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当時の記事見ると、・一週間ほど前にライクラ近くの物理学者ジャンパウロ・ジュリアーニ氏が、群発地震とラドンの放出量の 変化からラクイラとスルモーナあたりで大規模地震が発生するとネットに公表。・対象地域で「家からでて避難しろ」と拡声器でがなったり、パニクって道路に飛び出すなどの大騒ぎ。・政府当局がくだんの地震研究者たちにジュリアーニ氏の予知が正しいか判断を依頼。・研究者達は差し迫った危険はないと判断。・警察がジュリアーニ氏をお騒がせ人として取り調べ。ネットの指摘も削除させた。・当局は「大地震は来ない。家に戻れ」と広報。・ところが1週間後に大地震発生。300人以上が死んだ。ということのようです。読売新聞の話とはすこし違うけど。
新聞の記事を鵜呑みにして議論しても電力の時間の無駄使い。記者は書くのが仕事だろうけど、取材したことをまとめて文章にしているだけなんだから。記事の内容に関する専門家としての判断があるわけではないし、取材先の発表が正しいとも限らない。デスクがチェックするから、「電信柱が傾いて..」とやるTVの現場アナウンサーよりはマシだと思うが。-------最近は「雷が◯◯さんがつけていた金属のバックルに落ちて...」は減ったようだ。
「大地震が起きる可能性は低い」は、別に間違ってないと思うが。「大地震が起きる可能性はない」なら間違いだが。
「宝くじにあたる可能性は低い」けど、でもあたらないわけじゃない。
確率や統計を含む表現を正しく正確に理解することは難しいけど、上記は単純な例だと思うぞ。
「可能性はゼロではない」くらいにしとくべきだよね。科学者としては。
マスコミも、視聴者や読者も「0%か、100%か」の二択を求めすぎるんだよな。答えられなきゃ「そんなことも判らないなら、税金使ってまで研究すんな!!」って話になるし。
断言できるほど事象が解明されてたら、だれも研究なんてしねーよ!!
日本人の特性とも思えんけどね。
日本人に限らず、「Aである可能性が存在する」というだけで、どの程度の可能性かって話を飛び越えて「Aである」と思ってしまうのは理系の人じゃなければ一般的なことなのでしょう。
#仕事でも、問題の原因になった可能性が否定できないと認めたら、#その問題の原因だと断定されて責任おわされるなんてのはよくある話。
日本人に限らず、 「Aである可能性が存在する」というだけで、どの程度の可能性かって話を飛び越えて「Aである」と思ってしまうのは 理系の人じゃなければ一般的なことなのでしょう。
理系以上に, というかむしろ統計などの生みの親であるところのギャンブルを忘れちゃいけません. おそらく, 一般の人が統計・確率をもっとも体感しやすいのがギャンブルだと思います. まあ, もっと一般化すれば, 不十分/不正確な情報を元に決定を下す行為全てがギャンブルなんですけどね. 多くの人は自分の体験を元に本命側に賭けているので, 自分が日常的にギャンブルを繰り返している事を認識していないってだけで.
本当は, ギャンブルで負けることによるリスクが小さい義務教育の段階で, 日常的に「運」の要素を取り入れるべきだと思うんですよね. その方が確率に対する体感的な理解とか, ギャンブルに対する定量的な評価が学べますから. まあ「不公平」とか「努力」とかの声が大きくて受け入れられないのは確実ですけど.
いずれにせよ, ギャンブルに正面から向き合えない人間は半人前ですね.
義務教育で、どんな教師に当たるかで天地の差が出るのはギャンブルでないとでも?教師の方でも深刻にギャンブルを実感してるはずだ。
かといって、「明日の震度4以上の地震発生確率は0.00027%です」なんて予報されてもなー。
そりゃあ、災害を受ける側からすれば「被害に遭うか・遭わないか」の2拓しかないわけだから、「予知をするなら当てて欲しい」と思うのが人の心ってもんでしょう。
複雑な症状に対して診断が二点三転するような時に、たらい回しにされたりして怒り心頭の患者がヤブ医者呼ばわりするようなものじゃないでしょうか?
