HeliosRedsのコメント: Re:SUSE信頼してない… (スコア 1) 19
# どうかご勘弁ください。m(_'_)m
お伺いしていた何点かの疑問について、微妙にはぐらかされてしまっていた感があってモヤモヤしていたんですが、ようやくちょっと分かってきました。
裁判で判決が出ていない以上、これ以上は存在しえません。
私は、この1文を [...] と解釈します。
上記が、私が最初に伺っていた「そのへんについてはこれまで議論がされてきていて、共通認識のようなものってできているんでしょうか?」に対する答だということでよろしいでしょうか?
だとすると、『私は、この1文を「バイナリを入手できる時点で同じ方法でソースコードへアクセスできる場合に限り」と解釈します。』というのも一つの解釈としてはありうる、ということにはなりませんか?
# 「私は A と解釈します」ということしか根拠がないと
# 「では、私は B と解釈します」という者とは
# どこまでいっても平行線となってしまうと思う。
なので、元の質問に戻り「そのへんについてはこれまで議論がされてきていて、共通認識のようなものってできているんでしょうか?」ということになるわけです。
で、確かに「いついかなるときでもソースコードが入手できる」ということが理想であり、GPL の理念であったとしても、現実問題として、ディストリビュータ側の責任として「未来永劫にわたり全てのバージョンのソースコードが公開されている状態を維持する」ことを求めるのは不可能だと思うのです。かといって、ユーザがバイナリを入手しようとした際に、そのユーザが必要としているか否かなど問答無用で無理やりソースコードとセットでなければ入手できないようにしてしまう…というのも、どうかな、という気はします。
そして、「…しておくことが望ましい/べきだ」と「…しておかないと GPL 違反だ」との間には大きな開きがあると思います。
「…しておくことが望ましい/べきだ」ということをしていない Novell の企業としての姿勢に信頼が置けず、使う気にはなれない…ということならば、理解はできます。ですが、Novell は GPL に違反している…ということであるなら、その意味は全く違うものになってしまいます。
なので、個人の解釈に止まらない「GPL 違反だ」という根拠があるなら、むしろはっきりとそれをお知らせいただきたいわけです。で、openSUSE プロジェクトとして正さなければならないのであれば、正すべく働きかけたいと思うわけです。それが「あくまである個人の見解では…」だと「私はそのようには解釈していない」で話は止まってしまうだろうと。
…最後に、
GPLを選んだということは、あなたは少なくともGPLを適用したソースコードに関しては、RMSがGPLを通じて具現化した条件を是とした、という事です。
こういう言い放ち方は、Free Software の理念や精神をより多くの人に理解してもらい、賛同を得ていくうえでの妨げにはなっても、後押しにはならないと思います。こういう物言いから生まれてくるのって「狂信者」とか「GPL 汚染」とか、Free Software に対するネガティブなイメージなんじゃないかな…。