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フロンガスがオゾンを破壊する現象は、簡単に証明できるけど、二酸化炭素が地球全体の平均気温を上げる現象の証明は、そうはいかない。
一方で「(今の気温-氷河期の気温) >> (今の気温-産業革命前の気温)」は疑う人がいないので自然変動説は直感的には説得力があるわけで。
結局のところ懐疑論批判といっても「以上の事柄を総合的に勘案すると地球温暖化は事実であることは疑いようが無い」みたいな、むしろ頭の悪そうな言い方しかできんわけで、温暖化が事実であっても懐疑論を封殺するのは不可能なんじゃないかな。
それよりも、懐疑論と付き合いながら対策を講じる道に進むほうが正しいのでは?
>フロンガスがオゾンを破壊する現象は、簡単に証明できるけど
いや,これもまたなかなか難物で.大気科学の人にはよく知られた話だけれども,フロンガスが分解してオゾン層を破壊するかも知れない,という説が提唱されたのが1974年頃.この直後に一気に反フロン的なヒステリックな反応が起こるものの,直後に化学メーカーの大規模な反発により沈静化.まあそもそもこの時点では成層圏などの高層大気中での大気化学が十分研究されていなかったことによりフロン危険説そのものの側に十分な論拠が揃いきっていなかったこと,また大手化学メーカ各社の大規模なロビー&広報活動,さらにはたかがスプレーでそこまで危険なことには成らないんじゃないという一般的な感性が重なった事が原因.
その後,スプレー缶からは徐々にフロンが削減されるものの,それ以外の領域ではむしろ消費を拡大する状況が続く.これは大衆の側も一度熱狂したあと沈静化してしまったため興味を失ったと言うこと,また影響が出るのがどうせ数世代後だと言われていて危機感に乏しかったことが後押ししていたと言われている.この間大気化学の方は(この問題に絡み)急速に様々な実験が行われ大きな進歩を遂げるものの,結局は細々とした話になる(条件付きでの反応機構,間接的証拠の積み重ねなど)ために大衆の注意を引くことに失敗.その一方,こういった大気化学の研究結果を注視していた化学メーカー各社は,いずれフロン類は禁止になるものと推測し,表ではフロンは安全であるというロビー活動を続けながら,裏では他社を出し抜いていち早く代替物質を売り出そうと熾烈な競争に入る.
最終的に流れを一気に変えたのは,ご存じ南極におけるオゾンホールの発見.見た目にわかりやすく,しかもインパクトも大きく大衆受けしやすかったと言うこと,また,もっとゆっくりした流れだったと思われた影響が予想以上に急速に進行していたことで一気に政治問題化.世界的にフロン全廃へ突き進むこととなる.またいち早く代替フロン類の開発を成功させたデュポンがフロン禁止推進派に回ったことも大きい.
というわけで,なんだかんだ言いつつフロン類も危険性が言われ始めてから実際に大規模な禁止に走るまでには10年から十数年はかかっていますんで.ちなみに言うと,今でも「フロンは本当は悪くない.あれは科学者による一方的なでっち上げだ」と主張される方々もいらっしゃいます.小数ではありますが.彼らの主張はまあだいたい,
・フロンが危険だという直接的な証拠は発見されていない(いやまあ,そりゃ目の前でフロンが直接悪さするわけではないんで.間接証拠はいっぱいありますが)・フロンの禁止は製造メーカーの言い分も聞かず一部の科学者の思い込みで勝手に進められた(いや,企業側のロビー活動で一度ポシャってますが)・オゾンホールは局地的な自然現象であって,人為的な原因ではない(でもフロン禁止してからはゆっくりと縮小してるんですよね)・フロンを擁護する学説は学会で黙殺された!(いえ,大御所が堂々と主張されておりましたが……)
まあ後多いのは,既知の否定された仮説を持ち出して「こう考えれば説明できるのに科学者はこんな事も思いつきはしない」とか,(当たり前ですが)直接観測できない事例に関して傍証を積み上げて議論されているのに「こういった点に関しては一切実験が行われていない」とか(だから文献はちゃんと追いましょうって),そのあたりでしょうか.