たらい回しと可能性の話は、関連性がないと思う。
>研究者が『「0%か、100%か」の予知は不可能である』を断言せずそんな常識を確認する必要はないでしょう
班目委員長の「可能性はゼロではない」は何も言ってないことを誤魔化して素人に決断を押し付けただけの、意見を聞かれた専門家としては役立たずをさらけ出したものだけどね。(こんなのが原子力の専門家じゃ安全を目指すなんて無理)
「地元では同年1月半ばから震災までに約200回の微震が観測され、大地震の前兆との見方が広がっていた」にも関わらず、「大地震が起きる可能性は低い」なんて誤った予測しちまったのが訴訟に繋がったんだと思う。まして日本みたいに微震が毎日起こるような場所じゃないしね。
これが微震じゃなくて電離層とか地震雲なら、起訴なんかされんだろ。
地震が起こる前の状況で大地震が起こる「可能性が低くない」と合理的に結論できるだけの知見が果たしてあったのかどうかが鍵かねもっとも、地震が起こっちまった後の時空からそれを評価する者が当然掛かるであろう強烈なバイアスを排除して判断出来るかどうかは謎ですが。
この委員会はこれから先存続するとしても、どんな状況だろうが予想が外れるのもお構い無しに「可能性ありありですぜ」としか言わなくなるんですかね
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
違うんじゃねーの? (スコア:0)
Re:違うんじゃねーの? (スコア:2, 参考になる)
当時の記事見ると、
・一週間ほど前にライクラ近くの物理学者ジャンパウロ・ジュリアーニ氏が、群発地震とラドンの放出量の
変化からラクイラとスルモーナあたりで大規模地震が発生するとネットに公表。
・対象地域で「家からでて避難しろ」と拡声器でがなったり、パニクって道路に飛び出すなどの大騒ぎ。
・政府当局がくだんの地震研究者たちにジュリアーニ氏の予知が正しいか判断を依頼。
・研究者達は差し迫った危険はないと判断。
・警察がジュリアーニ氏をお騒がせ人として取り調べ。ネットの指摘も削除させた。
・当局は「大地震は来ない。家に戻れ」と広報。
・ところが1週間後に大地震発生。300人以上が死んだ。
ということのようです。
読売新聞の話とはすこし違うけど。
新聞の記事を鵜呑みにして議論しても電力の時間の無駄使い。
記者は書くのが仕事だろうけど、取材したことをまとめて文章にしているだけなんだから。
記事の内容に関する専門家としての判断があるわけではないし、取材先の発表が正しいとも限らない。
デスクがチェックするから、「電信柱が傾いて..」とやるTVの現場アナウンサーよりはマシだと思うが。
-------最近は「雷が◯◯さんがつけていた金属のバックルに落ちて...」は減ったようだ。
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1)
日本でも、静岡辺りで地震が群発→観測所が「この地震はいつか来ると言われている大地震とは無関係です」と発表→大地震発生、の流れになったら、研究職員、給料返せ、ぐらいは言われるんじゃないかな。
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1)
「大地震が起きる可能性は低い」は、別に間違ってないと思うが。
「大地震が起きる可能性はない」なら間違いだが。
「宝くじにあたる可能性は低い」けど、でもあたらないわけじゃない。
確率や統計を含む表現を正しく正確に理解することは難しいけど、
上記は単純な例だと思うぞ。
Re: (スコア:0)
それはあまりにもむちゃくちゃw
Re: (スコア:0)
それともイタリアの法だと、
学者や医師などには別途法があるのかな?
その法がないなら現時点で有罪にできる法治国家は存在しない。(あくまで建前)
(法に問えるかといえば問うのは可能)
ちなみに医師が下記の対応をした場合も起訴される?
