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死んで無になるのが怖いからこそ死後の世界という宗教観が生まれたのだろうから、死ぬのが怖い人ほど、死後の存在を信じたがる=信心深いという傾向があるのかもしれない。
ブッダとかは王子だからこその思想ってよく言われますね。あの当時の一般の人は死の恐怖を考えるよりも(文字通り)生きることに精一杯だからそんなことを考える暇もない。
今の時代はブッダよりも物質的には恵まれてるからこそ宗教にすがり生を求めるんでしょうね。
---仏教だけの話ですねこれじゃキリスト教やイスラム教はあまり知らないんだよなぁ・・・
>あの当時の一般の人は死の恐怖を考えるよりも(文字通り)生きることに精一杯だからそんなことを考える暇もない。
ん~。当時(ウパニシャッド哲学では)、同じ身分階級に転生するというのが、支配的な考えだったと記憶しています。(同じ、アートマナーとして)で、因果説に基づいて、転生するというのが、仏教思想では、なかったかと・・・勿論、ゴータマ・仏陀が、王子であったがゆえに、・・・の部分が、否定できませんけどね。
ただ、転生についても、連続する意識を持ったもの・・アートマンとかアートマナー・・・霊魂みたいなものについて「アートマナーが、存在すると私は、言わない。」「アートマナーが、存在すると私は、言わない。」と語ったといわれていますけどね。その面から考えると「生きることに精一杯だからそんなことを考える暇もない。」と単純には、結論づけられないのでは?
# オカルトに陥らず。# おかるとかんぺい ぐらいで笑いが・・・取れわけないよね~:-P
ブッダは死後に関してはほとんど言及しなかったはずでは?その数百年後の弟子たちは別として。あと、あの時代は平均寿命長くなかったので庶民も決して死について無関心ではなかったのでは。
>生物として自然な欲求
人間はTRUEだと思うけど、他の生き物はどうなんだろう?
期間が厳しく制限されてる生き物(多くの虫は秋になったら終り)とか、死亡フラグが凄く明確な生き物(例:鮭は産卵がフラグ)とかは、その感覚がしかるべき時期に麻痺する仕組みが取り入れられたりしないだろうか?今のところ不明だろうけどね。
死ぬのが恐いという感情がうまれるのはなぜなんだろう?・痛いから?・さびしいから?・無になるから?
自分がどうなるのか全くわからないから、とか?
逆じゃないかな。死んだら裁かれると教えられているからこそ、自分が死ぬのが怖いのではないかと。
おそらく宗教などなければ経験則により正しく死を理解していたと思うのですよ。いまでは死に立ち会う機会も減ってしまいましたが、はるか昔の死が日常であった時代には特にね。死んだあとに残した物がどういう扱いを受けるかも、生まれ変わりも復活も前例なんてないってことも。
実際のところは、正しく理解してしまうと困った事になったのではないかと・・・。奴隷たちはすぐに自殺してしまうだろうし、自分が死に向かっていると知った人の自爆テロの類を防ぐ法弁がなくなってしまいますからね。そこで自殺を防ぐ為に宗教をもったグループが優勢になったとか?
なるほどなあ.
現世に残したことに対しての思いを抱く人と,死後の世界でどうなるかの思いを抱く人の両方がいるんですね.勉強になります.
ボクの場合も,現世に残していくかみさんや親類のことを心配するかもなあ.
もちろんいきなり暴漢に刺されて死ぬとかは,痛そうだし恐いけど,老衰とかの穏やかな死の場合,死そのものに対する恐怖っていうのは,やっぱり,よくわからない.
若いうちはしがらみや資産(精神的なものも含めて)も少ないから死後の世界を考え、年食ってしがらみや資産(精神的なものも含めて)が増えると現世に引っ張られるものが増えるってことかなと。で、想像するにさらに年食うとしがらみ(人も物も知識も)の方がたくさん先立ってしまうからいくらか執着が減るか?も?
