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なんでもかんでも、ほら、簡単だよ、難しくないでしょ、という教え方を止めるべきだと思う。貴方達の習っていることは、長い時間、幾人もの天才の成果です、滅茶苦茶難しいことです、って教え方も有用だと思うんだけどな。
特に自然科学の成果って(基本的には)発見された当時ではすごく難しいものだが、長い年月を経た現在からみたら「簡単だよ、難しくない」ものなんですよね。そういう意味では全面的に賛同できません。 しかも、貴方の論は
それで微分積分を理解した気になっていたんだが、積分を使って立体の体積を求める問題に出会って初めて、全然理解していなかったことに気付いた。積
学習指導要領に、「発展的な内容は教科書に記載されている物を扱う」というようなことが書いてあるわけではありません。
教科書会社が教科書に発展的な内容をのせることもできるだけで、この内容を発展的な内容として載せなさいということを文科相が指示しているわけでもないです。
実際問題、教科書に載っていない発展的な内容を扱っている例はたくさんあります。
理科教員の研究集録などを見ると色々出てくるわけですが、書店で売られているようなものでもないですし、そのタイトルをここで書くことに意味があるとは思えません。
私がそれを手にすることはできないでしょうから、今のように私しか相手のいない状況でそれを提示されても仰る通り意味は無いです。 一般論としては個人的な経験の対立は水掛け論になりやすいので、検証可能な情報に基づいて話をされた方が有意義なやりとりができると思います。
#裏付けを提示しなければ、個人的な経験も書くことができないというのは、面倒くさ
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
量とか配置をいじるりも (スコア:5, すばらしい洞察)
その意味で網羅的課目は歓迎するところだが中身が相変わらず細切れじゃ意味がないなー。
繋がりがあるというのは例えば歴史なら昔ゆうきまさみ氏が提唱してた「現代から始めて因果関係を軸に時間を遡って教える」みたいなのとか、数学なら「三角関数から微積分、指数、虚数、オイラーの公式までをその意味を中心に中一あたりで大雑把にやっておく」とか、英語なら「スープは『食う』」とか「コジツケてでも主語が必要」みたいに概念の違いとセットにするとかみたいに、要は全体像を掴めるもの。
で、現在の無茶苦茶なカリキュラムを決めてる連中はそういう学習順序の概念みたいなものがブッ壊れてるとしか思えないわけだが...某アニメじゃないけど、フェルマーの最終定理を「美しい」と力説する数学教師が糞カリキュラムを押しつけられてる。というのはありそうな話。ヲレ自身の(生徒サイドの)経験で言うと課外であろうとカリキュラム外の事を教えるのは立場的に微妙だったはずだし...どうなることやら。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:5, 興味深い)
なんでもかんでも、ほら、簡単だよ、難しくないでしょ、という教え方を止めるべきだと思う。
教科書の微分、積分の説明はわかりやすかったし、先生の説明も簡単丁寧で理解しやすかった。
実際に公式は簡単だし、それを使って問題集を解くことも出来るようになった。
それで微分積分を理解した気になっていたんだが、
積分を使って立体の体積を求める問題に出会って初めて、全然理解していなかったことに気付いた。
積分って曲線の面積を求めるものじゃないじゃん。
高校は文系だったので数Ⅱ・Bまでしか習ってないし、理系だとまた違うのかもしれないけど。
貴方達の習っていることは、長い時間、幾人もの天才の成果です、滅茶苦茶難しいことです、
って教え方も有用だと思うんだけどな。
下から長い時間をかけて積み上げていったものを、上から見下ろしても理解できねえよ。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:2, 興味深い)
山に登るときのように、一歩一歩上るときはすぐ近くしか見えなくてでも、頂上まできて他の道まで含めてものすごく分かるようになるというか。
学問は元々解決したい事象のすぐ近くにあって、わかりやすいところから始まっている。この時は、事象のすぐ近くだから聞けばすぐにわかる。
しかし、学問は一般化・抽象化の段階を経て高度になるにしたがって、事象から遠くなる。これが学問の結晶化である。
(結晶化という言葉は必ずトクする一言/結晶化した趣味の雑誌のナゾ [coara.or.jp]を参照のこと)
多分、人間が学問することは楽しくて、学問が進むにつれて結晶化していく(一般化・抽象化する)ことは必然なのだと思う。
しかし、結晶化によって事象から遠くなりとっつきにくくなる。何のことをやっているかわからなくなる。だから、何のために勉強をしているかわからなくなる。きっと、下からの積み上げ知識と結晶化した頂点からの俯瞰の両方があってはじめてわかることが多いのだろう。
私は、学校教育では知識を教えるのではなく考え方(山の登り方)を教えるべきだと思う。
結局、考え方を身につけなければ何も応用できないのだから。
教育で過去の学問をトレースするのは、過去の学問の成果を知るということではなく、それを通じて考え方を学ぶことだと思って欲しいと私は思っている。
もちろん、知識もベースとなって役に立つが、それは全体からみると少しなのではないだろうか。
あたまのいい人はどこかでそれに気がつくのかもしれないが、教える側の人が気がついていれば、もっと多くの人が考え方の例を学んでいることにに気がつくと良いと思っている。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
>積分を使って立体の体積を求める問題に出会って初めて、全然理解していなかったことに気付いた。
気付いたんなら掘り下げりゃいいじゃん。より深く理解するというのはそういう事じゃないか?
