なおかつて何度もノアの箱舟の発見についてセンセーショナルに報じられてきた [ameblo.jp]が、聖書考古学誌は一貫して沈黙を守ってきた過去がある。たとえば The Biblical Archaelogist 誌は「すべての記事は何らの根拠もないこと、またそれは信じたいことを信じる人間の傾向の例として考えねばならない("It may be regarded as a symptom of man's willingness to believe what he wishes to believe.")」と一行で片付けたほど。そもそも大洪水が史実であったとしても、数千年前の船はとっくに朽ちているだろうというのが、一般的な聖書考古学者の見解でして。自他共にノアの箱舟と認められるにはまだ時間がかかると思う。
飽きない人たち (スコア:1)
たぶん、今度のも……
# アレゲというよりトンデモ?
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:飽きない人たち (スコア:3, 興味深い)
聖書考古学 [google.co.jp]だったか、西欧では「聖書の記述を実際にあったこととして証拠を集める」って学問があるんです。
#にしてもなぜ中国の研究者が出てきた?
有名なところではサントリーニ島の大噴火の津波の引き潮=モーゼが海を割った [google.co.jp]という解釈。
神話の架空と思われていたトロイアが実際に発見された [wikipedia.org]こともあるので、一概にこの学問をトンデモと決め付けるわけにもというのがありますが、いくらなんてもアララト山に船の漂着はちょっと・・・
ノアの大洪水説話と、学問としての聖書考古学 (スコア:5, 興味深い)
>西欧では「聖書の記述を実際にあったこととして証拠を集める」って学問がある
これは微妙に違うw
伝統的に信じられてきた聖書本文を再評価して、聖書本文がどこの記述に由来しているのかを推定する「聖書批評」が主だったりする(創世記を文体の相違から「J資料」「P資料」に分けてみたりね)。もちろん彼らの意に反して聖書の記述が裏付けられることもしばしばなので、中東を発掘する時は聖書を調べながら発掘作業を進める学者もいるが…。
たとえばニネベが19世紀に発掘されるまでは、歴史に登場しないために、ヨナ書が述べる「この町は歩いて回るのに3日かかる」と書かれるような大都市は存在するわけがないと聖書批評家たちに評価されてきた。しかしティグリス川の東岸を中心に発掘した結果、宮殿と多数の粘土板が発掘され解読されて、栄華をきわめた古代都市ニネベを首都とするアッシリア [britishmuseum.org]が知られるようになった。-アンドレ・パロ著「ニネヴェとバビロン-続聖書の考古学-」みすず書房刊<人間と文明の発見シリーズ>から抜粋
さて1872年に聖書考古学会で発表された「カルデアの大洪水説話」で、アシュルバニパル王の図書館から発掘された(ニネベ出土の)粘土板の中に楔形文字で刻まれた大洪水物語が紹介された。以来、考古学者たちは聖書の物語の根底はバビロニアの物語、さらには後から発掘されたニップル出土のシュメール起源の物語によると考え、一方の聖書学者たちは発見されていないひとつの伝統があって、それがシュメール・バビロニア版(楔形文字の伝統)とイスラエル版(旧約聖書)に分かれたと考えるようになった、と考古学者のアンドレ・パロは著作(「聖書の考古学 埋もれた世界の発見・大洪水とノアの箱舟・バベルの塔」141頁)の中で紹介している。
この楔形文字の伝統にはいくつかあるが、有名なのは銀行紙幣の彫刻師でありながら大英博物館でオリエント学に熱情を向けたジョージ・スミスが修復・解読した、ギルガメシュ叙事詩の粘土板第十一。
物語の詳細は省くが、ギルガメシュ叙事詩の中に登場する「ウタ・ナピシュテムの船」はというと、「その壁の高さは一二〇腕尺、屋根の側面はおのおの一二〇腕尺」とあり立方型の箱であったことが知られている。水平に六つの床で仕切られた七階建て。各階は九つに分割されて、全体では六三の小室があったとされている。さらにオリジナルと考えられるシュメル版の粘土板には「巨大な船」としか読むことができない。またバビロンの祭司ベロソスにより伝えられ紀元前二七五年頃に著された書物から伝えられた話のアルメニア語訳によれば、船の「長さは5スタディオン、幅は2スタディオン」となっている。箱舟が到着した地点はギルガメシュ叙事詩は「ニシル山(ニシルスタン)」、ベロソスの伝統によれば「アルメニアのクルド山脈」となっている。全地を覆う洪水に触れた民間伝承ならば、船がとどまった先は一番高い山がある地方を選ぶ傾向があるとされている。
一方の旧約聖書とはいうと、聖書批評家たちが祭司的(P)資料と呼ぶ創世記の一部には「長さは三〇〇腕尺、幅は五〇腕尺、高さは一五〇腕尺」とある(腕尺はおよそ50センチメートル)。そして三階建てで小室(仕切り室)があって種類分けをするには都合がよいとされている。船が到着したのは「アララトの山」で、旧約聖書全体(二列王記一九・三七、イザヤ三七・三八、エレミヤ五一・五七)を通じてアッシリアの碑文にある「ウラルトゥ」にあたる国の名と同定されている-創世記6章。
