あんたが #601296 [srad.jp] に対する明確な例示をしてくれたら、
私も手間を掛けてでもコメントを発掘しよう。
give and take だ、take and take なんて虫の良い話は認めない。
それがあんたの望む「対話」ってやつだよ。
結果としてメイン ID を明記することになったとしても構わない。
どうかね。
私は本家はあまり見ません。英語が分からないからです。なので、本家での実情についても詳しくありません。 Friend or Foe なるシステムが導入された経緯についても心得ておりません。なので、この点についてはどうにも反論のしようが無いのですが、現況や状況の変化について詳しい方がいらっしゃれば、ぜひとも詳説をお願いしたいところです。
個人的には、AC を卑下するユーザーは確かに少なからず見受けられると思うし、あからさまに態度を変える人というのもいらっさるとはおもいます。しかし、それ以上に、関連付けによる個人の特定さえ不可能にする AC の特性を利用して、捨てコメントをしてゆく AC に、困惑の色を隠せないでいるだけのユーザーを指して、ID の誰もが優越感を抱いているということにしたい方々がいらっさるようだという点も、私にとっては気がかりです。ただ、「恐いから AC」「恥ずかしいから AC」と言って書き残されてゆくコメントが散見されることを思えば、/.-j の利用者が、 ID を使用していても保証される程度の匿名性については、確かに理解が浅そうだなと言う気はします。
ある目的の為にハンドル名を持つケースと、まずハンドル名を先に持ってしまっていて、何をやるにしてもそのハンドル名を使ってしまうケースとでは、匿名性は全然違ってきちゃうでしょうね。おいらの場合は後者のケースになるので、匿名性は薄れてしまう。Dirge さんの場合は、/.-j に対する問題提起を目的とした ID であって、それ以外の場面に対する匿名性は確保されている。
ID を持っていることに (必要以上に) 特別な意識を持ってしまっている、あるいは AC を卑下するような態度をとってしまう方というのは、ハンドル名の性質を、後者のようなものとしてしか考えることができないからなのかもしれません。あるいは、前者のようなハンドル名の使われ方自体を、不健全なものであると考える方もいらっさるようにも思います。この考え方は、パソコン通信時代を引きずっている人には見られがちな症状なのかもしれません。古くて、狭い考え方であるように思います。こういう方々にこそ、2ちゃんねるなどで行われているやり取り、および活動を、もっとよく観察して学ぶべきなのかもしれません。
変わっていないと言うより (スコア:0)
2chと比べられるのを極端に嫌がったり、2chを悪く言うIDが多いのも、実はスラドがどうしようもなく下世話な状態であることに薄々気づきつつそれを陽に認めることができないからこそ、という感じがします。また、そんな現状をきちんと認識できないあたりが、いかにもスラドらしくトホホなんですがね。
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
本家のことだよ。
slashdot.org について書かれた Hotwired の記事から5年経ってるってこと。
ジャパンと本家は似て非なるもの。
本家のほうが2chにより近いと思う。
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
本家くらいのユーザ数になると
IDとanonymousとで違いがない。
以前にも書いたが、IDがラジオでのお便り紹介、
「×市の○さん」と同じようなものになる。
個別差はあるが、まず覚えられない。
なので自ずと2ちゃんねる的な混沌を持つ。
しかし現在の.jp規模ではどうしても馴染みIDができる。
それはそれで面白いのではあるものの
馴れ合いと揶揄される状況へ簡単に移行しがち。
.jpのユーザに2ちゃんねるを嫌う傾向が強いのは、規模へのやっかみ、
2ちゃんのヘビーユーザであったことがなくてその文化を知らない、
IDと匿名が変わらないことを理解していないために
「IDの優越感」を持っているからだと思う。
最後のポイントはかなり重要だと思う。
IDも個人情報を示していなければ
(例えば、性別、年齢、居住地域、所属、実名など)
それはすなわち匿名、ペンネーム、正体不明である。
個人的な事項に関するようなコメントなどをすると
どうしても漏れ出てしまう代物ではあるものの、
純粋にアレゲ [srad.jp]なコメントに終始している限りではそうでない。
それと、私のこのエントリは本家に限定したものでもない。
確かに.jpはまだ三年ちょっとしか経っていないが。
.jpは.orgのスタイルと在り方を最初から意識している。
スラッシュドットジャパンの About us [srad.jp]を再度見てもらいたい。
このWiredの記事にリンクしている。
運営陣がジャパンも同じだと主張したいのだと私は読んだ。
しかしご指摘の通り「似て非なるもの」になった。
なぜだかね。
批判コメントを受け流せない人が多いのかも。
(私も他人のことを言えないかもしれんが、実はあれも遊んでいる。)
矢面に立つことを嫌い無難なコメントに終始している人も多いかも。
Beauty is within us, just like a rose.
