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581742 journal

codeslingerの日記: 若者への言葉

日記 by codeslinger
最近私の状況が公私ともに変化の中にあります。
年齢ももうすぐ35歳目前。
私の人生が後何年あるかわかりませんが。
日本男性平均寿命70歳まで生きるとすれば、折り返し地点です。

今年35歳になる年として、なんらかのアクションを起こすつもりで新年を迎えました。
が、いきなりデスマーチの仕事に突き込まれて、肉体的精神的に「壊れ」ました。
おかげでその後、療養とリハビリを兼ねて軽い業務しかしていません。

しかし、これはある意味いい機会と成りました。
今後の人生プランを公私ともにじっくりと見つめなおしました。
そして、仕事人として、35歳を境に、会社を変わることを決意しました。
今回の転職は、今までのような、一人の技術屋としての会社転職ではなく。
一人の人間として、自分の可能性をかけたチャレンジをするための転職です。
今そのために、いろいろと準備中です。

一方プライベート(趣味)のほうですが。
うちのサークルが、年度末を前にして、いろいろと変化が起きようとしてます。
主な変化は、年少組の進学と卒業。若手組の就業。です。
こちらも3月末でいくつか決着を付けねば成らないと思ってる問題があります。

それはうちに来ている子供達(若手・年少全て)に対する、人生の先輩としての「コーチング」です。
今の日本の20代の若者が、社会に出て行くためにいろいろと苦労しなければならないことが多いこと。
それらに対する動機付け(後押し)が必要であると、ずっと思ってました。

3月末に35歳を迎える自分。
そして自分の仕事の転機、いや、自分の人生の転機に合わせて、
彼ら若者に対して、なんらかのレクチャーをすべきではないかと。
これから社会にちゃんと出て行って、自分の居場所を確立してもらうためにも。
そしてこれから転機を迎える自分の為にも。
つまり「(自分を含む)若者への言葉」を。

前置きが長くなりましたが。
そのレクチャーのためのレジュメを作りました。
このレジュメの元ネタは、あるサイトにあった「今求められるキャリア教育とは?」という高校向けの講演会要点です。
(すいません、そのサイトの場所は忘れてしまいました)

☆印がついている項目が私が加筆修正した部分です。

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「今求められるキャリア教育とは?」

☆20代の「大人」としての最低限の意識
 自分の可能性は無限だが、自分の人生は有限である。
 無限の可能性という甘い夢だけに溺れず、自分の限りある人生へ正面から向き合おう。

1 ニート・フリーター・パラサイト問題の背景

・学力や学習時間の二極化から「希望格差社会」(山田昌弘)へ
・学歴(学校歴)社会の崩壊=「よい学校」を出ても幸せになれない
・高度情報社会であふれる情報→何をしたいのか、どう決めてよいか、わからない
・「新人類親」の登場→「承認の供給不足」(宮台真司)と自己肯定感の低さ
・「同調圧力」が、「かけがえのなさ」を奪っていく

☆一方で学校から高スキル(専門性)を求められながら、
 一方で社会からフリーターとしてちやほやされる。
 学生(若者)は、目の前のお金に目を奪われて、スキルを成長させきれない。

2 間違いだらけの親や教師

・「とにかく勉強しなさい」に納得するのは無理
・「何がしたい?」と問われても、何がしたいかわからない
・「適性検査」で決めた進路を貫けるほうがおかしい
・「職場体験」はないよりマシだが……

☆各個人の自主性や自立を重んじる教育や指導を受けていない。
 親や教師は、上からの指示どおりにやる子供が「いい子」だと考えがち。

☆まず自分の潜在能力を信じる事。
 ・自分は才能を発揮する為に生まれてきた。
 ・自分はよりよい仕事をすることを望んでいる。
 ・そのために、結果が見えるまでは何でもし、必要なだけ待つ意欲がある。

3 キャリア教育の前提となること

・「利己的な夢」から「利他的な夢」へ
・社会人の最低条件は「対話能力」、大人と話せるようにする
・必要なのは、上辺だけの知識でなく、「何をしてきたか」を説明できること(中谷彰宏)
・完璧主義でなく、プラス志向
・覚えることより、自分の頭で考えること
・知的好奇心に訴える授業から、承認欲求に訴える授業へ
・他者との違いを肯定し、異質な他者と共生する

