アカウント名:
パスワード:
因果関係としては単純な構図でそんな驚くことでもないような。 親が本好き→それを見て真似する子供も本が好きに→本が好きになれば国語も好きになる→好きな教科は成績がいい。
高校以上ならいざ知らず、義務教育レベルの国語なんて苦手な子ってのは本アレルギーなだけなのが大半でしょう。
これが古文とか混じり始めるとあやしくなってきますが。
「因果関係があっても不思議はない」というだけで立証されたわけではないでしょ? この調査から言えるのは相関関係だけですから。たとえばこれが「親が凌辱エロゲ好きだと子供の性犯罪が多くなる?」とかだとなぜか途端に否定に走るコメントが激増しそうな気がします。# のでAC
>たとえばこれが「親が凌辱エロゲ好きだと子供の性犯罪が多くなる?」とかだとなぜか途端に否定に走るコメントが激増しそうな気がします。
だから何故フィクションとリアルとごちゃまぜにする?
そこは「親が凌辱エロゲ好きだと子供が凌辱エロゲ好きになる」だよなー。# 脳が異次元だからそこで次元を越えるんだろうよw
親本:読まない私本:読みまくり国語:どちらかというと嫌い(漢字学習とかサイアク)成績:子供の頃は良かったけど・・・(理数系に限る)
「子供の頃、本読みまくりで成績が良い」って書いたつもりだけど、そう読み取ってはくれませんでしたか。
それにしても、断定口調の文章の末尾に付いている[?]の意味がよく分からないです。「良くなる」に対する疑問に続いて「じゃない」で疑問を否定しているのか。「良くなる」コト自体に懐疑的で、それに対して「じゃない」と懐疑的ではないと言い切っているのか。#読解力も伝達力も足りない・・・ 頭がほとんど動いてないな>をれ
むつかしいす・・・
後段の件は突っ込み無いすね。
いや、突っ込みないすね?
#これでいいのかな。
「突っ込みナイスね?」だろ?
#なんで日本人は駄洒落のような言葉遊びが好きなんだろう。
> #読解力も伝達力も足りない・・・ 頭がほとんど動いてないな>をれ
そ、そうですねー
親が本好き→それを見て真似する子供も本が好きに→本が好きになれば国語も好きになる→好きな教科は成績がいい。
この因果関係(特に「国語も好きになる」の辺り)、妥当性はどれくらいなんですかね?
私の父は本好きで、およそ1時間かかる通勤時間を利用して、週にハードカバー四冊(なぜそんなことが判るかというと、近所にあった公立図書館の貸し出し書籍の枠が一人二冊までで、父は自分と母の分の枠で週に一回借りに行っていたからです)読む人で、私も小学生のときからずっと本読みであり続けましたが、学校の国語の授業はそれほど好きではありませんでした。
特に漢字の書き取りは壊滅的で、できて四割、平均で二割という散々な成績でした(読む方は非常に得意でしたが)。文意を汲み取る問題も、別に好きで読んでるわけでもない文章でそんなこと聞かれてもなぁ、というのが正直な気持ちでした。作文に至っては、まず最初に自分が如何にこうやって文章を書かされることを不本意に思っているか、という愚痴を延々と書き綴り、与えられた主題はその後にちょっとだけ書いて指定枚数を埋めるという嫌な小学生でした。
#これは私の父が、読書は余暇の一つだと考えていて、主にフィクションを読む人だったからなのでしょうか?#哲学書やら自然科学やらのノンフィクションを読む人の子供はこうはならないのかな?
