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「人工知能」を巡る理想の変遷を思い出すなぁ。最初は「人間の知能の働きを解明してやるッ!」と鼻息が荒かった。「人間の知能を観察・推察し、それを模倣すれば必ずや知性を手に入れるであろう」と頑張った。
が、頑張りはたいてい報われぬもの。途中から堕落。もとい方針転換。「人間の知能を真似なくても、機能が似てれば大丈夫だよ」を経て、「特定の目的に対してスマートに機能すればお金もらえるよ」というレヴェルまで、じわじわ後退した。
髪の生え際が後退しつつある人を見るたびに、人工知能を巡る理想の後退を思い出すのです。どんなにふさふさでも、後退する日が必ず来るんだよね、と。
汎用的な人工知能を考えるとき、フレーム問題が付いて回ると言います。で、こういう考え方はとっくに試行された後だとは思うのですが、私が普段考えていることとして、人工知能にも本能と肉体があれば、フレーム問題を(ある程度?)回避できるのではないかということがあります。我々人間は、動物としての本能を持っていますし、それら本能を満たすための最適化が進められた肉体を持っているわけです。肉体があり、その上で動作する本能があるからこそ、周囲のあらゆるものに自動的に優先順位が付き、肉体レベルで優先度が低いとされた情報は意識に上る前に切捨てられます。
だから、人工知能にも、以下のような肉体を持たせたらどうかと思います。
・「外界からの情報を自律的に取捨選択する機能を持つ感覚器」を通じて、周囲を認識させる。・その感覚器自体がフレーム問題に陥らないよう、感覚器そのものはごく単純なルールに基づいて動作する(反射や自律神経に相当)。・単純な感覚器の組み合わせで複雑な情報を取得することができるようにするために、一つ一つの感覚器を極小な要素とし、それらが大量に集まって所定の機能を発揮するような構成とする。・大量の感覚器は、肉体を保護する方向で情報の取捨選択を行うように調整する(動物で言うところの生存本能(の、肉体担当部分))。
というところでしょうか。工学的にこんなものが作れるとしてですが。まーでもこの程度の考えじゃ誰でも考え付くだろうし、既にやってみてダメだったとか、不可能性が証明されてるとか、そんなところだろうなぁ…。
ついでに言うと、私としては、人工知能の思考なんて、人間には理解できないもので当たり前だと思ってます。逆に言えば、人間の思考をコンピュータに再現させることはできないというか。肉体と精神が切り離せないものであるならば、肉体が人間と違えば、思考も違ってくる道理です。内部的には人間からは理解不能か、狂ってるとしか見えなくていいのです。全然別の生き物なのだからそれで当然。問題は、その狂った思考でいかにして人間とコミュニケーションをとらせるか、ですね。
最近のロボット研究の潮流がまさにそれで、肉体を持って直接感覚として世界の情報を摂取しないと知能が生まれないという仮定のもと、ロボットという肉体を持たせることが人工知能の研究の発展に結びつく、というものです。トピック本文のリンク先を辿って、松原先生のインタビューを読めばそのことに言及されていると思います。微小単位での「反応」の総合が本能であり知能であるというのもすでに研究は走っていて、様々な試みがなされています。2007年の世界SF大会での瀬名秀明さん主催の企画をまとめた本 [senahideaki.com]が出ていますので、そちらをご参照いただくとかいつまんだ説明があります。パネルディスカッションをおこしたものなので話が冗長かつバラバラな部分もあり、食い足りないかもしれませんが。
途中までですが、インタビューを読みました。むー、やはり本職の方々はとっくに通り過ぎていた地点でしたか。