☆これからの社会を生き抜く為に必須なスキル
 ・与えられたこと・教えられたことをそのまま行うだけ(の人)でなく
  自分で状況判断して目的(仕事)を達成しようとする自律指向の人間へ

4 これからのキャリア教育のために

・基本的な「キャリア教育」は、日常の教科に埋め込む
・具体的な「人」の姿を通して、「1人でも世界は(少しは)変えられる」ということを、繰り返し見せていく
・総合でも特活でも、基本テーマは「自分発見」
・「他の人がやらないことをやる」という戦略的発想
・繰り返し、「10年後の自分」をシミュレートする
・職場体験の前に、徹底した「対話能力」向上を
・一方的にお世話になるのでなく、相手にもメリットを

☆他人から言われるままになるのではなく。
 自分の意欲をもって取り掛かる。

☆給料をもらうサラリーマンではなく、
 自分(のスキル)で稼ぐ、自立したビジネスパーソンになろう。

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☆補足資料1
◎ボンクラ(DQN)定義
 上昇志向はあるが向上心がなく、
 金は欲しいが稼ぐ努力は惜しく、
 世間をなめきっているが、それ以上に世間に軽んじられている人

◎ニートの主な4タイプ
1)ヤンキー(非行)型
 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
 中卒、高校中退が多い。親も豊かとは言えない。
2)ひきこもり型
 社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
 不登校やひきこもりを体験。人間関係を結ぶのが苦手。
3)立ちすくみ(自己実現追求)型
 就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
 大卒に多い。就職活動で自分らしい仕事を考えすぎて立ちすくむ。
4)つまずき(自信喪失)型
 いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ
 その後の職探しを躊躇する。
588149 journal

codeslingerの日記: 気持ち悪さ

日記 by codeslinger

最近量産されるアニメや漫画やゲームに対して感じる「気持ち悪さ」はなんだろう。

主人公の内面世界(近接世界)が、そのまま世界全体に影響するという、セカイ系。
これで最初にブレイクしたのはエヴァンゲリオンだったか。

生まれつきもつ特殊能力で、すごい活躍をしていく。
努力や苦労という過程無視のバトルを広めたのは、ドラゴンボールだったろうか。

この二つの流れをより強く受けまくって、最近のアニメや漫画・・・「テニスの王子様」や「ガンダムSEED」等・・・が出来ている。
これらの作品自体の出来不出来はさておき、そこから感じるもの。
あるいは、そういう虚構に強く共感している若者たちから、感じられるもの。

それはこの日本社会において、若者が感じる閉塞感と同質のものではないのか。

日本全体が貧乏だった世代と違い、
バブル時代に育った子供達は、特に苦労もすることなく育っていく。

そのなかで子供達は、自分の中で、自分だけの価値観を育てていく。
それは、機械いじりや工作だったり、
それは、アニメの声優に対する興味だったり、
それは、絵を書くことだったり、
そういう「自分が好きだと断言できる、自分の中の価値観(だいじなもの)」
しかし一部の例外を除いて、それで食べていけるほど、世の中は甘くない。
社会の価値観を受け入れた時、自分に残るのは、「平凡かそれ以下の能力の、ただの子供」でしかない。

そこで健全な精神を持つ子供なら、社会と自分の価値観の軋轢なり葛藤なり苦労なりがあり、
そこから努力で這い上がることで、社会に自分の価値(居場所)を認めさせられる。
(たとえそれがどんなにささやかな価値(場所)でも)

だが、そこで軋轢に耐え切れず、葛藤にまけ、苦労や努力を避けようとする子供達。
むしろ社会を敵視し、自分の価値観に閉じこもり、見なかったことにすることで葛藤をさける。

そういう子供達が多くなるのは、もちろん若者の精神的弱さもあるのだろうが、
日本社会で若者へ希望が見えにくいことが大きいせいではないか。

 自分とその近距離だけでセカイが完結する漫画。(外の世界が存在しないか、無価値)
 選ばれた天才で苦労しらずの主人公が大活躍するアニメ。(外の世界を無条件に従属させる)
 無条件に自分を「癒す」パートナーがいるゲーム。(自分の価値を認めないのは絶対敵)