> 死ぬのが恐いという感情がうまれるのはなぜなんだろう?
「死」を忌避する文化のもとで生きてきたから。
ひとが死ぬということは、暴力や災害に「殺され」ることであったり、絶望のあまり人生を捨てることであったり、はては病苦の極限(による自分自身の消滅)だから、怖いのが当たり前だと思う。
スラドで頻繁に話題になっているじゃないですか。ホラ、PC内のアノフォルダとか、本棚のアノ棚とか、押入れの中のアノ箱とかを・・・。
もう萌えることはできず、後はただ燃えるのみ
既不成萌、後但徒燃
なので。
・経験したことがないから経験 (死のうとしたではなく、実際に死んでみた) してみたら、意外と大した事ないかも。
ただ、そのように悟るチャンスがないだけで…。
確か星新一選の「ショートショートの広場」にそのような話があったと思いました。
死後の世界と通話できる機械を発明したところ、「死んだあの人と話をしたい」という人が殺到。実際話をしてみると誰もかれも「死後の世界はすばらしい」とのたもうので次々に自殺が発生。最後は一人を残してみんな死んでしまった、という内容だったような…
#うろ覚えで済みません
>確か星新一選の「ショートショートの広場」にぐぐってみたら「殉教」かな?http://tkido.blog43.fc2.com/blog-entry-269.html [fc2.com]
>最後は一人を残してみんな死んでしまった、という内容だったような…いや、ちょっと違ってたと思う。
「次々に死んでいって、その通信機の前には長蛇の列。その後ろには死体の列。世界中で自殺が大流行した。
でも、ごく少数のそうでない連中もいて、彼らはそれでもなお死のうとはしなかった。彼らは死んだ人より疑り深かったから自殺を選ばなかった。これからの時代は以前より懐疑的な人達だけの時代になるだろう。それがどんな時代になるかは分からないけれど、これまでとはほんの少し変わったものになるはずだ。」みたいな話だったかと。
他にたしか「にぎやかな部屋」という同作者の長編では、死んだ人達が全部強制的に誰かの背後霊(一人の生者につき最大一人)になっていて、彼ら曰く「最初の頃こそ美女の裸も楽しいけど、毎日毎日見ていればじきに飽きる。いずれは全てがひたすら退屈になる。(定数オーバーで)消滅できる日が来ることだけが最後の希望だ。それまではせいぜい退屈しないよう、刺激的な誰かの背後霊になりたいものだ」みたいな話がありました。
物語のオチを書くな。
確かに orz大変申し訳ありませんでした…
ラノベの架空の宗教ですがハートランド正教というのがありまして、これの死生観が秀逸でした。http://blog.goo.ne.jp/aoaka89/e/7ec94ccfdd3b3f73a037e5b0cf7cfc56 [goo.ne.jp]
#なんつー生臭坊主だ。
カタリ派 [wikipedia.org]などを参考にしたのかも。
経験した人は,教えてくれないですからね.:)
以前信心深い人に「死んだらどうなると思う?」と聞かれたとき、「死んだことがないからわからない」と言ったら怒られました…むぅ。
あれ?でもうちに来た坊さんも普通にそう答えましたが。
論語でもかじっていれば、切り返しは簡単なんですけどね。「生きることがどういうことかも分かってないんだ。まして死ぬことなんて知ってるわけがない」
降旗「いろいろ考えてみるに、われわれは死んだのだ、という見方がいちばん現実的である。 いま、われわれがいるところは、死後の世界なのだ。重大発表おわり。食事にもどってよし」大黒「あー、軍曹。こっちの、焦げますよ。脂、もう少しのせましょうか」知念「うん、そうだな。焦げたのは体によくない」降旗「おまえたち、聞こえたか?」
動物としての本能レベルで死に対する恐怖が組み込まれているのかも?電車への飛び込みは準備不要で日常から一歩踏み出せばいいだけだから首つりや飛び降り等よりも敷居が低いのだろうなと、言葉でなく心で理解した時にそう思いました。
その感情の存在が生存に有利だから。
昔センセイと話した覚えが有る。すると「別に怖くない奴も居るんだが、生存本能なんでそれが備わっていない奴は長生きできない」と。
みんなのコメントを一通り眺めたが、理由を理性的に考えてみたり、怖くはないと言い放ってみたり。
凄いな。というか若いってことなのかな?
