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このケースでは猿の扱いをどうするかというところでもめてるのでまあどう転んでも他に影響は少なそうですが、「権利者不在の著作権」は多分近い将来大問題になります。
日本でもすでにいろいろ協議が始まっている(参考 [itmedia.co.jp])のですが、AIが作成した著作物に見える何かをどうするのか、という問題です。
小説の世界では新人賞の一次選考突破したような状況ですが、音楽の世界では自動作曲でそこそこ使えるものが作れるようになっています。そういった作品は現在の方式で言えばAIに作成指示した誰かに権利が行くことになりますが、数打ちゃ当たる方式でバリエーション違いの作品を量産しておいて権利だけ主張して他の作品にけちをつけたりする著作権ゴロが出ないかなどの懸念もあります。
著作権という制度自体を大幅に見直す時期に来ているのかもしれません。少なくともどんな駄作にも自然発生的に権利が湧くという現在の著作権システムは今後運用が極端に難しくなっていくのではないかと思います。
「詠み人知らず」と同じ扱いでいいんじゃないだろうか。誰の物かはわからないが、「誰か」の物ではない。もちろんフリーではないから勝手に使うことはできない。
とりあえず、そーゆーのを代理管理する団体を用意すれば?
本件の大本は、件のカメラマンが、自分が撮ったわけではない写真を自分名前で発表したこと、と考えられますよね。サルの著作権云々だと馬鹿げてるけど、「誰かの権利を侵害した」のではなく「自分に無い権利を行使した」ことは、許されてはいけないと思う。
管理団体の名前はJapan AI Society for Rights of Authors, Composers and Publishersでいいかな。
自動作曲はそれだけじゃ完成しないのと同じで、写真も撮って終わりじゃないんですよ。最終的にはプリントする時に加工処理が入るんだけど、エプソンやCANONが作ったAIが最後の処理をしているからといってプリントした写真が著作権者無しにはならないですよね。写真の場合は撮影者は素材を準備するだけ(カメラ側の自動処理もそれなりにある)、音楽の場合は素材を生成して最終的には人力(半自動も含む)の処理をしてるだけなので、小説の素材を揃えてテーマや文体を決めるといった執筆処理の前に人間が行う操作と大差は無いんじゃないかな。
プリントの有無なんて著作権にはまったく関係のないことだと思うけど
プリントの有無とかそういう個別の作業のこと云々ではなく、「作品として世に出したのは誰か」という事が論点になればいいのだと思う。
”自然の風景の芸術美”について、それを写真や動画や文章にして世に出した場合、世に出した人が著作権者であって、「○○山に吹く雨風が著作権者だ」と言い出す人はいないはず。(土はどうだ岩はどうだ山は死にますか海は死にますかってのは置いといて)「撮影」はボタン押せば(押させれば)できますが、撮ったものを取捨選択して世に出す出さないを決定するのは誰なんだ、という話。「著作」ってそういうところが大事だと思うんですよ。
少なくとも現時点ではヒトとそれ以外では大前提として線引きをしておいて、その上で「動物が撮った写真を世に出そうと言うのなら、世に出そうとした人がその”作品”の管理者であり、著作権者として妥当」なのだと思います。
#ややこしいのは「俺のカメラを盗んだサルから取り返したアイツが著作権者なのは気にくわない」または「俺の管理下でサルに撮らせようとしたら持ち逃げされて(以下同文)」みたいなケースでしょうが、まあそれは「盗品カメラで撮影されたものは誰の作品か」という別の問題として処理するとして。
「AIが数撃ちゃ当たるで乱造して公開した「作品」のなかの一つ」と、他の作品が似てるという場合、盗作判定されるかに尽きる。著作権が発生しても、盗作判定されなければ著作権侵害でない。
現在のところ、そうした「使われていないもの」を持ちだして、著作権侵害だという話はないようだし、もしあっても「その作品を見て盗作したとは考えられない」という判決が下るのでは。これは登録された版権ではなく、自然発生する著作権の問題である以上。
でもいずれ、そうした問題は起きるかもね。裁判所が適切な判断ができるか。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
権利はないが価値が生まれる状況を考える必要がありそう (スコア:1)
このケースでは猿の扱いをどうするかというところでもめてるのでまあどう転んでも他に影響は少なそうですが、「権利者不在の著作権」は多分近い将来大問題になります。
日本でもすでにいろいろ協議が始まっている(参考 [itmedia.co.jp])のですが、AIが作成した著作物に見える何かをどうするのか、という問題です。
小説の世界では新人賞の一次選考突破したような状況ですが、音楽の世界では自動作曲でそこそこ使えるものが作れるようになっています。
そういった作品は現在の方式で言えばAIに作成指示した誰かに権利が行くことになりますが、数打ちゃ当たる方式でバリエーション違いの作品を量産しておいて権利だけ主張して他の作品にけちをつけたりする著作権ゴロが出ないかなどの懸念もあります。
著作権という制度自体を大幅に見直す時期に来ているのかもしれません。少なくともどんな駄作にも自然発生的に権利が湧くという現在の著作権システムは今後運用が極端に難しくなっていくのではないかと思います。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:権利はないが価値が生まれる状況を考える必要がありそう (スコア:1)
「詠み人知らず」と同じ扱いでいいんじゃないだろうか。
誰の物かはわからないが、「誰か」の物ではない。
もちろんフリーではないから勝手に使うことはできない。
とりあえず、そーゆーのを代理管理する団体を用意すれば?
