martieの日記: ヴォイストレーニング 2
日記 by
martie
今日はレッスン日。
声帯の調子もよくなり、声も出せるようになった。よかったぁ。
レッスンに通うようになって、もうどれぐらい??
5年ぐらいになりましょうか。
体をほぐし、呼吸をするところから始めるのですが、体のトレーニングがなかなかキツイ。
柔軟やらバランスやらこれがなかなかハード。
でも私にとっては楽しいことです。
そもそもヴォイストレーニングに通うようになったのは、歌手になろうと思ったわけぢゃないです。
喉に負担をかけずに声をだすこととか、自分の声がよくわからないからちゃんと出してみたいとか、体のメンテナンス方法がよくわからないから等です。
声は体全体が楽器となるから、どこかに凝りがあって気(みたいなもの??)の流れが悪いと体全体の呼吸が流れないとか、体のバランスがゆがんでいると、声がちゃんと出ないとか。
私は自分の声がようやく見えるようになったところでしょうか。>別に霊が見えるとかじゃないです。
ちなみに、歌を歌うことは個人的に好きなので歌います。
私にとって歌を歌うことは自分自身と向き合うことになります。あ、でも鼻歌やら自然に口ずさんでるときは何も考えてないけど。
自分の中のさまざまな感情、子供の頃に蓋をしていた感情を起こして引き出して消化したりとか。
楽しい作業には見えないかもしれないけど、私にとっては大切なことです。
別に特別つらいことでもなく、ただありのままの自分を見つめるわけで。
いいところも悪いところも全部抱きしめるだけなわけで。
最近気がついたことは、3歳か4歳ぐらいで物心をついた私は、心を閉ざしてしまい、その心を閉ざすことによって親の愛情を受け入れられない状態になっていたのかな??と思います。
ま、これからも自分を育てていくぞよ。
声帯の調子もよくなり、声も出せるようになった。よかったぁ。
レッスンに通うようになって、もうどれぐらい??
5年ぐらいになりましょうか。
体をほぐし、呼吸をするところから始めるのですが、体のトレーニングがなかなかキツイ。
柔軟やらバランスやらこれがなかなかハード。
でも私にとっては楽しいことです。
そもそもヴォイストレーニングに通うようになったのは、歌手になろうと思ったわけぢゃないです。
喉に負担をかけずに声をだすこととか、自分の声がよくわからないからちゃんと出してみたいとか、体のメンテナンス方法がよくわからないから等です。
声は体全体が楽器となるから、どこかに凝りがあって気(みたいなもの??)の流れが悪いと体全体の呼吸が流れないとか、体のバランスがゆがんでいると、声がちゃんと出ないとか。
私は自分の声がようやく見えるようになったところでしょうか。>別に霊が見えるとかじゃないです。
ちなみに、歌を歌うことは個人的に好きなので歌います。
私にとって歌を歌うことは自分自身と向き合うことになります。あ、でも鼻歌やら自然に口ずさんでるときは何も考えてないけど。
自分の中のさまざまな感情、子供の頃に蓋をしていた感情を起こして引き出して消化したりとか。
楽しい作業には見えないかもしれないけど、私にとっては大切なことです。
別に特別つらいことでもなく、ただありのままの自分を見つめるわけで。
いいところも悪いところも全部抱きしめるだけなわけで。
最近気がついたことは、3歳か4歳ぐらいで物心をついた私は、心を閉ざしてしまい、その心を閉ざすことによって親の愛情を受け入れられない状態になっていたのかな??と思います。
ま、これからも自分を育てていくぞよ。
生声というのは (スコア:1)
自分はラッパを持っていますが、生声が与える表現力にはかなわないですよね。
自分は歌えないから、どうしてもラッパという媒体を使って表現しなければならないけど。
と言っても、自分は最近歌うことを忘れているなぁ。
ラッパはメンテナンスはかなり楽な楽器です。
生声はそんなわけにはいかないでしょうから、どうぞお大事に。
むぎーほっぷ
Re:生声というのは (スコア:1)
体全体と精神面がメンテナンス対象なので、どちらも大事にします。
ラッパを持ってらっしゃるんですね。
自分は管楽器を吹いたことがないので、ちょっとあこがれます。
私にとって生声は、ダイレクトに自分が出るものだと思うので、かなーり恥ずかしいです。
でも、聞いてくれた人がちょっとでも心がやさしくなれたり、穏やかな気持ちになってもらえたらいいなぁと思って、恥ずかしいのを歌っている間だけのけられるように訓練中です。
まだまだ未熟ではありますが。
コメントありがとうございました。