情報処理学会プレスリリース「高校教科『情報』未履修問題とわが国の将来に対する影響および対策」
昨今、マスコミを賑わした高校での教科未履修問題で案の定「情報」の時間を「数学」に置き換えている高校が見付かりましたが、この「情報」の未履修問題について情報処理学会が提言を出しました(高校教科「情報」未履修問題とわが国の将来に対する影響および対策)。
教科「情報」の未履修問題について情報処理学会は以下のように分析しています。 教科「情報」の未履修問題には,他教科とは異る次の要因があると考える。1の分析の例はこちらの記事を参照のこと 実態は「町のパソコン教室」以下 これでよいのか!高校のIT教育。
- 「情報」の基盤的教科としての存在意義が生徒や他教科の教員に認識されておらず,単に「コンピュータを使えるようになるための時間」のように考えられているため,他の教科に比べて著しく軽視されがちであること。
- 「情報」の教員自身が,教科の内容や教授方法に確信を持つに至っていないことが多く,また「1校1人」など,少人数であることが多いこともあって,学校活動の中で他教科に伍していける状況に達していないこと。
- 「情報」の教員を,他教科の教員が兼務していることが多いこともあって,その他教科(大学受験科目であることが多い) 側の都合を優先してしまいがちな状況があること。
- 「情報」を入試に出題する大学が極く少数しかないことから,進学校での授業実施には積極的な理由が見出せないこと。
なぜ、情報処理学会が上記のように教科「情報」に拘るかは2005年後半から2006年初頭にかけての事件と情報教育の関連に関するコメント
〜 前略 〜
今日では情報システムはすべての組織における活動の基盤となっており、その高度さと複雑さは単に仕様書やマニュアルの品質を改善すれば済むという段階を超えたものとなっている。このため、「我関せず」的態度では、組織が必要とする高度な情報システムを構築/維持することも、それらを駆使した社会活動を続けることも、到底できない。技術的細部に立ち入ることまでは必要ないとしても、自己の活動の根幹に関わる原理的部分については、それぞれが自分の責任ないし問題として引き受けることが必要である。
〜 中略 〜
我々が情報教育・情報処理教育において目指すものは、日本国民全体が次のことをきちんと納得し理解することだと言える:
「コンピュータは道具であり、人間が設計したことを、その能力の範囲内で、設計されたとおり正確に行うだけである。従って、設計した人間が間違えばコンピュータは正しくない答えを返すし、能力を超えたことをさせようとすれば動かなくなる。」
簡単なようだが、これを単に話として聞くだけでは身につかない、だから実際にコンピュータの原理に接して身をもって納得する必要がある、というのが提言の中核をなす考えである。
コンピュータで仕事することが多い/.Jの諸氏におかれましては、この教科「情報」の未履修問題、また、情報処理学会が提言を出したことをどうお考えでしょうか?
参考: