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この生き辛い世の中、息苦しい社会を作り上げているのは、上述の規律=訓練的権力です。社会の隅々(学校、工場、オフィス、病院、軍隊、家庭・・・等々)にまで網の目を広げる権力。
この根拠を示さないまま「抵抗することが肝要」などと言っても説得力はありません。
「国力の増強」など、今や全く自明ではない。
これは意味が分かりません。増強は増強でしょう。経済の反映であったり軍事力の強化であったり人口であったり、種類は多々ありますが、自明でなくなったようには思いません。
なぜ国家
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
その前にさあ (スコア:1, 興味深い)
そいつが楽になるためだけに、警察に捜査費用(回りまわって税金)を使わせたり、しに場所に選ばれた土地の持ち主に迷惑かけたりしてるんだから。
そうすりゃ思い止まらせようとする人も増えそうだしさ。
やはり公衆自殺ボックス (スコア:1, 興味深い)
ぶっちゃけありえない (スコア:2, 参考になる)
ならばその権利を棄てる自由もあるだろうと。
でも、国にしてみれば国民は国の財産なわけで。
各人の生産力,納税力が国力の維持のために必要であり、
国を運営していくにあたって、それが当てにされている。
そんなわけで、勝手に死なれては困るのです。
--
Ath'r'onならfloatあたりに自信が持てます
反権力 (スコア:1)
権力は、今まで考えられていたように抑圧や禁止といった形式で働くのではなく、人々を「生産的」にさせます。ここでの生産とは、経済的生産のみならず、学校での成績、工場(オフィス)での能率、病院での健康、軍隊での「破壊力」でさえをも意味します。社会はこのようにその隅々にまで権力が毛細管状のネットワークとなって広がっています(すなわち権力は「国家対革命」などという二元的なものではなく、社会の細かいところまで、人と人との関係が
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:反権力 (スコア:0)
この根拠を示さないまま「抵抗することが肝要」などと言っても説得力はありません。
これは意味が分かりません。増強は増強でしょう。経済の反映であったり軍事力の強化であったり人口であったり、種類は多々ありますが、自明でなくなったようには思いません。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
権力(生産性を要求する規律=訓練的権力)の究極の姿がファシズムやスターリニズムだと言えばお分かりになるでしょうか。
>>この生き辛い世の中、息苦しい社会を作り上げているのは、上述の規律=訓練的権力です。社会の隅々(学校、工場、オフィス、病院、軍隊、家庭・・・等々)にまで網の目を広げる権力。
>この根拠を示さないまま「抵抗することが肝要」などと言っても説得力はありません。
前のコメントの通り、権力は生産性を個々人に要求します。つまりは効率・能率を極限
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
> 経済の反映や軍事力の強化などは固有の「わたし」にとって何ら意味を持ちません。
いいえ。意味を持つ場合もあれば、そうでない場合もある、と言ったところでしょう。
だって、「わたし」は国家にも属していているのだから。
> 国と同一化しないのですから、国の繁栄などどうでもよい。
国家に属していることから逃げられない「わたし」が、「国家の繁栄などどうでもよい」などとは言えないでしょう。
国家に属していることに考えが及ばないから、「国家の繁栄などどうでもよい」と
Re:Re:反権力 (スコア:1)
確かに。私の解釈は稚拙なのかもしれません。
>> 経済の反映や軍事力の強化などは固有の「わたし」にとって何ら意味を持ちません。
>いいえ。意味を持つ場合もあれば、そうでない場合もある、と言ったところでしょう。
だって、「わたし」は国家にも属していているのだから。
確かに仰るとおりですね。ただ固有の「わたし」を「われわれ」に回収しようとする言説には気を付けなければならないと思います。
また「国家は幻想である」というような本がありますね。読もう読もうと思っていて読めていないのですが。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
アリだけど、稚拙だよね。まあ、甘えてる、としか言いようがない。
そんなこと言うなら、無人島にでも行きなさい、と言ったところです。
> これは社会に権力が存在する限り終わりはないと思います。
いつまでたっても、闘争し続ける運命にある、ということでしょう?
実に不幸な考え方です。
そういう考え方を超越する必要があるんじゃないか、と。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
超越ではありませんが、「権力」を「コミュニケーション圧力」と
読み替えて話を追ってみました。権力の隠喩ではなく、物理的な
性質に近い意味で。
有力なメディアのいうことは圧力大、親のスネをかじっていると
親の言うことは圧力大、声の大きな人が言うことは圧力大、
という風に。
だとすれば、「抵抗」や「闘争」は「コミュニケーション圧力の
バランスをとること」が適当でしょうか。
相手より強くなって押し返すのではなく、対等のコミュニケーション
が取れるような人間になること。
ニュースを鵜呑みにせず、自活し、言うべき事は言う、でも
礼儀は失せず、というような。
「生産的」は何を当てはめていいかよく分かりません。
「画一的価値観」などでしょうか。
「全員個性的であれ」という画一的な価値観が学校で
広められているようなのでややこしいです。
ともあれ、「バランスをとる」ならコミュニケーションのある限り
続けるのも悪くないと思います。
lunersさんおよびフーコーには失礼な読み方になってしまいましたが、
現在の日本では産業生産よりコミュニケーションのほうが
重要なテーマであるように思うのです。
#自活しないとね……自戒をこめて
-- AKN
Re:Re:反権力 (スコア:1)
というような部分が、闘争の原理には含まれていないところが問題だと思うんです。
近代以降の思想が、人間より上位の存在、例えば神みたいなものを捨ててから、
そういう傾向が始まったのではないかと考えています。