より正確に言えば「嫌いになりにくい」ですね。
義務教育レベルの国語だと「本を読むこと自体が嫌い」であるがために苦手というパターンが往々にしてありますからね。本好きが多い集団と、そうでない集団でそれぞれ国語の成績を平均すれば前者の方が高いのは妥当な結果だと思いますよ。
(統計的にはどうかわからないが、単なる雑談ネタの個別例として)
自分も父母ともフィクションを中心に本をよく読む家庭に育ち、幼稚園くらいから断片的に新聞の見出しとかが読めるようになっていたが、小学校以降の書き取りと作文はひどかった。漢字は勿論、ひらがなまで時々怪しかった。
(かな漢字変換ソフトとテキスト・エディタ様々である。私の場合最初から書けなかったのであってワープロ普及のせいで書けなくなったのではないが、昨今書けない人が増えたお陰で相対的に目立たない普通の人になったw)
ただ、読む方は支障なかったから国語と社会と理科の成績は悪くなかったが…。好きなことしかしない子供だったので算数や英語はひどかったねw(高校以降数学は改善したけど、今でも計算は遅メで英語の会話はひどいw)
活字中毒という感じでそこに文字があるとちょっとした注意書きから電車の吊り広告から何でも読んでしまう。このため、「別に好きで読んでるわけでもない文章」というものが殆どなく、読まないのは読む前から内容が予想できて、かつその内容について面倒や不愉快が予想された場合に限られる。だからテストだろうが教科書だろうが資料集だろうが手にした瞬間から読んでいた。
こういうのが変わってるという自覚はあんまりなかったのだが、大学入試の共通一次試験の現代社会(テキスト量が多いと当時言われていた)で試験時間が30分余るというのは珍しいらしいと気がついて、もしかして自分は標準からかなり外れている?と気付いた。(現代文と現代社会は読むだけで答がわかる試験だから楽でいいじゃんと思っていた。)
で、大人になって交友範囲が広くなってみると世間ではかなりライトな文章を読むのにもかなり努力を要する人もいるらしいと知ってさらに驚いた。あるアニメが好きな友人に原作のラノベ勧めてみたときとかに、ラノベどころか漫画さえ苦手だと言われたり…。(そういや遊びに来た友人が、ハっと気付くと漫画を読みふけってる展開になることが多い「漫画住宅」である私の家にきても彼は漫画読んでたことがなかったっけ…。)
…というか子供の頃は小説読むと画像(の印象)や音声(の印象)が想起できてるのは普通だと思ってたよ。そういえば大学生の頃プログラム書いてる時にオブジェクトの動作イメージ画像(アニメーションつき)が浮かんでるといったら妙な顔されたが…。
初めてプロセス、ストリーム、パイプの話を聞いた時に、黙々とバイト列を喰う芋虫達の画像が浮かんで仕方なかったのが最初。
#まぁ初コンピュータがIPL手入力の紙テープマシン(HITAC-10)だったので#コンピュータ上の減少と物理的な現象を結びつけるような#連想が働きやすかったのかもしれないが。
>本が好きになれば国語も好きになる自分の経験だと、妥当性は全然ないですね。国語は他人の主観を押し付けられるだけだから、読書人間に我慢できるはずない。(成績は上がるだろうが)他の教科の方が妥当性があるような気もする。
本好きの親なら手元に書籍があるでしょから、自然と読み聞かせを行える環境にあるわけですよね。幼いわが子に本を読んであげようという発想をしやすいのも、本好きな親の方でしょう。特に初等教育段階では子供の語彙や集中力に大きな差が生じると思います。
# 読み聞かせの効果は信用して大丈夫なんでしたっけ?
本好きの親なら手元に書籍があるでしょから、自然と読み聞かせを行える環境にあるわけですよね。
いやいや。読み聞かせをやるとしても、大人向けの本を読み聞かせるという事はなくて、普通は読み聞かせ用に子供向けの本を買ってくるでしょう。
そういえば、読み聞かせなる行為を親にしてもらった覚えが全くない。絵本の類も自分ではほとんど持ってなかったように思うし。単に私が忘れているだけなのか、今度親に聞いてみよう。
市立図書館の本を棚ごと単位で読み漁っていた私は国語が大嫌いでした。だって、国語の試験問題に合理性を感じられなかったんだもん。出題者の意図なんか、どうでもいいと思う。
問題のために引用されている文(問題文)はともかく、問題の問いかけの文(問い)は出題者の意図を表現した文なので問題文のみならず問いを読解すれば嫌でも求められている答えが分かってしまうような…。(つまり国語の問題では「出題者はどう読んだか?」が読み取れることが多い。)#読解しにくい問いに困ったことは多少はあった。
ただ一回だけ、これは「アンフェアな出題だ。」と記憶に残っているのは高校受験の冬期講習の模擬試験で問題文が「砂の女」(安部公房)の一節の砂丘に埋もれゆく村の描写の部分で問いが(ノーヒントで)「奇妙だと思うところ」を選ばせるという選択問題。その問題では「蜂の巣のように規則正しく穴が並んでいる」が正解だった。ちなみに作中でその「穴」は移動してきた砂丘に家が埋まらないように個々の家が雪掻きならぬ「砂掻き」をした結果なのだが(ここまでは問題文を読めばわかる)正解の理由は「村の家(=穴)が規則正しく並んでるというのはおかしいから。」というものだった。
…そんなん知らんがな。(碁盤割になっている名古屋市の中心部じゃ街区は規則正しく並んでいるのが「自然」だったのだよー。)
> 国語科は本質的には常識を教える
そうだろうか?