そんなの「理由考える間もなく怖いだろ」が私の感想なのだが。
#死を嫌悪しまくって死んでいった親父ならただ今仏壇の前なのでAC。雪が解けたら納骨なんだorz
ん?べつに親父が死んだから怖くなったわけでもなく、がきの頃から怖かったなあ。ということは(自分の例が他人にももし適用可能ならば)べつに若さという問題でもないということになるな。ま、まさか馬●さ?
そりゃ私だって死の前に始末したいものの1020個くらいあるさ(和訳:あやしいマンガ本とHDDの総
宗教が文化に根付いている社会では、それほど単純じゃないと思いますよ。
信心深いひとは、たとえば単に社会に従順なひとかもしれません。
在家の仏教徒で神社にもお参りしてるものですが、宗教ってのは生きてる人がいかに生きるかって話であって、死んだ後のことなんておまけみたいなもんじゃないですかね。
だから怪我したら病院行くし、一応延命治療も受けますよ^^
俺は自信を持って自分が仏教徒だと言えるけどだからと言って信心深いという言葉は当てはまらないな。
本来の仏教が我々にもたらしてくれたのは、認識論や世界観であり、理性で検討する類の思考のフレームワークだから、信奉するとか帰依するとかの問題じゃないんだぜ。
ご利益や救済なんて期待するほうが間違ってるし、仏教自体は戦争反対したり人権擁護したりしない。ただ愛や慈しみの心を伝えたり、意思を持って住みよい世にしてゆこうとする行為自体を否定しているわけでも無い
ま、自分は日本仏教の奈良時代の宗派に近い立場だから、多分、真宗や日蓮系とはこのへんの話が合わないと思う。俺にとって仏陀は、科学史でのアルキメデスやデカルトへの敬意と同等だったりするしな。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
死の恐怖 (スコア:3, すばらしい洞察)
死んで無になるのが怖いからこそ死後の世界という宗教観が生まれたのだろうから、
死ぬのが怖い人ほど、死後の存在を信じたがる=信心深いという傾向があるのかもしれない。
Re:死の恐怖 (スコア:2)
ブッダとかは王子だからこその思想ってよく言われますね。
あの当時の一般の人は死の恐怖を考えるよりも(文字通り)生きることに精一杯だからそんなことを考える暇もない。
今の時代はブッダよりも物質的には恵まれてるからこそ宗教にすがり生を求めるんでしょうね。
---
仏教だけの話ですねこれじゃ
キリスト教やイスラム教はあまり知らないんだよなぁ・・・
Re:死の恐怖 (スコア:1)
>あの当時の一般の人は死の恐怖を考えるよりも(文字通り)生きることに精一杯だからそんなことを考える暇もない。
ん~。当時(ウパニシャッド哲学では)、同じ身分階級に転生するというのが、支配的な考えだったと記憶しています。(同じ、アートマナーとして)
で、因果説に基づいて、転生するというのが、仏教思想では、なかったかと・・・
勿論、ゴータマ・仏陀が、王子であったがゆえに、・・・の部分が、否定できませんけどね。
ただ、転生についても、連続する意識を持ったもの・・アートマンとかアートマナー・・・霊魂みたいなものについて
「アートマナーが、存在すると私は、言わない。」
「アートマナーが、存在すると私は、言わない。」
と語ったといわれていますけどね。
その面から考えると
「生きることに精一杯だからそんなことを考える暇もない。」
と単純には、結論づけられないのでは?