本件の大本は、件のカメラマンが、自分が撮ったわけではない写真を自分名前で発表したこと、と考えられますよね。
サルの著作権云々だと馬鹿げてるけど、「誰かの権利を侵害した」のではなく「自分に無い権利を行使した」ことは、許されてはいけないと思う。
Re: (スコア:0)
管理団体の名前はJapan AI Society for Rights of Authors, Composers and Publishersでいいかな。
Re: (スコア:0)
自動作曲はそれだけじゃ完成しないのと同じで、写真も撮って終わりじゃないんですよ。
最終的にはプリントする時に加工処理が入るんだけど、エプソンやCANONが作ったAIが最後の処理をしているからといってプリントした写真が著作権者無しにはならないですよね。
写真の場合は撮影者は素材を準備するだけ(カメラ側の自動処理もそれなりにある)、音楽の場合は素材を生成して最終的には人力(半自動も含む)の処理をしてるだけなので、小説の素材を揃えてテーマや文体を決めるといった執筆処理の前に人間が行う操作と大差は無いんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
プリントの有無なんて著作権にはまったく関係のないことだと思うけど
Re:権利はないが価値が生まれる状況を考える必要がありそう (スコア:1)
プリントの有無とかそういう個別の作業のこと云々ではなく、
「作品として世に出したのは誰か」という事が論点になればいいのだと思う。
”自然の風景の芸術美”について、それを写真や動画や文章にして世に出した場合、世に出した人が著作権者であって、「○○山に吹く雨風が著作権者だ」と言い出す人はいないはず。(土はどうだ岩はどうだ山は死にますか海は死にますかってのは置いといて)
「撮影」はボタン押せば(押させれば)できますが、撮ったものを取捨選択して世に出す出さないを決定するのは誰なんだ、という話。
「著作」ってそういうところが大事だと思うんですよ。
少なくとも現時点ではヒトとそれ以外では大前提として線引きをしておいて、その上で「動物が撮った写真を世に出そうと言うのなら、世に出そうとした人がその”作品”の管理者であり、著作権者として妥当」なのだと思います。
#ややこしいのは「俺のカメラを盗んだサルから取り返したアイツが著作権者なのは気にくわない」または「俺の管理下でサルに撮らせようとしたら持ち逃げされて(以下同文)」みたいなケースでしょうが、まあそれは「盗品カメラで撮影されたものは誰の作品か」という別の問題として処理するとして。
Re: (スコア:0)
「AIが数撃ちゃ当たるで乱造して公開した「作品」のなかの一つ」と、他の作品が似てるという場合、盗作判定されるかに尽きる。
著作権が発生しても、盗作判定されなければ著作権侵害でない。
現在のところ、そうした「使われていないもの」を持ちだして、著作権侵害だという話はないようだし、
もしあっても「その作品を見て盗作したとは考えられない」という判決が下るのでは。
これは登録された版権ではなく、自然発生する著作権の問題である以上。
でもいずれ、そうした問題は起きるかもね。裁判所が適切な判断ができるか。