知らぬまに常識に依拠したり、常識を教え込んだりことはあるだろうけど、陽にそれを教えているとは思えないし、そこをテストするのもどうかと思うけど?
例に挙がっている問いもそれについて論じた論説文が問題文になってるんでないとすれば、建築史、美術史のテストやクイズとしてはありだろうけど現代国語の問題としてはどうかなぁ?
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
本好きは国語好きになる (スコア:1)
因果関係としては単純な構図でそんな驚くことでもないような。
親が本好き→それを見て真似する子供も本が好きに→本が好きになれば国語も好きになる→好きな教科は成績がいい。
高校以上ならいざ知らず、義務教育レベルの国語なんて苦手な子ってのは本アレルギーなだけなのが大半でしょう。
これが古文とか混じり始めるとあやしくなってきますが。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1, すばらしい洞察)
「因果関係があっても不思議はない」というだけで立証されたわけではないでしょ? この調査から言えるのは相関関係だけですから。
たとえばこれが「親が凌辱エロゲ好きだと子供の性犯罪が多くなる?」とかだとなぜか途端に否定に走るコメントが激増しそうな気がします。
# のでAC
Re: (スコア:0)
>たとえばこれが「親が凌辱エロゲ好きだと子供の性犯罪が多くなる?」とかだとなぜか途端に否定に走るコメントが激増しそうな気がします。
だから何故フィクションとリアルとごちゃまぜにする?
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
そこは「親が凌辱エロゲ好きだと子供が凌辱エロゲ好きになる」だよなー。
# 脳が異次元だからそこで次元を越えるんだろうよw
Re: (スコア:0)
親が陵辱エロゲ好きだと子供・・・ が二次元にしか存在しない確率が高くなる。
あたりが妥当じゃないでしょうか?
in my case (スコア:1)
親本:読まない
私本:読みまくり
国語:どちらかというと嫌い(漢字学習とかサイアク)
成績:子供の頃は良かったけど・・・(理数系に限る)
Re: (スコア:0, フレームのもと)
「子供の頃、本読みまくりで成績が良い」
って書いたつもりだけど、そう読み取ってはくれませんでしたか。
それにしても、断定口調の文章の末尾に付いている[?]の意味がよく分からないです。
「良くなる」に対する疑問に続いて「じゃない」で疑問を否定しているのか。
「良くなる」コト自体に懐疑的で、それに対して「じゃない」と懐疑的ではないと言い切っているのか。
#読解力も伝達力も足りない・・・ 頭がほとんど動いてないな>をれ
Re:in my case (スコア:1)
むつかしいす・・・
後段の件は突っ込み無いすね。
いや、
突っ込みないすね?
#これでいいのかな。
Re:in my case (スコア:1)
「突っ込みナイスね?」だろ?
#なんで日本人は駄洒落のような言葉遊びが好きなんだろう。
Re: (スコア:0)
> #読解力も伝達力も足りない・・・ 頭がほとんど動いてないな>をれ
そ、そうですねー
#これでいいのかな。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
この因果関係(特に「国語も好きになる」の辺り)、妥当性はどれくらいなんですかね?
私の父は本好きで、およそ1時間かかる通勤時間を利用して、週にハードカバー四冊(なぜそんなことが判るかというと、近所にあった公立図書館の貸し出し書籍の枠が一人二冊までで、父は自分と母の分の枠で週に一回借りに行っていたからです)読む人で、私も小学生のときからずっと本読みであり続けましたが、学校の国語の授業はそれほど好きではありませんでした。
特に漢字の書き取りは壊滅的で、できて四割、平均で二割という散々な成績でした(読む方は非常に得意でしたが)。
文意を汲み取る問題も、別に好きで読んでるわけでもない文章でそんなこと聞かれてもなぁ、というのが正直な気持ちでした。
作文に至っては、まず最初に自分が如何にこうやって文章を書かされることを不本意に思っているか、という愚痴を延々と書き綴り、与えられた主題はその後にちょっとだけ書いて指定枚数を埋めるという嫌な小学生でした。
#これは私の父が、読書は余暇の一つだと考えていて、主にフィクションを読む人だったからなのでしょうか?
#哲学書やら自然科学やらのノンフィクションを読む人の子供はこうはならないのかな?
