Paranoided Cowardの日記: ハズカ式企画第1弾 --日本語を練習するための掲示板計画--
企画だ何だかんだといって「ナニナニなにが始まるん?」と期待させ、それでいて、 騙すというほどにも注目されず、思い出せば高校の学級当番日誌に言行不一致と書かれて以来これは変っていない。 それが今ではネットで後腐れなく逃げられるようになり、ずいぶん気軽になった。 トイレですっきりし[DEL 緊張 DEL][NEW おつむ NEW]がゆるむとついまた新企画を思い描いてしまう…
今度の企画は、掲示板の捉え方を「議論しよう」から「校正しよう」に転換するというコンセプトである。
この企画の土台は、掲示板の役割とは何かを考えてみるところから始まる。 僕は掲示板とは議論を期待するところだと頑に思ってきたけど、どうも違う。 「議論をしよう」とすれば事実か正確かが問題となり、 そのため正確な文章を書くにはいろいろ調べなくちゃならないし時間が掛かる、早々に書けるはずがない。 かといって書けるまで投稿を控えるのも辛い。 これを我慢するのは体に良くないので、トイレを目前に漏らしたかのような辛い文章で溢れることになる。 「校正しよう」とは、文章の表現力を検討し工夫し改善しようとする試みである。
この企画は、文章が悪意であろうが善意であろうが嘘であろうが事実であろうがどうでもよく、 飽くまで校正という立場からのツッコミを支持し、マーケティングにも似た捉え方によって、 「主張を伝える」という目的の下に「私ならあなたの主張をこう展開する、こう表現するよ」と売り込みの優劣を競うゲームあり、 如何に説得力を持たせ日本語として読みやすく解かりやすく文章をまとめ、 多くの人にアピールするものを作り上げることがテーマである。 そして、掲示板の役割や面白は、表現を競うゲーム性にあると思うのだ。
表現を競うというゲーム性を向上させる上で重要になってくるのが、日本語の能力である。 この観点では、言葉尻や漢字や文章構成を捉えた、枝葉へのツッコミは歓迎されるべきであり、 これを気軽に指摘できる土壌を作るために「日本語の練習の場としての掲示板」という認識を 前面に出すという考えに至る。 「校正」という能力が土台となり、自己主張強化の為に事実の把握が行われ、 より多くの人達の共感を得るよう相手の立場を想定しすることにより悪意は抑えられ、 表現は工夫されて理解されやすくなり、その中で尊敬や信頼を獲得して行くことで、 結果的に「議論」の質の向上へ繋がるのである。
日本語を練習したいエナジーが溢れていることは確かだ。 日本語については誰もが20年、30年と年期が入ってるんでお互い譲らず度々フレームという現象を引き起し、 ついこの前もトテツモナイエナジーが消費されているのを目撃したばりである。 その時の僕はというと、今の心境に達していないものだから、 大層な長文のツッコミを途中まで書いてみて、僕の中のはにかみやさんがしまい込んでしまった。 僕のように中の人がはにかみやさんであっても、校正が奨励されていれば辛い思いをせずに済むし、 何より日本語の練習に役立って相手に喜ばれ、話題も渇れず永久機関のように空転しつづける寸法だ。
具体例として、比較的ポピュラーな「ウンコ!」という言葉が投稿された場合を考えてみる。 従来の解釈ではこの言葉は「余計な物」と分類されていたものだが、 新解釈では、全ての投稿は日本語の練習と解釈されれ、 投稿者の伝えようとしていることを損なわず、日本語として読みやすく校正し、 また説得力のある表現を提案してあげることが望ましい。 このクライアントへ何をアドバイスしたらよいのか考える前に、 投稿者の伝えたい主張は何か、どういう立場なのかを把握することが重要になる。
この人物の主張又は行動を推測すると、
- 路傍のウンコに化けて怖がらせたい
- ウンコを投げつけたい
- 挨拶または合言葉的で同類か確認したい
- 給食の時間に食べながら並列でウンコを漏らした経験があり体の不思議に葛藤している
- 単にウンコを催した
などと推測できるが、例えば(2)と解釈されると、より効果的なウンコの投げ方のアドバイスとして 「そんな投げやりのウンコより『ティッシュ付きウンコ』としたほうが使用済みたいで言われた相手はショックだと思います」 のようなコメントが続き、更に「そもそも僕の辞書にウンコって載ってないんですが日本語なんですか」 というように発展する。因にウンコとは、いきむ声「うん」に接尾語「こ」が付いた語だそうだ。 そうすると「ウンコは苦しさと快楽が混ざった情熱です」という風な新解釈が投稿されてもおかしくない。 しまいに「ウンコが快楽に結び付けられるなんて、ウンコの中には宇宙でもあるのですか」とか、 「ウンコさん、今まで『さん』を付けないでごめんなさい」とか、「俺、ウンコ漏らしたんですけど偉いですか」と、 ウンコにウンコが入り乱れウンコな繁栄時代を迎える…。
このように思い通りにならないことは、容易に想像できるのであった。 しかし、既にこの文章ではこの企画が開始されている! 僕は、点数をつけられ、晒され、覗かれ、賺され、ご近所の日記に噂され、お友達からは外され、 日本人かと疑われ、「小学生にもどれ」などとのたまわれ、……、 これらに耐え寧ろ喜びとし育まれてゆく…。行けるのか……。
PS 書き終った僕は、量と密度ともに、これほどまでにウンコを欲していたのか…と驚愕し、そして僕はウンコを我慢すまいと悟った。
PS 自分でいうのもなんだけど、すごいオナニー臭のする文章だ…「悟った」てなによ。
PS 後から読み返すと、後半が内容も話題もウンコで悲しいが、ウンコ部分を書くのにかなりの時間を費すしたのは秘密だ。趣味ですから(違)。
PS あぁ~もうこんな時間だ…
PS この文章の問題点は、書いた本人さえも校正に精を出そうという気がサラサラないことかも。