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SaySetの日記: あ、すみません中身ないです(^^;;;

日記 by SaySet

IDでコメントつけると、なんか日記のリンクがついちゃってるし(^^;;;

昔のはずい日記をおおっぴらにするのもアレなんで、ダミーのエントリをつけてみたとゆーわけです。
あしからずm(_'_)m

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SaySetの日記: 「私」は常に孤独である。

日記 by SaySet

# あ、別に鬱駄氏膿とかゆーわけじゃないです。

私は一人だ。
私は孤独だ。
いくら周囲に家族や友人がいても、やっぱり私は孤独だ。
だって、私が直接認識できる『ココロ』は、私しかいないから。

たとえば、家族。
うちに帰れば、子供がちゃらちゃらと遊んでいる。
もうすぐ小学生。言葉もしっかりしているし、字もある程度は書いている。会話も成立する。
ただ、こいつの『ココロ』に直接触れ合えるわけじゃない。
勿論、言葉や身振り・表情で、何が言いたいのかは判る。考えていることも、ある程度わかる。
...が、そこまでだ。
自分で自分を感じるほど、はっきりこいつの『ココロ』がわかるわけじゃない。
端的にいっちゃうと、こいつは「私」ではない。だから「私」は一人しかいない。

そういう意味で、私は孤独だ。
私の『ココロ』は孤独だ。

飛躍すると「全宇宙の中で存在するのは私の『ココロ』だけだ」といっちゃうこともできるかもしれない。飛躍しすぎだけど。

無駄に広大な「全宇宙」を前に、たった一人で立っている...
その恐怖、あるいは畏怖を、感じとることができるかどうか。あるいは、どのように乗り越えるのか。

そのあたりがキーなのかなと思う。

# 自分でもトンデモはいってきるのは自覚してます。多分。

599190 journal

SaySetの日記: 将来の議論にむけての覚書

日記 by SaySet

客観的な実在としての「神」がいるかどうかは、不明。(おそらく検証できない)。

主観的には、その人の信条(心情?)に依存する。

ミームとしての「神」は間違いなく存在する。

599916 journal

SaySetの日記: 生還

日記 by SaySet

出発は台風が多少遅れてくれたおかげで、帰還は台風が北にそれてくれたおかげで、無事にいってこれてしまった。

しかし今年は台風が多い。加えて、台風被害も結構多い。
...単にご近所で被害がでたからとゆーことかもしれないが。

600213 journal

SaySetの日記: なぜ、宗教的な示唆に不快感を抱くのか。 5

日記 by SaySet

結局のところ、ある概念に対する普遍性をあまりに無邪気に振りかざされるところに、違和感をかんじているのだなあと思った。

その方は、「自分の存在が無意味と感じられること(その可能性があること)が不愉快だ」と思われているらしい。また、「自分の存在を無意味と感じないために、『神の意思』という発想を取り入れている」ということのようだ。

その考えに異議を唱えるつもりはない。あくまで、その方個人の信条であるのだ。
また、前者に対しては、たしかにそのとおり。それで不愉快に感じない人はいないだろう。

しかし後者に関しては、私はまったく同意できない。『神』などという概念を導入しなくても、私は十分に生きがいを感じられると思うからだ。
自分が同意できない示唆の提示に対して不快感を抱くこと。それ自体は、おそらくごく自然な感情なのだろうとも思う。

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ちょっと追加。
「同意」という言葉は適切ではないかもしれない。「理解」「納得」... うーむ。どれもちがう。
「同意できない」というより「同意していない」の方が適切かな。

600319 journal

SaySetの日記: 将来の議論にむけての覚書

日記 by SaySet

世界は二つある。
一つは、物理的な世界。その存在・特性は科学で説明できる。
もう一つは、内的世界。ある特定の人が認識する世界。物理的には、その人の脳がもつ「イメージ」の総体ということになるだろう。

第三者と共有できるのは、前者の世界のみである。
ある人が認識できるのは、後者の世界のみである。

この2者を混乱させないこと。

600345 journal

SaySetの日記: 進化論的世界観 4

日記 by SaySet

とある方の日記にあったキーワード。
これについて思うところがあるのだが、直接その方に意見を送りつけるのはためらわれるので、ここに書き込んでおく。

その方はキリスト教を信仰されている方で、Webを通してしか触れ合ったことはないのだが、とても暖かく、かつ理知的な方だと思っている。尊敬している、といってもいい。
その方が、普段のその方の穏やかな雰囲気からは想像もつかないような激しさで、「進化論的世界観」を攻撃されている。
正直、とても驚いた。なぜなら、その方のおっしゃる「進化論的世界観」を、私は素直に受け入れることが出来ている、と思えるからだ。

ここで「進化論的世界観」について述べておく。
ダーウィンの「進化論」は、地質学的な時間における生物の変化・多様化を合理的に説明したものだ。そこにはいわゆる「神」の介入する余地はなく、生物は偶然発生したごく単純な「モノ」から、偶然性、あるいは無作為性に深く影響されるプロセスによって複雑化・多様化した(する)とされる。
言ってみれば、すべてを「法則」と「偶然性」をともなう「プロセス」で説明できる、という考え方。それが「進化論的世界観」なのかなと思う。

その方が、このような「進化論的世界観」に異議を唱えるのは、こんな理由からのようだ。(当然、私は「その方」ではないので、その方の考えを曲解している可能性は常にあるのだけれども。)

「進化論的世界観」を推し進めるとどうか。この世に存在するすべてのものは「偶然」にできたものであり、「そうでなければならない理由」はどこにもない。すべてが「無意味」な世界。そう捉えてしまうことも出来る。
その方は、そんな空虚な世界の捉え方に反対しておられるようだ。世界には、存在には、人間には、「私」には意味があり、背後には「神の意志」が確かに存在する。そう主張しておられる。

ここで私自身といえば、たしかに「世界は無意味」という考えには同意できない。かといって、すべての背後に「神の意思」が働いているという考え方にも同意できない。
「進化論的世界観」には同意する。しかし、だからといって「世界は無意味」などという空疎な結論に陥ることも無い。私自身はどうやら、そのような世界観をもっているようなのだ。

...私の持つ「進化論的世界観」の捕らえ方については、すこし時間を置いて(頭を冷やして)再度まとめてみようとおもう。よってこの日記は一旦ここで閉じる。

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目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond

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