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英語圏で言うところのタイプライターは戦前からあったし、向こうでは今でもわりと沢山の作家がPCではなくタイプライターで執筆活動しているがそれをそのまま日本語で作った、およそコピー機ほどの大きさがあり、天板にあたる部分に平仮名から常用漢字が全て載った部分があり、それを鉄のペンでポチポチやってく日本語版タイプライターのせいで、日本ではタイプライターが全く普及しなかった
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかったそれでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、悲しいことに日本ではそれは丁度、高度成長期からバブル好景気の頃だった
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかった
いやいやいや。日本語文書作成は当初はワープロ専用機の方が断然優れて高機能でしたよ。PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。だからワープロ専用機が爆発的に売れたんで、「専用機は全く流行らなかった」というのは事実ではない。PC のワープロ機能が少しずつ注目されるようになったのは、PC-98 上で「一太郎」が走るようになってからではなかったかしら? それだって、当初はワープロ専用機に比べると競争にならなかったと記憶しています。あくまでも「当初」ね。だから PC ワープロソフトに対してワープロ専用機の方が優れていて、圧勝していた時期は5~10年間位はあったんじゃないかしら?(一般向けワープロ専用機が登場したのは 1979年、ワープロ専用機の家庭普及率が最高に達したのが 1998年、パソコンの売り上げがワープロ専用機を逆転したのが 1999年、最後のワープロ専用機が発売されたのが 2000年。)当初は「キヤノワード」や JDL の「文作くん」なんかは高機能高価格のデスクトップ機でしたが、1980年代半ばから小型のタイプライター型のワープロが登場し始め、各社色々出していますが、東芝が出した Rupo が登場してから一気に家庭用ワープロの普及が進んだように記憶しております。
それでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、
「PC-98が50万とかしていた時代」に「キヤノワード80」は150万位してました(各種オプションを漬けての値段です)。当時としては珍しい白い背景に黒文字で表示する Mac のような画面で、スキャナや作図機能も付いておりました。「文作くん」とどちらにするか悩んだのですが、結局、ハードディスクを内蔵していた「キヤノワード80」にしました(1985年だったと記憶しております)。非常に重宝しましたし、稼いでくれましたが、パソコン (MS-DOS) に乗り換えた時に外字が全滅し、それ以来外字は絶対に使わない派になり、Unicode 登場に感涙した者です。
おっしゃる通り、ワープロ専用機の方が、使いやすくて文字変換も程よく良かった。
>PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。>東芝が出した Rupo中学生くらいの時に東芝Rupoを触るようになってその使いやすさを知っていると、当時のPCのワープロはだめだめだった特にマイクロソフトのワードは漢字変換がだめだめのウンコさんで、わざわざジャストシステムのIMEをいれてなんとかなったくらい。
ワープロの時代遅れ感がでたのは、PCとカラープリンタとの接続が楽になり手軽にカラー印刷ができるようになってからかな?
ワープロの時代遅れ感がでたのは、PCとカラープリンタとの接続が楽になり 手軽にカラー印刷ができるようになってからかな?
やはり1990年代になってから、パソコンの方が色々できて、ワープロにも使える。ワープロ機能はまだ専用機に比べるとイマイチだけれど、他の機能が便利なので、多少の不便には我慢するかといった感じでしたかね? そのうち、一太郎や他のワープロソフトの機能もだいぶマシになってきていましたしね。そう言えば、MS-DOS の時代には DynaBook だったのですが、ワープロは何を使っていたのかなぁ? 一太郎ではないことは間違いないのだけれど...。まぁ、メインは専ら MIFES でしたが...。あ、思い出した! 高電社の Koa-Techno Mate だった! 結局、ワープロ専用機がパソコンに敗退することになった最大の理由は1990年代に入ってから爆発的に流行り始めたパソコン通信だったんじゃないかと思っています。ワープロ専用機も頑張ってパソコン通信機能も実装し始めましたが数行のディスプレイではやはり無理があったのだと思います。
PC流行りだしたのって、1-2-3やエクセル他スプレッドシートソフトがPCにバンドルされて。何故か簡易DTP的に使うノウハウがもてはやされてワープロソフトも専用機も駆逐されたんだったりして。そしてネ申エクセルへ
ですねぇ
でも2000年後半になって衝撃的な事実を知るのです
学生時代に使ってた東芝ルポよかったわなんてほざいていたら先輩から
先輩「あー専用のほとんどな?MS-DOS上で動いてるよ、なんなら出番ぐもーど出そうか?」先輩「ほれ!」ワシ:「、、、、、すげー」
文豪mini5シリーズをCP/Mモードで起動なんてのも定番だったような。
これ知りませんでした。mini7はMS-DOSでラットトップどして使っていた人はいましたね
大容量フラッシュメモリ普及前だから、あの辺の世代のワープロ専用機って、起動都度ROM上のプログラムをRAMにコピーして動いていたと思うのだが、外字や頻度学習はどうやって保存してたのだろう?