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
面倒なので私はそれらを発掘しないが、
充分にご存知なのではないかね。
ストーリーとそのコメント群をじっくりと読んでるんだろ?
Beauty is within us, just like a rose.
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
具体例を示さず、知らないかも知れないものを「知ってるだろ」と述べた。
これは謝罪しよう。
あんたが #601296 [srad.jp] に対する明確な例示をしてくれたら、
私も手間を掛けてでもコメントを発掘しよう。
give and take だ、take and take なんて虫の良い話は認めない。
それがあんたの望む「対話」ってやつだよ。
結果としてメイン ID を明記することになったとしても構わない。
どうかね。
あまりフェアでない取引だということは認めるが。
私側は「2get」に続くコメント群を調べるだけでもかなり例示できるな。
Beauty is within us, just like a rose.
Re:変わっていないと言うより (スコア:0)
本質なんてどうでもいいのですが (スコア:1)
話し相手が ID だろうがそうでなかろうが、基本的には気にしないようにしているつもりですが (そうでないときもあるなぁという自覚も無いわけではないのですが)、自分が ID で (と、言うよりは、このハンドル名を冠した上で) なにかを書くときには、それ相応の緊張感があります。これは、あるいは私の場合はいたって特殊で、自分のサイト [asahi-net.or.jp] や、他のいくつかの場所でも使用しているハンドルネームである為に、(個人情報についておおっぴらに公開しているわけではないにも関わらず) ネット上での多くの行動に関連付けて観察される可能性があるからなのかもしれません。
個人の識別と関連付けというのは、/.-j という狭い領域の中においてもそれなりに重要であるようにも思われます。普段の発言を知っている人にとっては、ハンドル名を見た瞬間に、その発言を読む姿勢がある程度決まってしまう可能性もある、という性質のものです。モデレーションにおいて異様な程歓迎されていたり、逆に個人叩きが発生したりするのも、左様な馴れ合い体質によるものなんではないかなぁと理解しています。
本家でのお話というのは、そういう意味では個人的に非常に興味深いです。利用者数が増えるにつれ、ID と匿名に本質的な差異が見られなくなる、ハンドル名なんていちいち覚えていられなくなる。果たして、本当にそういうものなのでしょうか?
私は本家はあまり見ません。英語が分からないからです。なので、本家での実情についても詳しくありません。 Friend or Foe なるシステムが導入された経緯についても心得ておりません。なので、この点についてはどうにも反論のしようが無いのですが、現況や状況の変化について詳しい方がいらっしゃれば、ぜひとも詳説をお願いしたいところです。
個人的には、AC を卑下するユーザーは確かに少なからず見受けられると思うし、あからさまに態度を変える人というのもいらっさるとはおもいます。しかし、それ以上に、関連付けによる個人の特定さえ不可能にする AC の特性を利用して、捨てコメントをしてゆく AC に、困惑の色を隠せないでいるだけのユーザーを指して、ID の誰もが優越感を抱いているということにしたい方々がいらっさるようだという点も、私にとっては気がかりです。ただ、「恐いから AC」「恥ずかしいから AC」と言って書き残されてゆくコメントが散見されることを思えば、/.-j の利用者が、 ID を使用していても保証される程度の匿名性については、確かに理解が浅そうだなと言う気はします。
2ちゃんねるに対する嫌悪感は、私は単なる偏見だと思っています。私からしてみれば、2ちゃんねるも /.-j も、単なるコミュニケーションツールであり、それを提供する場であるとしか思っていません。運営方針が、若干異なるだけのことです。いちいち僻んでないで、使いたければ両方使えばいいんです(w。
ただ、運営方針が異なる以上、/.-j が「2ちゃんねるのようにはなって欲しくない」と考えるのは、ごく自然なことではあると思います。だって、2ちゃんねるみたいな場がほしければ、2ちゃんねるを使えばよいだけのことですから。
むらちより/あい/をこめて。
貴方の匿名性ついて (スコア:1)
> 自分のサイトや、他のいくつかの場所でも使用しているハンドルネームである為に
貴方はコメント毎に個人プロフィールを常時示している。
自分のサイトへのリンクをコメントに付けている。
つまり貴方は匿名性を捨てている。
なので
> ネット上での多くの行動に関連付けて観察される可能性
を意識せざるを得なくなるのだろう。
「ネットの行動」ではなく、「他サイトでの振舞いと評価」が
貴方の発言を律してしまっているわけだな。
名前のないことが匿名でなく、名前以外知らせないのが匿名だ。
私のこの ID のように。
私の場合では Dirge の名前で書いているサイトも存在するのだが、
私はそれらの関連を一切断ち切っている。
だからここでの振舞いも単独で存在できる。
Beauty is within us, just like a rose.