これらが人気がでるのは当然なのかもしれない。
が、やはり、どこか気持ち悪さを感じることにかわりは無い。
625519 journal

codeslingerの日記: おくやみ:竹内均

日記 by codeslinger
ニュートンの編集長であり、優れた教育者でもあられた竹内先生が亡くなられました。
残念ながら、面識があるわけでないし、直接習ったことがあるわけでもありませんが。
中学生のころ、親に無理言ってニュートンを定期購読してもらっていた私にとって
とても身近に感じていた人でした。

なにより、科学(特に物理学)への興味を、ニュートンはきれいな絵で楽しませてもらいました。
このお陰で理科系教師とも仲良くなり、やがてそれがコンピュータへの興味へと進むことに。

いやそれ以上に、私がまともに「興味をもって勉強」しだす、大きなきっかけ(のひとつ)だったといえます。
それまで、勉強をまともにしないし、将来も何も考えられないダメ小中学生でしたが。
成績のための勉強ではなく、好きだから勉強する、ように徐々になっていきましたし。
おかげで、中学3年の時には、高偏差値の人になってしまいました。
#いやまぁ、それはそれでいろいろ弊害も生まれることになったわけですが(苦笑

このときの経験が、今の私の技術者人生の基礎であったことは間違いなく。
それがなければ、ここまでコンピュータに馴染むことも出来なかったでしょうし。
それがなければ、京都大学理学部物理学科なんて受けることも無かったでしょうし(落ちたけど(爆))。

つくづく子供に対して、科学・技術を興味深く教えてくれる人&教材って大事です。

その後の浪人時代に「コリン・ウィルソン」にはまってしまった私ですが。
「時間の発見」を竹内先生が翻訳しているのに気づいてビックリでした。
#コリンウィルソンは主にオカルトの研究者として知られてます(爆

またNHKの教育番組でよく見かけてたし、代々木ゼミナールの学長だった時代もありますし、
根っからの教育者で、先生のお陰で科学・理科系への興味教養を持った人は少なくないでしょう。


謹んで竹内 均博士のご冥福をお祈りします。
628115 journal

codeslingerの日記: 日本社会のタブー

日記 by codeslinger
TVを始めとするマスメディアには数多くの制限がある。
それは言ってはいけないタブーだったり、(朝鮮問題等)
逆らってはいけない巨大権力組織だったり、(電通等)
公にはないはずの日本社会の暗部だったりする。

「日本は社会階層(階級)がない。」
それは当然の事だし、それは疑ってもいけないことだ。

だが、日本人すべてが本当に平等な立場ではないことは誰でも知っている。
そもそも資本主義社会である以上、資本を持っているやつが有利だ。
資本がない者は、自分の体と時間を費やして、お金を稼ぐしかない。

それでも高度経済成長時代からバブルな時代なら、頑張ればある程度の生活ができた。
社会全体が追い風だったので、それに乗っかり真面目に仕事していればいいのだ。
確かに階層格差はあったものの、多少の努力と幸運で埋められると(まだ)信じられた。

しかし、バブルがはじけて経済が落ち込み、日本社会がそれに何も手を打てないできたこの10数年。
多少の努力と幸運ではどうしようもない格差がそこに顕在化した。

もはや子供が親の生活水準を自力で獲得することが困難となり、
そんな親の生活所得に甘えて、いつまでも親から離れないパラサイトシングルが増え、
親の所得に甘えられない者は、フリーターへ流れ込み、
社会もそうした安い労働力を歓迎、利用し、アルバイトニュースが飛ぶように売れ、
学歴はあるけど何も能力を持てない、多くの社会不適格者や引きこもりが問題化し。
生活能力の問題から、結婚し子供を持つものが大きく減少し、少子化も社会問題化。
その他、エトセトラエトセトラ…。

こうした様々な問題のベースには、日本の社会階層が横たわっている。
しかし、TVはもちろん、多くの社会学でもこうした階層論が取り上げられることが少ない。
階層や階級は日本社会の大きなタブーの一つだからだ。

なぜこうした社会階層を語ることが日本でタブーなのか。
2001年に中央教育審議会の「少子化問題研究委員会」が報告した文章より引用

  これ(社会階層)がタブーとされる理由も、明白である。
  階層の議論をすると、必ず、「人間には上下がない」、「下だと位置付けら
  れた人がかわいそうだ」、「階層を語ることは、人間の能力に上下があるこ
  とを認めることになり、それ自体が差別だ」という議論が出てきてしまう。
  つまり、「見たくないものは見ないようにしよう」という態度が見うけられ
  るのである。