私の考えは、「人間はあらゆるものに好悪のランク付けを行っていて、それを元に考えたり行動したりしている。その好悪は元を辿れば動物的な本能に基づいて評価されている。動物的な本能は、体の器官がてんでに勝手に主張するところから発生しているものがかなりの部分ある」というところから出発していたのですが、わりといい線行っていたのかなと勝手に喜んでいます。しかし、うーむ、アイデア的に車輪の再発明もいいところで、読み進むたびに悔しさ半分という感じです。
ともあれ、人工知能に、人工知能自身に認識できない程度に根源的な段階から、本能的な欲求(この場合は自己の保存)を与えてやらないと、能動的に動き出さないというか、自己の内部に蓄積されたデータを自ら系統立てて構造化することができない、単なるデータの塊にしかならないのではないかな、というところで、逆に言えば、ここら辺のパラメータをうまく与えてやれば、PC上だけで動くそこそこインテリジェントな人工無脳くらいなら作れないだろうかとも考えてます。
例えば、Wikipediaあたりからデータをクローリングして学習させる際に、「死」に関するページにマイナス評価を植えつけておき(初期設定の時点では、「死」という言葉の意味を理解していなくてもよい)、ある言葉が、「死」のページから何hopのところにあるかを、言葉一つ一つに対してパラメータとして持ち、それが個々の言葉に対する好悪となる、というような。後は「死」以外にも距離を評価する言葉を増やしたりして行けば、多少は心の襞のようなものが生まれてくるかもしれません。ま、莫大な計算リソースを食うとんでもないプログラムになってしまいそうではありますが。
ところで揚げ足ながら
肉体を持って直接感覚として世界の情報を摂取しないと知能が生まれないという仮定
これについては、自分のタレコミで恐縮ですが、人のES細胞から大脳組織を作製―自発的な神経活動も [srad.jp]みたいな話があって、脳だけで感覚器がないのに自発的に動き始めてしまったりして、(これが知能かどうかは疑問の余地がありますが)育つ育たないはともかく、萌芽自体は、感覚に全く依存するという訳ではないのかもしれないなーと思ったり。
知能と本能はほとんど双対ですから、結局何も解決したことにはなりません。
「本能」と相対する「知能」を「知性」と言い換えると、「本能」が「肉体(もしくは種)」を守るために生じた「知能」であるとするならば、「知性」は「知能」を守るために生じた「知能」ということではないでしょうか。
最初は、「知能」は「肉体」を守るための手段であったのが、そのうち、「知能」が「知能」を守るようになって、「肉体」を壊してさえ、「知能」そのものを維持しようとする。例えば、寝食をおろそかにして、物事に没頭することがありますが、これは、健康を害するのを「本
その辺についてはもともと人工知能の研究過程で議論のあったところです。一頃は、「知能のアルゴリズムはもうわかったも同然。あとはどうやってコンピュータに『常識』を教えるかだ」と息まいていた時期があったのですが、つまり「『人間の常識』を教えないと『人間に役立つ知能』にはならない」というドグマがそこにはあった訳です。だから今日、ヒューマノイドロボット研究が人工知能研究の役に立つと考えられているのですね。つまり人間のものに近い肉体があれば、人間のものに近い知能が育つだろう、と。
逆説的に、我々が知る生命とかけ離れた肉体を持つ「知能」とのコミュニケーションははたして成立するのだろうか、という疑問も当然出てきます。このあたりは多くの SF 小説で語られています。私好みのところでは「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」あたりですが、これらはまだわりかし地球上のものと似たような生命体が相手であり、そこそこ意志の疎通ができているのでまだまだ甘い。もっとハードな奴、すなわちまったくチンプンカンプン、というものもあるかと思います。
>人間のものに近い肉体があれば、人間のものに近い知能が育つ
ところでその肉体を使ってドレくらいの量の経験値を積ませるつもりなんでしょう?