レッテル (スコア:1)
これはいわば「脳内モデレーション」であろう。
誰でも「評価すべき瞬間」と「そうでない瞬間」がある。
「評価すべき瞬間」の多さには差がある。
良いコメントの篩い分けは手間が掛かる。
多い人と少ない人がいるので
先に「IDというレッテル」で篩い分けするのだな。
対話を続けることは、それがネガティブでもポジティブでも
消耗するから、余計なコストを掛けたくないわけだ。
本来、レッテルでなくコメントごと評価批判すべきものだ。
これをシステムへ明示的に取り込めば FoF になる。
> ハンドル名を見た瞬間に、その発言を読む姿勢がある程度決まってしまう
このレッテルとトレーサビリティは読む側の勝手な都合であって、
コメント毎に評価するのがリアルなコミュニケーションだ。
常に君子聖人でいる人はいない。
気心の知れたはずの大好きな恋人や夫婦ですら
ダメなときはどうやってもダメだから(笑)。
良い悪い、「評価すべき瞬間」は読む側の状況でいくらでも可変だ。
その人、その時、その状況で簡単に変わり得る。
ID、モデ、FoFなど、「客観的で妥当に見える道具」を用意すると
コミュニケーション状態が固定化されてしまう。
私にはあまり健全とは思えない。
Beauty is within us, just like a rose.
トレーサビリティ (スコア:1)
anonymous なまま延々と対話を続けた経験がある。
背景知識を共有し、流れに即したコメントをしたうえで、
互いに付加知識を乗せていったわけだ。
そのとき、anonymous でも充分に互いを認識できた。
二人だけで延々とコメントの遣り取りを続けていた。
珍しい例だとは思うのだが、共同作業がうまくいった。
ID に頼らなくとも信頼関係を築くことは充分に可能だ。
「内容でのトレーサビリティは楽しい」という経験を持つと
ID などは気にならなくなる。
誰もが同じように同じような経験をできるとは思わんけど。
Beauty is within us, just like a rose.
コテハン (スコア:1)
2ちゃんねるを見れば判るだろう。
名無しメインな2ちゃんねるですら
有名コテハンなんて数が知れている。
よほどキャラが立っていないと覚えられない。
ひろゆきなどの運営陣は別格として、
私は松田新平氏、東京kitty氏くらいしか知らん。
今はもう全然2ちゃんねるを見てないのもあるが。
Beauty is within us, just like a rose.
Re:コテハン (スコア:1)
とりあえず、ID についてはこれが一番分かりやすくて具体的な説明だと思ったので、ここにつなげちゃいますね。
ハンドル名の使われ方もさまざまだと思います。2ちゃんねるのコテハンの場合、ある程度の例外はあるかもしれませんが、大抵の場合は、そのスレッドの中でのやり取りで個人が特定ができれば十分という考え方で使われているように思います。スレ主であることを示す 1 さん始め、例えば Winny 開発者にして言いだしっぺであることのみを示す 47 氏であるとか。結果として、Winny がいろんな意味で有名になってしまったが為に、47 氏も有名な存在になってしまいましたが (そういう意味ではあまりよい例であるとは言えないのですが ^_^;)、そうでなければ、このようなコテハンというのは、通常はそのスレッドのみという狭い範囲において、そのスレッドで行いたい活動のためだけに必要とされる個人の特定の為に使用されるもので、そのスレッドでの活動が終わってしまえば、いとも簡単に誰からも忘れ去られるような存在であるといえると思います。
ある目的の為にハンドル名を持つケースと、まずハンドル名を先に持ってしまっていて、何をやるにしてもそのハンドル名を使ってしまうケースとでは、匿名性は全然違ってきちゃうでしょうね。おいらの場合は後者のケースになるので、匿名性は薄れてしまう。Dirge さんの場合は、/.-j に対する問題提起を目的とした ID であって、それ以外の場面に対する匿名性は確保されている。
ID を持っていることに (必要以上に) 特別な意識を持ってしまっている、あるいは AC を卑下するような態度をとってしまう方というのは、ハンドル名の性質を、後者のようなものとしてしか考えることができないからなのかもしれません。あるいは、前者のようなハンドル名の使われ方自体を、不健全なものであると考える方もいらっさるようにも思います。この考え方は、パソコン通信時代を引きずっている人には見られがちな症状なのかもしれません。古くて、狭い考え方であるように思います。こういう方々にこそ、2ちゃんねるなどで行われているやり取り、および活動を、もっとよく観察して学ぶべきなのかもしれません。
むらちより/あい/をこめて。
Re:コテハン (スコア:1)
私のこれまでの主張とかなり似ていると思う。
使い捨ての人間関係 [egoism.jp]
Beauty is within us, just like a rose.
