別日記でのいくつかの重い記述にお気づきですか。
"I left a will that a sad news must be sent to you when I die."
”This journal is just a sign of living for the one I'm supposing."
"Amarae morti ne tradas nos."
もしかしたらこれがリアルな私がリアルで活動する
最初で最後の機会になるかもしれません。
再開するまで生き延びるから、と約束したけれど。
もし少しでも私たち参加者に興味をお持ちでしたら、
一期一会、偶然、二度とないかもしれない機会を逃さないで欲しいです。
はじめまして (スコア:1)
自分をサラシモノにしてみます。
ところで、どの辺に手が届かないんでしょうか?
そうね一言でいうと (スコア:1)
もう少しことばを足すと、
あなたの日記は御自分で宣言されているように特定の誰かに向かって
書かれたもので、それを黙って覗いてて感じることは、心の内側や
自分が持っている知識、感性、伝えたい相手への想い、が
パイ生地みたいに折り重なっているような、
ドラゴンボールみたいに散らばりながら光り輝いているような
そんな感じがするのです。
はてなでzokkonさんとコメントをやりとりされているのを拝見しましたが、
知識量や洞察力の乏しい私は同じ土俵に立てないなあって思いました。
→だから「眺めてみたい」になるわけです :)
それでも、どんなオフ会になるのかは興味津々
(それは参加しなきゃ分からないって!)
存在感 (スコア:1)
あなたは確かにとても頭が良いし、わたしの知らないことをたくさん知ってる。
それは素直に凄いと思う。
けれど、それは今の私が欲しいものはないの。
自分でも思うのですが、私の日記はほとんど自己完結しています。
それと「読者」にはあまり読まれていないらしいです。
会話などでも指摘されましたが、前振り長い、とか、回りくどい、とか。
(特に今は日本語環境があるか怪しいので、
まず間違いなく読まれていないでしょう。)
なので、やはり「私の感情の吐き出し場」であり、
コミュニケーションツールとしては機能していません。
だから、「『私の』『日記』」なのです。
(ここが情報発信場だったはてなと異なる所です。)
さて、私は実世界ではかなりの理論派として知られています。
なので警戒されがちです。
十数年来の付き合いのある先輩に言われたことがあります。
「相変わらず独特な空気を纏っている。」と。
「どんな空気ですか?」と聞き返したら、
「知らない人ならばうかつに声を掛けにくいだろう。
けれど、よく知っている俺達のような人が見れば、不思議と刺々しさはない」と。
要はあまり愛想が良くないわけですね。
日記ではリリカルな文章を綴っているけれど、
そして、そういった感性は充分過ぎるほど持っているけれど、
実世界で表現するのはとっても下手なのです。
私は今の枠を壊すことで人として大きくなろうと決めました。
よりふさわしい人間へ成長するために。
今回もネットのとリアルの「存在感」を統一する試みです。
もし「私の日記」が光り輝いているのならば、リアルの私も光り輝きたいのです。
さて、そのような意図で望む場で、私は堅い話をしないでしょう。
他の方に楽しんでもらう場、自分も楽しむべき場ですから。
だから、そこに「土俵」はありません。
もし「土俵」が現れたら、それを崩したいのです。
貴女はそれを崩すことが可能な方とお見受けしました。
話は変わって。
別日記でのいくつかの重い記述にお気づきですか。
"I left a will that a sad news must be sent to you when I die."
”This journal is just a sign of living for the one I'm supposing."
"Amarae morti ne tradas nos."
もしかしたらこれがリアルな私がリアルで活動する
最初で最後の機会になるかもしれません。
再開するまで生き延びるから、と約束したけれど。
もし少しでも私たち参加者に興味をお持ちでしたら、
一期一会、偶然、二度とないかもしれない機会を逃さないで欲しいです。
それでは期待しております。
千載一遇 (スコア:1)
そのような場なら、Jitterboogieさんは参加者を楽しませ自分も楽しむという
心遣いもさることながら、思いきり自分を解放するのも「あり」ですよ!
#土俵を崩す、すごく心に残るフレーズです。
・・・
それから、重い記述についてですが
(最後の一文は何語かすら分からなかった。。エスペラント語?←当てずっぽう)
それは自覚?覚悟?予感?宣言?
ああこれ以上書くと頭の中が疑問だらけになりそう。
Media vita in morte sumus (スコア:1)
意味はあまりに重すぎるので、詳しく示したことはまだないです。
書きたいけれど書きたくないというジレンマで、あえてラテン語で。
グレゴリア聖歌 "Media vita in morte sumus" から採りました。
届かないと思いつつ (スコア:1)
それから、人と自分の似てるところ違うところというのを
なんとなく書いてみたのが↑次の日記 [srad.jp]なわけです
#解説しなくても分かるって? >All