しかしイスラム教徒やシリア人に伝えられるアララト山の場所は、さらに南にありメソポタミアの平原が眺められるジュデイ山になっている。
聖書考古学によって明らかにされているノアの大洪水物語の情報のごく一部を挙げてみると、こんな感じだ。
>有名なところではサントリーニ島の大噴火の津波の引き潮=モーゼが海を割ったという解釈
それは聖書考古学ではない。少なくとも考古学が明らかにしているのは、モーゼが海を渡って通ったと考えられる経路くらいだと思うがw
水を強力な磁場の中に置くと、反磁性の水は磁場から遠ざかる性質が発見されたが、これはモーゼ効果 [wikipedia.org][Moses Effects]と呼ばれている。そのモーゼ効果の応用を研究しているのが TDKと東京大学 [tdk.co.jp]。
または紅海の特殊な地形により断層破砕帯に海水が流入したとすれば、水力学で説明することができるかもしれないという研究 [ilt.or.jp]もある。
ところでその研究者によれば
それでトンデモの一言で片付けるのは容易いが、大洪水物語についても学術的な考察ができる余地があるのかもしれない。それで宇宙人の存在を議論するようなスラッシュドットにはふさわしいネタだとも思うが、この手の文献が少ない日本では、(wikipedia日本語版も汚染している)トンデモの情報かどうかを区別しないと、傍から見て一笑に付される議論しかできないと思う。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:ノアの大洪水説話と、学問としての聖書考古学 (スコア:1)
考古学の見解では、方舟など残っているわけがないので (スコア:2, 興味深い)
>海の生物…フジツボでも付着していたら、なかなかの驚異ですよね。
今回発掘したチームがノアの箱舟の存在を信じる、トルコと中国の「キリスト教福音派」の考古学者ら15人からなる探検チーム「ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナショナル(Noah's Ark Ministries International)ということもあって、炭素14年代測定法から約五千年前の構造物だからというので、ノアの箱舟といっているだけの話。
実際炭素14年代測定法は試料の採取の仕方でかなり数値が変わってくるのも知られているし、本当にそれが文献にあるのと同じ構造物なのかというのも今後の調査がまたれるところだと思う。
なおかつて何度もノアの箱舟の発見についてセンセーショナルに報じられてきた [ameblo.jp]が、聖書考古学誌は一貫して沈黙を守ってきた過去がある。たとえば The Biblical Archaelogist 誌は「すべての記事は何らの根拠もないこと、またそれは信じたいことを信じる人間の傾向の例として考えねばならない("It may be regarded as a symptom of man's willingness to believe what he wishes to believe.")」と一行で片付けたほど。そもそも大洪水が史実であったとしても、数千年前の船はとっくに朽ちているだろうというのが、一般的な聖書考古学者の見解でして。自他共にノアの箱舟と認められるにはまだ時間がかかると思う。
>付着している微生物の種類など調べるという方向性はないのでしょうか。
船が漂着してから年月がたっているのでそれは無理でしょう。それにギルガメシュ叙事詩では「六日六晩風が吹きまくり嵐がその国を荒廃させた大洪水」、旧約聖書では四〇日四〇夜降り続いた雨でさらに水がひくのに一五〇日かかった大洪水(創世記7章)となっており、どちらの記述も海港に停泊していたわけではないので、少なくともフジツボがつく可能性は低いと思います(^^;
>その4000mの水はどこへ消えたのか…
面白いことに地球の凸凹を均すと、地表は2000メートル以上の深海に沈む [yahoo.co.jp]という計算がありますね。ですから水がどこへ行ったかはそれほど難しくはないと思いますが、水がどこから来たのかとかどうしてそうなったかは今後の研究が待たれるのかもしれません。しかし考古学一分野では解決できない到底解決できない問題ですし、「大洪水などトンデモ」と言って取り合わない学者がいるうちは解決が難しいでしょう。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:考古学の見解では、方舟など残っているわけがないので (スコア:1)
ところがどっこい, タールでコーティングしてあるとはいえ「海」を漂っていた「木造船」ですからフナクイムシ [tamarokuto.or.jp]がくっついていた可能性は高いわけで. フナクイムシ本体は見つからなくても, その食痕は石灰コーティングされていることもあって長期間保存されやすいです. ですから, フナクイムシの食痕が見つかれば, 確証が得られるわけです. ちなみにフナクイムシは淡水では生きられないので, 木造船は川に入った港に停泊することでフナクイムシ退治をしたそうです.