友人がそれやってたの1988年頃。8インチに入ったLispを3.5インチにコピーしてたな。
FlashじゃないんだからROMをSRAMと同じように配置(書き込み指示線だけ外す)してやればRAMにコピーするまでもないぞ。機器内にデータを保存する場合はNVRAM(電池付きのSRAMないしはSRAMと電池と給電回路)で済ます。
パソコン通信なんてマニアックなもの使ってたのは極一部だから、淘汰に関与したとは思えない
「ニフティサーブはいずれなくなるか?」も30年前にしてみたかった質問だな
ウィキペで沿革をざっと見たが、30年前(1989年)といえばニフティサーブがパソコン通信サービスを開始してやっと2年。正直な回答としては、「先行きがどうなるかなんて全くわかりません」ではないだろうか。
>ワープロの時代遅れ感がでたのは、PCとカラープリンタとの接続が楽になり>手軽にカラー印刷ができるようになってからかな?
Win95の出現とインクジェット方式プリンターの普及、そしてデジカメの普及が大きかったと思う。とくに家庭向けでは。写真データやベクトルフォントを利用した自由度の高い版面編集と、インクリボンより高速で綺麗な印刷ができるようになった。それまでは、価格面でも性能面でも、パソコンがワープロ専用機に追い付いていなかった。
ワープロという機械に対しては、漢字変換や整形といった文書編集機としての性能もさることながら、(漢字タイプの延長としての)清書機、(プリントゴッコの進化系と
> 漢字変換や整形といった文書編集機としての性能もさることながら、> (漢字タイプの延長としての)清書機、(プリントゴッコの進化系としての)版面編集・印刷の性能も同様に重視
思い出した。そうそう、清書→印刷 こそが重要だった。(印刷物=原本,電子ファイル=バックアップ という傾向。ネットワークインフラ草創期ならなおさら。)
加えて「ワープロソフト」自身の機能・性能が、当初ワープロ専用機の後追いでしかなかったのもあると思う。たまに DOS 時代、System 6(Mac) 時代の「ワープロソフト」で遊ぶことがあるのだけど、現代に比べてその機能はあまり洗練されていない。特にレイアウト,簡易 DTP,文章作成支援などの点で、あくまでオマケだったり模索中だったり全く意識されてなかったり。まあ、ある程度は PC の性能も制約ではあったろうけど。
ワルツワードとか、中堅どころのテキストエディタという感じ。
>PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。だからワープロ専用機が爆発的に売れたんで、
そこは理由じゃない。だからこそワープロ専用機よりPCワープロが高機能になっても暫くはワープロ専用機のほうが売れていて、PCが安くなってソフトも安くなり、インターネットの一般開放でPCが普及してからワープロ専用機は廃れていっている。
数の上でワープロ専用機が多く出回ったのは、単純にPCより価格帯が顕著に低かったからではないですかね。
ネットが普及するまでは一般家庭でパソコン買ってもワープロ用途以外には使い道が殆どなかったのかも家庭用ゲーム機の普及でパソコンでゲームしたいって人も少数派だったろうしワープロにしか使わないなら安い方を買っちゃうよね
ワープロ専用機のほうが、一般的に高額でしたよ。
>PCワープロが高機能になっても一太郎はまぁよかったんだろうけど、結局行の管理がアレで使いにくいWordのプリインでそれすらも淘汰されてしまったのを考えると安く手に入るってのが一番凶悪な武器だったんだろうなぁ・・・
最初はしょぼかったwordもバージョンアップで一太郎っぽい使い方でできるようになってきたし。原稿用紙みたいに字数が簡単に分からないと困るというのもだんだん聞かなくなったし。wordモデルのスプレッドシートはEXCELだったし。一太郎自体を知らない初心者がどんどん入ってきたし。
# そういやLotusモデルというのも売っていたな。
> PC のワープロ機能が少しずつ注目されるようになったのは、PC-98 上で「一太郎」が走るようになってからではなかったかしら?
