tokenの日記: アメリカも学歴偏重社会? 2
日記 by
token
そんなMoshe君ですが、自分の知識を社会に生かしたいという考えからテレビゲームで遊ぶことはほとんどないといい、次のように話しています。“テレビゲームをプレイするのは、人類にとってなんの助けにもならないので時間の無駄だと感じます。”
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「テレビゲームは人類にとってなんの助けにもならないし時間の無駄」 …11歳で大学を卒業した天才少年 : まにあっくすZ
もうとっくに2009-06の記事なんだけれども。「非常に低い年齢で大学を卒業した人間の発言がネット上で話題に」的なヨクアル系無駄記事。
うん、低い年齢で大学を卒業する事って、そんなに重要なこと?大学ってパスするための機関?そんな訳ないよね。この子が、単にビジネスで成功する人ってだけなら、別にその辺のビジネスマンと変わらないよ。単に年が若いだけ。単に人より多く人類の通貨を稼ぐだけ。
何かテラフォーミングに貢献するとかしてるとか、革新的な医療改善をするとかそういう事で世界を動かさなくちゃまったく意味がない気がする(革新的じゃなくとも、学んだ事を応用するって視点がなければ人生なんて無意味だと思う)。
それにしても、学習を応用できさえすれば、何をしても無意味じゃなくなるのに。彼は「ゲームは無意味だ教」にでも入信させられてるのかもしれない。だって、大多数の人間の行為を否定して彼が得られる満足といえば、異端者の擬似高みから苛めて楽しむ擬似満足感でしかないもの。
いやいや、言っていることは正しいでしょう (スコア:1)
自分の価値観を大事にして欲しかったら、他人の価値観も大事にしなくちゃ。
「そんなに重要なこと?」という問に対する答は常に「もちろん、重要に決まっています」です。
特に若いうちに大学を出るって事は、他の人よりも勉強に時間を割いて来たってことでしょう? 普通の人が22年の人生の内の一部を使って学ぶことを、半分の11年でやってのけるんだ。他の人の2倍…までは必要ないかもしれないが、それに近い時間を勉強に当ててるってことだよね。で、そうやって得られた知識を使って、同じだけの集中力で今後何が出来るのか、その時間を与えずに批判をしてはいけない。
という意見は2つの部分から成り立っているよね。
1 はれっきとした事実だ。ゲームが個人を救うことはあり得るかもしれないが、人類を救う事は絶対ありえない。
一方で、 2 は個人的な感想だ。これは否定するものじゃない。ましてや、11歳はまだ全力で走って、ばったり倒れてグーグー眠るお年ごろだ。夜、ゆったりとした時間を過ごす、なんて楽しみはまだ知らない。無駄の効用をまだ知らないのだ。
だから、こう教えてあげればいい。
「ゲームは確かに人類に取ってなんの助けにもならない。だが、それがいい。」
fjの教祖様
「数学と科学の分野」では重要 (スコア:1)
これは日本でも言い尽くされたことだと思うけど、数学分野だと頭脳のピークがずっと早く
20台くらいには人生の山場を迎えてしまうそうな。30才近くになってようやくドクターを卒業
しても、その時点で数学者としての人生がほとんど終わってしまうんだよね。10才で大学を
卒業し20才になるころには大学院を卒業して数学教授としてバリバリ働けなければ、才能の
無駄づかいになってしまう。そんな大学になんの価値があるのかと。
もちろん数学者としての才能があってもそれ以外の道を選択するのは本人の自由だけど、
数学者になるという道を選択したのであれば、飛び級制度は生活必需品みたいなものらしい。