  しかし、現実の人間には、能力、魅力、生活条件などに差があり、人々はそ
  の差があることを前提に行動している。どのような親のもとに生まれ、どの
  ような条件で育てられるかから始まって、本人の学力、仕事の能力、容姿に
  は、現実的に上下差が存在し、本人の努力では埋められないものが多い。

結局メディアは階層的勝者に都合の良いことしか流さない。
今でこそインターネットを使えば、様々なメディア外の情報も手に入るが。
それでもTVや新聞の情報に流される人のほうが遥かに多い。

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今回あとがき。(弁明?)
 ここしばらく考えていた思索のスナップショットな文なんだが。>上の文
いまいち文章に纏められず、うだうだと書きあぐねいていて時間が過ぎてしまった。
このままでは日記も止まってしまうので、もうエイヤっとアップしてしまうことに。
駄文でも定期的に文章を書くことをしていないと、なかなか書けなくなったしまうし。
このテーマはもうすこし練り上げられてから、再度書くことに挑戦したいかなと。

なにせ今でこそ私は、それなりに社会に適合して生きていけているが。
10代後半~20代前半の時は、そりゃもー徹底的なダメ人間かつ社会不適格者であった。
いや、今でも私の本質は「筋金入りのダメ人間」であると思っている。
なので、こうしたテーマは、まさに、「他人事ではない」のであるのよ。
632991 journal

codeslingerの日記: Fate/Stay Night

日記 by codeslinger

遅まきながら、先週ようやくフルコンプクリアした。

相変わらずシナリオの出来がすばらしい。きのこ氏の筆力にはひたすら感服。
でもそれ以上に、二年間もこの作品作りを指揮した武内さんの腕力はすばらしいと思う。
「カラフルムーン月姫」という本にTYPEMOONスタッフインタビューが載っているが。
初期の、きのこ氏の生活を支える姿はやはり美談であると思う(笑

個人(同人)でスタッフを長期間まとめるのは、かなり難しい。
同人で成功したサークルが商業化した場合、それを指揮するのはもっと困難だろう。
商業だと同人以上にさまざまな人たちとの交渉折衝が要求されるだろうし。
月姫時代も含めて長期間、スタッフを纏め上げ、大きな作品を完成させた手腕(それも二つも)というのは尊敬に値する。

こうした、専門性の高い人たちを纏めて、ある一つの目標に向かって進ませる。
所謂「プロジェクトリーダー」というスキルは、なかなか身につくものではない。
アメリカやヨーロッパ圏では、こうしたスキルはかなり体系化されて纏められているが。
日本ではリーダーの素質・人間性・経験に頼りがちで、高度な専門技能であるという認識が低い。

 ちょっとまともに開発できるようになったプログラマーに、
 じゃあ君は次SEとして、他のプログラマーまとめてね、っていったり…。
 プロスポーツで活躍した選手に、じゃあ次は監督orコーチしてね、っていったり…。

NHKのプロジェクトXが話題になったりもしたが。
それをいうなら、アメリカのアポロ計画なんて、超巨大プロジェクトな訳で。
もうリーダーの人間性・経験などだけで仕切れる範囲を遥かに超えており、
プロジェクトを運営する高度な知識体系があったからこそ可能となった。

日本では1990年代移行。所謂「失われた10年」。
山のような巨大ITプロジェクトが実行されたが、
その半分以上が失敗しているのは、そうしたプロジェクトマネージメントを軽視した結果だ。
そして今でもこのIT業界では、やる気と根性と徹夜でなんとか乗り切ればいいというプロジェクトが多いのも泣けてくる(苦


さて話はFateに戻るが、今回の初回特典である設定資料集。
このゲームのデザインされる過程が垣間見れて、
同業者には多大に参考になるのではないだろうか。(笑
いやまー、所謂エロゲーの特典としては、いまいちなんだろうが(笑
637081 journal

codeslingerの日記: ITリテラシの教育

日記 by codeslinger

パソコンが一般家庭に広がって。
インターネットに多くの家から接続可能になり。
メールやWEBもやっている人は多くなっている。
しかし、それらのツールを使いこなしている人は少ない。