そもそも元コメントの論旨は「簡単だよ」という事じゃないし。
# 今までのやり方は全然体系的じゃないからちゃんと体系的に汁。って事だし。
>貴方達の習っていることは、長い時間、幾人もの天才の成果です、滅茶苦茶難しいことです、
>下から長い時間をかけて積み上げていったものを、上から見下ろしても理解できねえよ。
薮漕ぎしながら進むのは大変だけど、同じ場所を道ができてから進むのはそこまで大変じゃないよ?
それに、知らない場所に行く時に地図があるなら持ってくだろ?
# そもそも薮漕ぎしてる連中だって仮説だの予想だのの地図は持ってるし。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
政治屋と世界に冠たる能無し役人が教育方針を変えたくらいで、お花畑教育が終わるとは思えません。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
特に自然科学の成果って(基本的には)発見された当時ではすごく難しいものだが、長い年月を経た現在からみたら「簡単だよ、難しくない」ものなんですよね。そういう意味では全面的に賛同できません。
しかも、貴方の論は
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:2, 参考になる)
最近は、教科書にかかれたことは教えなくてはいけないし、それ以外は教えてはいけないんです。昔のように教員が目的をもって授業を組み立てることはできなくなりました。つまり、理解よりも内容を終わらせたかをより重視するため、教わる方はおいてけぼりなのです。昔だったら例にあるような授業もある程度教師の自由に実行できました。今は無理ですよ。
自分は過渡期だったようで、ある程度勝手気ままな授業も受けました。その代わりにとても工夫されてました。指導要領の内容が全部終わらない授業とかあたりまえ。でも最近はそれじゃあ親から苦情がくるんでしょうね。
# そういう意味で、内容等の議論にふみこんでもしょうがないと思うのです。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
今は、学習指導要領は最低ラインです。そして、教科書には学習指導要領を越えた発展的な内容が記載されています。
ですから、教科書に書かれていることは「発展的内容以外は」教えなければならないでしょうけれど、教科書に書かれていること以外を教えてはいけないということはありません。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
言い過ぎました。
ただ、教科書にあることは教えること、という縛りとセットだと結構つらいと思いますけど。
例えば高校では、シラバスを年度始めに配り、その通り授業を進行させることが求められているそうです。
で、シラバスには教科書の内容が一応全て入らなければいけない。
# 教科書会社がシラバスの見本作ってたり。web で探すとあります。
これは、tarosuke さんの言うような色々な授業を実施するにあたっては、どうなんでしょうね。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:2, 興味深い)
教科書会社が教科書に発展的な内容をのせることもできるだけで、この内容を発展的な内容として載せなさいということを文科相が指示しているわけでもないです。
実際問題、教科書に載っていない発展的な内容を扱っている例はたくさんあります。
(指導要領を越えてはいけない時代からそうだったんだろうと言われれば、たしかにそうなんですけれど)
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
あるんだけど、表沙汰になると怒られるというか吊し上げられたり。「贔屓するな」とかね。だからシステムとしては禁止になってると考えていいと思う。だとするとその手のことを教えるのは相当な出血大サービスなわけだ。だけどそんな出血大サービスに依存している状態のままでいいとは思えない。なのでここは正式にOKを出しておく必要があるんじゃなかろうか。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
これで繋がりました。適切な補足です。
しかし全ての教科書は検定に合格しているので、記載されている発展的内容は文科省のお墨付きを得ていると言えます。
発端の#1220335と共に具体的な裏付けを欠いています。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
もちろんそうですね。
お墨付きを得たからどうだということはないですが。
科学的に正しい記載をしようとしたら検定でその記載方法はやめてくれといわれることもあるそうで、検定を通っている=正しいというわけでもないですし。
また、検定を通っていても、単純な記載ミスが残っていることもあります。(中学地理の教科書での例はニュースになりました)
>発端の#1220335と共に具体的な裏付けを欠いています。
まぁ、自分とその周辺の人たちの経験ですから、明文化された何かというわけではないです。
理科教員の研究集録などを見ると色々出てくるわけですが、書店で売られているようなものでもないですし、そのタイトルをここで書くことに意味があるとは思えません。
#裏付けを提示しなければ、個人的な経験も書くことができないというのは、面倒くさいですね。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
私がそれを手にすることはできないでしょうから、今のように私しか相手のいない状況でそれを提示されても仰る通り意味は無いです。
一般論としては個人的な経験の対立は水掛け論になりやすいので、検証可能な情報に基づいて話をされた方が有意義なやりとりができると思います。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1, 興味深い)
数学が好きで、数学の授業が嫌いな子には
オイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ [amazon.co.jp]
を薦めています。
ただ、間違っても数学が嫌いな子に与えてはいけません。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:2, すばらしい洞察)
オフトピですみませんが,なんでそんな特殊な例を使うのでしょうかね? 一般的にはオイラーの公式は
e iθ = cos θ + i sin θ
でしょうに.たまたまθに180度(ラジアンでいえばπ)を入れるとそういう答えが出るけれど
e iπ = -1 だけおぼえても使えませんぜ.