・余命1年と告げたが3ヶ月でなくなった場合。
・万全とは言えませんがこのまま様子を見ましょうと告げたが後に急変して死亡。
医師として見逃すはずのない明らかな症状でなければ、
法に問うても有罪にはできないでしょう。
てことで現代の地震学(?)にそこまでの精度がないので、
「絶対来ないから逃げるな!」と公的立場で言わない限りは、
有罪にはできないでしょう。(あくまで建前)
(法に問えるかといえば問うのは可能)
Re: (スコア:0)
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1, おもしろおかしい)
「可能性はゼロではない」くらいにしとくべきだよね。科学者としては。
Re:違うんじゃねーの? (スコア:2, 興味深い)
マスコミも、視聴者や読者も「0%か、100%か」の二択を求めすぎるんだよな。
答えられなきゃ「そんなことも判らないなら、税金使ってまで研究すんな!!」って話になるし。
断言できるほど事象が解明されてたら、だれも研究なんてしねーよ!!
日本人の特性とも思えんけどね。
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1)
日本人に限らず、
「Aである可能性が存在する」というだけで、どの程度の可能性かって話を飛び越えて「Aである」と思ってしまうのは
理系の人じゃなければ一般的なことなのでしょう。
#仕事でも、問題の原因になった可能性が否定できないと認めたら、
#その問題の原因だと断定されて責任おわされるなんてのはよくある話。
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1)
理系以上に, というかむしろ統計などの生みの親であるところのギャンブルを忘れちゃいけません. おそらく, 一般の人が統計・確率をもっとも体感しやすいのがギャンブルだと思います. まあ, もっと一般化すれば, 不十分/不正確な情報を元に決定を下す行為全てがギャンブルなんですけどね. 多くの人は自分の体験を元に本命側に賭けているので, 自分が日常的にギャンブルを繰り返している事を認識していないってだけで.
本当は, ギャンブルで負けることによるリスクが小さい義務教育の段階で, 日常的に「運」の要素を取り入れるべきだと思うんですよね. その方が確率に対する体感的な理解とか, ギャンブルに対する定量的な評価が学べますから. まあ「不公平」とか「努力」とかの声が大きくて受け入れられないのは確実ですけど.
いずれにせよ, ギャンブルに正面から向き合えない人間は半人前ですね.
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1)
義務教育で、どんな教師に当たるかで天地の差が出るのはギャンブルでないとでも?
教師の方でも深刻にギャンブルを実感してるはずだ。
the.ACount
Re: (スコア:0)
かといって、「明日の震度4以上の地震発生確率は0.00027%です」なんて
予報されてもなー。
Re: (スコア:0)
そりゃあ、災害を受ける側からすれば「被害に遭うか・遭わないか」の
2拓しかないわけだから、「予知をするなら当てて欲しい」と
思うのが人の心ってもんでしょう。
複雑な症状に対して診断が二点三転するような時に、
たらい回しにされたりして怒り心頭の患者が
ヤブ医者呼ばわりするようなものじゃないでしょうか?
Re:違うんじゃねーの? (スコア:2)
たらい回しと可能性の話は、関連性がないと思う。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
>研究者が『「0%か、100%か」の予知は不可能である』を断言せず
そんな常識を確認する必要はないでしょう
Re:違うんじゃねーの? (スコア:1)
班目委員長の「可能性はゼロではない」は何も言ってないことを誤魔化して素人に決断を押し付けただけの、意見を聞かれた専門家としては役立たずをさらけ出したものだけどね。
(こんなのが原子力の専門家じゃ安全を目指すなんて無理)
the.ACount
Re: (スコア:0)
「地元では同年1月半ばから震災までに約200回の微震が観測され、大地震の前兆との見方が広がっていた」
にも関わらず、「大地震が起きる可能性は低い」なんて誤った予測しちまったのが訴訟に繋がったんだと思う。
まして日本みたいに微震が毎日起こるような場所じゃないしね。
これが微震じゃなくて電離層とか地震雲なら、起訴なんかされんだろ。
Re: (スコア:0)
地震が起こる前の状況で大地震が起こる「可能性が低くない」と合理的に結論できるだけの知見が果たしてあったのかどうかが鍵かね
もっとも、地震が起こっちまった後の時空からそれを評価する者が当然掛かるであろう強烈なバイアスを排除して判断出来るかどうかは謎ですが。
この委員会はこれから先存続するとしても、どんな状況だろうが予想が外れるのもお構い無しに「可能性ありありですぜ」としか言わなくなるんですかね