>グラフを素直に読めばCO2増加は温暖化の結果に過ぎない
まず,件の本文中にも書かれていますが,長期的増加傾向を取り除いた微動部分を抜き出せば,そこにおける二酸化炭素量の増減は気温の変化の結果であることは確かですし,その効果は当然温度変化の後に濃度変化が追従します.(むしろそういう効果がない方がおかしい)通常問題にされている二酸化炭素量の変化は,もうちょっとタイムスケールの長い部分での話です.#長期的な増加傾向に,短期的な温度追随型の変動が乗っている.#前者の長期的傾向は,単純に温度変化と濃度変化を調べただけでは,変化がゆっくりなのでどちらが先かはそれだけからは言えない.
これに関しては,通常の気温上昇による二酸化炭素の放出は海洋からの放出(溶存二酸化炭素の放出)ですが,現在の二酸化炭素の増加の場合は海洋中の二酸化炭素濃度も微増している(せいぜい横ばい)ことから,現代の急速な大気中二酸化炭素量の変化が気温の上昇の結果であることは否定されます.もちろん,短期的には気温の変動に連動して海洋からの放出量の増減が存在しますが,長期的(といっても数十年レベルです.数十万年,数億年レベル等の本当の意味での「長期的」なものとは別)には海洋中の二酸化炭素が外に抜けてきている事実はありません.#「CO2増加は温暖化の結果に過ぎない」というのは,日本における懐疑論者の中では何故かそれなりに流行っていますが,#他の国の大手(ってのも変な言い方か.権威?)懐疑論者の中では過去の話となっているのはこのためです.
無論,非人為的かつ継続的かつ年代を追うごとに急速に二酸化炭素を放出する何かの自然要因が存在すれば非人為的という可能性もありますが,今のところそういったメカニズムは見つかっていないはずですので.また,海洋以外で,温度変化に追随して十分な量の二酸化炭素を放出するという機構は今のところ知られていません.また,人類の使った化石燃料から出たと推定される二酸化炭素量で,他の部分(陸上,海中,大気中)での増減をほぼ説明できる(ただし確か10%ぐらいは行方がいまいちよくわからない)ため,非人為的な起源があるとすると,人間が使った化石燃料分に相当する未知の二酸化炭素起源とともに,人間が使った分ぐらいをほぼ吸収する未知の吸収源も同時に考えてやらねばならなくなります.
また,気温上昇が原因である,という説の問題は,短期間で気温が上昇することそのものの原因を説明できていない点にあります.これは,「温暖化 -> 二酸化炭素増加」説のそもそもの出自が,太陽活動の(11年周期の)極小期から極大期へ向かう時期の「温暖化の原因は太陽活動の増加だ」という説とセットであったことに由来します.「太陽活動が活発になってきていて温度が上がり,その結果二酸化炭素が増えている」という一つの説だったわけです.#この時点では考慮に値する仮説だと思います.そもそも気温の上昇幅も現在より緩やかなものでしたし,#定量的議論も誤差が大きかったこともあり太陽活動で説明できる可能性はありましたから.
ところがその後極大期を過ぎ,太陽活動の極小期へと向かい(その説によれば)気温が再度低下しなくてはならないにもかかわらず,気温の方はお構いなしに上がり続けることとなり,この説は根拠を失うこととなります.#でも何故かその下火になった後に日本で紹介され,一週遅れのブームになってみたり.
より長期的な周期の結果である可能性はこれだけからは否定できませんが(実際には太陽光量変化の直接測定とモデル計算から,現在観測されている量の変化のせいぜい数パーセント程度の変動しか出てこないだろう,というのはいえるのですが),想定されている太陽活動の各種周期による変化では光量の変化は観測されている気温の変化に比べもっと緩やかな変化となりますので,なかなか考えにくかろう,というところです.
