illuesの日記: ドラゴンクエスト ユア・ストーリーを見てきました(ネタバレあり)
ネタバレあります。
すでに映画を見た人を対象とした記事です。
なんか長くなっちゃいました。
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この映画の評価を大きく変えるであろう要素は下記の2点でしょうか。
・ SFC版をリアルタイムでプレイしている / いない
・ 小説版ドラクエ5が好きである / 好きではない、または読んでいない
私はリアルタイムでSFCをプレイしていて、久美沙織先生の小説が大好きです。
私と同じ条件で、この映画に手放しの高評価を与える人は、
恐らくですが、多数派ではないんじゃないかなあという印象です。
私としては、残念ながらこれを面白い良い映画であるとは思いません。
【良いところ】
3DCGはかなり良い出来です。
上映時間が短い理由は、このCGのクオリティを保ったまま、予算内でこれ以上ボリュームを増やせなかったからじゃないかと思っています。
それと、石化したときのビアンカの顔が酷すぎて笑えます。
フローラ派のスタッフの恨みが骨髄に達してしまったのでしょう。この映画の展開なら仕方ない。
この表情は本当に一見の価値有りで、この映画の唯一にして最大の見所です。
別に良いところではないですが、ビアンカのキャラと表情がなんか(アナ雪の)エルザみたいでした。
【問題点】
結末・オチに関してはあちこちで色々言われているので多くは語りませんが、
あまりに使い古されたメタフィクション設定はおそらくメインターゲットとしているであろう年齢層に対して、驚きや面白さを提供するものではないです。
とにかく、良くも悪くも気になったのが「妙に辻褄があっている」ことです。
これこそがこの映画の最も捻じくれた歪さだと思うので後述します。
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この作品の問題点を端的に言うなら
・登場キャラクターの魅力の無さ
に尽きます。
下手に同じ名前なので、どうしても比較対象が"小説のリュカ"になってしまうのですが、比して"映画のリュカ"はキャラクターとしての魅力に乏しいです。
"小説のリュカ" は、純粋で傷つきやすく、臆病なところもあるけれど勇気をもって行動できて、知り合った人々から素直に学んで成長していくことのできる、数多の作品と比してなお稀有な魅力に溢れた主人公です。
"映画のリュカ"は、端的に言えば普通の人です。弱くて、自身がなくて、シャイで、調子に乗りやすい、おだてられてようやく頑張れる、私達の写し身です。
各々のコンセプトやテーマを考えると、アプローチとしてはどちらも正解です。
「主人公=ゲームプレイヤー」として描く映画では、この主人公像はまったく正しいです。ただし、魅力はないです。
構成や設定としての問題もあります。
弱く脆いキャラクターが輝くためには"成長"が必要ですが、本作の映画にキャラクターの成長というのはコンセプトにないです(ないはずです)
現実の"プレイヤー"は成熟した大人であり、"リュカ"というキャラクターの人生をダイジェスト的に追体験してはいるものの、
実際にはゲームをプレイしているだけです。
ようするに普通の人なのですから、キャラに魅力がないことに、納得の行く説明がついてしまいます。
"映画のリュカ"に、ビアンカやフローラが惹かれる理由もわからないですが、そういうゲームシナリオなのだから当然です。納得です。
(「ゲームキャラクターの意識・記憶」 と 「ゲームプレイヤーの意識・記憶」 が
プレイ中にどういう関係にあるかが作中で明確になっていないのですが、
性格・思考力などはゲームプレイヤーをベースに、記憶はゲームキャラクターをベースでプレイングしていると仮定しています)
前述した「妙に辻褄が合っている」件についても、映画の世界がただのゲームであるという設定があるため、
多くの人が鑑賞中に気になるであろう「冒頭のダイジェスト描写」や「じこあんじ」に説明がつくようになっています。
意図的にそういう作りになっています。
では、果たしてそれらが優れた伏線・よく練られた設定として評価できるかといえば、それはできないです。
夢オチに近い反則技の、目新しくもないギミックに乗っかった描写の、「辻褄が合っている」程度のことが、
エンターテインメントとしての作品の価値に一体どれほど寄与するというのでしょうか。
「妙に辻褄が合っている」ことこそが、この作品をつまらなくした原因なのではないかなと考えています。
総括すると、映画あんまりおもしろくなかったです。残念です。
【キャラクターの命名問題】
映画を見ていて気になったことです。
主人公名を「リュカ」にするなら息子は「ティミー」にしろよ、と思ったのですが、
映画を見終わってから考えるとこれも「妙に辻褄があっている」の一貫だと気づきました。
キャラ名なんてのは、"プレイヤー"(映画の主人公)の脳内設定のようなものです。
・"プレイヤー"が「小説版を読んでいる設定」なので、主人公は"リュカ"にした (リュケイロム?そんなだっけ覚えてなかった、という設定)
・"プレイヤー"が「ロト紋(またはDQ7小説版)も読んでいる設定」なので勇者の名前はやっぱり"アルス"にしたい!と思った
というような裏設定を想像すると世代のDQプレイヤーとしてはチグハグなキャラ名も非常に納得できます。
ただし、これをよく練られた設定だ!というような評価はしません。
自分ではないプレイヤーの俺様設定を見せられても、別に面白くないです。
個人的な意見ですが、DQ5一連の作品のファンとしては、この映画のクレジットに久美沙織先生の名は乗らなくてもいいかな、と思っています。
もちろん、名前を使うなら制作陣が事前に一言ことわりを入れるべきだったのは間違いないですが。