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
使える使えないではなく、数学の面白さ美しさを伝えるための例なんじゃないかと。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
もちろん、一般的な eiθ = cos θ + i sin θ を扱ってましたよ
まぁ、タイトルには向かないですな
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1, 興味深い)
> その意味で網羅的課目は歓迎するところだが中身が相変わらず細切れじゃ意味がないなー。
ゆとり教育の理念のひとつはそこにありました。科目横断的な総合学習はそれを体現したものです。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
お題目には上がってても、取って付けたような感じで体現したとはとても思えないなー。
# 課目内ですら満足に体系化できてないのに課目間の体系化なんてできるとは思えないし。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1, 興味深い)
身近な電気にしたって、波動方程式やクーロンの方式にまで繋がると、数学だけでも高校の範囲を超えますし。
多くの項目を網羅するよりも、勉強の方法を教えることが大切だとおもいます。
必要になった時に、教科書や専門書籍を読んで理解できれば十分だと思うのだけど。
「この問題にはこの公式を使え」としか教えてたら無理でしょうけど。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:2, すばらしい洞察)
だからさ、そもそもその範囲の考え方が間違ってるって言ってるの。繋がりのある範囲は一気にやっておいて地図を作っておく必要がある。掘り下げるのはその後。でないとその時点でやってる事の意義が了解されない。その意義が了解されない事こそ「実社会では役に立たない」という感覚の原因じゃないかい?
それに、意味や意義に気付くのが本人のIQと運次第だなんて、とてもじゃないけど体系的な教育なんて言えないし。
>必要になった時に、教科書や専門書籍を読んで理解できれば十分だと思うのだけど。
んじゃ、そのためのもうちょっと具体的な策を挙げてみて?
「関連性を中心したカリキュラム」はその策の一つでもあるよ。調べるためにはまずそれが何なのか知ってなきゃならんからね。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
納得しかけますが、深く考えると実に難しいことで。
何故かというと、学問というのは全て単純なモデル化した理論の集まりな訳です。
たとえば物体の運動では、電気親和力やファンデルワールス力を無視したり、逆に電磁気では電子の質量を無視したり、
電気回路では電界の広がりを含め配線の抵抗や容量を無視して考えます。
数学においては、自然中のある事象を数式で表現することを目的に考え出された概念が殆どですから、
繋がりを持った一つの壮大な理論系ではなく、単に科学者や数学者が興味を持って考え出したことの集
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
単なる集まりではない事の方が多いと思うけどね。学者が興味を持つためのトリガは既知の場合が多いだろうし。そりゃ繋がりを意識してカリキュラムを組むのは簡単ではないだろうけど、繋がりがないと学ぶ側にとってはもっと難しいよ。独立した事象というのは興味が湧かない、覚えにくい、すぐ忘れるの三重苦だからね。
>例えば、調べものが必要なレポートの課題を増やす ⇒ 人(教師や塾講師)からでなく本から知識を得る機会を増やす、とか
確かにそうだがこれだけではどうかなぁ...本の選択能力は個人差が大きいからちょっと投げっぱなしっぽい。
>理論体系の作られ方についての科目を作るとか ⇒ どんな概念が使われているか考える力をつける
メタ学問って所だろうか。ちょっとどんな授業か想像できないけど興味深い。
>その前に、お客様の要求 = 入試方式 を変えないと真の意味で変わらないのだけど
確かに。入試だとどうしてもいろいろ偏るからなぁ...。