> 日本における懐疑論者の中では何故かそれなりに流行っていますが,> #他の国の大手(ってのも変な言い方か.権威?)懐疑論者の中では過去の話> #でも何故かその下火になった後に日本で紹介され,一週遅れのブームになってみたり.日本における疑似科学のブームって、(血液型性格診断とか姓名判断とかのガラパゴスなものを除けば)ほとんど海外から一周遅れてるよね。アダムスキー型宇宙船とかホメオパシーとか。
というか懐疑論批判を本にまとめるってのは科学者としては十分「付き合ってる」と思うけど…。
法律で禁止しろとか、立場を利用して圧力をかけるとか、権威を笠に黙殺するとか、馬鹿にして笑い飛ばすとかではなく誠実に批判や反論するってのは科学者の行動として実に王道なような…。相手の存在を認めているという意味では立派に「共存」してるといえるでしょう。
CO2主犯説の問題点は、排出量取引などという馬鹿げた仕組みができてしまうことにあります。省エネは大いにやるべきですが、途上国から排出権を巨額で購入するのは金をドブに捨てているようなものです。
排出権取引は酷いですよね.せめて排出権の削減に同意している国間での取引ならまだしも,そんな事しらねぇよと言ってる国との間でも認めるってのは正気の沙汰とは思えない.途上国行って既存工場に手を加えて排出権ゲット,途上国は新たに工場建てて排出量増加,でまたうちらが途上国行って(略)って,何だその無限1upはと.
対策の問題点と学説の正否をごっちゃにされてもな…。
排出量取引は解決のために提案されている技術の一つにすぎない。例えば主因がCO2でなかったとしても成り立ちうる。
CO2主因説が正しいかどうかはそれ自身の検証によるべき話。一方排出量取引が社会技術的に正しい解決策かどうかはCO2主因説とは独立に経済学的分析で検証されるのが適当。
いや、それは対策をCO2に適用する根拠でしょ?
利権構造がどーしたとかマッチポンプだとかは排出量取引という経済政策、手法に付随する問題。
ちょいと脳内で思考実験してみればわかるようにCO2以外の対象(例えば窒素酸化物とか窒素系肥料とか)についても同種の汚染物質排出量取引を想定することができる。そしてそれらについても同じ仕組みでやれば同種の問題が懸念されるということも想像に難くない。
プログラミングに親しんでいる読者のためにそれっぽい言葉でいえば、排出量取引メソッドの対象物質というパラメタにCO2という実引数を渡したのが現状。CO2が主因であるかどうかは実引数としてCO2を選ぶかどうかには関わりがあるが、メソッド自身の欠陥(があると仮定した場合)にはそれほど関わりがない。
とまぁ、そういう話。
このストーリーにコメントしている人たちは、温暖化対策で言われているCO2が(メタンやらなにやらといった温暖化物質全体から計算された)「CO2換算量」だと言うことは理解した上でコメントしていますよね?
# どこにコメント付けようかと迷ったけどここで。
私としてはぶらさげる場所が微妙に誤解を招くと思うのでいやだなぁ。個人的には独立のツリーを立ち上げてほしかったような。
このツリーでは私の主張は排出量取引という手法の適否(技術的解決策の評価)と温暖化現象に関する仮説の正否(科学的知識の評価)をごっちゃにするなということに集中してます。
実施手法の構成要素である排出権の計算がCO2換算量だろうが生のCO2量だろうが(技術的解決策の要素)、温暖化現象のCO2が主因だろうがそうでなかろうが(科学的知識の要素)、成り立つ話をしています。
「CO2主犯説を懐疑している」ことに何の意味があるのですか?温暖化が進むことは大きな問題であり、それに対処する必要があることは変わっていないんですよ。「CO2が手段であることは証明できてはいないが、理論的には正しそう」なら、一応対策しておく必要があるんじゃないんですか?
その「対策」が原子力発電という非常にハイリスクな手段の推進であったり、科学的に意味があるのかないのか明確ではない数値目標の促進であったりするから大問題になってるのではないかと…その上で太陽活動の影響と思われる寒冷化傾向が見られ始めてる。
実際、槌田先生の懐疑論というのも温暖化阻止=原子力への転換と言う非常に単視眼的な、温暖化を防ぐためには万が一どころか現実に何度か起きている発電所や廃棄物貯蔵施設からの大規模放射能汚染は小さな事であるといいたいかのような原子力利権勢力の攻勢とCO2悪玉論ががっちり結びついてしまってるあたりから来てる訳で、単純なCO2悪玉論を戒めてる部分が大きいですよ。…特に日本だと一発大事故起こしたら国土の半分は放棄しなきゃいけない上にそこまで行かなくても電力供給が破綻するような代物への依存度を徒に高めるための国策を正当化する方便として、特にチェルノブィリ原発以降電力会社や国がフル活用してきたと言う情況がある訳で。
他の「対策」も示されてきたいるものの(実際槌田先生も示してきてる)、それら…例えば太陽光発電など…は巨大利権化できていない新規技術であるので各国とも喰い付きが悪くて、この五六年でやっと本腰を入れ始めてる。
そういう非常に生臭い背後関係がCO2悪玉論にはずーっとあって、CO2だけが悪玉であってCO2を減らせば温暖化を防げるかのような乱暴な非科学的な話が大手を振ってまかり通ってしまってるから、逆に懐疑論も多く出てしまう。
>温暖化が進むことは大きな問題いやー、CO2主犯の温暖化メカニズムを細かい所まで見ると、CO2を止めても温暖化を止める事はできないって分かるんだけどね。(できるのは変化をゆるくするだけ)はっきり分かってCO2を完全にゼロにしても、さらに100年以上温暖化が進行するってこと軽視してないか?