Re:本好きは国語好きになる (スコア:2, すばらしい洞察)
より正確に言えば「嫌いになりにくい」ですね。
義務教育レベルの国語だと「本を読むこと自体が嫌い」であるがために苦手というパターンが往々にしてありますからね。
本好きが多い集団と、そうでない集団でそれぞれ国語の成績を平均すれば前者の方が高いのは妥当な結果だと思いますよ。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
(統計的にはどうかわからないが、単なる雑談ネタの個別例として)
自分も父母ともフィクションを中心に本をよく読む家庭に育ち、
幼稚園くらいから断片的に新聞の見出しとかが読めるようになっていたが、
小学校以降の書き取りと作文はひどかった。
漢字は勿論、ひらがなまで時々怪しかった。
(かな漢字変換ソフトとテキスト・エディタ様々である。
私の場合最初から書けなかったのであってワープロ普及のせいで書けなくなったのではないが、
昨今書けない人が増えたお陰で相対的に目立たない普通の人になったw)
ただ、読む方は支障なかったから国語と社会と理科の成績は悪くなかったが…。
好きなことしかしない子供だったので算数や英語はひどかったねw
(高校以降数学は改善したけど、今でも計算は遅メで英語の会話はひどいw)
活字中毒という感じでそこに文字があるとちょっとした注意書きから電車の吊り広告から
何でも読んでしまう。このため、「別に好きで読んでるわけでもない文章」というものが殆どなく、
読まないのは読む前から内容が予想できて、かつその内容について面倒や不愉快が予想された場合に限られる。
だからテストだろうが教科書だろうが資料集だろうが手にした瞬間から読んでいた。
こういうのが変わってるという自覚はあんまりなかったのだが、
大学入試の共通一次試験の現代社会(テキスト量が多いと当時言われていた)で試験時間が30分余るというのは
珍しいらしいと気がついて、もしかして自分は標準からかなり外れている?と気付いた。
(現代文と現代社会は読むだけで答がわかる試験だから楽でいいじゃんと思っていた。)
で、大人になって交友範囲が広くなってみると世間ではかなりライトな文章を読むのにも
かなり努力を要する人もいるらしいと知ってさらに驚いた。
あるアニメが好きな友人に原作のラノベ勧めてみたときとかに、ラノベどころか漫画さえ苦手だと言われたり…。
(そういや遊びに来た友人が、ハっと気付くと漫画を読みふけってる展開になることが多い「漫画住宅」である私の家にきても彼は
漫画読んでたことがなかったっけ…。)
…というか子供の頃は小説読むと画像(の印象)や音声(の印象)が想起できてるのは普通だと思ってたよ。
そういえば大学生の頃プログラム書いてる時にオブジェクトの動作イメージ画像(アニメーションつき)が
浮かんでるといったら妙な顔されたが…。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
これはあるが、
> プログラム書いてる時にオブジェクトの動作イメージ画像(アニメーションつき)が
> 浮かんでる
これはないなあ。オブジェクトの参照関係を脳内で描いているときはあるけど。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
初めてプロセス、ストリーム、パイプの話を聞いた時に、
黙々とバイト列を喰う芋虫達の画像が浮かんで仕方なかったのが最初。
#まぁ初コンピュータがIPL手入力の紙テープマシン(HITAC-10)だったので
#コンピュータ上の減少と物理的な現象を結びつけるような
#連想が働きやすかったのかもしれないが。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
そういえば、ほとんどのテストで時間が余ってたなぁ
>小説読むと画像(の印象)や音声(の印象)が想起できてる
ああ、これは今でもあります
映画化されたりすると「声が違うっ!」となります
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1, 興味深い)
小学生時代に通っていた塾の先生曰く「本を読んでいるだけでは
読んでいない人よりマシなだけ、考えて読まなければ価値がない」とのこと
その塾の国語の宿題として毎週、小学生の頃はナルニア国物語やガンバの冒険など、
中学になってからは天声人語などを読み大意をまとめるというものが有りました
結果として「考える」能力が身に付き高校・大学と勉強がかなり楽になりました
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
>本が好きになれば国語も好きになる
自分の経験だと、妥当性は全然ないですね。
国語は他人の主観を押し付けられるだけだから、読書人間に我慢できるはずない。(成績は上がるだろうが)
