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yuriの日記: 思考と感情が乖離した時の対処法 6

日記 by yuri

何もしないというのは、実は有効な対処法なんじゃないかと思うようになった。

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もうじき結婚して3年目になるというのは殿方と3年以上お付き合いが続いたことのない私にとっては未知の領域かつレッドゾーンな感じが止まらなくて(既婚者がそんなこと言っちゃダメですわね)、更年期が近いのも相俟(あいま)ってかつまらないことでイライラっとしたりして情けないような恥ずかしいような気持ちがするけれど、思考側が出す出力は、「おまいさんは思い詰めると後先が分からなくなるタイプだからしばらく静観しる」の一点張り。
そんな風に相反しているときは、どうしたらいいかわからないから、とりあえず淡々と日々を生きることにする。

だいたい、昔から些細なことで感情がアップダウンしすぎなんだよね俺。

…あれ、私、昔は何事につけても淡々としている人って羨ましいどころか、うれしくて舞い上がるようなことや悲しくて涙がこぼれてくるようなことが無いなんて(もったいない)…って思ってたのに!
最近は静観してみようかな、、なんて思える自分もいるってことは何だか不思議な感じ。

時間が経つということは恐ろしいような驚くべきような、いずれにしても凄いことだわ。

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  • 大昔、誰か忘れた人から聞いた事。

    子供の頃は、「自分」というのが「体の中」にある。中って言うか体の一部しか自分じゃない。だから、おなかが痛くなるまでカキ氷を食べちゃったり、甘いものを食べて歯を磨かなかったりする。ようするにお腹や歯はまだ「自分」じゃないんだね。

    大きくなってくると、「自分」が大きくなる。「お腹が痛くなるから、これぐらいでやめておこう」とか「後で歯が痛くなるとイヤだから歯を磨こう」とかするようになる。これは「自分」が大きくなってきて、「体」と同じぐらいの大きさになったって事だ。だから、体の別のところが「もっとカキ氷が食べたい」と言ったとしても「いやいや、お腹のことも考えてあげようよ」となる。

    もっともっと大きくなると、「自分」が「体の外」まで広がる。「おじいちゃんがしんどそうだから席を譲ってあげよう」とか「おばあちゃんが困っているみたいだから一緒に信号を渡ってあげよう」とかね。「お母さんが風邪をひいたから、ご飯の用意をしてあげよう」なんてのもそうだな。

    でだな。もっともっともっと大きくなると、単に「今の人たち」だけを考えるんじゃなくなる。
    「この人たちの子供はどうなるだろう」
    とかそういうことまで考えられるようになる。そうだな…お前なら…千年…うん、だいたい千年先までは簡単に考えられるだろうから、そこまで考えなさい。

    というわけで、「感動を感じられるのが幸せ」なのはその感動が外に出たときに周囲がどうなるのか考えていなかったからだ、とするなら、「感動を感じないほうが幸せ」なのは外の領域も含めて「自分」になったって事でしょうね。

    .....

    ちなみに一世代25年とすると、千年は大雑把に40世代。毎世代2人づつ子供を作ったとすると、40世代目は1テラ人 = 1兆人です。その間にいる人たちも大雑把に1兆人なので、合計2兆人分考える必要が…

    で、それぐらいはどうにかなるので、今いる政治家を全部首にして私を専制君主にしたほうが…(というこのネタに落ち着く)

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    fjの教祖様
    • コメントありがとうございます。

      大人になってくると考え方が変わるということなんですね。
      大人だったら、自分の感情に振り回されてイライラしなさんな、ってことですね(反省)。

      ちなみにokkyさんの専制君主構想(野望?)は子供の頃からのものなんですか、それとも大人になってから「俺がやるしかねえだろ」なんですか?
      #ネタにマジレスなのでID

      親コメント
      • 大人だったら、自分の感情に振り回されてイライラしなさんな、ってことですね(反省)。

        いやいや、イライラするのも含めて、感情の内ですから。

        イライラしてる部分が「ごく一部」になるぐらい大きくなりなさい、って事で (^o^)。
        そうすれば「わき腹が痒い」と言うのと同じレベルの問題になりますから (ぇ…

        ちなみにokkyさんの専制君主構想(野望?)は子供の頃からのものなんですか、それとも大人になってから「俺がやるしかねえだろ」なんですか?

        子供の頃からですね。

        そもそも、民主主義って結構「悲壮な覚悟」の上に成り立ってるんですよ。

        「このまま、暴君のような専制君主の下で奴隷のように働くなどという屈辱には耐えられない。」
        「たとえ俺が死んでも、俺の子供たちが自由に生きられるようになるなら、俺は喜んで死ぬ」

        という人達が勝ち取ったんだぞ、というプライドと責任感の上に成り立っている。
        要するに「不幸になりたくなかったら、専制君主を打破しなくてはいけない」が大前提。

        ところが、これって実は西洋型専制君主主義なんですね。中国とかの専制君主は、
        「天命を実現するため」
        の存在で、
        「人々を幸せにするための存在が専制君主」
        と言うのが儒教とかの考え方。当然、その分賢くなくてはいけない。身勝手ではいけない。

        .

        昔、アメリカに住んでたことがあって、その時にアメリカの歴史を習ったんですが、その時に一番驚いたのがこの「専制君主」が「為すべき事」の差。専制君主が一般人と同じように「利己的に」行動していて、そのこと自体は否定されていない。そうじゃなくて、そういう利己的な個人である事は当然だが、そんな奴に全権委任するのは間違っている、「幸せを一部放棄してでも、自分の手元に権利を保持する」という覚悟のようなものを感じた。その時、ずーっと感じてたのは「お前ら、それで本当に幸せなのか?」と言う事。「覚悟はある」って言ってるから、まぁ、いいか、とは思ってましたが。

        が、日本に戻ってきて、日本人ってそんな覚悟、全然無いじゃないですか。

        それ以来、「民主主義」は「利己的な専制君主」に抵抗するためのもので、そのための責任とコストを払うつもりが無いなら、民衆にとって民主主義は全然幸せをもたらさない。なら日本においては民主主義よりも、私のような者が専制君主になったほうがまだましなんじゃないか、と考えるようになったわけです。少なくとも民主主義の覚悟をみんなが持つようになるまでは。

        昭和天皇も特に世界大戦前までは同じような考え方をしていたようなので、これ自体は特に特異な考え方ではないと思います。日本はいまだかつて「制度はともかく、思想として民主主義国家だったことは無い」と考えても構わないと思う。

        天皇家がそれをやらないなら、俺がやっても良いんじゃね? という感じ。

        --
        fjの教祖様
        親コメント
  • 3年以上続かない、という点にちょっと意識が行き過ぎているような印象を受けました。サンプル数もそんなに多くないわけでしょうから(まさか10人以上とかではないですよね?^^)、そんなに気にする必要は無いかと思います。

    情動面については、私も以前は些細な事ですぐにイラッと来てしまいましたが、最近は結構コントロール出来るようになってきました。付き合う人が変われば随分と変わるものだな、と思ったり。

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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである

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