「温暖化が進んでいる」というのは現在(CO2主犯説)懐疑派にも受け入れられています。
太陽の黒点が減少している事による寒冷化を唱える人もいるにはいます。
「CO2が手段であることは証明できてはいないが、理論的には正しそう」なら、一応対策しておく必要があるんじゃないんですか?
対策による効果の程が問題だと思います。劇的な効果はまずないでしょう。誤差の範囲程度にしか効果がなかったらやるだけ無駄です。
>太陽の黒点が減少している事による寒冷化を唱える人もいるにはいます。
それは、「これから寒冷化する」というのを主張しているのであって、現状寒冷化しているといっているわけではない。今現在地表面の温度が上がり続けているのは単なる観測事実だから議論も何もない。
> 太陽の黒点が減少している事による寒冷化を唱える人もいるにはいます。
これはまさにタームの問題ですね。寒冷化説を唱えている人は中長期的な寒冷化を問題にしているので、短期的な温暖化には楽観的なのです。
> 対策による効果の程が問題
その対策と効果をめぐる問題がもはや科学の問題でなく、(科学者の立場含む)政治権力そして巨大なビジネス利権となっていることが今日の懐疑派・対策派双方の原動力となっています。
京都イニシアチブにしても、「エコ」運動にしても、その背後には政治的な力と莫大な金が動きます。したがって、そこには自然科学者の主張の真偽ではなく、別の力が働いてしまうのです。
今回サスタナティブ学が立ち上がったのも、助成金を含めた政治的な動きがあったわけで、対策派がこういう本を書けば書くほど、科学に疎い人や外野の一般人から懐疑派と同じ穴のムジナと思われてしまうのです。
>「温暖化が進んでいる」というのは現在(CO2主犯説)懐疑派にも受け入れられています
「温暖化が進んでる」というより、より正確には「百数十年程度前から現在までの推移を見ると気温の上昇傾向が見られる」というのが正しいでしょう。これが普通に見られる地球の気温変動の範囲内なのか、これからもこの上昇傾向が続くのか、というところで議論が起こってるわけなので、単純事実の提示のみにすべきでしょう。
もっとも、個人的にはCO2で地球が滅びる! だなんて言ってる奴は頭おかしいんじゃね? としか思えませんが。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
批判よりも共存はいかが? (スコア:0)
フロンガスがオゾンを破壊する現象は、簡単に証明できるけど、
二酸化炭素が地球全体の平均気温を上げる現象の証明は、そうはいかない。
一方で「(今の気温-氷河期の気温) >> (今の気温-産業革命前の気温)」は
疑う人がいないので自然変動説は直感的には説得力があるわけで。
結局のところ懐疑論批判といっても「以上の事柄を総合的に勘案すると
地球温暖化は事実であることは疑いようが無い」みたいな、むしろ頭の悪そうな
言い方しかできんわけで、温暖化が事実であっても懐疑論を封殺するのは
不可能なんじゃないかな。
それよりも、懐疑論と付き合いながら対策を講じる道に進むほうが正しいのでは?
Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:5, 興味深い)
>フロンガスがオゾンを破壊する現象は、簡単に証明できるけど
いや,これもまたなかなか難物で.
大気科学の人にはよく知られた話だけれども,フロンガスが分解してオゾン層を破壊するかも知れない,という説が提唱されたのが1974年頃.