98上でのワープロの機能なら一太郎の前に松があるね。じゃあ一太郎の何が優れていたかというと、松に対して後発の一太郎が圧倒的に安かった。(たしか10万円対6万円)
それに、注目されるというか認知度アップに貢献したのはver2や3のコピーの蔓延が一番大きいと思う。プロテクトでガチガチになっていたら一太郎の天下は無かったろうし、ワープロ専用機の延命に一役かったかもしれない。
プロテクトでガチガチになっていたら一太郎の天下は無かったろうし
記憶違いだったらごめんなさい。当時、「一太郎」をパソコンの内蔵 HDD にインストールしようとすると、「一太郎」はハードディスクをおもむろに初期化して、すでにインストールされている他社のソフトなども全部消去し、「一太郎」専用マシンにしていたように記憶しているのですが? とんでもない仕様だったと思っています。まぁ、それだけ当時の HDD は容量も少なく、複数のソフトをインストールして使うという発想がまだまだなかった時代だったからかも知れません。 「駅すぱあと」もフロッピーで提供されていたのですが、ボチボチ HDD 内蔵のノートパソコンも出回り始めていたので、同社に「是非ともハードディスクにインストールできるように検討していただきたい」と要望を出したら、暫くして HDD にインストールできるようにしてくれました。不正インストール防止のためにオリジナルのフロッピーに HDD 情報が書き込まれ、パソコンを交換する時には一度 HDD からオリジナルのフロッピーに鍵を書き戻し、新たに新しい HDD にインストールできるようにするという仕組みで、当時としてはよく考えられていたと感じていました。その時「一太郎」の HDD インストールの仕組みを聞いたので呆れ果てた記憶があります。自分は「一太郎」は使っていなかったので、ことの真偽はわかりませんが...。
当時、「一太郎」をパソコンの内蔵 HDD にインストールしようとすると、「一太郎」はハードディスクをおもむろに初期化して、すでにインストールされている他社のソフトなども全部消去し、「一太郎」専用マシンにしていたように記憶しているのですが?
自分は「一太郎」は使っていなかったので、ことの真偽はわかりませんが...。
当時自分で使ってなくて真偽の程も分からない話で他人に何を伝えたいんだろう?
評判の「一太郎」なるワープロをインストールしてみたかったのですが、当時、あちこちの雑誌で「『一太郎』をハードディスクにインストールすると、まずハードディスクが初期化されるので注意!」という記事(複数)を読んでいたので、怖くて試せなかったのですよ。 ですから、当時(1990~91年頃?)の状況を知っている方には是非本当はどうだったか教えていただきたいのですよ。ご存知ですか?
> 「『一太郎』をハードディスクにインストールすると、まずハードディスクが初期化されるので注意!」
そんなことは聞いたこともない。初期の松(松85より前)ならともかく、一太郎は最初からMS-DOSアプリですよ。Ver.3からはプロテクトも外していたので起動時にFDを入れとく必要も無かった。あとVer.2の段階でIME(当時の言い方ではFEP)を分離してデバイスドライバ化し、他のソフトからもATOKを利用できるようになっていたくらいで、専用機化なんて話は無い。自分はconfig.sysやautoexec.batを勝手に触られるのがイヤだったからソフト付属のインストーラなんて使わなかったけど、それでも周りでそんな目にあった人は聞いたことがないなあ。むしろ、松のほうがプロテクトも強力だったし、専用の起動FD(N88-Basicだけど)で動いていた(それが敗因の一つでもあった。松85でDOSアプリ化し、価格も下げ、さらに新松でプロテクト外したりカスタマイズ性を高めたりしたが時すでに遅し)。
大枚はたいてまで購入して使いたかったなら、店員に聞き、それも信じられなければジャストシステムに直接聞けば良かったと思うんだけど。
80年代後半だから、暇な店員をつかまえればその場で電話して確認してくれたかもしれない。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:-1)
英語圏で言うところのタイプライターは戦前からあったし、向こうでは今でもわりと沢山の作家がPCではなくタイプライターで執筆活動しているが
それをそのまま日本語で作った、およそコピー機ほどの大きさがあり、天板にあたる部分に平仮名から常用漢字が全て載った部分があり、それを鉄のペンでポチポチやってく日本語版タイプライターのせいで、日本ではタイプライターが全く普及しなかった
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかった
それでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、悲しいことに日本ではそれは丁度、高度成長期からバブル好景気の頃だった
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:5, 参考になる)
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかった
