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そりゃ観音様だってお寺さんだってどこかのタイミングで建立なり修繕なりするんだけどさ、こういう所をおおっぴらにやられると正直どっちの観音様に手を合わせたらいいのかわからなくなるですよ。仏師の遺族も寺も爺ちゃんや母ちゃんの信仰心を馬鹿にするようなことはやめて欲しいなと思う。
仏教徒は仏像を通して「仏様」を拝んでいるわけであって、仏像の姿(仏師の著作物)そのものを拝んでいるわけじゃないですから、拝む対象物が改変されても、それはそれとして受け入れて良いんじゃないでしょうか。例えば、墓石や位牌、仏壇などがなんらかの理由で変わったり増えたりしても、祖先を偲ぶ心や先は変わらないでしょう。
こういう問題を信仰心とかけ離れたところでおおっぴらに騒がれるのはやめて欲しいというのには同意致します。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
信仰心のやりどころに困る (スコア:0)
そりゃ観音様だってお寺さんだってどこかのタイミングで建立なり修繕なりするんだけどさ、
こういう所をおおっぴらにやられると正直どっちの観音様に手を合わせたらいいのかわからなくなるですよ。
仏師の遺族も寺も爺ちゃんや母ちゃんの信仰心を馬鹿にするようなことはやめて欲しいなと思う。
Re:信仰心のやりどころに困る (スコア:1)
Re:信仰心のやりどころに困る (スコア:1)
それに、ただの芸術家なら「作者の意図にそぐわない改変」を通すのは正しいかもしれませんが、「住職にも檀家にも参拝者にも違和感を与える」ということは、仏師としては「人々に不快感を与える失敗作」と言えるかもしれません。
もしかすると仏師の遺族的には「仏様1体丸ごとの交換」のほうが”美術品”として見るにはよかったのかもしれませんね。
#そうしなかったのは金銭的な物なのか表情以外はとても優れた物だったのか。
#何にしてもこの仏師が「信仰を集められなかった失敗作を作ってしまった」事が寺と檀家さんとそこを訪れた参拝者以外にまで広く知れ渡ったことは確かですが。
Re: (スコア:0)
仏教徒は仏像を通して「仏様」を拝んでいるわけであって、仏像の姿(仏師の著作物)そのものを拝んでいるわけじゃないですから、
拝む対象物が改変されても、それはそれとして受け入れて良いんじゃないでしょうか。
例えば、墓石や位牌、仏壇などがなんらかの理由で変わったり増えたりしても、祖先を偲ぶ心や先は変わらないでしょう。
こういう問題を信仰心とかけ離れたところでおおっぴらに騒がれるのはやめて欲しいというのには同意致します。
Re: (スコア:0)
やっぱり宗教を信じていなくても遺跡のようなものは形として残っていて欲しい