ネットどころか (スコア:1)
会社にもいるなぁとか思ってしまった。。。ていうか、おいらがまさにそれなのかな?(w 派遣さんとかやっていて、仕事が終わればそれまでみたいな関係。で、その間絶対連絡先や自分が住んでいる場所とかを周囲に教えない人。まぁ、調べれば会社には登録しているわけだからわかるんだろうけど、実際そこまでやる人ってあんまりいないし。実質的には契約期間が切れるまでは縁が切れないはずなんだけど、さくっと逃げちゃう人もいるし (^_^;;;;; 。
って強引な例えはともかくとして、「参加型」「所属型」という言い方はなるほどと思います。 off 会とかやってしまうと「参加型」としての意味合いは薄れちゃいそうな気がしますね。顔が割れてしまうわけで。。。
むらちより/あい/をこめて。
Re:本質なんてどうでもいいのですが (スコア:0)
ほんとに運営方針って異なってるんですか?そもそも、お題目じゃなくて、実質的に機能しているきち
運営方針? について。 (スコア:1)
運営方針、という書き方もあまりよろしくないのかもしれませんが、設営者が抱いている前提については こちら [srad.jp] に記述があります (ページ左側の「About us」と書かれたリンクから参照できます)。要点を挙げるならば、「ハイテクオタクのためのニュースと雑談のためのサイト」でしょうか。
2ちゃんねるについては、今この職場からではアクセスが規制されているため閲覧できないのですが (仕事しろよ>ヲレ ^_^;)、広い範囲をカバーする、数多くのカテゴリの板が存在し、特定の編集者を介さずに、 (基本的には) 誰もが自由にスレッドを興すことが出来る (板によっては「自由に」と言うわけにも行かないのでしょうが) といったことを考慮しても、スラッシュドットのような限定的な方針を持つサイトではない、もっと懐の深いサイトであるということがいえるんではないかと思います。
# あとで方針っぽいことが書かれているページが無いか探して、気付いた点などがあればフォローするつもりです。。。
ツールとしての仕組みが多くの部分で異なるので、コミュニケーションの形として意図されているものも違うものである、という点については、ご想像いただけるのではないかと思います。
むらちより/あい/をこめて。
フォロー>2ちゃんねる (スコア:1)
「ハッキング」から「夜のおかず」までを手広くカバーする巨大掲示板群 [2ch.net] だそうです。。。大体あってたかな?