この直後に一気に反フロン的なヒステリックな反応が起こるものの,直後に化学メーカーの大規模な反発により沈静化.
まあそもそもこの時点では成層圏などの高層大気中での大気化学が十分研究されていなかったことによりフロン危険説そのものの側に十分な論拠が揃いきっていなかったこと,また大手化学メーカ各社の大規模なロビー&広報活動,さらにはたかがスプレーでそこまで危険なことには成らないんじゃないという一般的な感性が重なった事が原因.
その後,スプレー缶からは徐々にフロンが削減されるものの,それ以外の領域ではむしろ消費を拡大する状況が続く.これは大衆の側も一度熱狂したあと沈静化してしまったため興味を失ったと言うこと,また影響が出るのがどうせ数世代後だと言われていて危機感に乏しかったことが後押ししていたと言われている.この間大気化学の方は(この問題に絡み)急速に様々な実験が行われ大きな進歩を遂げるものの,結局は細々とした話になる(条件付きでの反応機構,間接的証拠の積み重ねなど)ために大衆の注意を引くことに失敗.
その一方,こういった大気化学の研究結果を注視していた化学メーカー各社は,いずれフロン類は禁止になるものと推測し,表ではフロンは安全であるというロビー活動を続けながら,裏では他社を出し抜いていち早く代替物質を売り出そうと熾烈な競争に入る.
最終的に流れを一気に変えたのは,ご存じ南極におけるオゾンホールの発見.見た目にわかりやすく,しかもインパクトも大きく大衆受けしやすかったと言うこと,また,もっとゆっくりした流れだったと思われた影響が予想以上に急速に進行していたことで一気に政治問題化.
世界的にフロン全廃へ突き進むこととなる.またいち早く代替フロン類の開発を成功させたデュポンがフロン禁止推進派に回ったことも大きい.
というわけで,なんだかんだ言いつつフロン類も危険性が言われ始めてから実際に大規模な禁止に走るまでには10年から十数年はかかっていますんで.
ちなみに言うと,今でも「フロンは本当は悪くない.あれは科学者による一方的なでっち上げだ」と主張される方々もいらっしゃいます.小数ではありますが.彼らの主張はまあだいたい,
・フロンが危険だという直接的な証拠は発見されていない(いやまあ,そりゃ目の前でフロンが直接悪さするわけではないんで.間接証拠はいっぱいありますが)
・フロンの禁止は製造メーカーの言い分も聞かず一部の科学者の思い込みで勝手に進められた(いや,企業側のロビー活動で一度ポシャってますが)
・オゾンホールは局地的な自然現象であって,人為的な原因ではない(でもフロン禁止してからはゆっくりと縮小してるんですよね)
・フロンを擁護する学説は学会で黙殺された!(いえ,大御所が堂々と主張されておりましたが……)
まあ後多いのは,既知の否定された仮説を持ち出して「こう考えれば説明できるのに科学者はこんな事も思いつきはしない」とか,(当たり前ですが)直接観測できない事例に関して傍証を積み上げて議論されているのに「こういった点に関しては一切実験が行われていない」とか(だから文献はちゃんと追いましょうって),そのあたりでしょうか.
CO2は原因か結果なのか (スコア:3, 参考になる)
Re:CO2は原因か結果なのか (スコア:4, 参考になる)
>グラフを素直に読めばCO2増加は温暖化の結果に過ぎない
まず,件の本文中にも書かれていますが,長期的増加傾向を取り除いた微動部分を抜き出せば,そこにおける二酸化炭素量の増減は気温の変化の結果であることは確かですし,その効果は当然温度変化の後に濃度変化が追従します.(むしろそういう効果がない方がおかしい)
通常問題にされている二酸化炭素量の変化は,もうちょっとタイムスケールの長い部分での話です.
#長期的な増加傾向に,短期的な温度追随型の変動が乗っている.
#前者の長期的傾向は,単純に温度変化と濃度変化を調べただけでは,変化がゆっくりなのでどちらが先かはそれだけからは言えない.