リアル人間のほうは数十万年*数十(数百?)億人の蓄積が、積み重なって今に至っています。単純加算ではないにせよ。
いっぽうロボは、これからが有るとはいえ、とりあえず今を見れば研究室だのなんだのにせいぜい数百数千台で時間もまだ10年かそこら。そして知能マシンに接続された状態のロボとなればまだまだこれから。
「いびつなモンテカルロ」(とでもいえばいいのかな)でもって知能を「育て」ようとするにしては、ちょっとペースが心配すぎます。
>よりも難しい
まだどっちが難しいかなんて判らないじゃん。
そうですと言うべきかそうでないと言うべきか、私はあまり詳しくないのでわかりませんが、前野教授の話 [itmedia.co.jp]あたりが関係するでしょうか。
サブサンプション(包摂)アーキテクチャ [wikipedia.org]――単純な受容-応答系の組み合わせの相互作用から、ボトムアップ的に「知的」なふるまいを創発させるという考え方の嚆矢ですね。昆虫レベルの動きなら、ほぼ完成できていたと思われるものの、それ以上のいわゆる「知能」には達していないようですが…
逆のパターンで、ほとんど誰も想像していなかったようなものが実現しちゃう世界でもありますよね。
近い将来、といっても数百年後ぐらいには、なんかこうバチコーンとやればあっさり自立した知能が生まれちゃうみたいな、そういうのが当たり前の社会がやってきたりして……。
>後退する日が必ず来る
いやそりゃ体質だかなんだか次第だろう。
親父は先日なくなったが、高齢+病気で体力ぼろぼろだったにも関わらず髪は最期まで健在だった。つまり髪より髪以外のほうが先に後退してしまったわけでorz
#ついでにお骨までガッチリだったので驚いた。「こんななのに命は持たなかったなんて…」と複雑なAC遺族一同。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
この道はいつか来た道 (スコア:2, おもしろおかしい)
「人工知能」を巡る理想の変遷を思い出すなぁ。
最初は「人間の知能の働きを解明してやるッ!」と鼻息が荒かった。
「人間の知能を観察・推察し、それを模倣すれば必ずや知性を手に入れるであろう」と頑張った。
が、頑張りはたいてい報われぬもの。
途中から堕落。もとい方針転換。
「人間の知能を真似なくても、機能が似てれば大丈夫だよ」を経て、「特定の目的に対してスマートに機能すればお金もらえるよ」というレヴェルまで、じわじわ後退した。
髪の生え際が後退しつつある人を見るたびに、人工知能を巡る理想の後退を思い出すのです。
どんなにふさふさでも、後退する日が必ず来るんだよね、と。
Re:この道はいつか来た道 (スコア:2, 参考になる)
汎用的な人工知能を考えるとき、フレーム問題が付いて回ると言います。
で、こういう考え方はとっくに試行された後だとは思うのですが、私が普段考えていることとして、人工知能にも本能と肉体があれば、フレーム問題を(ある程度?)回避できるのではないかということがあります。
我々人間は、動物としての本能を持っていますし、それら本能を満たすための最適化が進められた肉体を持っているわけです。肉体があり、その上で動作する本能があるからこそ、周囲のあらゆるものに自動的に優先順位が付き、肉体レベルで優先度が低いとされた情報は意識に上る前に切捨てられます。
だから、人工知能にも、以下のような肉体を持たせたらどうかと思います。
・「外界からの情報を自律的に取捨選択する機能を持つ感覚器」を通じて、周囲を認識させる。
・その感覚器自体がフレーム問題に陥らないよう、感覚器そのものはごく単純なルールに基づいて動作する(反射や自律神経に相当)。
・単純な感覚器の組み合わせで複雑な情報を取得することができるようにするために、一つ一つの感覚器を極小な要素とし、それらが大量に集まって所定の機能を発揮するような構成とする。
・大量の感覚器は、肉体を保護する方向で情報の取捨選択を行うように調整する(動物で言うところの生存本能(の、肉体担当部分))。
というところでしょうか。工学的にこんなものが作れるとしてですが。
まーでもこの程度の考えじゃ誰でも考え付くだろうし、既にやってみてダメだったとか、不可能性が証明されてるとか、そんなところだろうなぁ…。
ついでに言うと、私としては、人工知能の思考なんて、人間には理解できないもので当たり前だと思ってます。逆に言えば、人間の思考をコンピュータに再現させることはできないというか。肉体と精神が切り離せないものであるならば、肉体が人間と違えば、思考も違ってくる道理です。
内部的には人間からは理解不能か、狂ってるとしか見えなくていいのです。全然別の生き物なのだからそれで当然。問題は、その狂った思考でいかにして人間とコミュニケーションをとらせるか、ですね。
Re:この道はいつか来た道 (スコア:3, 参考になる)
最近のロボット研究の潮流がまさにそれで、肉体を持って直接感覚として世界の情報を摂取しないと知能が生まれないという仮定のもと、ロボットという肉体を持たせることが人工知能の研究の発展に結びつく、というものです。トピック本文のリンク先を辿って、松原先生のインタビューを読めばそのことに言及されていると思います。微小単位での「反応」の総合が本能であり知能であるというのもすでに研究は走っていて、様々な試みがなされています。2007年の世界SF大会での瀬名秀明さん主催の企画をまとめた本 [senahideaki.com]が出ていますので、そちらをご参照いただくとかいつまんだ説明があります。パネルディスカッションをおこしたものなので話が冗長かつバラバラな部分もあり、食い足りないかもしれませんが。