# オカルトに陥らず。
# おかるとかんぺい ぐらいで笑いが・・・取れわけないよね~:-P
Re: (スコア:0)
ブッダは死後に関してはほとんど言及しなかったはずでは?
その数百年後の弟子たちは別として。
あと、あの時代は平均寿命長くなかったので
庶民も決して死について無関心ではなかったのでは。
Re: (スコア:0)
平均寿命が長かろうが短かろうが、長生きしたいというのは生物として自然な欲求でしょうし。
Re: (スコア:0)
>生物として自然な欲求
人間はTRUEだと思うけど、他の生き物はどうなんだろう?
期間が厳しく制限されてる生き物(多くの虫は秋になったら終り)とか、
死亡フラグが凄く明確な生き物(例:鮭は産卵がフラグ)とかは、
その感覚がしかるべき時期に麻痺する仕組みが取り入れられたりしないだろうか?
今のところ不明だろうけどね。
Re:死の恐怖 (スコア:1)
死ぬのが恐いという感情がうまれるのはなぜなんだろう?
・痛いから?
・さびしいから?
・無になるから?
Re:死の恐怖 (スコア:2)
無理強いされる未知は怖いです。行ったことの無い人があれこれ言おうが言うまいが、または言われるがゆえ。
・見知らぬ場所の入り口で
・何も見えず
・何も聞こえず
・何も感じられない
・そんな中にこちらの準備とはおかまいなしに一瞬の容赦もなく追いやられる
それが死。ただ今までの人生で出会ったことすべてとお別れということだけが分かっています。
Re:死の恐怖 (スコア:2)
存在の喪失とか概念的な事言っていますが、要は記憶や記録からの喪失ですね。
人によって、その喪失に対する感情が、恐怖だったり悲しみだったり寂しさだったりするのでは無いでしょうか。
僕自身は、死ぬ事への恐怖は全くありませんが、自分の存在を知る人が誰も居なくなるって事を考えると、ちょっと寂しい気持ちがしますね。
ま、そのときは関係者(?)全員死んでいる訳ですし、悲嘆する必要は全く無いんですけどね。
論理的に積み上げられない人なので、概念的に柔らかい言葉での表現しか出来ませんが、そんな事なんだろうと勝手に理解しています。
#死ぬってのは二度と目覚めないって事だと思っているID
Re:死の恐怖 (スコア:1)
自分がどうなるのか全くわからないから、とか?
Re:死の恐怖 (スコア:2, 興味深い)
逆じゃないかな。死んだら裁かれると教えられているからこそ、自分が死ぬのが怖いのではないかと。
おそらく宗教などなければ経験則により正しく死を理解していたと思うのですよ。いまでは死に立ち会う機会も減ってしまいましたが、はるか昔の死が日常であった時代には特にね。死んだあとに残した物がどういう扱いを受けるかも、生まれ変わりも復活も前例なんてないってことも。
実際のところは、正しく理解してしまうと困った事になったのではないかと・・・。奴隷たちはすぐに自殺してしまうだろうし、自分が死に向かっていると知った人の自爆テロの類を防ぐ法弁がなくなってしまいますからね。そこで自殺を防ぐ為に宗教をもったグループが優勢になったとか?
Re:死の恐怖 (スコア:1, 興味深い)
自分自身の死はそう怖くないですが、自分が死ぬことによって周りの人に迷惑をかけるのが嫌かなー。葬式代くらいは貯金で残してありますが。
Re:死の恐怖 (スコア:1)
なるほどなあ.
現世に残したことに対しての思いを抱く人と,死後の世界でどうなるかの思いを抱く人の両方がいるんですね.
勉強になります.
ボクの場合も,現世に残していくかみさんや親類のことを心配するかもなあ.
もちろんいきなり暴漢に刺されて死ぬとかは,痛そうだし恐いけど,老衰とかの穏やかな死の場合,死そのものに対する恐怖っていうのは,やっぱり,よくわからない.