いやいやいや。日本語文書作成は当初はワープロ専用機の方が断然優れて高機能でしたよ。PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。だからワープロ専用機が爆発的に売れたんで、「専用機は全く流行らなかった」というのは事実ではない。PC のワープロ機能が少しずつ注目されるようになったのは、PC-98 上で「一太郎」が走るようになってからではなかったかしら? それだって、当初はワープロ専用機に比べると競争にならなかったと記憶しています。あくまでも「当初」ね。だから PC ワープロソフトに対してワープロ専用機の方が優れていて、圧勝していた時期は5~10年間位はあったんじゃないかしら?(一般向けワープロ専用機が登場したのは 1979年、ワープロ専用機の家庭普及率が最高に達したのが 1998年、パソコンの売り上げがワープロ専用機を逆転したのが 1999年、最後のワープロ専用機が発売されたのが 2000年。)当初は「キヤノワード」や JDL の「文作くん」なんかは高機能高価格のデスクトップ機でしたが、1980年代半ばから小型のタイプライター型のワープロが登場し始め、各社色々出していますが、東芝が出した Rupo が登場してから一気に家庭用ワープロの普及が進んだように記憶しております。
それでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、
「PC-98が50万とかしていた時代」に「キヤノワード80」は150万位してました(各種オプションを漬けての値段です)。当時としては珍しい白い背景に黒文字で表示する Mac のような画面で、スキャナや作図機能も付いておりました。「文作くん」とどちらにするか悩んだのですが、結局、ハードディスクを内蔵していた「キヤノワード80」にしました(1985年だったと記憶しております)。非常に重宝しましたし、稼いでくれましたが、パソコン (MS-DOS) に乗り換えた時に外字が全滅し、それ以来外字は絶対に使わない派になり、Unicode 登場に感涙した者です。
Re: (スコア:0)
おっしゃる通り、ワープロ専用機の方が、使いやすくて文字変換も程よく良かった。
>PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。
>東芝が出した Rupo
中学生くらいの時に東芝Rupoを触るようになって
その使いやすさを知っていると、当時のPCのワープロはだめだめだった
特にマイクロソフトのワードは漢字変換がだめだめのウンコさんで、わざわざ
ジャストシステムのIMEをいれてなんとかなったくらい。
ワープロの時代遅れ感がでたのは、PCとカラープリンタとの接続が楽になり
手軽にカラー印刷ができるようになってからかな?
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
ワープロの時代遅れ感がでたのは、PCとカラープリンタとの接続が楽になり
手軽にカラー印刷ができるようになってからかな?
やはり1990年代になってから、パソコンの方が色々できて、ワープロにも使える。ワープロ機能はまだ専用機に比べるとイマイチだけれど、他の機能が便利なので、多少の不便には我慢するかといった感じでしたかね? そのうち、一太郎や他のワープロソフトの機能もだいぶマシになってきていましたしね。そう言えば、MS-DOS の時代には DynaBook だったのですが、ワープロは何を使っていたのかなぁ? 一太郎ではないことは間違いないのだけれど...。まぁ、メインは専ら MIFES でしたが...。あ、思い出した! 高電社の Koa-Techno Mate だった!
結局、ワープロ専用機がパソコンに敗退することになった最大の理由は1990年代に入ってから爆発的に流行り始めたパソコン通信だったんじゃないかと思っています。ワープロ専用機も頑張ってパソコン通信機能も実装し始めましたが数行のディスプレイではやはり無理があったのだと思います。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:1)
PC流行りだしたのって、1-2-3やエクセル他スプレッドシートソフトがPCにバンドルされて。
何故か簡易DTP的に使うノウハウがもてはやされてワープロソフトも専用機も駆逐されたんだったりして。
そしてネ申エクセルへ
Re: (スコア:0)
ですねぇ
でも2000年後半になって衝撃的な事実を知るのです
学生時代に使ってた東芝ルポよかったわ
なんてほざいていたら先輩から
先輩「あー専用のほとんどな?MS-DOS上で動いてるよ、なんなら出番ぐもーど出そうか?」
先輩「ほれ!」
ワシ:「、、、、、すげー」
Re: (スコア:0)
文豪mini5シリーズをCP/Mモードで起動なんてのも定番だったような。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
これ知りませんでした。
mini7はMS-DOSでラットトップどして使っていた人はいましたね
Re: (スコア:0)
大容量フラッシュメモリ普及前だから、あの辺の世代のワープロ専用機って、起動都度ROM上のプログラムをRAMにコピーして動いていたと思うのだが、外字や頻度学習はどうやって保存してたのだろう?
Re: (スコア:0)
友人がそれやってたの1988年頃。
8インチに入ったLispを3.5インチにコピーしてたな。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
Re: (スコア:0)
FlashじゃないんだからROMをSRAMと同じように配置(書き込み指示線だけ外す)してやればRAMにコピーするまでもないぞ。
機器内にデータを保存する場合はNVRAM(電池付きのSRAMないしはSRAMと電池と給電回路)で済ます。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
ちなみに、ある日突然ハードディスクがガリガリと音を出したと思ったら、モニターに「ハードディスクの寿命です」とか何とか出てからご臨終遊ばしたのには驚きました。
Re: (スコア:0)
パソコン通信なんてマニアックなもの使ってたのは極一部だから、淘汰に関与したとは思えない
Re: (スコア:0)
「ニフティサーブはいずれなくなるか?」も30年前にしてみたかった質問だな
Re: (スコア:0)
ウィキペで沿革をざっと見たが、30年前(1989年)といえばニフティサーブがパソコン通信サービスを開始してやっと2年。
正直な回答としては、「先行きがどうなるかなんて全くわかりません」ではないだろうか。
Re: (スコア:0)
>ワープロの時代遅れ感がでたのは、PCとカラープリンタとの接続が楽になり
>手軽にカラー印刷ができるようになってからかな?
Win95の出現とインクジェット方式プリンターの普及、そしてデジカメの普及が大きかったと思う。とくに家庭向けでは。
写真データやベクトルフォントを利用した自由度の高い版面編集と、
インクリボンより高速で綺麗な印刷ができるようになった。
それまでは、価格面でも性能面でも、パソコンがワープロ専用機に追い付いていなかった。
ワープロという機械に対しては、漢字変換や整形といった文書編集機としての性能もさることながら、
(漢字タイプの延長としての)清書機、(プリントゴッコの進化系と
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:1)
> 漢字変換や整形といった文書編集機としての性能もさることながら、
> (漢字タイプの延長としての)清書機、(プリントゴッコの進化系としての)版面編集・印刷の性能も同様に重視
思い出した。そうそう、清書→印刷 こそが重要だった。
(印刷物=原本,電子ファイル=バックアップ という傾向。ネットワークインフラ草創期ならなおさら。)
加えて「ワープロソフト」自身の機能・性能が、当初ワープロ専用機の後追いでしかなかったのもあると思う。
たまに DOS 時代、System 6(Mac) 時代の「ワープロソフト」で遊ぶことがあるのだけど、
現代に比べてその機能はあまり洗練されていない。特にレイアウト,簡易 DTP,文章作成支援などの点で、
あくまでオマケだったり模索中だったり全く意識されてなかったり。
まあ、ある程度は PC の性能も制約ではあったろうけど。
ワルツワードとか、中堅どころのテキストエディタという感じ。
Re: (スコア:0)
>PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。だからワープロ専用機が爆発的に売れたんで、
そこは理由じゃない。
だからこそワープロ専用機よりPCワープロが高機能になっても暫くはワープロ専用機のほうが売れていて、PCが安くなってソフトも安くなり、インターネットの一般開放でPCが普及してからワープロ専用機は廃れていっている。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
数の上でワープロ専用機が多く出回ったのは、単純にPCより価格帯が顕著に低かったからではないですかね。
Re: (スコア:0)
ネットが普及するまでは一般家庭でパソコン買ってもワープロ用途以外には使い道が殆どなかったのかも
家庭用ゲーム機の普及でパソコンでゲームしたいって人も少数派だったろうし
ワープロにしか使わないなら安い方を買っちゃうよね
Re: (スコア:0)
ワープロ専用機のほうが、一般的に高額でしたよ。
Re: (スコア:0)
>PCワープロが高機能になっても
一太郎はまぁよかったんだろうけど、結局行の管理がアレで使いにくいWordのプリインでそれすらも淘汰されてしまったのを考えると安く手に入るってのが一番凶悪な武器だったんだろうなぁ・・・
Re: (スコア:0)
最初はしょぼかったwordもバージョンアップで一太郎っぽい使い方でできるようになってきたし。
原稿用紙みたいに字数が簡単に分からないと困るというのもだんだん聞かなくなったし。
wordモデルのスプレッドシートはEXCELだったし。
一太郎自体を知らない初心者がどんどん入ってきたし。
# そういやLotusモデルというのも売っていたな。
Re: (スコア:0)
> PC のワープロ機能が少しずつ注目されるようになったのは、PC-98 上で「一太郎」が走るようになってからではなかったかしら?