こうした生物による考古学的検証としては, 他にも有孔虫 [wikipedia.org]を使った津波による埋没遺跡の検証なんかがあるみたいです.
Re: (スコア:0)
とても難しいのですが、どういうことでしょうか?
こんな感じでは?(Re:考古学の見解では、方舟など残っているわけがないので (スコア:1)
大規模な気候もしくは地殻の変動(ノアの箱舟の理由である大洪水)が予測/予言される
↓
真面目に船を作るノアさん(年齢不詳)…
そして…
予言どおりに大洪水が襲ってきたΣ(゚д゚lll)
↓
動物と一緒に逃げたお(^ω^)
↓
どんぶらこっこどんぶらこ
↓
アララト山の近くにきたお(^ω^)まだ海だお(^ω^)
↓
地殻変動が起きて山が出来て水が引いたΣ(゚д゚lll)
↓
洪水はひきました、ノアさんは生き残りました。めでたしめでたし(^ω^)
# 表現は気にするな(´・ω・`)
Re: (スコア:0)
つまり洪水と雨に因果関係はなく、
地殻変動が主因ってことですか。
それで、たった数千年前に現在の大陸が形成されたと。
聖書ってすごいですね。読みたくなった。
Re:飽きない人たち (スコア:5, おもしろおかしい)
ノア「神よ、洪水から救っていただきありがとうございます…しかし、この狭い方舟の中で、多くの生き物同士が生活していくのはもう限界です。どうか道をお示しください」
神様「よろしい…ではアララト山の頂上まで、はこぶねを運ぶね」
…すると、おお、なんという奇跡! 方舟に乗っていた生き物たちだけでなく、あれだけあった大水まで、立ちどころに引いてしまったのだ!
Re:飽きない人たち (スコア:1)
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惑星ケイロンまであと何マイル?
Re: (スコア:0)
鳩「・・・ちょ、ェェェエエエ?!ぼくの出番なくなってますやん;;」
船員A「オリーブ?ホウレンソウ食ってちょっくら探して来らあ」
Re: (スコア:0)
船員A「オリーブ?ホウレンソウ食ってちょっくら探して来らあ」
船員Pじゃないのか?
自分の場合 (スコア:0)
ノア「山の神よ、PC周辺機器の洪水から救っていただきありがとうございます…しかし、この狭い部屋の中で、多くの生き物(二次元)同士が生活していくのはもう限界です。どうか道をお示しください」
山の神様「よろしい…ではあらら、っと山の頂上まで、ついてこい!」
…すると、おお、なんという奇跡! 部屋にあった生き物(二次元)たちだけでなく、あれだけあったコミックスの山まで、立ちどころになくなってしまったのだ!
妻:「あんたの出張中、あんたの部屋のガラクタみんな処分しといたからね!」
Re:飽きない人たち (スコア:2, すばらしい洞察)
チグリス河の洪水で岡の上に漂着した話が誇張されたと解釈した方が自然です。
伝説の元になった事件が何か調べる事には それなりの意味はありますが、下手するとド素人が遺跡を破壊する結果となります。今回のも……
# シュリーマンの発見した城塞跡は後から調べようが無いくらい破壊されてます。
>#にしてもなぜ中国の研究者が出てきた?
千年前から観光客に破片を売る商売がありました。
「こっちが本物だ」と主張して観光事業を始めるのでは?
(冒険家という記述が胡散臭さを増幅しています)
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:飽きない人たち (スコア:2)
そもそも、聖書や預言書(予言ではない)は
聖書:史実
預言書:確実に起こる事象
である事が前提らしいので、
写本で広まる時には世の王や司祭、神学者が
解釈を難しく、また人民を洗脳するために
都合の悪いこと/良いことを添削したり、
物事の順序を入れ替えたり
という事があったとの説もあるらしい。
この説が正しいのか間違っているのかは知らないが、
記載内容をまるまる信じ、似ている物があれば正解と判断するなんて
非常にお目出度い方々だと思います。
今日のお前が言うな (スコア:0)
> 千年前から観光客に破片を売る商売がありました。
>「こっちが本物だ」と主張して観光事業を始めるのでは?
九州と近畿の両方で邪馬台国跡の観光やってる日本にだけは言われたくないと思うよ。
Re: (スコア:0)
>九州と近畿の両方で邪馬台国跡の観光やってる日本にだけは言われたくないと思うよ。
なんで「([濃い方]は)[薄い方]にだけは言われたくないと思うよ」なのかなあ。
「([薄い方]は)[濃い方]にだけは言われたくないと思うよ」、ってならないとツマラなくない?
「キリストの墓がある日本には言われたくないと思うよ」
ならまだわかるけどさあ。
#大真面目で日本をディスりたいだけだったならゴメンねえ~