Re:死の恐怖 (スコア:1)
若いうちはしがらみや資産(精神的なものも含めて)も少ないから死後の世界を考え、
年食ってしがらみや資産(精神的なものも含めて)が増えると現世に引っ張られるものが増えるってことかなと。
で、想像するにさらに年食うとしがらみ(人も物も知識も)の方がたくさん先立ってしまうからいくらか執着が減るか?も?
Re:死の恐怖 (スコア:1)
> 死ぬのが恐いという感情がうまれるのはなぜなんだろう?
「死」を忌避する文化のもとで生きてきたから。
ひとが死ぬということは、暴力や災害に「殺され」ることであったり、絶望のあまり人生を捨てることであったり、はては病苦の極限(による自分自身の消滅)だから、怖いのが当たり前だと思う。
Re:死の恐怖 (スコア:1)
スラドで頻繁に話題になっているじゃないですか。
ホラ、PC内のアノフォルダとか、本棚のアノ棚とか、押入れの中のアノ箱とかを・・・。
Re: (スコア:0)
もう萌えることはできず、後はただ燃えるのみ
既不成萌、後但徒燃
なので。
Re: (スコア:0)
・経験したことがないから
経験 (死のうとしたではなく、実際に死んでみた) してみたら、意外と大した事ないかも。
ただ、そのように悟るチャンスがないだけで…。
Re:死の恐怖 (スコア:2, 興味深い)
確か星新一選の「ショートショートの広場」に
そのような話があったと思いました。
死後の世界と通話できる機械を発明したところ、
「死んだあの人と話をしたい」
という人が殺到。実際話をしてみると誰もかれも
「死後の世界はすばらしい」
とのたもうので次々に自殺が発生。
最後は一人を残してみんな死んでしまった、という内容だったような…
#うろ覚えで済みません
~パタポン教徒~
その話のオチ(ネタバレ) (スコア:1)
>確か星新一選の「ショートショートの広場」に
ぐぐってみたら「殉教」かな?
http://tkido.blog43.fc2.com/blog-entry-269.html [fc2.com]
>最後は一人を残してみんな死んでしまった、という内容だったような…
いや、ちょっと違ってたと思う。
「次々に死んでいって、
その通信機の前には長蛇の列。その後ろには死体の列。
世界中で自殺が大流行した。
でも、ごく少数のそうでない連中もいて、彼らはそれでもなお死のうとはしなかった。
彼らは死んだ人より疑り深かったから自殺を選ばなかった。
これからの時代は以前より懐疑的な人達だけの時代になるだろう。それがどんな時代
になるかは分からないけれど、これまでとはほんの少し変わったものになるはずだ。」
みたいな話だったかと。
他にたしか「にぎやかな部屋」という同作者の長編では、死んだ人達が全部
強制的に誰かの背後霊(一人の生者につき最大一人)になっていて、彼ら曰く
「最初の頃こそ美女の裸も楽しいけど、毎日毎日見ていればじきに飽きる。
いずれは全てがひたすら退屈になる。(定数オーバーで)消滅できる日が来る
ことだけが最後の希望だ。それまではせいぜい退屈しないよう、刺激的な誰か
の背後霊になりたいものだ」みたいな話がありました。
Re: (スコア:0)
物語のオチを書くな。
Re:死の恐怖 (スコア:1)
確かに orz
大変申し訳ありませんでした…
~パタポン教徒~
「天界に幸多からんことを」 (スコア:0)
ラノベの架空の宗教ですがハートランド正教というのがありまして、これの死生観が秀逸でした。
http://blog.goo.ne.jp/aoaka89/e/7ec94ccfdd3b3f73a037e5b0cf7cfc56 [goo.ne.jp]
#なんつー生臭坊主だ。
Re: (スコア:0)
カタリ派 [wikipedia.org]などを参考にしたのかも。
Re:死の恐怖 (スコア:1)
経験した人は,教えてくれないですからね.:)