たとえば私の所属している会社で、事務の女性から業務上連絡メールのやりとりがあるのだが。
そのメールがはっきりいってお粗末である。
メールマナーというか、メールというのに基本的に慣れていない。
そもそもメールで馬鹿でかい添えつけ文書を送るという行為は、常識を疑うというものだ。
それも圧縮すらされていないWordファイルだったりしてタチが悪い。
送信のto,cc,bccの区別はついてないし、
タイトルで重要用件を長々と書かれても環境によっては気づかないし。
おまけに業務としてのメール文章作法がなってない。
宛先と要件、差出人を文章内で明記してないのはどういうことだ。
これでもシステム開発をやっている会社だというのにだー。

たとえば私が専務をしているサークルだが。インターネットをやっているメンバーは多い。
むろんそれはサークルのホームページでの交流を基本としているからなのだが。
その中で、パソコン知識やインターネット知識、メール知識がバラバラな人が多く苦笑する。
インターネットで自分の趣味に会った情報を自分で探し出してチェックできる人たちと
Yahooと2chを見ることの知識程度しかない人たち。
動画を落とす知識はあるくせに、OSやアプリやらの知識に乏しく、
OSのパッチも当てなければ、 基本的なソフトの種類をしらない。エディタすら判らない。

特にセキュリティの基礎知識がないのは危険だと思う。
OSのセキュリティ問題。ブラウザのセキュリティ問題。
ネットワークのセキュリティ問題。メールのセキュリティ問題。
これらに対して、ただウィルスソフト入れればいい程度の認識しかない人が多い。

企業も新人教育として、最低限のIT教育をすべきだろう、が。
この不況の中、そこまで教育に割ける余裕がないのかもしれない。
それに日本企業は(伝統的なのか)教育とか勉強を軽視する傾向がある。
#職場で自己学習していたら冷たい目で見られる事が多いし。

まぁこんなんだから、パソコン教室とかが人気なのだろう。
それもIT知識は日増しに変化していくため、教育者の知識が追いついていないことも多いようだが。

ところで、一時期私もパソコン教室というのは真剣に考えたことがある。
子供相手の学習塾を経営しつつ、親子相手にパソコンも教えるというのはいいビジネスになると考えたからだ。
ターゲットは少子化で教育にお金をかけられすぎてる子供とその親たちである。
そこで某学○に学習塾の話を聞きに言ったりしたのだが。
初期投資が少なくないし、経営が波にのるまで赤字必死なこと等がわかり、諦めた。
それでもビジネスとして目の付け所は悪くないと思っているんだが…。
これに挑戦するなら、最低もう1人の「ビジネスパートナー」がいる。

ついでにそいつが高い事務能力を備えた女性であり。
かつ私の「人生のパートナー」であれば言うことなしなんだがなぁ(笑
637267 journal

codeslingerの日記: 「出来るSEの仕事術」

日記 by codeslinger

先日本屋で気まぐれで買った「出来るSEの仕事術」(技術評論社)
狙ったタイトルで期待してなかったが、これが予想以上の良作。
特に惹かれた点はここ。

<SEのためのコーチング技術>
 プロスポーツ選手のコーチ技術。
 プロ選手の能力を引き出すための技術だが、
 多人数で構成されるプロジェクトリーダーに有効な技術。
 以下重要ポイント。

 ・オープンクエスチョン(OQ)とクローズドクエスチョン(CQ)
  CQは、相手にYesNoの確認を明確にする質問。
  OQは、相手の認識をたずねることによって、相手に考えさせる質問。
  OQは応答に時間がかかるが、お互いがより理解するために活用すべき。
 ・仕事に対する取り組み方で分ける、4つのタイプ。
  プロモーター  自己表現◎ 感情表現◎
  コントローラー 自己表現◎ 感情表現-
  サポーター   自己表現- 感情表現◎
  アナライザー  自己表現- 感情表現-

これって、元ヤクルト監督の野村さんの理論と類似性を感じる。
(野村理論は、野球特化してさらに詳細化されているが。)
さすがはコーチが専門技術として確立しているアメリカだと関心。
日本では(特にプロ野球を見ている限り)カリスマ性に頼って
コーチ技術なんて重要視されてないと思われるし。
マラソンランナーの「Qちゃん(通称)」がコーチとの信頼関係を
重視しているのも判る気がする。