他の教科の方が妥当性があるような気もする。
the.ACount
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
本好きの親なら手元に書籍があるでしょから、自然と読み聞かせを行える環境にあるわけですよね。
幼いわが子に本を読んであげようという発想をしやすいのも、本好きな親の方でしょう。
特に初等教育段階では子供の語彙や集中力に大きな差が生じると思います。
# 読み聞かせの効果は信用して大丈夫なんでしたっけ?
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
いやいや。
読み聞かせをやるとしても、大人向けの本を読み聞かせるという事はなくて、普通は読み聞かせ用に子供向けの本を買ってくるでしょう。
そういえば、読み聞かせなる行為を親にしてもらった覚えが全くない。絵本の類も自分ではほとんど持ってなかったように思うし。
単に私が忘れているだけなのか、今度親に聞いてみよう。
Re: (スコア:0)
市立図書館の本を棚ごと単位で読み漁っていた私は国語が大嫌いでした。
だって、国語の試験問題に合理性を感じられなかったんだもん。
出題者の意図なんか、どうでもいいと思う。
Re: (スコア:0)
> 出題者の意図なんか、どうでもいいと思う。
国語の教科書の教師用のヴァージョンには、
授業の参考にそれらの解説が書き込まれているわけですが、
それ(出題者の意図とか)に納得出来ない国語教師と、
授業が終わってから意気投合したものです。
そう言った思いを飲み込み、「それが社会さ」と割り切って、
出題者の意図を類推するのが小学校の国語の評価なワケですが、
Re:本好きは国語好きになる (スコア:2, 興味深い)
問題のために引用されている文(問題文)はともかく、
問題の問いかけの文(問い)は出題者の意図を表現した文なので
問題文のみならず問いを読解すれば嫌でも求められている答えが分かってしまうような…。
(つまり国語の問題では「出題者はどう読んだか?」が読み取れることが多い。)
#読解しにくい問いに困ったことは多少はあった。
ただ一回だけ、これは「アンフェアな出題だ。」と記憶に残っているのは高校受験の冬期講習の模擬試験で
問題文が「砂の女」(安部公房)の一節の砂丘に埋もれゆく村の描写の部分で
問いが(ノーヒントで)「奇妙だと思うところ」を選ばせるという選択問題。
その問題では「蜂の巣のように規則正しく穴が並んでいる」が正解だった。
ちなみに作中でその「穴」は移動してきた砂丘に家が埋まらないように個々の家が雪掻きならぬ「砂掻き」をした結果なのだが
(ここまでは問題文を読めばわかる)
正解の理由は「村の家(=穴)が規則正しく並んでるというのはおかしいから。」というものだった。
…そんなん知らんがな。
(碁盤割になっている名古屋市の中心部じゃ街区は規則正しく並んでいるのが「自然」だったのだよー。)
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
「問題に、前提文章がなく、出題者と同じ確証バイアスを持つことを要求される出題」
だと思います。
# まあ、会話でも普通にそうではあるけど。アンフェアな質問
# 無知の知 (主張のみでは、対象を決定できない。) ATLANTiS.
Re: (スコア:0)
私が最も印象深かった問題はこれです。(本文はもっと長いです)
問: モダニズム建築全盛期、ある気楽な昼食の場で、まだ学生だったサルバドール・ダリにル・コルビュジエが未来の建築はどのようなものになるかと尋ねた。ダリは「やわらかくて毛が生えたものになります」と答えた。コルビュジエは苦虫を噛み潰したような顔をして黙ってしまった。なぜか?
答: コルビュジエは未来の建築について漠然としたイメージを持っていた。たわむれに質問したところ、一介の学生がコルビュジエの考えを一言で言い表してしまった。コルビュジエ自身は自らのイメージを的確に言葉で表現することができずにいたにもかかわらず。そのためコルビュジエは不快感を自分自身に向けるほかはなかった。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
> 国語科は本質的には常識を教える
そうだろうか?
知らぬまに常識に依拠したり、常識を教え込んだりことはあるだろうけど、陽にそれを教えているとは思えないし、そこをテストするのもどうかと思うけど?
例に挙がっている問いもそれについて論じた論説文が問題文になってるんでないとすれば、建築史、美術史のテストやクイズとしてはありだろうけど現代国語の問題としてはどうかなぁ?
Re: (スコア:0)
常識というものはそもそも陽に教えられるものではありませんが…
> 例に挙がっている問いもそれについて論じた論説文が問題文になってるんでないとすれば、建築史、美術史のテストやクイズとしてはありだろうけど現代国語の問題としてはどうかなぁ?
コルビュジエが当時モダニズム建築の大家であったことは問題文に書かれていました。ダリについては出題者からの補足がありました。ですから大家vs若造の一般論として考えることができます。
ところで、選択式の問題では「語調の強いものは不正解」というテクニックがありますが(ご存知ですか?)、これがなぜテクニックとして通用するのかお分かりでしょうか。
Re: (スコア:0)