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280030 journal

misarinの日記: 表のストーリーで 1

日記 by misarin

死に対する考え方というかタイトルで、少し自分の中の疑問が解けた。
ほんの少し。両親とも大卒である。

前に書いた事があるかもしれないが、私は他人の死に対する感情が欠落しているようだ。
細かく定義すれば、ある種の精神障害者なのかもしれない。

例えば、人の死でなぜ号泣するのかが全く理解できない。
死んでしまえば、灰になるだけだし、泣いた所で生き返るわけでもない。
という考えしかできない。

最近気がついたのが、両親のせいだというのもある。
両親とも、葬式で泣いているのを見た事がない。
祖父母の葬式でも、両親の兄弟親戚は泣いているのに、私の両親は泣いてなかった。

過去に母は看護婦をやっており、人の死に対するドライさという物があったのだろう。
父は長年大きな会社の総務をやっており、葬式は仕切る側だったというのもあるのだろう。

そういう両親の姿を見て育った私が、人の死に対して、
何も考えなくなるというのも無理はないと考えるのだが、どうだろう。

ちなみに、悲しくて泣くという感情が欠如していないという事は、
先日のはやぶさの大気圏突入で号泣した事で、明らからしい。
人の死より、物の喪失の方が悲しいというのは、やはり精神障害なのかも知れない。

余談だが、自分の死に対しても、恐怖心はない。いつ死んでも怖くはない。

ただし、「来年日本で発売予定のWindowsPhoneが触れない」とか「来期のアニメが見れない」
といった、かなり残念な思いというのはあるので、「自分の死が怖くないならすぐ死んで」
と言われても無理である。

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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家

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