感じでは有るけど、ひと手間かけると単なる公開サイト。
つまり、つぶやき=世界へ公開。
単に自分でやっている事をちゃんと認識していないってだけだと思うよ。
Re: (スコア:0)
そもそも人種的憎悪発言が具体的にどんなものだったのか、読んでもさっぱりわからなかった。
「Muamba、彼は死んだ」だけで人種憎悪と見なされたとは思えないし、その後一体どんなすごい暴言を書いたんだろう?
Re: (スコア:0)
いつからだろう
呟きが
ひとりごとでなくなり
みんなにわかるように
世界中に向かって
発信するようになったのは
#あっ、つぶやきシローからか?
Re: (スコア:0)
いいえ、つぶやきの本質は変わっていないはずなんです。
ただ、ぶつぶついってた独り言が聞き取れるようになっただけなんです。
ふざけてたとえるなら、みんなが補聴器みたいなものを持っててぼそぼそした声を聞き取れるようになって、
ただ独り言をつぶやいたつもりが、他の人が突っ込みを入れてきた、というだけの話です。
まぁそもそもTweetをつぶやきと表現したのが間違いでしょう。