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
途中までですが、インタビューを読みました。むー、やはり本職の方々はとっくに通り過ぎていた地点でしたか。
私の考えは、「人間はあらゆるものに好悪のランク付けを行っていて、それを元に考えたり行動したりしている。その好悪は元を辿れば動物的な本能に基づいて評価されている。動物的な本能は、体の器官がてんでに勝手に主張するところから発生しているものがかなりの部分ある」というところから出発していたのですが、わりといい線行っていたのかなと勝手に喜んでいます。
しかし、うーむ、アイデア的に車輪の再発明もいいところで、読み進むたびに悔しさ半分という感じです。
ともあれ、人工知能に、人工知能自身に認識できない程度に根源的な段階から、本能的な欲求(この場合は自己の保存)を与えてやらないと、能動的に動き出さないというか、自己の内部に蓄積されたデータを自ら系統立てて構造化することができない、単なるデータの塊にしかならないのではないかな、というところで、逆に言えば、ここら辺のパラメータをうまく与えてやれば、PC上だけで動くそこそこインテリジェントな人工無脳くらいなら作れないだろうかとも考えてます。
例えば、Wikipediaあたりからデータをクローリングして学習させる際に、「死」に関するページにマイナス評価を植えつけておき(初期設定の時点では、「死」という言葉の意味を理解していなくてもよい)、ある言葉が、「死」のページから何hopのところにあるかを、言葉一つ一つに対してパラメータとして持ち、それが個々の言葉に対する好悪となる、というような。
後は「死」以外にも距離を評価する言葉を増やしたりして行けば、多少は心の襞のようなものが生まれてくるかもしれません。ま、莫大な計算リソースを食うとんでもないプログラムになってしまいそうではありますが。
ところで揚げ足ながら
これについては、自分のタレコミで恐縮ですが、人のES細胞から大脳組織を作製―自発的な神経活動も [srad.jp]みたいな話があって、脳だけで感覚器がないのに自発的に動き始めてしまったりして、(これが知能かどうかは疑問の余地がありますが)育つ育たないはともかく、萌芽自体は、感覚に全く依存するという訳ではないのかもしれないなーと思ったり。
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1, すばらしい洞察)
それは1970年代のミンスキーの「心の社会」理論と同じですね。
> ともあれ、人工知能に、人工知能自身に認識できない程度に根源的な段階から、本能的な欲求(この場合は自己の保存)を与えてやらないと、
ここが一番難しいところです。
知能と本能はほとんど双対ですから、結局何も解決したことにはなりません。
Re: (スコア:0)
「本能」と相対する「知能」を「知性」と言い換えると、「本能」が「肉体(もしくは種)」を守るために生じた「知能」であるとするならば、「知性」は「知能」を守るために生じた「知能」ということではないでしょうか。
最初は、「知能」は「肉体」を守るための手段であったのが、そのうち、「知能」が「知能」を守るようになって、「肉体」を壊してさえ、「知能」そのものを維持しようとする。例えば、寝食をおろそかにして、物事に没頭することがありますが、これは、健康を害するのを「本
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
その辺についてはもともと人工知能の研究過程で議論のあったところです。一頃は、「知能のアルゴリズムはもうわかったも同然。あとはどうやってコンピュータに『常識』を教えるかだ」と息まいていた時期があったのですが、つまり「『人間の常識』を教えないと『人間に役立つ知能』にはならない」というドグマがそこにはあった訳です。だから今日、ヒューマノイドロボット研究が人工知能研究の役に立つと考えられているのですね。つまり人間のものに近い肉体があれば、人間のものに近い知能が育つだろう、と。
逆説的に、我々が知る生命とかけ離れた肉体を持つ「知能」とのコミュニケーションははたして成立するのだろうか、という疑問も当然出てきます。このあたりは多くの SF 小説で語られています。私好みのところでは「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」あたりですが、これらはまだわりかし地球上のものと似たような生命体が相手であり、そこそこ意志の疎通ができているのでまだまだ甘い。もっとハードな奴、すなわちまったくチンプンカンプン、というものもあるかと思います。
Re: (スコア:0)
>人間のものに近い肉体があれば、人間のものに近い知能が育つ
ところでその肉体を使ってドレくらいの量の経験値を積ませるつもりなんでしょう?