これに関しては,通常の気温上昇による二酸化炭素の放出は海洋からの放出(溶存二酸化炭素の放出)ですが,現在の二酸化炭素の増加の場合は海洋中の二酸化炭素濃度も微増している(せいぜい横ばい)ことから,現代の急速な大気中二酸化炭素量の変化が気温の上昇の結果であることは否定されます.もちろん,短期的には気温の変動に連動して海洋からの放出量の増減が存在しますが,長期的(といっても数十年レベルです.数十万年,数億年レベル等の本当の意味での「長期的」なものとは別)には海洋中の二酸化炭素が外に抜けてきている事実はありません.
#「CO2増加は温暖化の結果に過ぎない」というのは,日本における懐疑論者の中では何故かそれなりに流行っていますが,
#他の国の大手(ってのも変な言い方か.権威?)懐疑論者の中では過去の話となっているのはこのためです.
無論,非人為的かつ継続的かつ年代を追うごとに急速に二酸化炭素を放出する何かの自然要因が存在すれば非人為的という可能性もありますが,今のところそういったメカニズムは見つかっていないはずですので.また,海洋以外で,温度変化に追随して十分な量の二酸化炭素を放出するという機構は今のところ知られていません.
また,人類の使った化石燃料から出たと推定される二酸化炭素量で,他の部分(陸上,海中,大気中)での増減をほぼ説明できる(ただし確か10%ぐらいは行方がいまいちよくわからない)ため,非人為的な起源があるとすると,人間が使った化石燃料分に相当する未知の二酸化炭素起源とともに,人間が使った分ぐらいをほぼ吸収する未知の吸収源も同時に考えてやらねばならなくなります.
また,気温上昇が原因である,という説の問題は,短期間で気温が上昇することそのものの原因を説明できていない点にあります.
これは,「温暖化 -> 二酸化炭素増加」説のそもそもの出自が,太陽活動の(11年周期の)極小期から極大期へ向かう時期の「温暖化の原因は太陽活動の増加だ」という説とセットであったことに由来します.
「太陽活動が活発になってきていて温度が上がり,その結果二酸化炭素が増えている」という一つの説だったわけです.
#この時点では考慮に値する仮説だと思います.そもそも気温の上昇幅も現在より緩やかなものでしたし,
#定量的議論も誤差が大きかったこともあり太陽活動で説明できる可能性はありましたから.
ところがその後極大期を過ぎ,太陽活動の極小期へと向かい(その説によれば)気温が再度低下しなくてはならないにもかかわらず,気温の方はお構いなしに上がり続けることとなり,この説は根拠を失うこととなります.
#でも何故かその下火になった後に日本で紹介され,一週遅れのブームになってみたり.
より長期的な周期の結果である可能性はこれだけからは否定できませんが(実際には太陽光量変化の直接測定とモデル計算から,現在観測されている量の変化のせいぜい数パーセント程度の変動しか出てこないだろう,というのはいえるのですが),想定されている太陽活動の各種周期による変化では光量の変化は観測されている気温の変化に比べもっと緩やかな変化となりますので,なかなか考えにくかろう,というところです.
Re: (スコア:0)
> 日本における懐疑論者の中では何故かそれなりに流行っていますが,
> #他の国の大手(ってのも変な言い方か.権威?)懐疑論者の中では過去の話
> #でも何故かその下火になった後に日本で紹介され,一週遅れのブームになってみたり.
日本における疑似科学のブームって、(血液型性格診断とか姓名判断とかのガラパゴスなものを除けば)ほとんど海外から一周遅れてるよね。アダムスキー型宇宙船とかホメオパシーとか。
相手の「存在」はみとめているから批判や反論をするのだろう (スコア:2, すばらしい洞察)
というか懐疑論批判を本にまとめるってのは科学者としては十分「付き合ってる」と思うけど…。
法律で禁止しろとか、立場を利用して圧力をかけるとか、権威を笠に黙殺するとか、馬鹿にして笑い飛ばすとかではなく
誠実に批判や反論するってのは科学者の行動として実に王道なような…。
相手の存在を認めているという意味では立派に「共存」してるといえるでしょう。
Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:1, 興味深い)
科学的に100%厳密な話をするなら、あなたの主張には意味があります。ただし、「CO2が主犯」というのには懐疑説がありますが、「温暖化が進んでいる」というのは現在(CO2主犯説)懐疑派にも受け入れられています。
で、ですよ。問題はここからです。
「CO2主犯説を懐疑している」ことに何の意味があるのですか?温暖化が進むことは大きな問題であり、それに対処する必要があることは変わっていないんですよ。
「CO2が手段であることは証明できてはいないが、理論的には正しそう」なら、一応対策しておく必要があるんじゃないんですか?
Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:1, すばらしい洞察)
CO2主犯説の問題点は、排出量取引などという馬鹿げた仕組みができてしまうことにあります。
省エネは大いにやるべきですが、途上国から排出権を巨額で購入するのは金をドブに捨てているようなものです。
Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:3, すばらしい洞察)
排出権取引は酷いですよね.
せめて排出権の削減に同意している国間での取引ならまだしも,そんな事しらねぇよと言ってる国との間でも認めるってのは正気の沙汰とは思えない.
途上国行って既存工場に手を加えて排出権ゲット,途上国は新たに工場建てて排出量増加,でまたうちらが途上国行って(略)って,何だその無限1upはと.
科学的知識と技術的解決策の混同及び短絡 (スコア:1)
対策の問題点と学説の正否をごっちゃにされてもな…。
排出量取引は解決のために提案されている技術の一つにすぎない。例えば主因がCO2でなかったとしても成り立ちうる。
CO2主因説が正しいかどうかはそれ自身の検証によるべき話。
一方排出量取引が社会技術的に正しい解決策かどうかはCO2主因説とは独立に経済学的分析で検証されるのが適当。
Re: (スコア:0)
対策として提示されているものが学説をもろに根拠にしてるんですから
当然っちゃあ当然なんじゃないかなぁ。
#それにしても、環境関連はもめますね……。
#やっぱり、あれげの真骨頂はエネルギーの浪費にあるからかな?
Re:科学的知識と技術的解決策の混同及び短絡 (スコア:1)
いや、それは対策をCO2に適用する根拠でしょ?
利権構造がどーしたとかマッチポンプだとかは排出量取引という経済政策、手法に付随する問題。
ちょいと脳内で思考実験してみればわかるようにCO2以外の対象(例えば窒素酸化物とか窒素系肥料とか)についても
同種の汚染物質排出量取引を想定することができる。
そしてそれらについても同じ仕組みでやれば同種の問題が懸念されるということも想像に難くない。
プログラミングに親しんでいる読者のためにそれっぽい言葉でいえば、
排出量取引メソッドの対象物質というパラメタにCO2という実引数を渡したのが現状。
CO2が主因であるかどうかは実引数としてCO2を選ぶかどうかには関わりがあるが、
メソッド自身の欠陥(があると仮定した場合)にはそれほど関わりがない。
とまぁ、そういう話。
一応確認させてください。(Re:科学的知識と技術的解決策の混同及び短絡) (スコア:1)
このストーリーにコメントしている人たちは、温暖化対策で言われているCO2が(メタンやらなにやらといった温暖化物質全体から計算された)「CO2換算量」だと言うことは理解した上でコメントしていますよね?
# どこにコメント付けようかと迷ったけどここで。
ここは自由の殿堂だ。床につばを吐こうが猫を海賊呼ばわりしようが自由だ。- A.バートラム・チャンドラー 銀河辺境シリーズより
Re:一応確認させてください。(Re:科学的知識と技術的解決策の混同及び短絡) (スコア:1)
私としてはぶらさげる場所が微妙に誤解を招くと思うのでいやだなぁ。個人的には独立のツリーを立ち上げてほしかったような。
このツリーでは私の主張は
排出量取引という手法の適否(技術的解決策の評価)と
温暖化現象に関する仮説の正否(科学的知識の評価)を
ごっちゃにするなということに集中してます。
実施手法の構成要素である排出権の計算がCO2換算量だろうが生のCO2量だろうが(技術的解決策の要素)、
温暖化現象のCO2が主因だろうがそうでなかろうが(科学的知識の要素)、
成り立つ話をしています。
単純CO2悪玉論は筋が悪すぎる(Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:1)
その「対策」が原子力発電という非常にハイリスクな手段の推進であったり、科学的に意味があるのかないのか明確ではない数値目標の促進であったりするから大問題になってるのではないかと…その上で太陽活動の影響と思われる寒冷化傾向が見られ始めてる。