むらちより/あい/をこめて。
Re:運営方針? について。 (スコア:0)
いや、それは額縁に飾ってあるだけで、まったく意味がないポリシーでしょ。.orgから意味もろくに理解せずもってきただけ。
ニュースと言うには古い内容の記事が圧倒的に多いし、雑談と言ってもくだらないコメントがほとんど(2chと比較してS/N比がよく話題になるけれども、著しくスラドの方が高品質、という説得力のある話は聞いたことがない)。そもそも「ハイテクオタク」などと言うわりにほぼすべての科学ネタは閑古鳥の鳴く始末。盛り上がるのはMSやソフトバンク叩きや、政治/教育ネタ。まるで日曜の床屋の政治談議と同じ水準です。いや、それ
スラッシュドットジャパンは特別なサイトではない (スコア:0)
この日記エントリでGetSet氏が明言している [srad.jp]通り、スラッシュドットジャパンは「/.Jは決して速報性を主としたサイトではない」と思います。
以前から気になっていたのですが、スラッシュドットジャパンのサイトの性格を勘違いして上記のようにいう方を見かける気がします。
編集者もタレコミをする人も皆ボランティアでやっているのだから、速報性に欠けるところは仕方ないと思っています。スラッシュドットを速報性の高いサイトにしたいのなら、あなたが速報性の高いタレこみをするか、編集者になって速報性の高い記事をフ
Re:スラッシュドットジャパンは特別なサイトではない (スコア:1)
# 無精、短気、傲慢、これ最強
Re:運営方針? について。 (スコア:0)
「実質的に機能している方針」っておかしくない?方針は機能しているかどうかに関係ない。
そもそも、あんたの言ってるのは、「ハイテクオタクのためのニュースと雑談のためのサイト」の個々の単語を自分の主観であしざまにののしってるだけじゃん。「(自称)ハイテクオタク」とか「(おんぼろの)ニュース」とか「(ゴミクズのような)雑談」とかに言葉変えたら満足?まあ、
Re:運営方針? について。 (スコア:1)
2ちゃんねるの方は「副産物」がヒットしたという話で、一方スラドの方は「成果物」を比較対照に持ってきてる。フェアじゃないですよね。
成果物同士の比較ならば、スラドの翻訳ものってのと、2ちゃんねるの「ナントカスレッドのまとめサイト」ではどちらが情報価値が高いか、という議論をすべきです。
逆に副産物同士の比較なら、2ちゃんねるのレスを抜き出した電子書籍と同じように、スラドのコメント傑作集のようなものを比べてあげなくちゃ。
ただ現状、スラドは利用者数も少ないし注目度も少ないから、コメント傑作集を作ろうって人がいなくて、傑作集が出来てないから比較のしようがないね、っていう話で。
「本当にあったソフトウェア業界の怖い話:スラッシュドットジャパン編」とかならコメント抜き出しで作れそうな気がしますよね。作っても「過激な恋愛話」より人気が出ることはないでしょうけど。
Re:スラッシュドットジャパンは特別なサイトではない (スコア:1)
ストーリーが表から流れてしまえば終わり。
2ちゃんでは内容に興味を持つ「スレ住人」が存在する限り続く。
そこが最大の差だろう。
現在はニュース性と議論性のバランスがいまひとつかも。
私の活動はこの影響を強く受けている。
仕事場からは書けず、帰宅後のわずかな時間に限られる。
しかしそれも体調に左右されて毎日というわけにはいかない。
なので「旬」を逃す。
高度なコメントも、雑談も。
日記の方が表ストーリーよりうまく機能しているかもしれない。
このエントリがよい例かも。
Blog 間のトラックバックでの議論には敵わんけれど。
ここもリファラをみることなどができればもっと面白いのだが、
Slashcode に縛られているので機能拡張は無理だろう。
はてなへ移行した人が多かったのはその機能に惹かれたのだろう。
編集者の wakatono 氏すらほぼ完全移行してしまった。
はてなはもう十万人規模 [cnet.com]、mixi も五万人規模 [itmedia.co.jp]。
機能に魅力が薄いので /.J ユーザ数の伸びは鈍い。
ならば内容に魅力があるかと言うと、「今はどうかな」とも思う。
あるのならばもっとユーザが増えててよいはず。
単独で輝くコメントやエントリが存在しにくいのは当たり前。
ここの日記、2ちゃん、はてな、どこでも同じだ。
ここではBSD氏 [srad.jp]、Nullpo氏 [srad.jp]、orz氏 [srad.jp]などは面白いことをしているが。
また常に良質な者など居るわけもない。
ID の辛いところだな。
「多くの名無しコメントからの厳選」にはそんな制限はない。
Beauty is within us, just like a rose.
Re:変わっていないと言うより (スコア:0)
これはまったくもって同感。実際、優越感を直に感じることのできる要素としてモデレーションやカルマがあるわけだが、それらを無理矢理にでも稼ごうとして馬鹿げたことをしている、という話には事欠かないし(二重IDとか、IDとACの使い分けとか、常連や編集者に媚び諂うとかね)。
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
本家と米ネット社会でかなり問題になった。
一時期にはカルマを稼ぐために形振り構わない人がいた。
その経緯を受けてカルマの数値表記をやめたのだな。
複数IDについては私はあまり偉そうなことを言えない。
これも専用IDだから。
ただし媚びてはいない。
ちなみにカルマを稼ぐのは簡単だ。
雑談中心になってしまっているストーリーで
高度なコメントをすれば「参考になる」が簡単に付く。
ただし困ったことに、議論にならんのだな。
ツッコミできる人がほとんどいなくなるので。
そうなると表でのディスカッションはつまらなくなる。
Beauty is within us, just like a rose.