Re:死の恐怖 (スコア:1)
以前信心深い人に「死んだらどうなると思う?」と聞かれたとき、
「死んだことがないからわからない」
と言ったら怒られました…むぅ。
Re:死の恐怖 (スコア:1, 興味深い)
あれ?でもうちに来た坊さんも普通にそう答えましたが。
Re:死の恐怖 (スコア:1, 参考になる)
論語でもかじっていれば、切り返しは簡単なんですけどね。
「生きることがどういうことかも分かってないんだ。まして死ぬことなんて知ってるわけがない」
こうですかわかりません (スコア:0)
降旗「いろいろ考えてみるに、われわれは死んだのだ、という見方がいちばん現実的である。
いま、われわれがいるところは、死後の世界なのだ。重大発表おわり。食事にもどってよし」
大黒「あー、軍曹。こっちの、焦げますよ。脂、もう少しのせましょうか」
知念「うん、そうだな。焦げたのは体によくない」
降旗「おまえたち、聞こえたか?」
Re: (スコア:0)
動物としての本能レベルで死に対する恐怖が組み込まれているのかも?電車への飛び込みは準備不要で日常から一歩踏み出せばいいだけだから首つりや飛び降り等よりも敷居が低いのだろうなと、言葉でなく心で理解した時にそう思いました。
Re: (スコア:0)
その感情の存在が生存に有利だから。
Re: (スコア:0)
昔センセイと話した覚えが有る。
すると
「別に怖くない奴も居るんだが、生存本能なんでそれが備わっていない奴は長生きできない」
と。
Re: (スコア:0)
みんなのコメントを一通り眺めたが、
理由を理性的に考えてみたり、
怖くはないと言い放ってみたり。
凄いな。
というか若いってことなのかな?
そんなの「理由考える間もなく怖いだろ」が私の感想なのだが。
#死を嫌悪しまくって死んでいった親父ならただ今仏壇の前なのでAC。雪が解けたら納骨なんだorz
ん?べつに親父が死んだから怖くなったわけでもなく、がきの頃から怖かったなあ。
ということは(自分の例が他人にももし適用可能ならば)
べつに若さという問題でもないということになるな。
ま、まさか馬●さ?
そりゃ私だって死の前に始末したいものの1020個くらいあるさ(和訳:あやしいマンガ本とHDDの総
Re:死の恐怖 (スコア:1)
宗教が文化に根付いている社会では、それほど単純じゃないと思いますよ。
信心深いひとは、たとえば単に社会に従順なひとかもしれません。
Re: (スコア:0)
在家の仏教徒で神社にもお参りしてるものですが、
宗教ってのは生きてる人がいかに生きるかって話であって、
死んだ後のことなんておまけみたいなもんじゃないですかね。
だから怪我したら病院行くし、一応延命治療も受けますよ^^
Re: (スコア:0)
俺は自信を持って自分が仏教徒だと言えるけど
だからと言って信心深いという言葉は当てはまらないな。
本来の仏教が我々にもたらしてくれたのは、認識論や世界観であり、
理性で検討する類の思考のフレームワークだから、
信奉するとか帰依するとかの問題じゃないんだぜ。
ご利益や救済なんて期待するほうが間違ってるし、
仏教自体は戦争反対したり人権擁護したりしない。
ただ愛や慈しみの心を伝えたり、意思を持って住みよい世に
してゆこうとする行為自体を否定しているわけでも無い
ま、自分は日本仏教の奈良時代の宗派に近い立場だから、
多分、真宗や日蓮系とはこのへんの話が合わないと思う。
俺にとって仏陀は、科学史でのアルキメデスやデカルトへの
敬意と同等だったりするしな。
Re: (スコア:0)
人間は神によって作られた人形で
死んだら完全に土に返るのであって死後の世界など存在しない
という宗教観の文明があった記憶がありますが
世のほとんどの宗教は輪廻転生論や死後の世界を作ることによって
死の恐怖を和らげようとしていますね
Re: (スコア:0)