私もそれなりの人数を率いてのプロジェクトを何度かやってるが。
やはり人間関係は基本。プロジェクト取りまとめとして、
技術的なリーダーとして、リーダーはその人間性を試される。
上手くいけばこれほど最高なことはないし、まずいと最悪だ。
コンピュータ技術者は(人にもよるが)、とても職人性が高く、
プライドも高いし、癖のある人も多い。
そういう人たちをまとめるには、このコーチ技術は有効だろう。
読んでいて目から鱗の技術。今まであいまいに感じていたことが
かなりすっきりとした。

その他、まだ全部読み終わっていない(今半分ほど)のだが。
心に残ったフレーズを列挙しておこう。

 ・コンピュータエンジニアは高い専門性を求められる一方で、その専門性に陥らないようなバランス感覚が必要。
 常に高い専門技術の習得に励み、常に多方面に情報のアンテナを張っていないといけない。
 ・技術を学ぶときは、シンタックス(文法)ではなくシマンテックス(意義)を理解する。
 ・オブジェクト思考言語以前のパラダイムは、アルゴリズムとデータ構造。
639247 journal

codeslingerの日記: 謎の国家プロジェクト

日記 by codeslinger
アドヴァイザーとして私が参加しているプロジェクトがある。
アドヴァイザーというと聞こえはいいかもしれないが。
プロジェクト外部の人間として時々内容説明を受けるだけに過ぎない。
#正確にはその聞いた内容に対してアドヴァイスをするのがアドヴァイザーだが…。

そのプロジェクトの概要はよくわからない。
判っていることは
・全体として国家プロジェクトであること。
・私が関わっているのはそのごく一部。某企業の研究チーム(下請)に切り出されたものであること。
・(何故か)「秘密のプロジェクト」であること。
ということだ。


これだけだと「国家秘密プロジェクトの一部」という非常に怪しい匂いがぷんぷんだが。
実際やっていることは画像解析&処理の研究という大変地味なものである。
もうすこし判りやすくいうなら
・ある写真画像を解析し、その画像パターンから有効な情報を抜き出す。
ただそれだけである。

先日は画像解析の手法としてフーリエ変換とかウェブレット変換とか
そんな数理系の手法とそれを応用範囲についてのレクチャーに参加した。
私は上に書いたとおりアドヴァイザーであって、何か結果を要求されている立場ではない(たぶん)ので、
まるで大学ゼミを受けているごとく楽しく聞かせてもらった。
#実際そのときレクチャーしてくれた人は某大学の講師である。

いやはっきりいってそれはとても楽しかった。
だって通常の私の仕事ではまず聞けない話。
それを最先端の立場の人たちから、直接レクチャーを受けれるのである。
飛び交う数式とその数式が織り成す画像処理の応用性はとても知的でエキサイティングだった。
#そしてもっと大学で数学の勉強をしておけばよかったと悔やんだ(笑

その帰り、上司と今後の見通しについて話していた。
今、基礎研究から応用へと一歩ふみだせるかどうかという微妙な段階であること。
それは予定していたより難航していること。今のままではうまくいかないかもしれない。
残念ながら、私は(本来の)仕事の都合上、もうこのプロジェクトには参加出来ないということ。

そして…
 「やはり生きている細胞を画像から分析するのは難しいですよね」
 「細胞といってもいろいろあるし、人の体の部分によっても差が大きい」
 「たしかニューロンだって脳の部位によって形状が違うのでは」
 「相手は機械ではなく生き物ですからね。」
 「…(以下、検閲により削除)…」

懸命なる方は、ここで何かに気づかれたかもしれません。
俺?さあ俺は馬鹿なのでこのプロジェクトの全体像は皆目見当もつきませんよ。
639407 journal

codeslingerの日記: 3人目の同居人

日記 by codeslinger
去年の年始に、男2人で同居生活を始めた。
同居といっても、3LDKと広いアパートだし。
家主契約は私で行い、そのうち使わない1部屋に、長い付き合いになる友人に入ってもらった。
その友人は生活能力にはかなり不安があるものの、
対人関係の能力は私より上。一緒に住むことへの問題はなにも感じなかった。

引越し直後に、私は網膜剥離の入院をするはめになる。
そのとき見舞いに来てくれた彼とその友達に、私は病院のベットで見た夢を笑いながら語った。
「3人目の同居人が出来る夢を見たよ。そいつは背が低い奴で、生活能力がまるでないんだ。
当然家賃もまるで払えない。俺はそいつにバイトの斡旋などをしてやるがそれでも駄目駄目で。
困ったあげくに、俺はそいつに言うんだ。家賃は払わなくていいから、俺たち二人の飯を作れ。
ちゃんと朝飯と晩飯をだ、って。まったく新年早々なんて夢をみているんだろーな俺。」

