shimashimaの日記: 常態としてのデスマーチ
日記 by
shimashima
ずいぶん昔、そう5年くらい前にエドワード・ヨードン氏の「デスマーチ」の初版を読んだ時のこと。「常態としてのデスマーチ」というフレーズが自分にはしっくり来なかった。
当時自分もデスマーチに参加していたが、それは当初から計画していたことではなく(なる要素は最初から十分いあったが)結果としてなってしまったものだった。そしてそれはプロジェクト関係者のたぶん全員にとって不幸な出来事となっただろう。そいうものが常態であるはずがない、当時はそう思ったしつい最近までそう思い続けていた。だがそうではなかった。
なんと、私が今いる会社こそが「常態としてのデスマーチ」を意図的に行っているのだ。
以下続く。
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