98上でのワープロの機能なら一太郎の前に松があるね。
じゃあ一太郎の何が優れていたかというと、松に対して後発の一太郎が圧倒的に安かった。
(たしか10万円対6万円)
それに、注目されるというか認知度アップに貢献したのはver2や3のコピーの蔓延が一番大きいと思う。
プロテクトでガチガチになっていたら一太郎の天下は無かったろうし、ワープロ専用機の延命に一役かったかもしれない。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
プロテクトでガチガチになっていたら一太郎の天下は無かったろうし
記憶違いだったらごめんなさい。当時、「一太郎」をパソコンの内蔵 HDD にインストールしようとすると、「一太郎」はハードディスクをおもむろに初期化して、すでにインストールされている他社のソフトなども全部消去し、「一太郎」専用マシンにしていたように記憶しているのですが? とんでもない仕様だったと思っています。まぁ、それだけ当時の HDD は容量も少なく、複数のソフトをインストールして使うという発想がまだまだなかった時代だったからかも知れません。
「駅すぱあと」もフロッピーで提供されていたのですが、ボチボチ HDD 内蔵のノートパソコンも出回り始めていたので、同社に「是非ともハードディスクにインストールできるように検討していただきたい」と要望を出したら、暫くして HDD にインストールできるようにしてくれました。不正インストール防止のためにオリジナルのフロッピーに HDD 情報が書き込まれ、パソコンを交換する時には一度 HDD からオリジナルのフロッピーに鍵を書き戻し、新たに新しい HDD にインストールできるようにするという仕組みで、当時としてはよく考えられていたと感じていました。その時「一太郎」の HDD インストールの仕組みを聞いたので呆れ果てた記憶があります。自分は「一太郎」は使っていなかったので、ことの真偽はわかりませんが...。
Re: (スコア:0)
当時、「一太郎」をパソコンの内蔵 HDD にインストールしようとすると、「一太郎」はハードディスクをおもむろに初期化して、すでにインストールされている他社のソフトなども全部消去し、「一太郎」専用マシンにしていたように記憶しているのですが?
自分は「一太郎」は使っていなかったので、ことの真偽はわかりませんが...。
当時自分で使ってなくて真偽の程も分からない話で他人に何を伝えたいんだろう?
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
当時自分で使ってなくて真偽の程も分からない話で他人に何を伝えたいんだろう?
評判の「一太郎」なるワープロをインストールしてみたかったのですが、当時、あちこちの雑誌で「『一太郎』をハードディスクにインストールすると、まずハードディスクが初期化されるので注意!」という記事(複数)を読んでいたので、怖くて試せなかったのですよ。
ですから、当時(1990~91年頃?)の状況を知っている方には是非本当はどうだったか教えていただきたいのですよ。ご存知ですか?
Re: (スコア:0)
> 「『一太郎』をハードディスクにインストールすると、まずハードディスクが初期化されるので注意!」
そんなことは聞いたこともない。初期の松(松85より前)ならともかく、一太郎は最初からMS-DOSアプリですよ。Ver.3からはプロテクトも外していたので起動時にFDを入れとく必要も無かった。あとVer.2の段階でIME(当時の言い方ではFEP)を分離してデバイスドライバ化し、他のソフトからもATOKを利用できるようになっていたくらいで、専用機化なんて話は無い。自分はconfig.sysやautoexec.batを勝手に触られるのがイヤだったからソフト付属のインストーラなんて使わなかったけど、それでも周りでそんな目にあった人は聞いたことがないなあ。
むしろ、松のほうがプロテクトも強力だったし、専用の起動FD(N88-Basicだけど)で動いていた(それが敗因の一つでもあった。松85でDOSアプリ化し、価格も下げ、さらに新松でプロテクト外したりカスタマイズ性を高めたりしたが時すでに遅し)。
Re: (スコア:0)
大枚はたいてまで購入して使いたかったなら、店員に聞き、
それも信じられなければジャストシステムに直接聞けば良かったと
思うんだけど。
80年代後半だから、暇な店員をつかまえればその場で電話して
確認してくれたかもしれない。