あれから一年。
いろいろと成り行きがあり、本当に3人目の同居人が出来ることとなった。
そいつも生活能力には不安があるが、一度会社員を経験しており、社会適応能力はそこそこある。
今は明るく失業中だが、学歴は私よりも上。(俺は大学中退だが、そいつはちゃんと一端の大学を卒業している。)
ちなみに背は私よりも高い。これで背が小さかったら去年の夢と同じで爆笑していたことだろう。
もちろん不安を言い出せば切がないが。それは私だって同じことだ。

そんな3人での生活が今週から始まった。
まだ数日だがとりあえず悪くはなさそうだ。
まあ最初はいろいろと気を使っているせいもあるのだろうし。
これが2,3ヶ月後とかになると、新たに人間関係の問題が出てくるかもしれないが。
そこは2人目の同居人がいいクッション役でして、うまくやっていけそうな気がしている。
(この辺の彼の能力は信頼している。)

それにこの2人の年齢が近い性もあるのだろう。
俺を無視して、2人して生活を楽しんでいる様は、嬉しいような悲しいような(笑。
当面「家主兼友人」としての心配は、この二人が無事仕事(バイト)を見つけることだ。
すでに2人目の同居人なんて生活が破綻しているし。家賃どころではない。


ところで、今気付いたことだが。
二人目の同居人って、背が小さいんだ。あの時おれが夢で見たヤツと同じくらいに。
639606 journal

codeslingerの日記: 長すぎるモラトリアムの弊害

日記 by codeslinger
TRPGサークル等で若い人たちと接し、仕事で専門学校などの
システム作っていて時々思うことがある。
今の日本の社会、若者にとって生きやすい社会なんだろうか?


社会が成熟&高度化してくると、子供が社会に参加するためには多
くのことを学ばなければならない。高学歴であることは今の日本で
は必須条件だ。
だが、高学歴であれば高収入or高地位になれるというわけではない。

一昔前なら、高学歴であるだけで、会社のジェネラリストとしてや
っていけた時代もあった。だが、みんなが高学歴であることが前提
の昨今、そのなかでさらに専門技能専門技術が求められている。
高度な技能技術知識を持つためには、大学だけでは足りない。大学
院や専門学校、各種資格試験などをクリアしなくてはならない。
そうして若者が社会にでるのがどんどん遅くなっていっている。

一方で、主にサービス業などで若い人は需要がある。
フリーターの需要である。若さと安さを求められ、アルバイトニュ
ースが毎日でている。特に大学生はフリーター天国。学業なんて
そっちのけでフリーターだ。いつ役に立つか解らない学業よりも
すぐお金になるフリーターの方がいいにきまっている。

一方では専門知識を求められ、一方ではフリーターとして即戦力を
期待されいる若者たち。その結果なにが起こっているのか?


将来を決めにくい。自分の能力がどこまで社会に通用するかどうか
がわからない。下手に能力がある人ほど可能性に振り回される。

能力不足から若くしてドロップアウトする分には立て直しが効くが。
25歳をすぎ30近くなってから、能力不足を突きつけられると、
そこから人生立て直しするのはかなり難しい。

実際。25歳すぎてから専門技能習得のために各種学校いく人は多い。
だが、よほどの実力を身につけないと卒業してもさらに苦しくなる。


なにより最大の問題は、そうして社会に出るのが遅れていった人
ほど「夢」が大きいことだ。
長いモラトリアム生活の中で、自分には何かが出来るはずだと信じ
て来た人たち。社会に適応できないのはただ自分にあった仕事に
まだあえてないだけで、それはきっともうすぐ出会えるはずだと。

その夢の大きさゆえ現実を受け入れにくくなる。
それが若さという可能性に振り回されてきた結果だとすれば、あまりに悲しい。


17歳の少年がいる。彼はうちのサークルの中でその無知識ぶりで
よく話題になる。周りの年長者(25~30歳)からも心配されるほどだ。

でも私は彼を高く評価している。彼はいろんな意味で積極的だからだ。
彼のような人の方がこの社会を生きていけるのではと思うのだ。


あー、なれない文章を書いて肩がこったぜ(笑
typodupeerror

Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs

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