実際、槌田先生の懐疑論というのも温暖化阻止=原子力への転換と言う非常に単視眼的な、温暖化を防ぐためには万が一どころか現実に何度か起きている発電所や廃棄物貯蔵施設からの大規模放射能汚染は小さな事であるといいたいかのような原子力利権勢力の攻勢とCO2悪玉論ががっちり結びついてしまってるあたりから来てる訳で、単純なCO2悪玉論を戒めてる部分が大きいですよ。
…特に日本だと一発大事故起こしたら国土の半分は放棄しなきゃいけない上にそこまで行かなくても電力供給が破綻するような代物への依存度を徒に高めるための国策を正当化する方便として、特にチェルノブィリ原発以降電力会社や国がフル活用してきたと言う情況がある訳で。
他の「対策」も示されてきたいるものの(実際槌田先生も示してきてる)、それら…例えば太陽光発電など…は巨大利権化できていない新規技術であるので各国とも喰い付きが悪くて、この五六年でやっと本腰を入れ始めてる。
そういう非常に生臭い背後関係がCO2悪玉論にはずーっとあって、CO2だけが悪玉であってCO2を減らせば温暖化を防げるかのような乱暴な非科学的な話が大手を振ってまかり通ってしまってるから、逆に懐疑論も多く出てしまう。
Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:1)
>温暖化が進むことは大きな問題
いやー、CO2主犯の温暖化メカニズムを細かい所まで見ると、CO2を止めても温暖化を止める事はできないって分かるんだけどね。(できるのは変化をゆるくするだけ)
はっきり分かってCO2を完全にゼロにしても、さらに100年以上温暖化が進行するってこと軽視してないか?
the.ACount
Re: (スコア:0)
太陽の黒点が減少している事による寒冷化を唱える人もいるにはいます。
対策による効果の程が問題だと思います。劇的な効果はまずないでしょう。誤差の範囲程度にしか効果がなかったらやるだけ無駄です。
Re: (スコア:0)
>太陽の黒点が減少している事による寒冷化を唱える人もいるにはいます。
それは、「これから寒冷化する」というのを主張しているのであって、現状寒冷化しているといっているわけではない。
今現在地表面の温度が上がり続けているのは単なる観測事実だから議論も何もない。
Re: (スコア:0)
> 太陽の黒点が減少している事による寒冷化を唱える人もいるにはいます。
これはまさにタームの問題ですね。
寒冷化説を唱えている人は中長期的な寒冷化を問題にしているので、短期的な温暖化には楽観的なのです。
> 対策による効果の程が問題
その対策と効果をめぐる問題がもはや科学の問題でなく、
(科学者の立場含む)政治権力そして巨大なビジネス利権となっていることが
今日の懐疑派・対策派双方の原動力となっています。
京都イニシアチブにしても、「エコ」運動にしても、その背後には政治的な力と莫大な金が動きます。
したがって、そこには自然科学者の主張の真偽ではなく、別の力が働いてしまうのです。
今回サスタナティブ学が立ち上がったのも、助成金を含めた政治的な動きがあったわけで、
対策派がこういう本を書けば書くほど、科学に疎い人や外野の一般人から懐疑派と同じ穴のムジナと思われてしまうのです。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
海賊退治の方が安くかつ確実に温暖化を止められるなら、そっちを先にすべき。
Re: (スコア:0)
>「温暖化が進んでいる」というのは現在(CO2主犯説)懐疑派にも受け入れられています
「温暖化が進んでる」というより、より正確には「百数十年程度前から現在までの推移を見ると気温の上昇傾向が見られる」というのが正しいでしょう。
これが普通に見られる地球の気温変動の範囲内なのか、これからもこの上昇傾向が続くのか、というところで議論が起こってるわけなので、単純事実の提示のみにすべきでしょう。
もっとも、個人的にはCO2で地球が滅びる! だなんて言ってる奴は頭おかしいんじゃね? としか思えませんが。
Re:批判よりも共存はいかが? (スコア:1, すばらしい洞察)
時間の概念を無視してどこに説得力が?
産業革命は何年前で、直近の氷河期は何年前ですか?
最低でも時間の概念を加えた「上昇率」を提示してから語りましょう。
…というところから始めないと駄目?
Re: (スコア:0)