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von_yosukeyanの日記: BW21に見る地銀システム開発の失敗(2)

日記 by von_yosukeyan

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90年代は、「失われた10年」というが、単に土地成金だとか株長者が大量虐殺されて、バカな金融マンが集団自殺したというわけではない。経済の長期的な低迷によって、それまで需要を満たすだけの設備を計画するだけで精一杯だった経営の考え方が、競争が激化し、需要が低迷した経済の中で、今まで抱えてしまった資産と負債を、どう整理していくかが問われた時代であった

それは、もちろん金融系情報システムにも言える。バブル期のピークから考えれば、今の金融系情報システムに流れるトランザクションの量は二倍とか三倍、下手すると十倍とかの量になっているが、昔と違っているのは、トランザクション辺りのコストは劇的に安くなっているし、システムに投資するにしても効果が強く検証されるような時代であり、当時とは本質的に違う投資姿勢に変化していると言ってもいいだろう

しかし、大胆なシステムの合理化を行うには、すでに保有している資産と負債の量が大きすぎるわけで、実質的に身動きが取れなかった時代でもある。つまり、投資に対しては過度に慎重となり、かといって増大する需要に対しては対応を行う。一方で、大胆な合理化に向けた具体的な戦略が見出しにくい。必然的に、銀行は当初は最大で見積もっても10年後には更新を予定していた第三次オンラインシステムを、大きな見直しを行うことなく20年近く使いつづけることになった

では、そういった金融系情報システムの発展史と、90年代の長期不況という歴史的展開の結果が、98年の住友銀行の大規模システム投資計画や、みずほグループを発端とする(大銀行を中心とした)金融グループ統合の流れや、その結果としての地方銀行のシステム投資への動向にどう繋がっていくのだろうか。ここで、もう少し金融系情報システムの開発と運用について見てみたい

02年のUFJ銀行とみずほ銀行の大規模なシステムトラブルにはじまり、最近では東証のシステム問題などで兎角話題になるのが、システムを構築したベンダーはどこなのか、という責任問題に関する議論がある。UFJ銀行の場合には日立製作所が、みずほ銀行の場合には(旧DKBを担当していた)富士通、東証の場合にはやはり富士通が、一般の報道レベルではよくやり玉にあがる。しかし、日立や富士通といったベンダーは、単に銀行に対してハードウェア(とミドルウェア)を供給しているに過ぎず、システム全体の構築を担当しているわけではない

これは、先の回でも述べた「銀行は装置産業である」ことが関係している。銀行がシステム化を進めた60年代から、銀行はすでにシステムの開発から運用に関しては、自前の体制を整えていた。もちろん、銀行マンがプログラミングをやっているわけではなく、銀行のシステム子会社が構築するシステムの企画を行って、日立や富士通といったベンダーがハードやソフトといった基盤を提供すると同時に、プログラマなどの人員をかき集めるという体制である。つまり、金融系情報システムの構築においては、銀行が主体的にシステム投資や企画を行う体制であって、ベンダーに丸投げする体制ではないという点である。これは、地方銀行においてもほとんど同じである

これは、実際のシステム構築の作業量から考えても同じ事が言える。金融系システムの構築期間や予算から考えると、銀行のシステム子会社が行う企画や仕様策定の段階と、検収とテストの二つの段階で、構築期間の6割から8割くらいが割かれ、日立や富士通といったベンダーが、HW/SWの納入や、コーディング、テストといった期間はそれほど長くはない。必然的に、システム構築においては、銀行のシステム子会社が主導権を握ることになり、ベンダーの存在は悪く言って銀行の御用聞き程度のものでしかない

60年代から70年代にかけての、第一次~第二次オンラインシステム構築時には、この傾向がかなり強かった。当時、性能も機能も貧弱だったメインフレームに、多数のオンライン・バッチのトランザクションが流れるシステムを実現するためには、銀行のためにシステムを開発するといった勢いでベンダーはシステム構築プロジェクトに参加していたし、実際に銀行のシステム子会社がメインフレームOSやミドルウェア開発に何らかの形で関与していた(もっと極端な例で言うと、関東地方や九州地方のある地方銀行では自行のシステム用に自行専用のOSを開発したところもある)

第二次オンラインシステムまでの時代は、システムを導入していたのが大銀行や、有力地銀が中心であったためにシステム開発の自由度が高かったのだが、第三次オンラインシステムの開発が行われた80年代には、大銀行や有力地銀だけでなく、中小の地方銀行や、第二地方銀行、信用金庫、郵便貯金などもシステムを導入するようになって、一気に裾野が広がった時期でもある。必然的に、大銀行で先行したシステム開発のノウハウが、銀行系システム子会社や、ベンダーを通じて自前のシステム企画部門が貧弱な中小金融機関に水平展開されていったと言ってもいい。ただ、この次期でもベンダーが金融系情報システムの主導権を握るまでには至っておらず、大銀行やベンダーからノウハウの提供があったとしても、自行の運用体制や業務手順に合わせてシステムを構築したところがほとんどだ

このため、現在でさえも「銀行業における標準的な業務手順」といったものが存在しない。極端な話、通帳の大きさや表示行数・項目、磁気ストラップの位置や記録内容、ATMで提供される機能は、銀行によってバラバラであり、標準というものが存在しない(キャッシュカードに関しては、CD/ATMネットワークの構築の必要性からある程度の統一性はあるが、そもそもキャッシュカードの世界標準からはかなり異質な日本独自の仕様であるという点は否定できない)

つまり、この点から言っても、銀行における金融系情報システムの開発は、銀行自身が開発の主導権を握っていると言える。ただ、こういった体制が維持できていたのは、単に銀行がシステム部門を維持できるだけの体力があり、かつベンダーの支援が受けられていた前世紀までの状況である。しかし、その状況が崩れ始めたのは、皮肉にも金融界が再編統合に向かった90年代末である

(3)に続く

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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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