リアル人間のほうは数十万年*数十(数百?)億人の蓄積が、
積み重なって今に至っています。単純加算ではないにせよ。
いっぽうロボは、これからが有るとはいえ、とりあえず今を見れば
研究室だのなんだのにせいぜい数百数千台で時間もまだ10年かそこら。
そして知能マシンに接続された状態のロボとなればまだまだこれから。
「いびつなモンテカルロ」(とでもいえばいいのかな)でもって知能を「育て」ようとするにしては、
ちょっとペースが心配すぎます。
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1, すばらしい洞察)
> バーチャルでどうこうすることを考えたほうが現実的じゃないのかな?
外部をよくモデル化することは、人工知能の実現よりも難しいのです。
Re: (スコア:0)
>よりも難しい
まだどっちが難しいかなんて判らないじゃん。
Re: (スコア:0)
判るよ。
というのも、モデルとは既知の技術で問題を解けるように立てるのだから、いったんモデル化してしまえば後はテクニカルな問題しか残らない。
人工知能でなくてもなんだってそうだよ。
既知の技術で問題が解けないようなモデルは…モデル化の失敗なのでやり直しです。
Re: (スコア:0)
古典的な人工知能は世界のモデルを内蔵していたわけですが、それを全部とは言わないまでも、外に出してしまったということかな。
Re: (スコア:0)
それって要素主義?
#古典的ゲシュタルト心理学の信奉者より
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
そうですと言うべきかそうでないと言うべきか、私はあまり詳しくないのでわかりませんが、前野教授の話 [itmedia.co.jp]あたりが関係するでしょうか。
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
------------
惑星ケイロンまであと何マイル?
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
サブサンプション(包摂)アーキテクチャ [wikipedia.org]――単純な受容-応答系の組み合わせの相互作用から、ボトムアップ的に「知的」なふるまいを創発させるという考え方の嚆矢ですね。
昆虫レベルの動きなら、ほぼ完成できていたと思われるものの、それ以上のいわゆる「知能」には達していないようですが…
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1)
無口になっちゃうよ俺。
# JASRACの方(ry
## あqwせ(ry
Re: (スコア:0)
逆のパターンで、ほとんど誰も想像していなかったようなものが実現しちゃう世界でもありますよね。
近い将来、といっても数百年後ぐらいには、なんかこうバチコーンとやればあっさり自立した知能が生まれちゃうみたいな、そういうのが当たり前の社会がやってきたりして……。
Re: (スコア:0)
>後退する日が必ず来る
いやそりゃ体質だかなんだか次第だろう。
親父は先日なくなったが、高齢+病気で体力ぼろぼろだったにも関わらず髪は最期まで健在だった。
つまり髪より髪以外のほうが先に後退してしまったわけでorz
#ついでにお骨までガッチリだったので驚いた。「こんななのに命は持たなかったなんて…」と複雑なAC遺族一同。