Anonymous Poweredの日記: ニュースで測る自分の純度
情報がどうにも過多な世の中になり、情報の取捨選択をするのが日常になっている。
「スルー力」なんてのもメディアリテラシーの技術の一つには違いない。
おっさんぽく、ふと自分の子供の頃を思うと、人が得られる情報は人の処理能力内におさまっていた。
だからテレビニュースのように雑多なコンテンツがプッシュ型に流れる情報も延々と見ていられた。
で現在、ニュースの量が増えすぎて全部見渡すことなんてできなくなった。
そこで取捨選択をしていく。
見たくないものはスルー力を駆使して排除していくと、自分が見たいニュースだけでその日の自分を埋め尽くせるようになった。
世の中は自分の想像の範囲に収まってしまった。
・・・と思った。
自分の一日の許容量の情報を、自分の興味の範囲だけで埋めてしまったから。
そうやって自分の純度を高くしていけばいくほど、形而上的存在になっていく気がする。
これって実はまずいことなんだな。
自分が見てない範囲のことを見ないようにしてるだけだから。
足元に火がついていても、肛門が閉鎖されそうになってても、見たくなければそれは実害が出るまでは「なかったこと」。
人間てもっと下世話で具体的でウンコウンコーヽ( ・∀・)ノ●なもの。
大脳皮質の理性の皮一枚の下には、地底のマグマみたいに理不尽の塊がある。
それと、自分が知らないといけないこと(社会的に要求されていること)は、自分の知識範囲より当然広いわけだ。
ニュース、自分が見たくないようなものこそ見ないといけないんだわな…。
さてウンコ行ってくる。